2010年6月26日土曜日

「サービスを送る」ビジネス②

このオンラインショップと同じ要領で、例えば教育費の納入も簡単に行うことができる。

ウガンダにいるときにこれは目の当たりにしたことなのだが、授業料を確実に払える生徒が少ないため、かなり多くの私立学校は頭を抱えている。とりあえず授業は受けさせるけれども、授業料が確実に支払われるのかどうかが分からない。もちろん子どもたちは勉強がしたいし、公立学校の質はあまりよくないため、親としては私立に行かせたい。特にウガンダでは、私は子どもを公立学校に行かせているという親に出会ったことがない。どんなに貧しい人も、授業料の未納・滞納など紆余曲折を経ながらも、どうにかして子どもを私立に行かせようとしている。公立学校なんて、質が悪すぎて行かせるだけ無駄だと諦められているからだ。

マケレレ大学でもそうだった。授業料を払える保証はどこにもないけれど、とりあえず授業は受けているというクラスメイトがどれだけいたことか!!お金がきちんと集まるのを待っていたら、いつまで経っても授業は受けられない。「授業料はまだ払ってないよ。でも、たぶん来週にはおじさんがお金を送ってくれることになっているから・・・大丈夫だと思う」だの「両親が、今一生懸命お金を探してくれている」だの、そんな人がかなり多かった。マケレレでは、期末試験の一週間前までに正式に科目登録を済ませれば、とりあえず成績はつけてもらえる。しかし、その科目登録をするためには、授業料の納入を済ませていないといけない。お金がないと、当然成績や単位は来ないわけだから、当然、学期の半ばも過ぎる頃には、呑気なウガンダ人も焦り始める。あんなクソ大学のインチキ学位だけど、苦学生にとっては汗と涙の結晶なのだ。

アフリカにいる親戚や家族の子どものために教育費を払っている海外在住のディアスポラはかなり多い。しかし、ここに来て、また同じ疑問が浮かび上がってくる。ディアスポラが「教育費」の名目で送っているお金は、本当に教育のために使われているのか?

そこでオンラインショップと同様、私たちの会社とパートナーになっている学校に対しては、ディアスポラがオンラインで直接学費を納入できるシステムが存在する。子どもたちにとっては、お金のことを心配せずに安心して学校に行くことができる。学校にとっては、決まった期間内に確実に授業料の徴収が可能になる。そして、アフリカの外にいるディアスポラにとっては、自分たちのお金が教育に姿を変えているという保証になり、安心して送金することができる。

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また、似たような要領で医療サービスなんかも提供することができる。医療の場合はちょっと特別だ。

今アフリカでは、ITを使った遠隔医療が非常に注目されている。専門医のいない農村部でも、テクノロジーさえあれば、都市部や先進国にいる医師たちの診察が直接受けられるというわけだ。もちろん、遠隔医療を実現させるためには、停電のない安定した電気の供給や、それなりに接続のいいインターネットが不可欠なのだ。また、例えばスカイプでヨーロッパにいる専門医の診断が直接受けられたとしても、村に医療器具や設備などがないのでは意味がないため、そうした設備整備が早急な課題となってくる。

私が働いていた会社では、アフリカ各地の病院・診断所やヨーロッパにいる医師と提携してネットワークを構築し、アフリカにいるアフリカ人ディアスポラの家族が病気になった際にも、ヨーロッパにいる家族が治療に参加できるようなシステムを作っている。こうすることで、離れて暮らす家族が治療に立ち会えるようになるだけではなく、互いの健康状態についての理解も深まり、また、より透明でより分かりやすい医療行為をスポンサーであるアフリカ人ディアスポラに見せることができる。

ま多くのアフリカ諸国では、健康に対する知識と意識が未だに低いままである。病院とは病気になってから初めて行く場所であり、病気を予防しようだとか、普段から健康でいようだとかいう気持ちもなかなか生まれない。カロリーのことを「ビタミン」と呼び、油っこい食べ物こそが一番体にいいと思っている人たちだからねぇ。ケニアのラム島で居候させてもらった家のおばさんは、私のためにフライドポテトを買ってきて「たんとビタミンを取りなさい。体にいいのよ。」としきりに勧めてくれた。

しかし、この医療サービスを送るマイクロファイナンスを利用すれば、健康診断や人間ドッグのようなサービスをも、アフリカで暮らす人々に提供することができる。ヨーロッパに移住した人たちは、当然、病気の予防の大切さに気付いている。そこで、彼らがアフリカにいる家族に健康診断をプレゼントしてしまえば、どんなに面倒臭くても、その家族は健康診断を受けることになる。家族からの贈り物なのだから、心理的に健康診断を受けようとする気持ちが生まれるのは当然と言えば当然だ。

病気の予防がどれだけ重要なものかという説明をする際にも、同じことが言える。見ず知らずの人や外国人に言われるのよりも、自分の家族に言われた方が、説得力があるし聞く方も素直に聞いてくれる。何よりも、家族の言葉は心に響く。

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今、アフリカはかなり面白くて、かつてないほどにダイナミックな時代を迎えている。脆弱な平和ではあるけれど、今まで内戦の舞台となってきた地域の多くが復興に向けて立ち上がろうとしている。それに伴い、アフリカ各国間の経済的な結びつきは強まる一方だ。経済的な結びつきが強まれば、当然モノやお金、人の移動も今まで以上に活発になる。(そんな時代だからこそHIV/エイズは本当に気をつけないといけないよね。)ビジネスマンはアフリカ中を飛び回り、勉強や仕事のために外国暮らしをする人や、アフリカ大陸内の出稼ぎ移民、また、アフリカ内の国際結婚カップルも、今後ますます増えるであろう。そうなると、今は先進国からアフリカへの一方的な流れが主流となっているディアスポラ関連サービスだが、これからはアフリカ大陸内でのやりとりの重要性が上がり、動きもますます活発になるはずだ。そういう意味では、非常にエキサイティングなことをしている会社で働いていたなぁと未だに思う。

「アフリカにはモノやお金がないから」と初めからステレオタイプで決め付けるのではなく、「モノやお金の流れが滞っていて、上手くまわり切れていないのはどうしてなのか」というところに着目する必要があるかもね。楽観的すぎるかもしれないけれど、私は、アフリカは自分たちの力でやっていく実力があると心の底から思っている。実際、IMFの統計によると、(サハラ以南のアフリカに関しては)外国からの援助資金より、アフリカの外にいるアフリカ人ディアスポラから公式ルートを通して流れてくるお金のほうが大きな額であることが分かる。

私の好きな言葉の中に、the way you see the problem is the problem(問題の見方自体が問題なのである)というものがある。アフリカを見ていると、まさにそうだなと実感せずにはいられない。国際社会(&時々アフリカ自身)の、アフリカという場所そのものへの眼差し自体がどれだけ大きな問題になっていることか。(このように言っている私自身の問題意識そのものが問題だったりもするわけだから、マトリョーシカ人形みたいなものなんだけどね。)「アフリカ=忘れ去られた大陸」でも、「アフリカ=援助の対象(objet)」でも「アフリカ=さまざまな知識を教えてあげなくてはならない相手」でもないのだ。要は、ここにだって社会があって人がいて日常生活というものが存在しているのだ。だから、何でも外から持ってきてしまうのではなく、どっぷりとじっくりと現地の生活に触れながら、社会の中の元気な部分とそうでない部分の間の流れを食い止めている原因について思いを馳せた方がよほど(本人のためにもアフリカのためにも)役に立つのではないだろうか。実際に日本のような国でも、いいビジネスや政策というのは、いつもこうした着眼点から始まっておるわけだしね。結局は、アフリカも日本も、根本では問題解決への道は同じなワケです。はい。

「サービスを送る」ビジネス①

ここ数年もてはやされているマイクロファイナンスが、マイクロクレジット(小額貸付)だけではないことは前に少し書いた。銀行などの既存の金融機関が、大多数の人のニーズに応えられないこと、、ディアスポラ(移民、出稼ぎ移民)からの送金が、いかにこの大陸において大きな存在であるのかということ、また、送金の思わぬ落とし穴についても、既に書いたとおりだ。

ディアスポラを通した社会貢献型のビジネスが注目されるようになってから久しいが、そんな中でも私の会社はユニークだ。ヨーロッパやアメリカにいるアフリカ系のディアスポラが、送金の代わりに、医療や教育などのサービスをアフリカに残る家族に提供できるようにしているからだ。送金で送られたお金を、もっと有効的に使ってもらいたい―そんなディアスポラのかねてからの願いを、カタチにしたのがこの会社である。(送金の落とし穴についてはこちらをどうぞ。)

例えば、私の会社では、ディアスピラやアフリカに住む人々を対象にしたオンラインショップを運営している。アフリカの内外で暮らすディアスポラがお金を払い、それをアフリカ各国にいる家族がすぐに受け取れるシステムだ。こうすることで、例えばフランスにいるAさんはアフリカにいるBさんの必要なものを直接買ってあげることができる。送金してしまうとお金の使用用途が不透明になってしまうから、Aさんにとってはこの方がありがたい。また、「○○を買いたいのにお金がない!!」「今月は給料が支払われなかった!!」「月末でお金が残っていない!!(お金は計画的に使いましょうという話だが、計画しようにも計画通りにはまずいかないのがTIA)」など、なにかとすったもんだすることの多いアフリカだ。そのため、Aさんがヨーロッパで直接支払いを行うことで、Bさんのためにより簡単でスムーズな買い物ができる。

オンラインショップでAさんが買う商品は、Bさんの暮らす国の地元の店舗や企業の商品・製品であるため、地元の経済のためにもプラスになる。つまり、それこそ本当に、Aさんはフランスにいながら、アフリカで買い物ができるサービスになっている。私の会社がそれぞれの地元店舗・企業と交渉を行うため、オンライン上では実際の店舗価格よりもやや低い値段で買い物をすることができる。これは、ディアスポラだけではなく、インターネットにアクセスできるアフリカの人にとっても嬉しい特典だね。みんな忙しいからなかなか買い物をする暇がないけれど、オンラインショップならいつでも買い物をし、家まで届けてもらうことが可能なだけでなく、実際のお店よりも安いわけだから。

地元の店舗・企業にしてみたら、地元の顧客層の増加はもちろん、海外にまで市場が広がるいいチャンスだ。アビジャンのようにだだっ広く、交通渋滞が激しく、そして市民が割とレイジーな街では、自分の生活圏内を越えた買い物をする人はそう多くはいない。(まぁ、どこで買い物してもお店や品質には特には差がないっていうのもあるんだけどね。)また、何かと情報が錯綜しているTIAなこの街において、注目のお店やレストラン、イベントなどの情報を集めた街情報誌があるハズもない(あるのは口コミと新聞広告ぐらい)。そのため、お店の立地を生活圏内としないアビジャン市民に新しい顧客になってもらうことは、それだけで地元の店舗や企業にとって大きな利益になる。ましてやそれが海外にまで広がるとなれば、決して悪い話ではないハズだ。

特に電化製品は、アフリカでは本当に高い。だから今は、フランスから誰かが来るたびに、あるいは誰かがフランスに行くたびに、持ち運びをしている人が非常に多い。このままだとアフリカの地元の商売も上がったりだし、空港の税関での汚職が終わることもない。そういう意味でも、このオンラインショップは決して悪いアイディアではないと思う。

アフリカの人がオンラインショップで買い物をする際には、現金払いでも、銀行口座のカードでもOK。特に今は、Africardというプリペイド式カードがVISAから出ていて、じわりじわりと浸透しているから、アフリカのビジネスも大きく変化してきている。Africardもマイクロファイナンスの一環と言えば一環だ。最初にお金を積み立てて、それをクレジットカードの代わりに使うことができるのだ。これなら、銀行口座をもてない人でも大丈夫だね。

このオンラインショップから、私はコートジボワールのビジネスや消費の傾向について、色々学んでいる。文化の違いっていうのはこんなところにも現れるのか!!と、いつも新しい発見があるよ。

例えば、クリスマスやラマダン明けのための玩具。福袋のように、「5000フランのパック」「20000フランのパック」といった形で売り出しているのだが、それぞれのパックの中には、3歳児用の玩具も、8歳くらいの女の子向けの玩具も、10歳くらいの男の子向けの玩具も、全部ごちゃ混ぜになっている。私は最初、この案には反対した。こんなに統一感のないものばかりがごちゃごちゃと入ったパックは、誰がターゲットで売り出すつもりなの?―これが明確でなかったからだ。値段をそろえれば、何でもかんでもパックにして売り出せばいいというものではないしね。

ところが、象牙人の私の同僚は、全員口をそろえてこう教えてくれた。ここの人はそもそも、みんな大家族だ。そのため玩具とは、一つが一人に与えられるのではなく、いとこやはとこ同士を含む大家族みんなで共用するものと考えられている。だから、一回の贈り物でなるべく多くの子どもたちを喜ばせられる方が、消費者のニーズに合っているのだ、と。

大家族なんだし、こんなの当たり前といえば当たり前の話だけど、これを聞いたときには目からウロコだったなぁ。

結局これは実現されなかったけれど、イスラム教の犠牲祭の前には、ヤギをオンラインショップで売ろう!!などという話も飛び出した。今はクリスマスに向けて、鶏やら大量の食べ物のパックを売り出している。パーティや親戚同士の集まりが大好きなアフリカの人にとって、これはどんなモノよりも最高のプレゼントだ。ディアスポラもそれを理解しているから、結構売れるんじゃないかな。

