2010年7月4日日曜日

マケレレ大学vsナツノの大バトル 第一ラウンド~科目登録編~③

日本では、オンラインで五分もあれば終了する科目登録。どうしてこれが、三か月の長期戦になってしまうのか―悲しすぎるわTIA。時間を返しやがれ、この野郎!!と罵倒したい気持ちになっても、ここではそんな言葉は何の意味も持たないのだ。「時間がもったいない」「効率よく」この言葉の本当の意味を理解しているウガンダ人は、全国民の二パーセントにも満たないと言い切っても過言ではないだろう。

科目登録の第一話第二話はこちらでチェケラ♪今回はその続き。

「とんでもないところに来ちゃった・・・」と、若干後悔をしながらももう後の祭り。アフリカ留学がしたくて、受験も乗り切ったのではないか、自分!!と、自分自身に気合を入れて、私とマケレレの闘いは続いていった。ここまで来てしまったからには、なにがなんでもきちんと登録を済ませ、単位をぶんどってやらないと日本には帰れない。

科目登録をするためだけが目的という、悲しいのかギャグなのかなんなのかがよく分からない状態の「マケレレvsナツノのバトル」の前半戦は、現地の事情に疎かった私には思わぬ苦戦に満ちたものであった。これが原因ですっかりアンチウガンダ主義者になってしまった私であるが、それでも「こんなバカな奴らに敗北なんて、大和撫子として受け入れられないわ!!」をスローガンになんとか生きていた。留学生の面倒を見なければならないはずのマーサは、「科目登録のためにやること&会う人&行くべきオフィスリスト」なるものを突き付けただけでその後は見放すし(まぁ、このリストをくれただけでも、ウガンダ人的には百点満点以上の◎だけどね)、どんなにこちらがSOSを求めても、泣きそうな顔で懇願しても、「あなたのことはいつでも助けるわ」の空しい一言を繰り返すだけで何もせず。

ってか、ウガンダで権力者なしで物事を進めるのが無理なことぐらい、あなたもわかってるんでしょうが。だったらリアルに助けてよ。私にはあなたの権力と地位が必要なの!!!!!登録させて!!!!!そもそも、なんでノルウェー人軍団には科目登録の担当者がついてるのに私にはなにもないのよ(怒)

なーんてことは言いませんでしたが。口に出したら即アウトだから言えないよね。マーサまで敵に回したら、もうマケレレでの生活は完全にアウトだから。

彼女は相変わらず、自分の部屋で呑気に、油でギトギトの東アフリカ版チャパティーをお供に、紅茶をダラダラと飲むだけの毎日であった。ちなみに、東アフリカのチャパティーと本場インドのチャパティーは、もはや別の食べ物です。あれを未だに「チャパティー」と呼んでいる時点で、東アフリカ人はインド人に土下座するべきだと私は個人的には思います。

ところが、ウガンダ到着から約二カ月がたった十月中旬のある日、それまで私を奮い立たせてきたモチベーションのようなものが突然プツッと切れてしまった。この頃までにはすでに、「留学生の君でも、授業料を納めないと科目登録できないよーん」などという無責任&適当発言をし、人のことを困らせたがっていた役人とのバトルは収拾がつきつつあった。しかし、科目登録の完了を待たずに、その五週間も前からすでに毎週毎回真面目に授業に出席していたいくつかの授業について、イチャモンが再びつけられたのである。

まったく。今思い出してもウザいの一言だわ。

既述したが、最初にもらった大学の規則書には、次の内