もちろん、コートジボワール(というか、一般的に途上国)ならではの難しさもかなりあるよ。

まず、信用の問題。例えば、十二月に売れた商品分のお金は、翌月である一月の決められた日に、私たちの会社から地元の店舗・企業に納入される。この後払い制度がなかなかやっかいで、信用を得るのが非常に難しい。ここでは、何でもその場で支払うのが当たり前だからね。そうでないと、逃げたり、しらばっくれて支払いを拒否する個人や業者が後を絶たない。基本的に、信用というものが社会の中に存在しない。だから携帯の通話料も、後払いではなくプリペイドなのだ。たとえ私たちの会社の本部がパリにあろうと、アフリカ各国で事業を展開していようと、アフリカサッカー界のスターが経営に関わっていようと、信用のない不安定な社会で信用を得るというのは、難しいことだ。本当に根気が必要だね。

コートジボワールでは、細かい書類を準備して会社の信用性を証明しようとするのよりも、メディアにさえ露出していれば、「お宅は信用できる会社ですね~」という感じになってしまうらしい。これ、ものすごくTIAで面白いなと思った。難しいこと言われてもよく分からないから、とにかく目立てばいいんです!!みたいなね。思えば、マケレレの学内選挙のときも、「演説や政策で勝負!!」というよりは、「お金とコーラをばら撒いて、あとはひたすら音楽をガンガンかけて踊りまくる選挙活動をすれば、勝てる」といった具合だったなぁ。

私たちの会社の本部がシャンゼリゼ通りにあるのも、そんなTIAの心理をよく理解してのことだ。パリにいた頃、私はどうして本部がこんなところにあるのかが理解できなかった。シャンゼリゼ一帯のあの辺は、かなり高いはずだ。それなのに・・・なぜ?私たちの会社はまだまだ小さいのだから、同じパリでももう少し安いところに本部を構えればいいのに。何もかもがよく分からないような環境にポーンと放り込まれていた(というか、自分でポーンと身投げしたと表現したほうが正しいね)私は、「身の丈にあっていないことを好むところがマジTIAだな、この会社は大丈夫なの?」とすら考えては一人でイライラしていた。

社長の思惑がようやく理解できたのは、コートジボワールに来てからだった。ここでは、私たちの会社のことを知らない人に対して説明をする際、必ず本部の住所を言っている。すごいよ。「パリ8区シャンゼリゼ」と言っただけで、水戸黄門の印籠のように、今まで面倒くさそうな態度を見せていた人々がハハァーとなるからね(笑)。パワポの会社プレゼンには、資本金やら従業員数などの必要不可欠な会社概要は登場しないくせに、二枚目には早速シャンゼリゼの文字が登場する。初めての相手に電話をするときの手短な自己紹介でさえも、「○○社の△△と申します。私たちの会社は#%*@で本部はパリのシャンゼリゼにあります。」というように、ここで本部の住所を言うのか!?というツッコミをせずにはいられない感じなのである。

「本部がシャンゼリゼにあるからなんなの」くらいの態度を、是非是非アビジャンの人々には見せてもらいたいんだけど・・・なんてたって見せつけ主義&見せつけられたらペコペコする主義が蔓延しているから、なかなかそうもいかない。

アラビア語の学習とTIA(This is Arabia/Africa)

もう既にご存知の方もいるかもしれないが、私は今アラビア語を勉強している。週に三回、二時間ずつのレッスンに通っているのだが、担任であるスーダン人の先生が・・・私は彼のことが好きで好きで仕方がない。本当に愛嬌のある人なの!!彼を見ていると、スーダンでの忘れられない日々がまるで昨日の出来事であるかのような錯覚に陥る。

まず、授業の進むスピードが遅いのなんの。あまり早すぎても問題だし、今はとても忙しいのでアラビア語の復習にばかり時間を割いているわけにもいかないから、私にとっては非常に好ましい。が、それにしても遅い。遅いというか、毎回一貫性のない授業でランダムに次々と違うことをするため、私たちのクラスのメンバーももうすっかり彼の調子に慣れてしまった。

学校が始まった四月の段階では、まだ日の入りの時間が早かったために、授業とお祈りの時間(イスラームでは、一日五回お祈りをする)がかぶらずに済んだ。お祈りをしてから授業に臨んでいたんだね。だが、最近ではだんだんと日照時間が長くなり、それに伴いお祈りの時間も遅くなってきているため、授業の途中で突然、彼は十分ほど消えてしまう。お祈りから帰ってきたと思ったら「これから十分間の休憩だ」と言い放ち、また消えてしまう彼。いいよね、こういうの。私たちも私たちで、みんなTIA(この場合、This is Arabiaになるのかしら)だからそんなの誰も気にしない。お祈りと休憩時間のほうが仕事よりもはるかに重要なのだから、仕方がない。この学校に行くためには地下鉄を利用しているが、私はどうも、あの地下鉄の中ですらみんながせわせわと忙しそうにしているあの雰囲気がダメなんだよね。だから、学校に到着して時間の流れがゆったりとしているのを感じると、とても心地よい気分になる。

あ、でも、ラマダンのときとかどうなっちゃうんだろう・・・。ラマダン中は、日の入りの時間帯になると道路という道路から車が消え、歩行人も消え、みんなイフタ(日の入りの後に最初に食べるご飯)以外のことなど考えられない状態になるのだが、きっとこの学校でも同じ現象が起きるであろうことは安易に予想がつく。まぁ、そうなったら一緒にご飯食べればいいだけの話なんだけどね(笑)。

またこの先生は、疲れているときとそうでないときのギャップが激しい。これが本当にTIA(この場合はThis is Africaのほう)だなと私の目には映る。

特に、金曜日の授業なんてもう意識が教室にないね、完全に(笑)。そもそもこの学校は、イスラームの休息日である金曜日を週末としないで、日本にあわせて土日を週末としているから、そこからして彼にとっては???に違いない。疲れているときは、適当に数字の勉強をして終りになっちゃったり、アラビア語圏内の国と首都、及び地理的位置について話して終わっちゃったりする。この前なんて、動詞の活用の説明をするために、なぜか染色体や遺伝子、細胞分裂の話をダラダラとして授業のほとんどの時間が終わっちゃったしね(笑)。こちらがツッコミを入れても、彼にとってはそんなことはお構いなし。のーんびりとした自分の世界にどっぷり浸かっているのだ。別に、自己中心的とかそういうんじゃなくて、本当に自分の世界の中でのんびりそているというか。全然悪い意味で、というわけではないよ。それにしても、あのときの先生の態度は、スーダンの入国管理のオフィサーを彷彿とさせた(笑)。


スーダンのイミグレにて。これをイス代わりに、仕事をしているかのように見せておいて

オフィサーたちは適当にダラダラと時間を潰しています。

まぁ、ラマダン中だったし、外は五十度だったし、仕方がないね。

イミグレ事務所の奥の方で「勤務中」の入国管理官。
お布団代わりに使っているのは、お祈りのときに使う神聖な敷物です(笑)。
まぁ、このダラダラ感が本当にスーダンだよね。ちなみに黄色の服の東洋人は、
旅の途中、面倒なので私の夫ということにしておいたヒロシ君です。
でも、エチオピア人やスーダン人にはヘロシと呼ばれていました。



思えばマケレレの先生もコートジボワールの同僚も、疲れているときはあからさまな態度を見せた。まだ私たちのスーダン人の先生は、疲れていることを理由に教室からいなくなっちゃったりすることなど絶対にありえないからいいんだけど。ウガンダの教授の中には、やたらめったら「村にいる親戚の葬式」を理由に夜の授業に来なかった人もいたし、コートジボワールの同僚たちは、「お腹がすいているから」「疲れたから」「気分が乗らないから」「眠いから」というものを、会議中止と早退の正当な理由として認識していた。そしてそれが本当に許されちゃうから(というか、許可せざるを得ないから)素敵である。コートジボワールの会社のお局的存在だったデニーズ(体も態度も声も大きい、典型的な象牙女性)なんて、上司がいちいち自分のオフィスに入ってこないことをいいことに、お昼ご飯を食べ終わったら毎日ゴザを敷いて昼寝してたしね。中からイスと机を押し当て積み重ね、外からは絶対にドアが開けられないような工夫も忘れていない。こういうところだけはしっかりしてるんだから。もうまったく。

あとはね、このアラビア語の先生は、絶対に細かい文法を教えようとはしない。質問をしても「これは後でまた習うから。インシャッラー(神がそうお望みであるのなら)」「今はこれを知っている必要はない」と言い、先生なのに(?)質問に答えてはくれないのである。最初はそんな彼の態度にイライラしたりもした。コートジボワール人やウガンダ人は一応、こういう状況では、完全とは言えなくてもそれなりの答えをくれたものだ。

しかし、だんだんと彼のスピードに巻き込まれていくにつれ、彼がどうしてこんなあいまいな態度をとるのかが理解できるようになった。彼の中には彼なりの物事の順番というものがあり、どんなに時間がかかっても、それを平和にこなしていくことが何よりも重要なのである。それを裏付けるように、彼はいつも「私は今はこれを教えない。なぜなら、あなたたちを混乱させたくないからだ。今はやらない。後でやるからいいのだ。」と言っている。決して悪気があるわけではなく、面倒くさがっているのではなく(もしかしたらそうなのかもしれないけど)、心の奥底から素直にそう信じているのがはっきりと分かるような声でこんなことを言われてしまうと、こちら側としても「ああ、そうなのか。じゃあその時に習えばいいか」という気持ちになってしまうから不思議だ。

言語を習得するために、膨大な時間がかかるのは仕方がないことだ。もちろん、その言語の難易度や本人の努力によっても、習得までに必要な時間の長さは大きく左右される。しかし、スワヒリ語のときも思ったのだが、その言語が話されている地域の人々の文化や価値観によっても大きく左右されるよね、きっと。アラビア語の教科書は間違いだらけだし、スワヒリ語に関しては、辞書でさえ穴だらけであった。辞書が間違っているなんて、もはや誰を信用していいのか分からないだろという話だが。

しかし、そんなことはどうでもいいことなのである。なぜなら、その言語を話している人たちにとってはそんなことは些細な問題であるからだ。それよりも、お昼寝をしたり、お茶を飲んだり、おしゃべりをしながらご飯を食べたりしている方がよっぽど大切なのだから、言語を学ぶ者もそれに倣わなければならないと私は思っている。こうした時間の流れの違いを学ぶのも、その土地の言語を学ぶ過程の一部だもんね。そうじゃないと、アフリカやアラブ諸国ではきっと生き残れないのではないだろうか。

はぁ、いつになったらアラビア語をマスターできる日がやって来るのかしら。別にアラビア語ができても今ドキみんな英語ができるのだから、労力と時間を考えると、そこまでメリットのある言語だともあまり思えないけど。それでも、なぜか心から離れてくれないアフリカという場所についてもっと深く知るためには、アラビア語は極めて重要な言語であるから仕方がない。やるしかない。あまり期待しすぎず、あまり絶望しすぎず。このように書くと、アフリカとの上手な付き合い方の心構えに似ているなと感じてしまうのは私だけであろうか。

しばらくは、アラビア語を諦めずにダラダラと続けていきます。インシャッラー。

2010年6月23日水曜日

汚職見聞録2

去年の十二月に一度書き始めた「汚職見聞録」。ごめんなさい、今さらですが、半年たった今、この情報を更新したいと思います。


* 役所*
出生証明書、パスポート取得、ID取得・・・などなど、もちろんbusinessをしないとどうにもならない書類の数々。それでも、この書類がないと、学校にも行けなければ仕事も見つけることができない。これをいいことに、役所勤めの公務員はものすごく稼いでいます。ちなみに、ワイロを払うことはなかったけど、参考までに私の涙ぐましいビザ物語を読んでみてください。TIA式お役所仕事はこのように進みます。

例えば、外国人。経済的に豊かなコートジボワールには、周辺の国々から、出稼ぎ労働者やビジネスマンが大量に流入しているの。法律上は、両親のどちらかがコートジボワール国籍であれば子どももコートジボワール国籍が取得できるし、1971年以前にコートジボワールで生まれた人は、全員コートジボワール国籍を取得できることになっている。これらの条件が当てはまらないとしても、コートジボワールで生まれた子どもには、象牙人の子どもと同じ権限(教育の権利、予防接種などの公衆衛生の権利、etc)が与えられることになっている。

うん、公式にはね。

ところがどっこい。On dit n’importe quoi et on fait n’importe quoi(ヤツラは言いたい放題のやりたい放題)なワケですよ。ほら、前にも書いたように、à Abidjan, on fait rien pour rien(アビジャンでは、誰もタダでは何もしちゃくれない)だからね。

だから「払え」ない人は、法律で与えられた権利すら得ることができない。そもそも、書類がないと、法律で与えられた権利の恩恵にあやかることなどできないからだ。

先日、両親ともにコートジボワール生まれのナイジェリア人で、自分もコートジボワールで生まれ育ったというタクシー運転手と話した。1971年以前にコートジボワール内で生まれた子どもには、コートジボワール国籍が自動的に与えられる法律が存在していた。彼曰く、彼自身は本来はその対象内であるのだか。書類上の彼の祖国であるナイジェリアは、コートジボワール以上に評判の悪い汚職大国だ。(しかし、汚職ランキングを見た限りだと、なぜかコートジボワールの方が下なんだよねぇ。どうして!?)だから、ナイジェリアのパスポートを取得したり、あれをしたり、これをしたり・・・がこりゃまた面倒いし、そのためにナイジェリアに行くのもいちいち時間とお金がかかってしまう。だからといってナイジェリア国籍のままだと色々生活に不便であるため、できればコートジボワール国籍を取得したいと言っていた。

しかし、法律上は可能であるはずのコートジボワール国籍取得も、実際には役所にいる役人がやりたい放題でなかなか進展しない。マケレレ大学でもそうだったんだけど、ここではルールなんてものは存在しなければ遵守もされておらず、全てはカネと権力とコネなのだ。

結局彼は、外国人滞在許可証を持ってはいても、ナイジェリアのパスポートは持っていないというヘンテコリンな状況に置かれている。何かあった時に、これだと不安だよね。

* 警察*

警察ネタに関しては、このブログでは書きすぎているくらい書いているから、もう今さら新しい情報を付け加える必要はないね(笑)。これからも、どんどん警察ネタには尽きないと思いますのでお付き合いください。

* 就職*

日本も今、就職氷河期だなんて言われているけれど、アフリカのそれに比べれば甘ちゃんだ。日本でも一部そうかもしれないけれど、TIA式シューカツには、ワイロと根回しが必要になってくる。こう書くと悪の権化のような印象を与えてしまうかもしれないが、実際の感覚としては、「おじさんの会社で働いている」とか「知り合いに頼みこんで、お店で働かせてもらっている」といった感じなんだけどね。あとは、いい成績や卒業認定を得るために学校や先生にも余分に「ギフト」を払うことに慣れてしまっている彼らにとっては、就職のときに積むお金など、もはや「ワイロ」という感覚ではないのかもしれないとすら、たまに感じてしまう。お中元やお歳暮みたいなものなのかしらねぇ。

こんなんだから、本当に実力のある人がなかなか登用されず、いつまで経ってもサービスの向上や業績の向上が望めないなどという企業や店舗が後を絶たない。

これに関係しているのかしていないのかは置いておいて、ウガンダに住んでいたときに忘れられない出来事があった。

マケレレの学生街であるワンダゲヤで、軽く晩御飯を食べようと思った時のことだった。そのお店には、とんでもないビッチ店員がいた。彼女、私が注文をしている時にケータイをいじり、注文したものとは別のものを持ってき、更にはお釣りをごまかそうとしたんだよ。ウガンダビッチに飽き飽きイライラな毎日を送っていた私は、もちろん彼女の態度にカチーンときたため、「何なの、客に対するその態度!!」と食ってかかった。すると彼女は、ハァーとわざと大きなため息をつきながらぶすくれ、こちらの神経を逆なでする行為に出た。こういう状況でぶすくれ&逆ギレをするのって、プライドだけは高いウガンダビッチがよくやる、お決まりパターンなんだよね。

あまりにもこの女がムカつくものだから、私は彼女の上司を呼んで苦情を言った。この上司である四十代くらいのセボ(男性)は、たかがハタチの留学生に、ひたすら平謝りをし、「彼女にも厳重に注意しておきますので・・・」の言葉を繰り返した。別に彼が悪いわけではないから、少し申し訳ないなとは思ったけど・・・でも、彼女がこのお店で働き続ける上で、こんなことを他のお客さんにもするのは、決して許されることではないからね。言いたいことをすべて言い切った私だが、セボの横で未だに知らんぷり&ぶすくれている彼女を見て、一気に怒りが再燃した。テメーにそもそもの原因があるんだろうが、BITCH !!!

そこで、その上司に向かって、私の目の前で彼女に厳重注意とやらをするように言った。こうなったら、栃木出身のハタチの女子大生も、道頓堀を闊歩している大阪のおばちゃんも、同じ人種である。クレーマーと化した私を前に、困った時のウガンダ人に特有の笑顔を浮かべ、オロオロするばかりのセボ。「あのー、そ、それだけはどうかご勘弁を。またあとで私からきちんと注意しておきますので・・・」「だから、後でやっても今やっても同じでしょう。どうせなら、私の目の前で注意してくださいよ」「えー、えー・・・・はぁ・・・」

と、途中まで話が進んだところで、このセボとビッチの力関係が私には分かったような気がした。このビッチは、上司であるセボよりも上の立場にある人とつながっているに違いない。それが援助交際相手のsugar dadyなのか、親戚なのか、パパの知り合いなのかまでは推測できないけど・・・。だから、現場で直接的には上司である彼も、彼女にはなにも言うことができないのだろう。

異常なほどに空しい感覚に襲われながら、この日は家路に就いた。


* イミグレ*

先ほど登場したナイジェリア人の運転手さんに聞いた面白い(?)話。そんなこんなでパスポートを持っていない彼は、ナイジェリアに帰る際にはこんなことをしているそうです。

もちろん飛行機は高くて乗れないし、お金があったところでパスポートがないからチケットの予約すら取れないよね。そこで、当然のことながら、里帰りの際には陸路で行くしかないのです。里帰りといっても、彼の場合故郷はコートジボワールなんだけどね。

陸路で行くには、ガーナ、トーゴ、ベナンを越えなければならないけれど、パスポートのない人が、「どこの国のどの国境の役人にいくらぐらい支払う必要があるのか」という闇相場がきちんと決まっているらしいよ。すごいね。一番安上がりなのは、トーゴなんだって。そして、一番お金がかかるのは、ガーナからトーゴに抜ける際の、ガーナ側のイミグレなんだって。こうして、要所要所でお金をばらまくことでパスポートがないことは黙殺され、何事もなかったかのように通してもらえるらしい。また、ガーナもトーゴもベナンも、コートジボワールの警察のように幹線道路に関所をもうけることがほとんどないため、違法入国者も安心して(?)bon voyageできるらしい。むしろ、こうしてお金をばらまいたほうが、パスポート取得にかかる費用よりも安上がりなんだってさ。



汚職なのか、「贈り物」なのか。これを見分けるのって、文化によって全然違ってきちゃうから、一口に「これは汚職だ11」と言い切れないところが非常に難しい。ただし、確かなことが二つある。

まず一つ目は、これがなくならない限り、アフリカからは「努力なんてしても無駄」なファタリズム的諦めモードが消えることはないだろうということだ。努力と勤勉を美徳とする日本人にとっては、この諦めモードの中で生活するのって、すごくストレスが溜まるんだよねぇ。

しかし、これと矛盾しているように見えるのが二つ目の点だ。それは、当初はあんなに汚職に対して過剰に反応していた私だが、TIAの波に飲み込まれるTIA生活が長期化するにつれ、だんだんとこの融通のきき易さに居心地の良さというか、便利さを感じるようになっていったことだ。今、日本のあまりにもきちんとしすぎた制度に戻って来られて安心する自分がいる半面、交渉の余地もなければ「ビジネス(=ワイロ額の値段交渉)」をふっかけることなどとんでもない!!という雰囲気に、「融通が利かないな」と不満に思う自分もいる。

そう、こんなこと書くと怒られてしまうかもしれないが、ワイロを欲しがっている相手との対峙こそが、アフリカ生活の醍醐味の一つであったりするんだよね。

2010年6月22日火曜日

TIA式運転免許取得大作戦!!

日本の運転免許の仮免の試験にすら受からなかったという、まさに人間失格の烙印を押されたも同然な私であったが・・・。(これには深いワケがあります。詳しくはこちら

なんとかしてリベンジを果たすべく、コートジボワールでの免許取得に踏み切ったのであった。理由はただ一つ。日本の免許取得は高すぎるから。コートジボワールでは、教習所の料金が平均で12万FCFA(約2万4000円)する。教習所に行かないと運転免許が取れない仕組みになっているから、これは必要経費として割り切るしかない。一人当たりのGNPを考えると、この値段は高すぎるとしか言いようがないけど、それでも都市部に暮らす中産階級のホワイトカラー層には、払えない額ではない。その人の役職や職業にもよるけれど、だいたい月収の2~4割くらいだもんね。

村から出てきたようなタクシーの運ちゃんなんかは、どこかのカカオのプランテーションや街中で、一年か二年くらい汗水たらしながら働き、ためたお金で運転免許を取得して、次のキャリアにつなげていく。一方で、アフリカにいる外国人はよく、運転免許を「取得する」ではなく「買う」という言い方をする。まあ、お金ですべてが買える場所だもんね・・・。分かりやすいと言えば分りやすい。ちなみに、「追加料金」を支払うことで、学校に通うことなく免許証がもらえてしまったりする。忙しい人向け(?)の、闇商法だ。

こんなんだから、人によって運転免許の意味合いが全然違う。

さてさて、私はというと、目的はただ一つ。コートジボワールの免許証を、日本の免許証に書き換えることであった。しかし、日本では本当の道路すら運転経験のないこの私が、アビジャンの無法地帯と化しているような道路で少し練習をしただけで、交通ルールの厳しい日本という国の免許書き換えの実技試験に合格するとは到底思えなかったため(さすがのTIA的お気楽楽観主義者の私でさえ、これは無理だと直感した)、まずはコートジボワールの免許を国際免許に書き換えて、少し日本の道を運転してから書き換え試験に臨もうと考えた。

完璧な作戦。今回こそは、日本で絶対に免許を取ってやる。

ところが、仕事が忙しかったのと、私のTIA的「『明日こそは教習所の申し込みをしよう』『ああ、今日こそ行くぞ』『まあ、来週でもいいか』シンドローム」のせいで、あれよあれよの間に時間が経ってしまった。その間なんと二ヶ月半。どんだけTIAなんだか、まったく。自分でも呆れてしまう。

アビジャン生活も二ヶ月半が経った頃、当初の予定では二ヶ月間であった私のアビジャン滞在が、どうやら半年以上に延長されるかも知れないことが判明した。会社そのものがTIAだったから、いつもそれもかなり直前(というか、むしろ時間切れ後)に、あいまいでいい加減な方向性が明らかになるのであった。まぁそれはいいとして。そこで、いよいよ私の免許取得が現実味を増してきた。コートジボワールにこれからまだしばらくいるのなら、この際に本当に免許を取ってしまおう!!

ところが、日本の道路交通法について調べていくうちに、喜びは消えて私の心は打ちのめされてしまった。どうやら、日本で外国免許を書き換えるためには、免許取得日から数えて三ヶ月間、その国に滞在しないといけないらしいのだ。同僚には、免許を取得するには最低でも一カ月から一ヶ月半はかかると見たほうがいいと言われていたため、単純計算してももはや手遅れということになる。

一週間ほど、免許のことは忘れようと自分に言い聞かせる日々が続いた。こんなにオイシイ話があるわけないじゃないか、自分。目を覚まして現実的になりなさい!ところが、ある夜それをポロっとシャカに話したら、こんな答えが返ってきた。

「お前は本当にアホだな。アビジャンでは、金さえあればすべてが可能なこと、もう忘れちまったのかよ?」

はいーーーーー、その通りです。すっかり忘れていました。

シャカ曰く、コートジボワールの運転免許は手書きだから、お金を少し積めば、日付の偽装など簡単にできてしまうというのだ。手書きの運転免許証・・・でも、確かに。ウガンダの学生ビザは、パスポートのページに直接ボールペンで日付を書きなぐっただけのものであったから、別に今さら運転免許証が手書きだろうと何だろうと、私は驚いてはいけないのだ。日付の変更は、1500FCFA(約300円)もあれば足りるであろうとのことだった。安っ!!これで、十一月ではなくて九月くらいに免許を取ったことにしてもらっちゃえば、日本でも問題なく書き換えの申請ができる!!完璧なプラン。

更に、教習所は常に込み合っているらしい(というか、練習用の車の数が足りないだけ)のだが、更に「志」を渡すことで、二週間ほどで免許証が届いてしまうらしい。金さえあればなんでもできるって、こういうことなんですね。ようやく、免許証を「買う」ことの意味を実感する私であった。

教習所に電話をしてみると、わざわざ校長先生の息子さんが、私の職場まで説明をしに来てくれた。日付の改ざん作戦について彼に念を押して質問をしたところ、「問題ない」との返事が返ってきたので安心した。本来なら、アフリカの人の「問題ない」ほど怪しい言葉はないのだが、私はすっかり安心しきってしまった。これが、のちに大きなドッキリにつながるのだが。

とりあえず学科の授業を受ける。毎日一時間ずつのコースを一週間ほどだ。教室には、オシャレスーツを毎日着ている常にノリノリな先生(イメージとしては、『ミラノmeetsアフリカ』な雰囲気。意味わかるかな?)と、反応が遅そうな五十代くらいのおっさんと、あとは日替わりでおばさんや若造がちょこちょこしていた。それから私。奇妙な組み合わせである。


クラスメイトだったおっさん。Bon courage(がんばって)!!

ミラノmeetsアフリカな先生。どう?この白いパンツといい、オシャレめがねといい・・・。


学科の授業が始まった途端、私はマケレレへ戻ってきた感覚に襲われた。授業というか、このような空間では、アフリカはどこでも詰め込み式の聞き写し教育しかないのではないかと思わされる瞬間だった。とにかく、先生が言う道路標識や交通ルールの定義を、書き写し、一文一句逃さぬように頭に叩き込むしかないのだ。

先生は、書き写したポイントの内容に関する愉快な質問(?)を私たちにしてきた。これは、実際に試験にも出るような問題らしいんだけど・・・ここでは、そのいくつかを厳選してご紹介したいと思います。

Q1:追越には何段階あるでしょうか?

A:三段階。それは、追い越し前・追い越し途中・追い越し語のことである。

Q2:アビジャンからアクラ(ガーナの首都)まで車で行く際に、何種類の曲がり角があるでしょうか?

A:二種類。右折と左折。

Q3:事故の周囲には三種類あります。車が壊れるタイプの事故、人が怪我をするタイプの事故、それから、死亡事故のことです。この中で一番マシなのはどの事故でしょうか。

A:どれもマシではない。

Q4:la carte grise (直訳すると、灰色カード。車の保険の証明書のことである)は、何色でしょうか。

A:灰色。

ちなみに、このQ4に関しては、例の反応が遅そうなおっさんが何度も間違えてた。「赤?」ブー。「青?」ブー。「黒?」ブー。「白?」ブー。「・・・・・うーん、えーっと、えーっと・・・」だって。かわいいね。

フランスの何もかもをコピーしてきたコートジボワールでは、交通ルールから道路標識まで、すべてがフランスと全く同じだ。だから、「降雪時のチェーン装着義務」の標識がきちんとあるらしいことを、学科の先生から聞いた。灼熱低地のこの国で、どこに雪が降るのかという話だ。先生は、「ホラ、我々は、いつ何時も準備を怠ってはいけないから・・・」と言っていたけど。まぁね、備えあれば憂いなしだけど、「雪って何?」と聞いてくる人に対してこういうことを理論で教え込もうとしてしまうのがさすがTIAだなと思った。

「降雪時のチェーン装着義務」の道路標識。


ちなみに、この学校には一度、日本大使館の領事さんであった吉本系外交官のKさんもいらっしゃったことがある。教習所に通っている旨を伝えると、興味を持っていただいたため、連れてきたのだ。こんなコアなことに対して「おもろいなー、ええやんなー」と言うのは、趣味がぬか付けであり、日本からわざわざコートジボワールまでぬかを送ってもらっているというKさんならではだと思っている。外務省は、もっとこういう人材を登用するべきだよね。

さてさて、肝心の免許取得であるが・・・。

実はこの後、例の校長の息子のMaman(お母さん)にあたる校長先生が、ヴァカンス先のトーゴからアビジャンに帰ってきた。そのときに彼女に言われた一言で、私の壮大な計画は見事におじゃんになった。

「あのね、今年の後半から、免許証は手書きじゃなくてコンピューター管理になったの。だから、もうそういうことはできなくなっちゃったのよね。」

ほへ?でもさ、どうせちょっと多めに払えばどうにかなるんでしょ?

「それがね、この免許証の管理をしているのがフランス人たちの会社なのよ。彼らにはそういうのは通用しないでしょ?ごめんなさいね、うちの息子ったら・・・・もう叱っておくわね、ちゃんと。」

出た出たFrançafrique(フランスに支配され続けるアフリカ)!!うぜー。おフランスの奴らは、アフリカの政治や経済だけではなく、私の免許証取得すらも邪魔しようとしているのか!!!

ちなみにこの校長先生は、直ちに息子を呼び、私の目の前でタラタラと説教を始めた。息子は、三十近い男性である。アフリカの母ちゃん恐るべし。そして、母は偉大なり。あまりの迫力に、こちらが仲裁に入ってしまった。

という訳で、私は未だ免許を取得できずにいます。でもいいんです。次にどこか安い国に住んだときにでも、免許を「購買」すればいいだけの話だから・・・。次回こそは、道路交通法の三ヶ月滞在ルールに十分気をつけます。

2010年6月21日月曜日

コートジボワールに住む外国人の苦労

コートジボワールにいる外国人の中にも様々なバックグランドを持った人が混在しているから、一般論を振りかざすのは非常に難しい。

フランスの統治時代、資源が豊かな現在のコートジボワールには、たくさんの労働力が必要だった。そこで、植民地経営的視点から見て何もないサヘル地域から、ドル箱的存在であったコートジボワールに向けて、労働力の移動が行われた。もともと人の移動が激しく行われていたアフリカだけど、今のコートジボワールあたりにおいて、ヨーロッパの政治的な力による人の動き(奴隷を除く)が始まったのはこのころである。

独立後も今日のコートジボワールにいるサヘル系の人々の中には、「生まれも育ちもアイデンティティーも、完全に象牙人だ!!」という人がたくさんいる。というか、彼らはもうコートジボワール社会に溶け込んでいて、サヘル系の人々をあえてカテゴリー化すること自体がナンセンスになっているんだけどね。

ところが、どんなにコートジボワール社会に同化していようと溶け込んでいようと、書類上は「外国人」扱いされてしまう彼ら。彼らを取り巻く環境は、決していいものとはいえない。

コートジボワールで外国人絡みの話をするときは、気をつけないといけない。なぜなら、「アイツは外国人だ」というときには、政治的なニュアンスが含まれてしまう(感じられてしまう)場合が多いからだ。例えば、最大野党のリーダーであるワタラ。彼の地盤は、コートジボワール北部(現在は反政府軍が支配している地域で、ブルキナファソに近い)だ。これがね、フクザツなんですよ。本人はコートジボワールで生まれたと言っているんだけど、それを疑う人(別の政党の支持者)がいて。こういう人たちは、ワタラが生まれたのはブルキナファソ国内だと言っているんだね。外国で生まれた人には当然、立候補の権利がないけれど、きちんとした出生照明やなんやかんやが曖昧になっているからこそ、こんな事態が発生してしまうんだね。実際に彼は、IMFでエコノミストとしてワシントンDCで働いていたんだけど、その前にはペンシルヴェニア大学を出ている。そしてそして、このアメリカ留学のために、彼はブルキナファソ人として奨学金をもらっているようなのです。これが決定打(?)となって、彼は大統領選挙の正当な立候補者として、認められなかったんですね。めちゃめちゃTIAな展開。ちなみに、彼に反対している人々は、ワタラがブルキナの中学校を卒業していること(小学校はコートジボワール)も理由の一つに挙げて、彼がブルキナファソ人であることの正当化を試みているよ。コートジボワールでは、もう数年前から大統領選挙が延期されているけれど、こういうすったもんだで立候補者がどんどん立候補できない状態に追いやられているのも大きな原因の一つだ。アフリカの選挙やら民主政治の難しさはメディアでもよく言われていることだけど、実際に起きているのはこんな些細な(?)ことなのです。

ワタラの政党の地方事務所に張ってあった新聞記事。
見出しは、「神は私に、Ado(ワタラ)こそが次の大統領であるとおっしゃられた」。
この人は、政治的にアクティブな神父さん。こういう、社会的・心理的に影響の強い人が
宗教の力を使ってこんなことを発言し、またそれを新聞が大真面目に取り上げることで、
人々は簡単に「ああ、そうなのか」と納得してしまう。
ここで疑問に思ったりできる人が多ければいいんだけど・・・
なかなかそうもいかないんだよね。みんながこの発言を受け入れてしまい、
事態はさらにややこしくなるんだな。
ところで、この事務所にたまたまいたおっさん達(ワタラの支持者)と面白い話をしたよ。
彼らがワタラを支持する理由はいくつもあるけれど、どうやら、
ワタラは集会にも会合にも遅れることなくやってくる男だから信用しているんだって。
「ワタラ以外の政治家ときたら・・・会合は自分の都合で数日遅らせたり、
始まる時間が予告なしに五時間くらい遅れたり・・・人のことを何だと思っているんだ。」だそうで。
マジTIAだなと思いました(笑)。
ワタラの支持基盤であるコートジボワール北部の、小さな小さな町にあるレストランの壁画。
「Ado(ワタラのこと)大統領」と書いてある。気が早いんだから、まったくもう・・・。


また話がそれちゃうけど、この95年の大統領選挙には他に、立候補者としての健康診断書が原因で候補者として不適切だという烙印を押されてしまった人もいるんです。なんでも彼は、アメリカの病院で受けた健康診断の結果を選挙管理委員会(はてはて、公平な機関として運営されているかいないのか・・・)に提出したところ、色々とイチャモンをつけられて結局認められず、書類不備扱いで候補者としての権利を失ったのだとか。私がアビジャンにいた時も、ラジオで似たようなニュースを聞いた覚えがある。

これだから、アウアは「アフリカには民主主義は根付かない。アフリカに必要なのは、公費を横領しても着服しても、とりあえずは国民の生活の向上のために貢献できるいい独裁者が必要だ」という思想を持っているんだね。まあ分かる気もいたします。

私がさっき「政治的」って言ったのは、こういうことなんです。普段の生活では、もうみんなごっちゃに混ざっていることを承知の上で仲良く生活しているのにもかかわらず、いざ学校だだの仕事だだの昇進だだのいう事態になったら、「象牙人・非象牙人」「象牙人の両親のもとに生まれた人・親の片方が外国人である人」という二極構造になってしまう。結局は、都合がいいときにだけ外国人ネタを持ち出して相手を叩くという作戦なわけですよ。


今、コートジボワールの成人には、コートジボワールの国民であることを証明する身分証明書の取得・携帯が義務付けられている。そして、何かあるたびにこの身分証明書を提示するのだ(例:ワイロを欲している警察官に、身分証明の提示を求められた時)。しかし、そんなときに見せられる証明書がないと、面倒なことになる。

象牙人にとっても、この証明書をとることは結構面倒なことなのだ。

例えば、出生証明書のない人々。出生照明を届け出るのが「高すぎる」から、届け出たくてもできない人が多いのだ。なぜ高すぎるのか、もう説明する必要はないですよね。そう、以前にも書いたけど、当然のことながら役所に届け出る際には「ビジネス」をする必要があるからなんです。だいたいチャージされるのは2000FCFA(約400円)ぐらいらしいんだけど、田舎に行くと、これすらなかなか払えない人がそこらじゅうにいるわけでして。こうして、400円が払えないような家に生まれて生きた子どもは、法律上は存在しないことになり、さらなる不平等に拍車がかかっちゃうんだね。

日本でサラリーマンをしている象牙人の友達であるアマドゥーの実家に遊びに行ったとき、お父さんがこのことについては色々と教えてくれた。なんでもお父さんの知り合いで、お兄さんが亡くなったときに死亡届を出さないで、その代わりに故人の出生証明書を自分がもらって、成人に携帯が義務付けられている身分証明書を役所に手再発行してもらった人がいるのだとか。ちょっとフクザツだね。つまりは、お兄さんの出生証明書を手に持って役所へ行き、お兄さんの名前で自分の顔写真入りの身分証明書を作ってもらったということ。この弟さんは、出生証明書が出されなかった故に、身分証明書も手にすることができなかった人なの。それくらい、みなさん苦労されているのです。

さてさて。自国民でさえこんな状況だから、外国人の苦難は想像できますよね。

1955年以前は、特にこんな政治的なワダカマリもなければ外国人証明証なるものも存在しなかったため、誰がマリ人で誰がブルキナ人だかがかなりあいまいだったらしい。当たり前だよね、もともとブルキナもマリもコートジボワールもへったくれもなかった場所に、政治的な境界線が引かれたのだから。

その後、外国人滞在許可証が導入されたが、最初のうちは今とは違って無料で手にすることができた。ところが、それをいいことに(?)どんどん出稼ぎ労働者が入ってきてお金が国外に流れてしまったこと、外国人滞在許可証ができてしまったが故に、それをダシにして不当にワイロの要求をする警察官が増えたこと、あとは財源の確保なんかの目的もあったりで、発行の際にはお金が徴収される運びとなった。実際に私の滞在許可証も、一年間有効なもので10000FCFA(約2000円)したよ。この額は、貧しさから仕事を求めてアビジャンにやってくる外国人労働者にとっては、なかなかそう簡単に払えるものではないから、この時点で外国人の流れは少しは収まるのか・・・と思いきや、そんなことが起こるはずもなく、今では不法滞在者が大量発生する事態になっている。いっそのこと、どうせ出稼ぎ労働者は後を絶たないのだから、合法にしちゃえばいいのにね。

また、かつてのコートジボワールには、コートジボワール国内で生まれた子どもは誰もがコートジボワール国籍を持つことができるという法律があった。しかしそれが撤廃され、今では両親のいずれかがコートジボワール人なら、子どももコートジボワール国籍を持つことができるというルールに変わった。これがすごくトリッキーなのだ。

たとえば、ブルキナ人のお父さんと象牙人のお母さんの間に生まれた子どもがいるとしよう。そして、その子どもがブルキナ風の名前を受け継いだとする。すると、それだけで役所からなかなか書類が貰えず、コートジボワール国籍取得を断念せざるを得ない・・・なんてことはよくある話だ。ちなみに、この問題をテーマにした歌があるんだよ。(詳しくはこちら。)更にやっかいなのは、ブルキナ側に登録をしようにも、コートジボワール国内にいる限り、なかなかその手続きすら複雑であるということだ。アビジャンの外で暮らしている人にとっては、ブルキナの政府代表機関まで行くのになかなか時間もお金も労力もかかってしまう。アビジャンに住んでいるブルキナ人にとっても、これは大変な出費だ。なぜなら、広いアビジャン市内を移動するのに十分なお金すら、持っていない人が圧倒的に多いからだ。ブルキナ人が多く住むポブウェ地区からプラトー地区に移動するだけで、片道1200FCFA(210円)の出費は覚悟しなければならない。往復なら2400FCFA、更に、書類不備だのなんだかんだでイチャモンをつけられて何度か往復しないといけないことを考慮すると、その日暮らしで精いっぱいの出稼ぎ労働者の彼らにとってはとても払える額ではない。

さらに、今ではコートジボワールとブルキナファソのクォーター世代がどんどん生まれてきており、更に事態は複雑になっている。コートジボワール国籍を持ったお母さんとブルキナ国籍保持者のお父さんの間に生まれた男の子(国籍は一応コートジボワール)が、在コートジボワールのブルキナ人の女の子と結婚をして子どもが生まれたとしよう。すると、法律上はこの子にもコートジボワール国籍が与えられてしかるべき所なのだが、なかなかそうはいかない。「四分の三はブルキナ人なのだから、この子はブルキナ人だ!!」というのが役所の言い分である。(もちろん、そうではない優しい役人さんもいるけどね。)理屈でものを考えないのがTIA式だから、どんなに法律を振りかざして、この赤ちゃんのコートジボワール国籍取得の正当性について述べても意味がない。法律なんてあってないようなもの。結局は、現場の役人一人ひとりの裁量によってきまってしまう場合がほとんどなのだ。だからこそワイロが必要になってくる。

法律が存在しない―この意味は、きっと日本の皆さんにはなかなか伝わりにくいニュアンスだと思うけど。例をあげよう。私は、外国人滞在許可証を常に持ち歩いていた。ところが、田舎道にある警察の「関所」にひっかかり、運悪く悪徳警官にあたってしまった。通常なら「日本のパスポート+女の子であること+笑顔で警官をヨイショするテクニック」の三種の神器があれば問題ないのだが、コイツにはそれが通用しなかった。私のパスポートにあるコートジボワールのビザはもう切れており、代わりに別に携帯していた滞在許可証のみが、「私はコートジボワールに合法的にいますよ」ということを証明する書類だった。

が、しかし。

コイツは、「お前のビザの有効期限はもうとっくに切れている。なのにどうしてここにいるんだね?」と吹っかけ始め、「こんな紙(滞在許可証のこと)は自分は見たことも聞いたこともない。偽物に違いない!!」とでっちあげ、なんともまぁ、それはそれは面倒くさい展開になってしまったのだ。最終的には一緒にいた友人が助けてくれたからお金は払わずに済んだのだが、現場の気分と気まぐれ次第で、法的な書類は何の価値も持たなくなってしまうことを示すいい例だと思う。

どうかな?少しは、外国人(ほかのアフリカ諸国出身者)がどのような苦労を強いられるのかがなんとなくリアルに感じられたのではないだろうか?

2010年6月16日水曜日

コートジボワール社会の中での移民・外国人問題

フランスで、フランス人がやらないような安い賃金の仕事をしているのが、主に旧植民地からやってくる移民である。北アフリカ出身者が圧倒的に多いけど、サハラ以南のアフリカだと、カメルーン、コートジボワール、セネガル、マリの出身者が一番多いかな。

メディアが移民の問題をたくさん取り扱うようになり、「ヨーロッパにいる移民=危なくて、薄給な仕事をしている人々」というイメージが出来上がってしまっている感がある。しかし当然ながら、全ての人がそのような暮らしをしているわけではない。専門職に就いている人やエリートもたくさんいるよ。

ところで、アフリカの中にも移民や出稼ぎ労働者による「人の流れ」があるのを、みなさんはご存知でしょうか?

国が壊滅的状態に陥っているジンバブエから、お隣の南アフリカに人がどんどん流れていることは、メディアでもたくさん取り上げられている。おかげで南アフリカでは、外から来た出稼ぎ労働者とのトラブルが絶えない。

スーダンに滞在したときに驚いたのは、スーダンに出稼ぎに来ているエチオピア人の多さだ。アディスアベバのスーダン大使館は出稼ぎに行くためのエチオピア人で溢れ返っており、スーダンへ入国する際にも、大きな荷物を抱えたエチオピア人グループの姿が印象的だった。ハルツームに着いてからも、至る所でエチオピア人に遭遇したし、エチオピア人女性がハルツームの道端でお茶やコーヒーを売っている姿も、ちょくちょく目撃した。(ちなみに、スーダン人男性の間では、エチオピア人女性は大人気だ。美しさではピカ一のエチオピア女性は、日本女性と似ていて、「男性の三歩後ろをゆくひかえめな女性」というイメージが強いからね。)

コートジボワールは、西アフリカ一の先進国だ。最近は若干不安な部分もあるが、社会も経済も、周辺国と比べると非常に安定している。そして、そんなコートジボワールの周辺には、サヘル諸国(通称:世界最貧国。でもさ、国際機関やNGOは、何を基準にして「世界最貧国」だなんて失礼な言い方をしているのかしら)のブルキナファソ、ニジェール、マリや、内戦や社会不安定で一時は大変なことになった(というか、今でもそう?)リベリア、ギニアが名を連ねている。だから、コートジボワールの社会の中に、周辺国からやってくる出稼ぎ移民がたくさんいても、別に驚くべきことではない。

象牙人がやりたがらないような仕事を進んでやるのが、こうした外国からの出稼ぎ労働者だ。彼らは、象牙人にとっては受け入れがたいような賃金でもよく働くし、「生活環境が少しくらい悪くても耐える強さを持っている」と、一般の象牙人から評価されている。「彼らの国の状況は我々の国のそれよりも劣悪で厳しいから、ウチラにとってはhors de question(問題外)な環境も、彼らにとっては天国のようなものなんだろうね~。」といったところだ。皮肉なことにこれは、フランスにいる象牙人出稼ぎ労働者に対するフランス人の眼差しと若干似ている。

最近は象牙経済も下向き気味だから、象牙人もぜいたくを言わずにどんな仕事も引き受けるようになったのだとか。ただ、「イボワールの奇跡」と呼ばれていた70~80年代の絶頂期には、下請けの仕事はほぼ全部外国人にやらせていたというのだから驚きだ。3Kの仕事はほぼ全て外国人にやらせていた、バブルのころの日本みたいだね。

ちなみに、サヘル地域の人というのは、涙が出るほど「穏やかでいい人」タイプが多いんだよね。どうしてここまで優しくなれるの?と、逆にこちらが聞きたくなってしまうくらいだ。忍耐強くて、常に心の平安を求めていて、つつましやかで、シンプルで・・・。やはり、厳しい環境で育つと、人というのは優しくなるのかしら。優しくて穏やか過ぎるから、自分勝手な権力者の思うがままにされてしまうくらいだ。私のパリでの同僚であるママドゥー(ニジェール人)がまさにその典型例でした。(ママドゥーは、カメルーン人のトンデモ社長の不当な扱いにも、それからうちの会社の劣悪な労働環境にも文句ひとつ言わず、常に微笑を浮かべながらひたすら耐えていたの。見ているこちらが泣きそうになってしまうくらい!!)そんな彼らだから、どんなに厳しい試練が降りかかろうと、じっと耐えて耐えて耐えまくってしまうのです。

ここで少し、コートジボワール社会でどのような人がそのような事をしているのかを紹介したいと思いま~す。

*ブルキナファソ人
コートジボワールにいる出稼ぎ外国人の中でも圧倒的に多いのは、隣国であるブルキナからやってきた人々。ブルキナ人を見分ける方法の一つに、顔の引っかき傷がある。エチオピア南部やスーダンでも、顔に引っかき傷のある人は目撃したよ。この傷は、その人がどこのクランに属しているのかを示すためのもので、伝統が強く残っているサヘル地域の一部では、今日でも守られている習慣だ。アビジャンの市場や道端では、このような引っかき傷のある女性が、卵やら小物やらを売っていたのが印象的だった。そして、彼女たちの多くは*フランス語があまり喋れないため、とにかくスマイルで値切り交渉を乗り切るしかなかった思い出があるなぁ。




近所のブルキナおばさん。卵をいつも安く売ってくれてたの。

でも言葉がなかなか通じなくて残念だったわ。




*コートジボワールでは、今やフランス語しか話せない子どもが出現しているくらい、フランス語が普及している。母語が違う人同士が結婚して家でフランス語を話しているのならともかく、母語を共有する夫婦が、あえて家庭内での会話をフランス語で統一している場合もあうぃ、個人的には少し残念に感じている。コートジボワールの場合、村に行ってもフランス語が通じるからビックリだね。反対に、サヘルの国々やセネガルでは、フランス語が分からない人がまだまだたくさんいる。これには、フランスの植民地運営の方法や教育の普及率、言語政策の影響など、様々な理由がある。

ある日、道端で近所の人と立ち話をしていたときに、若い男性が「携帯電話を持っていますか」と私に尋ねてきた。電話をかけたくても、持っていなかったらしい。そこで、私の電話を出すと、彼は持っていた女性用の財布の中に入っていたカードを取り出して、そこに書いてあった番号にダイヤルした。どうやら、道端に落ちていた財布の持ち主に電話をかけたようなのだ。ここは、東京ではなくてアビジャンである。物を落としたら最後、絶対にそれが手元に戻ってくることなどありえない場所である。

私は本当に感動した。TInA(This is NOT Africa)じゃないですか!!それとも、こんな天使に思わぬところで出会えてしまうということ自体がかなりTIAだと言ったほうがいいのかしら?

「もしかして?」と思い、その若い男性に聞いてみると、やっぱり彼はブルキナ人だった。象牙人が悪いヤツとは言わないけれど、こんなにバカ正直なのはやはりサヘル出身者ならではだなぁ・・・と、つくづく実感させられるようなエピソードだ。

田舎っぺなブルキナの人、私は結構好きだよ。ウガンダ人と少し似ていて、挨拶するのにいちいち時間がかかるところもチャーミングだしね。「結構長い間立ち話したなぁ」と思って会話の内容を思い出してみたら、実は挨拶ぐらいしかしていなかった!!なんてこともよくあった。


ただし、彼らは一見穏やかそうに見えて、話すべきこととそうでないことをよくわきまえている。これは私が受けた印象だけど、ブルキナの人は、象牙人に比べるとあまり政治の話をしたがらない(というか、避けている)傾向にあるように思えた。こちらからサンカラ(私が大好きな、アフリカ版チェゲバラ。急進的すぎてみんながちょっとついていけてなかったけど、こういうリーダーがこの大陸には必要だ。ちなみに彼は、ブルキナ出身)の話をふっかけようとしても、すぐにはぐらかされてしまい、気付くと話題が変わっていた・・・なんてこともしばしば。おそらくこれは、厳しい環境の中で暮らす人々の知恵なのかもね。余計なことは口にせず、ひたすら心の平和を求める・・・・そんな感じ。

ちなみに、サッカーの国際試合がある日には、アビジャンでは一日中、社会の機能が停止する。それくらい、サッカーは象牙人にとって大切な生活の一部だ。これがね、コートジボワール対ブルキナファソの試合だと、ちょっと面白いことが起こるの。マキ(飲み屋)に集まって飲んで踊ってドンチャン騒ぎをしながらテレビに釘付けになる象牙人と、地味に地味に、なるべく目立たないようにコソコソと集まるようにして試合を観戦するブルキナ人の、このコントラストがなんとも言えないほどシュールなんだよね(笑)。コートジボワールとブルキナファソなら実力の差がありすぎるから、結果なんて最初から誰の目にも明らかなんだけどね。


コートジボワールがアフリカ杯で勝った、ある夜のアビジャン。みんなこのおばちゃんのようになり、道という道を老若男女問わず走り続け、朝までドログバ・ビールを片手にパーティは続きます。





*ニジェール人
ニジェールは肉関係の産業が有名だ。そのせいか、アビジャンの道端や市場で肉を扱う仕事をしている人の多くはニジェール人だ。

オフィスの近くの道端には、私がよく行く焼肉屋台(?)があった。ここでいつもニコニコしながらお肉を焼いていたのは、ニアメ(ニジェールの首都)から車で一日半かかるという村出身のおじさんだった。私が通りかかると、いつも「試食していきなよ」と言っては次から次へとタンだのハツだのをくれたものだ。「オラは、初めてアビジャンに出てきたときのこと、未だにそ~りゃ鮮明に覚えてるでぇ~(彼の話すフランス語を、日本語に訳すときっとこんな感じ)」と言っていたのが印象的だった。ニアメでさえ都会なものだから村から出てきた彼にとってはそれだけでカルチャーショックだったのに、アビジャンはきっと異次元だったんだろうね。それはそれはぶったまげてしまったのだとか。

この焼肉屋台でいつもダラダラしているおじさんがいたのだが、彼もどうやら同郷出身者らしい。他にお客さんがいないときは、二人で仲良くお昼寝をしているか、黙ってニコニコしながらポカンとしているか、チャイをすすっているかのどれかだった。喧騒的なアビジャンの中心街で、そこだけ時間の流れがニジェールだった。

たまに、コートジボワールの北部に向かう長距離バスのターミナルに行くと、伝統衣装を着た美しいニジェール女性に出会えたりする。かつて、エチオピアから現在のニジェールに向かって人の大移動があったせいなのか、彼女たちの服の雰囲気や肌の色、顔の感じなどは、エチオピア女性そのものだ。

綺麗なニジェールの女性。本当に美人!!アビジャンの長距離バスターミナルの近くにて。




* マリ人
フランスにいるマリ人コミュニティーは、独自の強いコネクションとシステムで結ばれている。フランスのアフリカ人コミュニティーの中でも、マリコミュニティーはその他のコミュニティーとは少し一線を画しているというか、離れているというか。そのせいもあってか、あれだけマリ人がたくさんフランスに移住しているというのに、私の働いていた会社では、マリだけはなかなか手をつけられない状態だった。

マリ女性には美人が多いというのがアビジャンでの評判だ。コートジボワールのスターであるドログバも、奥さんはマリ人。そんなマリ人女性だけれど、少なくとも私は、アビジャンに滞在していた間には一度も遭遇しなかった。出会ったのは全て男性陣。そして、彼らにもブルキナ人やニジェール人同様、サハラの人に特有の、あの優しすぎるくらい優しすぎる傾向が見受けられた。

去年の暮れあたりから、アビジャンの私の家の近くの大通り沿いで、マリ人のお兄さん二人が突然パイナップルを売り始めるようになった。車がビュンビュン通るすぐそばで、彼らは山のようなパイナップルを前に一日中座っているのである。売る気ゼロ。ひたすら座り続けて、客が来るのをただただ待っている・・・客が来たとしても、あまり売ろうとはしないでただただ客に話しかけられるのを待っている。そんなTIAな商売です。彼らは、パイナップルを売っていた場所のすぐそばにあった薬局の警備員(?)をしていて、副職としてパイナップルを売っていたんだけどね。

私は、彼らと仲良くするようになってから初めて、コートジボワール国内にいる出稼ぎ移住者の暮らしの実態を目にしたような気がする。結構衝撃的だったよ。

まず、家がない。だから彼らは、薬局の屋根の下の部分で寝起きしている。盗まれるものがないとはいえ、さすがにこれは危ないし、警察が来たりしたらもう大変だ。しばらくは、近所の人の家から水をもらって何とか生活していたが、水道代が高いアビジャンで、ホームレスのマリ人に大量の水を与え続けるような天使はなかなかいないだろう。そして、薬局の人には彼らは完全に動物扱いされている。労働者の権利もすったくれもない。お給料は支払われないまま、それでも彼らは、「来月こそはきっと御金を貰えるだろう」と信じて、この薬局の人の言われるがままに働き続けている。もしかしたら、彼らも心の中では、いつまで経っても給料など貰えるはずがないということに気づいていたのかもしれない。それでも黙ってニコニコしながら耐えているところが、とてもサハラ的だなと思った。

私にできることがなにもないというこのジレンマ。今でも思い出すたびにイライラする。

こういうときに、住所不定者や闇で働いている外国人は、立場が弱いよね。日本のような国に住んでいると、社会生活において必要な自分の権利というものを意識する機会がなかなか少ないけれど。そう思いながら、今日も東京の街中にいるホームレスの人の横を通り過ぎた私なのであった。

*モーリタニア人

モーリタニア人男性は、アビジャン中でキヨスクを経営している。キヨスクとは、コートジボワール版のコンビニのようなものだ。朝は6時過ぎから、夜は11時くらいまで開いている。バゲットや粉ミルク、コーラを始め、歯みがき粉や石鹸、文具に至るまで、ちょこまかとしたものを売っているのだが、これがすごく便利なの!!

象牙人が経営するキヨスクもあったんだけど、これはちょっとダメダメね。まず、品揃えがモーリタニア人のキヨスクとは比べ物にならないほど悪い。しかも、モーリタニア人キヨスクでは、あの小銭不足のアビジャンにおいて奇跡的ともいえるほど、少額貨幣が常に充実している。だいたいどこのお店からも、マルシェで野菜を売っているどのおばちゃんからも、「お釣りがないからアンタには売らないよ」な雰囲気が感じられるのがアビジャンだ。(TIA,売り手が神様で、売り手に絶対的な権限があるわけです。客は犬同様です。)

たとえお釣りが店になくても、モーリタニア人は独自のルート(アビジャンには、少額貨幣を取引するための闇市も存在するよ。詳しくはこちらを参照。)を駆使して、なにがなんでもお釣りを見つけてくる。最初は「面倒くせー」なダラダラ感を出してくる彼らだが、なんだかんだできちんと最後には対処してくれる。カスタマーサービスの質が違うから、アビジャンに行く際には是非、モーリタニア人のキヨスクで買い物をすることを私は強く勧める。

ところがどっこい、このモーリタニア人コミュニティーには、とんでもない秘密が隠されているのです。それは、モーリタニア人女性。

アビジャンにいるモーリタニア人の多くは、モーリタニア北部出身のアラブ系の人がほとんど。そして、アラブとアフリカの間には色々な心理的いざこざがあったりしているせいか、アラブ系とアフリカ系が結婚するということは、極めて貴重なケースなのです。そこで、在コートジボワールのモーリタニア人男性がどうしているかというと、五、六人くらいでモーリタニア人女性をpartager(共有)しているのだそう。

モーリタニアの人は本当に親切でフレンドリーだけど、同時にモーリタニア人コミュニティーは閉鎖的で、象牙人にとってはかなりミステリアスな存在だ。「彼らは閉鎖的で、自分の国の女としか寝たがらないんだ」と私に教えてくれたのは、象牙人のエリクソンとジェローム。だからこんな噂が囁かれるようになったのかもしれないけど・・・。イスラムの教えがかなり強いからなのか、確かに女性の姿は一度も見なかったなぁ。エリクソン曰く、モーリタニア辺りの女性は、家の外になかなか出たがらないのだとか。

いずれにしても、HIV/エイズ関係の団体の中には、この、モーリタニア人コミュニティー内でのHIV感染拡大を本気で憂慮しているところもあるくらいだから、この噂は本当なのかも。信じられない話だけど、TIA,これが事実だとしても、私はもはや驚かない。何があっても不思議じゃないからねぇ、アフリカは。だから好きなんだけど(笑)。

*リベリア人

先述したエリクソンと一緒に、コートジボワール西部のサンペドロという町に行く機会があった。ここは、リベリアとはもう目と鼻の先。シャリーフさん(アフリカ初の女性大統領)が頑張っているおかげで、なんとかリベリアにも希望が見え始めている今日この頃だけど、それでも長期にわたる内戦と社会不安定で痛めつけられたこの国には、問題が山積みだ。

パワフルなリベリア難民のおばちゃんと過ごした週末についてはまた別の機会に書くことにして・・・。

サンペドロでは、少なくてもリベリア人難民は、象牙人やコートジボワール社会からの差別に苦しんでいた。「苦しんでいた」と書くと、いかにも苦しんでいるかのように聞こえるから、「差別と闘っていた」と書いたほうが正しいかな。リベリアでの内戦は残虐であったため、どうやら象牙人の間では「やつらは野蛮で危険だ」というデマが広く浅くではあるが信じられているようだ。そのせいで、就職時や学校で、様々なinjusticeが起きているのだとか。

言語の壁も大きい。これが、同じフランス語圏出身の難民であったなら、話は少しは違っただろうけど。ちなみに、リベリアの英語は世界で一番難解だと言われています。確かに、私はリベリア人とはフランス語で話したほうが楽に通じ合いました。彼らの英語は、本当に何を言っているのかさっぱり!!

どこの国でもそうだとは思うけど、難民と難民を受け入れる国の地元の人の間には、いつも確執が起こるのは避けられないことなのかな。リベリア難民の多くは、もうコートジボワール社会に表面上は溶け込んでいる。もともと失業率が高かったところに難民が流れてきて仕事を持って行っちゃったり、難民にばかり支援をする国際機関やNGOを見て、やっぱり地元の象牙人にとっては面白くないよね。嫉妬してしまうのも分からなくもない。

次回は、こんな象牙社会で暮らす外国人が、どのような行政上の問題を抱えているのか、そして彼らがそれに対してどのようなユーモアで対処しているのかについて、書きたいと思います!!

2010年6月9日水曜日

better baby?なんじゃそりゃ

もしもいつまで経っても結婚できないと嘆いている大和撫子がいたら、今流行りの婚活などに無駄なお金と時間と労力をかけずに、私はアフリカへ行くことを薦める。

こんな私でも、アフリカ各国の道を歩いていると結婚をよく申し込まれた。私でさえこうだったのだから、ほとんどの日本人女性はそれ以上であろう。

ヤギ四十頭と引き換えに息子の嫁になってくれと言ってきた、マンゴー売りのおばさん。警察署のお偉いさんだから何をしてもいいと勘違いし、私と結婚して日本で新生活を始める壮大な計画を延々と話して聞かせてくれたおっちゃん。「俺の村には、大きなカカオ農場と畑があるから心配するな!!」と言ってくれたおじさん。(ちなみに、彼に「一夫多妻制は嫌だよ」と言ったところ、「じゃあ俺のかみさんと別れる!」という予想外の一言を、彼は吐き捨てていました。喜んでいいのやらなんなのか。)スワジランドでは、牛十二頭と引き換えに、第三夫人になってくれと頼まれたこともあったかな。

牛十二頭・・・かなりいいオファーである。どうして断ってしまったのか、未だにあの日の自分の言動が信じられない。きっと、マラリア明けで、脳が正常に機能していなかったのであろう。

なぜこんな私に結婚を申し込んでくるのか。私と結婚すれば当然、「逆玉の輿にのれる」だの「日本に行くビザがもらえる」だのと考えている人が大半であることは、今さらこの場で述べる必要もないと思うので割愛する。それよりも私が驚いたのは、生まれてくる子どもを大きな理由に挙げている人の多さだった。結婚の意味合いが少し日本のそれとは違うので、彼らにとっては、子どもというのは結婚の際に非常に大きなキーワードとなってくるんだね。いい子どもをたくさん産んでくれる人こそ、理想の結婚相手なのだ。

そんな風に、子どもを理由に結婚を申し込んでくる人と話していると、やや頻繁に会話に登場するある言葉がある。そしてこの言葉を聞く度、私は失望と怒りを感じずにはいられなかった。

「better baby(より良い赤ちゃん)が欲しいんだ」

おそらくこの言葉を発している本人には深い意味はないのだろうけれど、こんな発言を無意識のうちにしてしまうということ自体がおかしい。Betterとは、何と比較したときのbetterなのか、何を基準にして考えたときのbetterなのか、どうして私との子どもだとbetterなのか――。問い詰めなければならない事やハッキリさせておくべき点はたくさんあるよね。私があまりにも真面目な顔をして次々と質問をするものだから、逆に相手の方が困ってしまった・・・なんてことはよくあった。「軽いノリで言っただけなのに、なんだいこの女は、こんなに真剣になりやがって」状態である。

彼らがなぜbetter babyと言うのか――その理由は簡単であると同時に、ちょっぴり悲しい。多くの人とディスカッションをしていくうちに見えてきたもの、それは、Better babyという発言を私の目の前でした人の多くが、「混血の子どもは、二つの人種の優れている点を受け継いでいる」と考えていることである。

それぞれの人種の優れている点??

人種という概念そのものに疑問を抱いている私にとっては、一番最初にツッコませていただきたいのがこの「優れている点」に関するエトセトラである。納得できないものの言い方だけど、とりあえずこのように考えている人の意見を聞こうじゃないですか。

彼らに言わせてみると、黒人の優れている点とは身体能力とパワーであり、白人の優れている点とは頭の良さ(intelligence)やメンタリティーであるというのだ。もちろん、「黒人にも頭のいい人はたくさんいるし、白人にもバカな奴らはいる。黒人でも身体能力が低い人もいれば、白人でもパワーの強い人もいる。」とみんなが付け加えていたけど。

アフリカの人にとって、「身体的な強さ」は非常に大きな意味を持つ。男も女も、強くて力がある方が尊敬を集める。伝統的な価値観が強く残っているようなところにそのような考え方が残っているのかと思いきや、ウガンダでもコートジボワールでも、これは現代社会全体に浸透している。街にあるオフィスで働いているホワイトカラーの人にとっても、力の強い人はやはり憧れの存在らしい。

私はよく、面倒なことを避けるために既婚者として話を通していたが、私の夫に関する質問の中でもとりわけ典型的なのは、以下のようなものである。

「夫の名前は?」
「夫の職業は?」
「夫の国籍は?」
「子どもはいるのか?」
「その夫は強い男なのか?」

うん、そうなんです(笑)。それくらい、彼らにとっては「強い」ということが、社会的にも重要な意味を持っているのです。でも、intelligenceやメンタリティーは白人の方が優れていると思っていることは、遺憾の一言に尽くね。

更に話を深めると、「だからオバマは大統領にふさわしい人物である」ということらしい。これは、アビジャンの道端で靴の修理屋をしている、二十代後半くらいの男性との会話の中で実際にあったやりとりだ。「アメリカの大統領と言えば世界の大統領だ。こんなに重要な役職に就いたオバマは、アフリカの強さと白人の頭脳が合わさっているからこそ、あのような立派な器になったんだ。」

しつこいくらい何度も繰り返すが、アフリカの人のみんながみんな、このような考え方をしているわけではない。この社会心理の病気とも呼べそうな状況を嘆き、見えない敵を相手に必死に闘おうとしている人を、私は何人も知っている。ただし、残念なことに、無意識のうちに人々の心の中にこのような白人至上主義的考えが蔓延してしまっていることは、認めざるを得ない事実なのだ。

2010年6月8日火曜日

高学歴の大量生産工場

マケレレのシンボルである、通称「象牙の塔」。かつては、本当に名門校だったらしいマケレレ。
未だにこの大学を、「アフリカのハーバード」と呼ぶ人が後を絶たない・・・がんばれ(笑)。



マケレレ大学の一日は長い。朝は七時から一限が始まり、休みなしに夜の十時まで授業がある。ちなみに一コマは一時間だ。

なぜそんなにスケジュールを詰めないといけないのか。答えは簡単だ。大学の持つキャパシティーを考えずに、お構いなしに大勢の学生を入学させるからだ。ワイロがあれば誰でも大学に入れちゃうもんね。まさに、「高学歴の大量生産工場」である。だからこそ、朝の七時からノンストップで教室をフル回転させないと、回しきれないんだね。

その昔、アミンがまだ大統領だったころ、マケレレに入る学生には全て奨学金が給付されていた。少人数のエリート教育が徹底され、教育の質も学生のモチベーションも、現在とは比較できないほど高かったらしい。古き良き時代のマケレレとして、当時を知る人たちは懐かしそうに私にそう教えてくれたものだ。

ちなみに、マケレレにはかなりの割合でケニアやタンザニアから留学生が来ているよ。彼らの多くは、自国の大学に入れなかった子たち。だから、みんなマケレレに対して文句を言ってはいるけれど、ちょっと負い目を感じている部分も少なからずある。私も私でそれはよく承知していたから、「ケニアではこんなことは絶対に起きないのに!!」と言っているケニア人学生がいても、「だったらケニヤッタ大学(ケニア一の名門大学)に行けばよかったのに」とは決して言わなかった。マケレレの堕ちぶりは、東アフリカでも有名な話だから、正直な話、マケレレに来ても文句をたくさん言いたくなるような環境に身を置くことになるであろうことは、事前にいくらでも予測できたはずだ。それでも彼らがマケレレに来る背景には、家族からの強い希望や「とにかく学歴さえあれば、なんとか人生やっていけるかもしれない」という期待がある。

ウガンダに留学していた当時はマケレレに対する批判的な意見しか持てなかったし、何よりもマケレレという、「自分の良心に反する地獄のような場所」とまで言いのけては毛嫌いしていた場所に私自身がどっぷりと浸かっていた。そのため、このような期待をマケレレ大学という場に求めている人たちを見ては、彼らやアフリカの将来を嘆きたくなるような感情に駆られてばかりいた私であった。「こんなにふざけている内容の教育を受けて!!社会的にはエリートかもしれないけど、中身が伴っていないじゃないの、中身が!!!これだから、何も考えられない、何も生み出すことのできないエリートがどんどん増えていって、この国はダメになっていくんだ!!!」

この気持ちは今でも変わらないけれど、マケレレの怒涛の日々から解放されて約二年がたった今だから思う。これって、日本も状況としては全く変わらないよね?少なくとも、大学の環境は日本のほうが断然上だけど・・・。

なんていうかな。やはり、「教育こそが貧困から脱出するためのカギだ!!」という認識が広まったのはいいことだけど、ウガンダ人非ウガンダ人を問わず、マケレレには「学士さえ取ればとりあえず人生安泰だ」という考えの人が多いような気がする。これは、私の日本の大学にも同じことが言えるね。ただし、少なくとも私の大学は、本気で勉強したい人にはそれなりの環境が整っている。マケレレは・・・日本の私立大学とウガンダの公立大学を比較している時点で間違っているのかもしれないけれど、それでも、「君たち!!!なにか勘違いしていない?ちょっと世間知らずすぎない?この状況で、本当に学んでいるとでも思っているの?」と、学生全体に叫びたい気持ちでいっぱいだった。これは、教育関係の問題を取り扱う諸団体や国連、政府にも同じことが言える。ただ単に学校を作ればいいのか。学校に行く子どもたちや、大学に行く人の数が増えればいいのか。中身が伴っていない教育など、教育と呼んでいいものなのか。

「学位の大量生産工場」は、日本の大学全入時代とかなり似ている。このように表現するとおそらく、これを読んでいる皆さんにも、ウガンダで起きている高学歴者と社会構造の問題をすんなりと想像していただけるのではないだろうか。(結局は、どこの国で起きている問題も根本は同じであるということ。アフリカだろうと、日本だろうと。)

そして、学位の大量生産工場では、さまざまな歪が生まれている。

学位が珍しくなくなった時代、マケレレを出ていたって仕事がそう簡単に見つかるわけではない。だからこそ、学士取得後に実は自分が何の知識もスキルもないことに気づいて大学院に進学する人や、就職活動に失敗して、仕方なしに修士課程を始める人が後を絶たない。院を卒業した人でも、メイドさんやゴミ拾いの職に就く人もいるくらい、この国の就職難は厳しい。

もっとも、修士号を持つメイドさんやゴミ拾いさんたちは、多くのsnobなマケレレの学生・卒業生よりも賢い生き方をしていると私は思うけどね。日本以上に社会格差が大きくて、かつその格差が目に見えるウガンダ社会では、自分の置かれたレベルよりも下のことを行うことは、心理的にout of question(問題外)であり、プライドが絶対に許さないのである。だから、どんなに生活が困窮しようと、道端で果物を売りながら食いつないでいくという発想はどこにも起きない。そんなことするくらいなら、売春をしたり、親戚に頼ったりするほうを彼らは選ぶであろう。(日本でもそうなのかな?)そんな中で、修士号を持つメイドさんやゴミ拾いさんは、struggleしながらも自分の力で生きようとしている。根性我慢物語が大好きな日本人の目には、こちらのほうがカッコイイ生き方に映る。

マケレレにいた当時に院生の友達もそれなりにいたが、彼らが教えてくれたマケレレ大学院の実情で驚くべき点がいくつかあった。そして、それらの話を聞いた後、大学院も結局は学位の工場であることを私は悟った。

マケレレの大学院の授業のレベルは学部と同じくらい(つまり、日本の中学校と同じレベル)であり、授業中の書き写しと教授へのご機嫌取りがメイン。そして、上に行けばいくほど、教授から不正な評価を受ける確率が高くなるという。AやA+はまずは取れない。時々、学位の取得でさえ、教授に邪魔をされて困難になることもある。全ては、「卒業した後の学生は、自分の職業的地位を脅かすライバルになりかねない」という恐れからきている(と、少なくともマケレレの院生は推測している)。

私は、大学院生のこの推測を、単なる勝手な推測として笑い飛ばすことがどうしてもできなかった。何でもあり得るTIAでは、こんなことは日常茶飯事だからだ。

いろいろ考えてみると、最終的には「大学とは何か」という疑問にたどり着く。私自身、大学に入った一番大きな理由は、将来のために「学位取得者」という社会的地位がどうしても必要だったからであることを認めざるを得ないから、「何も学べなくても、とりあえず大学に行けばなんとかなるかもしれない」という考えのマケレレ生の気持ちが分からなくもない。もちろん、大学で出会った人や学んだことはかけがえのないものだけれど、人や知識と出会うために大学に在籍している必要があるとは私は思わない。

結局のところ、何を大学に求めるかということは人それぞれ違うから一概には言えないのですが。それでも、高学歴大量生産工場としての意味合いしか持たない大学には大きな疑問を抱いてしまうね。井の中の蛙じゃないけれど、自分たちは国際水準の一流教育を受けている!!と信じ込んでいる、プライドの高いマケレレ生のことを考えると、他人の国の事情なのに頭痛が始まるのはどうしてなんだろう・・・。

マケレレ後期には、私は夜間部の授業を中心にとっていたが、夜間部の学生には様々なバックグラウンドを持った人がいてなかなか面白かった。昼間部の学生は、プライドの高い中産階級出身者が多い印象を受けたし、クラスメイトと話していても面白くも何ともなかったというのが正直な感想だが、夜間部には働きながら学んでいる人や、一度社会に出てから大学に行く必要性を痛感した人、それから、子育てが終わって一段落したお母さんたちがたくさんいた。みんな忙しい人たちだったからなかなかゆっくり話をする時間がなかったのが残念だけど、この人たちを見ていると、教育の質や制度に問題は山積みでも、ウガンダとウガンダの大学生を応援したい気持ちになる。

みんな今頃どうしてるのかな。

そう思うと同時に、本当に勉強がしたいと思っている学生のためにも、マケレレの状況が一日でも早く改善されることを願ってやまない。とりあえずは、努力が正当に評価される大学になってもらいたいね。ワイロやセックスがないといい成績が来ない高学歴者の大量生産工場なんて、こんなに志が高い人たちにはもったいなさすぎる。

外国製品への憧れ

同じものを現地の人と外国人が持っていたとしても、どうやら外国人が持っているものはカッコよく、お値段も高めに見えるらしい。

ウガンダでは、ウガンダで買った中国製の使い捨て腕時計を使用していた。すると、市場のおばちゃんやクラスメイトには「わー、素敵な時計。日本で買ったの?」「これ高かったでしょ?いいな、私にちょうだい。ちょうど時計が壊れちゃったんだよね(←物をねだるためによく使われるフレーズ。ちょうどこの前○○で・・・のパターン)」とよく言われた。彼女たちにしてみたら、とりあえず言ったもん勝ちだから、別にもらえなかったとしても何ら問題はないんだけどね。「とりあえずおねだりしてみて、本当にもらえちゃうようならそれはそれでラッキー」程度の感覚だ。

コートジボワールに到着して間もないころ、アビジャンのアジャメ市場で買った、これまた中国製の使い捨てサングラスをつけていたら。すると、街行くイケイケファッションに身を包んだ男の子に「それ、超クールだね。どこで買ったの?」と言われた。コートジボワールでは、外国製品に対する人々の意識はどのようなものなのだろう・・・これを知るために、私はちょっとこの男の子をからかって試してみた。

「これは、アメリカで買ったんだよ。」と私。
「やっぱり!!!そうだと思ったよ。だって、そんなにクールなサングラスは、ここでは手に入らないもの。俺さ、すぐそこでメガネの売ってるんだけど、お姉さんのそのサングラスを売ってくれないかな。」

おっと!!買い取るとまで言ってのけたぞこの彼。彼のお店についていくと、なるほど。彼は本当にメガネやサングラスに関しては、プロ(?)だったんですね。だったらますます、どうして私が身に着けていたというだけで、アジャメのサングラスが「ここでは手に入らないクールなサングラス」に思えてしまったのだろうか。しっかりしてよ、もうまったく。

それにしても・・・ボロい服を着て、中国人だのチンチョンだのシントー(安物の中国製品のこと)だの言われては街ゆく人々に指差される私でさえ、身につけているものは高価に見えるらしいのだから面白い。考えようによっては、外国人である利点を生かして一儲けできるよね。

というか、これで私は一儲けしました(笑)。

スーダンとエジプトの国境(といっても、砂漠の中にポツンとあるだけの町)にあるワディー・ハルファで、夕方出発のエジプト行きのフェリーに乗るため、朝早くから出国手続きだのなんだのかんだのに勤しんでいた私たち。スーダンのお役所作業は毛虫よりもノロい挙句、その日はラマダン真っ最中。普段からノロノロしている毛虫さんがさらにノロくなっていた。しかもスーダンといえば、とんでもなく複雑極まりない(&まったくもって意味のない)手続きを強要することで有名な国。その日も待ち時間をつぶすべく、私たちは躍起になってアクティビティー探しに励んでいた。

ちなみに、アフリカで学んだことの一つに、「何もなさそうな場所でいかにしてアクティビティーを創り出していくか」というものがある。小さな町のバス停で出発まで五時間待たなければならないなどということが、頻繁に発生するのがアフリカ大陸だ。常に発想を転換させ、ほんの小さなことにも興味と面白さを見出す能力が求められるし、また、この大陸に長くいれば、嫌にでもそうした能力は身に着くものだ。人生、得したような気分になるよ

でもさ・・・・摂氏五十度の砂漠の町during(しかもラマダン中)では、アクティビティなんか見つかるわけがない。ちょうどそのころ、私のバックパックは不必要なもので溢れ返ってすごいことになっていたため、出国までの待ち時間を使って荷物の整理をしてみることにした。

案の定、次から次へと出てくるジャンキーの数々。キリマンジャロの頂上で拾ってきた石、スワジランドで買ったコショウ、ナイフ、未開封の正露丸、モザンビークの市場で見つけたハイキングシューズ、エチオピアの寒さ対策のために用意したジャケット(当然、海外からやってきた援助衣類の垂れ流しね)、石鹸、etc…. 貧乏性のアドレナリンが働き、これら全てを捨てるのはもったいなすぎて私にはできなかった。そこで、道端に布を敷いてどこででもお店を始めてしまうアフリカン精神にヒントを得、とりあえず冗談半分で売ってみることにした。気分はすっかり寅さんだ。

商売を始める前からすでに、道端でゴロゴロしていたおっさんたちがこちらの様子を興味深そうに見つめ始めた。通りすがりの人に英語で「見てってよ!!安いよ!!」と言っても、???な顔をされるだけだったが、だんだんと好奇心旺盛な子どもたちや若者が集まりだしてきた。ひとたび人が集まると、私たちのスイッチは完全にオンになる。「これ、全部五ポンド(約二百円)!!五ポンド五ポンド五ポンド!!!」だんだんとお祭り騒ぎが始まり、やる気のやの字もないようなスーダン人が、ようやく重い腰を上げて集まりだしてきた。こうして、どう考えても売り物になんかなりえないようなシロモノの数々が、次から次へと買われていった。当然、みんな最初は「これ、大丈夫なのかよ・・・」といった表情を浮かべるのであるが、それでもお金を出して買い取ってくれるのである。

もしも私たちが外国人では無かったら、こんなことはまずは起きなかったであろう。

私たちが商売をしていたときに、非常に親切なおじさんが二人現れた。

最初のおじさんは、黙って私たちに大きな傘を貸してくれた。言葉が通じなかったのが残念だが、容赦なしに照りつける砂漠の太陽を指差し、傘を使うようにしきりに勧めてくれたのである。

二人目のおじさんは、私たちの露店周辺に集まっていたヤジ馬と買い物客から少しずつお金を集め出した。最初はてっきり、彼は私たちが商売をしているまさにその土地の所有者か何かなのかと勘違いした。「これは俺の土地だ!!」と勝手にぶちまけては、お金を集めようとする手のTIA商法には何度も遭遇してきたため、心の中では「ああ、この人はきっと、このあと私たちにもお金をせびるつもりなんだ・・・面倒くさいなぁ」とグレーな気持ちになっていた。ところが、みんなから集金を終えた彼は、それをそっくりそのまま私たちにくれたのである。見せ物の出演料みたいなものなのかしら?外国人が露店を開いていたのが、そんなに物珍しかったのかしら?金額も相当なものだった。当時の換算で、約三十ユーロはもらったのだから。スーダン・ポンドは、隣国エジプトでさえも両替ができないという話を聞いていたので、そのお金を使い切るほうに頭を使ったけどね(笑)。おかげで、エジプトまで行く船の中では、かなり豪華なご飯にありつくことができましたよ。

アフリカでいつももったいないなと感じていたのは、現地の人の多くが、自分たちがどんな「いいもの」に囲まれて生活しているかということに気付いていないことであった。

たとえば、コートジボワールの市場。私の目には、コートジボワールの地元の市場は宝の山にしか映らなかった。欧米や日本で買うとかなりお値段の張るシアバターが、ここではなにも加えられず、百パーセントそのままのピュアな状態で売られている。色とりどりの美しい布地と、自然のものから作られた化粧品。ここでは、石鹸も油も、何もかもがすべてオーガニックである。一部、中国の工場やインドからやって来た安物が紛れてはいるが、それでも市場が宝の山であることに変わりはない。特に感動的なのは、伝統薬品と薬草である。今後、米の製薬会社がどんどんアフリカの植物市場に介入してくるだろうが、そんなことはつゆ知らず、ボーっとしながら薬草を売りさばくおばちゃんたちを見ていると、行き過ぎた資本主義の波が、彼女たちを直接襲わないことを願わずにはいられない。

魚から植物に至るまで、市場には先人の知恵が詰まった宝物がいっぱい!!

市場の様子。

伝統薬品や薬草を売っているおばさん。


白い石鹸(体や洗濯物用)、黒い石鹸(洗濯のりのような役割を果たす)、そして、赤油。
これらは全て、パームの木から採れたオーガニック製品。市場ではよく見かけます。


ところが、現地の人の多くが求めているのは、あるいは、多くの人が理想としているのは、地元の市場で手に入るような安くて質の高いものではない。もしも可能なら、大型のスーパーで手に入るフランス製品を消費して生活したい・・・これが彼らのホンネである。だから、少しでもお金があれば、値段が高くて質の劣る商品を選択する人が多い。これがトレンドであり、こうすることで、自分たちが社会的にも経済的にも豊かな生活をしているような気分に浸れるからである。

外国人が持っているものならなんでもかっこよく見えてしまうのは、日本人も同じことが言えるよね。もう少し自分たちが本来持つ「いいもの」に目を向けて、そこに価値を見出すことができればいいのだけれど・・・。とくにアフリカの場合、そうしないとどんどん搾取されるだけ搾取されちゃうからねぇ・・・。


2010年6月4日金曜日

コートジボワールの嫉妬と呪い

去年の十二月上旬、シャカとマリーが私たちの家に突然引っ越してきた。ちょうどその頃私はマラリアにやられており、朦朧とする毎日を過ごしていたため、最初はてっきり、二人が私の看病のために一時的にやってきたとばかり思っていた。

この二人は、引っ越してくる前から我が家に結構遊びに来ていた。お互いのことはもうよく知っていたので、彼らが引っ越してきても違和感は何もなかった。二人は、アビジャンから車で一時間半くらいの村に住んでいたんだけど・・・どうしてまた急に我が家に来ることになったんだろう?

マラリアが治り、普通の会話ができるようになったところでその質問をしてみると、こりゃまたTIAなぶったまげアンサーが返ってきた。感情的になって最初に答えたのはマリー。出生届のすったもんだのせいで、「実際は二十六歳なのに書類上は十八歳」な女の子だ。

「このまま村にいると殺される!!私たちの命が狙われているの!!」

アフリカでは、呪術や伝統医療というものが強大な力を持っている。前回のキベキのところに少し書いたが、スピリチュアリティーが人々の生活や社会に与える影響は大きい。そして、ちょっと気に入らないことがあると、悪霊を人の体に投げ込んだり、呪いをかけたりする人が結構いる。魔女狩りも健全だ。これは冗談ではないよ。

よくあるのが、人の顔やら身体を変えてしまうものだ。新聞を読んでいるとよくあるね。「ブタになった女性」だの、「口が突然ひんまがってしまった子ども」だの。それから、信じられないかもしれないけど、とある人の目の精霊(視力)に影響を与え、実際の目がある場所ではなく、後頭部や耳のところにその精霊を動かしてしまう・・・なんていう方法の呪いもあるみたい。どういう状態に陥るかというと、顔に目はあってもそこにはもう目の精霊はおらず(そこからものを見ることはできず)、代わりに、目の精霊が後頭部に移動させられる(なにもないはずの後頭部から、ものを見るようになってしまう)・・・ということね。彼らは、目そのものには見る力はないと思っているの。おもしろいね。

突然ブタの顔になってしまった、フローレンスさんという女性の記事。




私は一度、コートジボワールの小さな町の市場で水を売っていたおばちゃんがあまりにもしつこいものだから、怒って「水なら買わないってさっきから何度も言ってるでしょうが!!!」と言ってしまったことがある。そのとき、おばちゃんが何かを私に言ったのだが、一緒にいた友達曰く、そのおばさんは悪い精霊が私の邪魔をするように、おまじないの言葉を吐き捨てたらしい。そのせいなのかな?その日は車の故障やら渋滞やらで、アビジャンに帰り着くのにとんでもない時間がかかってしまった。

マリーがヒステリーを起こしてしまうのも分からなくもない。シャカがマリーに何が起きたのかを説明してくれた。マリーはその前の週に村で料理をしていたところ、突然倒れてしまったらしい。そして、高熱に数日間うなされ、挙句の果てには病床で叫び出すようになったのだとか。「これはただ事ではない・・・これは悪霊に違いない!!このままでは、あと二日もしないうちに彼女は死んでしまう!!」というワケで、悪霊の除去をする力のある家系出身であるフィリップが家に呼ばれた。

と、ここまで聞いたときに私がツッコミたかったのは、フィリップのことだ。私も何度か村には遊びに行ったことがあったため彼のことは知っているが、いつも、人の話を聞いているのか聞いていないのかよく分からないような感じの人なんだよね。突然イミフなことを会話の途中で切りだしてきては、私を翻弄させる中年のおじさんこそ、私の知っていたフィリップだった。「フィリップって、あのフィリップでしょ?そんな家系の出身だったの!?意外すぎるんだけど(笑)」

フィリップは、普段はあんなだけど、村の人にとっては大切な存在なんだって。村の人たちは、普段は仲良くしているように見えても、そこはやはり狭いコミュニティー。こういった、呪いをかけてしまうだとか、悪霊を誰かの中に投げつけてしまうだとかいうことは、かなりの頻度で起こるらしい。ちょっとした事が大騒動につながったり、嫉妬の炎が水面下でメラメラ燃えていたり・・・。コテコテで深い人間関係こそ、田舎やアフリカの大きな醍醐味であり、魅力でもある。ただ、やはり私は、長期的に住むなら、もうちょっとさっぱりとした人間関係のある場所のほうが気が楽でいいかなぁ。

ただ、悪霊にもいろいろな種類があるから、フィリップが除去できるものとそうでないものが当然あるみたいだけどね。

マリーが狙われたのも、村人の誰かが彼女に嫉妬していたからだ。

Binguiste(コートジボワールのフランス語で、「ヨーロッパから来た人・帰ってきた人」という意味)であるシャカは、コートジボワールに十五年ぶりに戻ってきた際、ある程度予想はしていたが、村の人たちの「金くれ攻撃」に辟易してしまった。でも、やはりそこは、アフリカ男の気質に満ち溢れている彼だ。最初だけは、村の人にお金を少しだけばらまいたりしていたらしい。コートジボワールでは、お金のある人がこういうことをするのは当然のことと見なされているから、お情け頂戴に負けてお金をあげたとか、慈悲に満ちた施しというよりは、シャカはシャカなりに、男としてのけじめを見せたかったんだね。

それでも、やはりだんだんと村の人との物質主義的な関係に疲れてきて、彼らとの距離を置くようになったシャカ。そんな中で、幼馴染であり姪っ子であるマリーとよくつるむようになったのは、彼女が唯一、お金とか関係なしに、本当にシャカと仲良くしたがっていたからなんだって。「マリーが唯一の」って、喜んでいいのか嘆かわしいことなのか・・・。ところが、いつも一緒にいる二人を見て、村の人はマリーがシャカからお金をもらっていると勝手に判断。本当は何も貰っていない彼女からお金をせびり始めたから、今回の騒動は始まった。

もちろん、そんなの火のない煙なワケだから、マリーにしてみたら迷惑な話だ。「お金なんてもらってない」と言い続けても、村の人には「コイツは俺たちと、シャカからもらっているお金を共有しようとしない!!」というように勝手に解釈されてしまう。そして、挙句の果てがこの呪いだ。

ウガンダにいたころ、とんでもない(と当時は感じたが、今となっては普通すぎて特に驚かなくなった)話を聞いたことがある。とあるNGOが、ある村人の鶏小屋の改築だか何だかをしてあげたのだそうだ。といっても、ある特定の個人に対してあからさまな援助活動を行うと、コミュニティー内の人間関係に良くないことなど初めから予想がつくことなので、この鶏小屋のエピソードでは

1.この人が本当に経済的に困窮しており、助けを必要としていた
2.そのNGOが行うプロジェクトで結果を出したから、ご褒美のような形で鶏小屋を改築してもらった
3.その0NGOが単なるおバカなNGOで、援助のその後のその後まで考えないで鶏小屋を改築してしまった

のどれかが実情だったに違いないけど。この結果、今まで(表面上は)仲良くしていた近所の人が嫉妬のあまり、せっかく改築した鶏小屋を放火したというのだから、村社会の嫉妬文化はある意味非常に恐ろしい。

マケレレの学生寮でも、新しいスカートを見せびらかしていた隣の部屋の女の子のまさにそのスカートが、翌日何者かによって切り刻まれていた・・・なんてことがあった。以前にも「見せびらかす文化」について書いたが、目につく分かりやすいポイントというのは特に注意が必要だ。

話を戻そう。(いつも途中で話がそれてしまってごめんなさい)

フィリップが呼ばれると、マリーの治療(?)が始まった。すると、フィリップがマリーの尾てい骨付近に何かを感じ取った。そこにフィリップが口をあてて空気を口の中に吸い込むと、次の瞬間、マリーの肌をスッと通して、フィリップの口の中に小さな石が三つ入っていた。

と、ここで私は、自分のフランス語の会話力がまだまだ足りないがために「マリーの肌を通して」の部分を聞き間違えたのかと思ってしまった。ん??石が人の肌を通るって、どういうこと??

しかし、聞き間違えたのはどうやら私の方ではなかったようだ。本当に石が、肌を通してスッとフィリップの口の中に出てきたというのだから。そして、その瞬間今まで高熱にうなされながらも病床で叫び続けていたマリーが、急に大人しくなって眠ってしまったらしい。

私はその石とやらをこの目で見たよ。一円玉よりも少し小さいくらいの石が、本当に三つあった。この話を信じるか信じないかは人それぞれだと思うけど、シャカはこんな幼稚な嘘をつくようなタイプの人ではない。

シャカのお母さんはパリに住んでいるのだが、パリに住んでいる象牙人コミュニティー内でいざこざがあった際に、やはり異物を体の中に投げつけられたらしい。体調がすぐれない毎日が続き、病院に行ってX線検査をしたところ、お腹になにかの影がはっきりと写ったんだって。そこで、手術をすることになったが、開けてみると、医者は何も見つけることができなかった。仕方がないので、在仏象牙人コミュニティーの中でフィリップのような力を持っている人を見つけ、それを除去してもらったとか。

離れているところから、そんなものを投げつけられる可能性が高い・・・。おまけに、悪霊にもとりつかれるかもしれない・・・。

こういったことの存在を完全に信じることは私にはできないが、あるかないのかと聞かれれば、私はあると思っている。そう考え出すと大変だ。誰がいつどこでどのようにどのようなものを私に投げつけてくるかわかったもんじゃないから、もはや迂闊に、人の機嫌を損ねたりできないではないか!! ってことは、店のおばちゃんの態度が悪かろうと、しつこい人が道端にいようと、もうニコニコして黙っているのが一番・・・ってことになっちゃうのかな?

シャカやアウアやそのほか大勢の象牙人いわく、フランスの大統領がアフリカに来る際にも、彼らには彼ら専用の呪いを解く人(日本語で何て言えばいいのでしょうか)がつくらしいよ。フランスは相当恨まれてるからね。それをフランス政府も自覚しているからこそ、「大統領がこんなので暗殺でもされたら大変だ!!」というわけで、大統領のアフリカ訪問の際には、テロ対策のほかに呪い対策もされるんだって。事実かどうかは知らないけどね。

人間の信じる力というのはものすごいパワーを持っている。マリーやシャカのお母さんの例をあげると、彼女たちの呪いに対する「畏れの力」が強すぎたせいで体がそのように反応してしまったのではないかと私は思っている。アフリカだけではなく、こういうことは世界中いろんなところにあるしね。いつか、これを科学的に証明してくれる人が現れないかな。

多くの外国人は、こういった事象をを単なる「非科学的で原始的かつ子どもじみた迷信」の一言で片づけてしまうが、私は、それは間違っていると思っている。国際機関やNGOがプロジェクトをやる時も、こういった社会的・文化的事情を真剣に考慮した上でやっていかないと絶対に失敗する。

世界は面白い場所だね。まだまだ知らないことが多すぎる!!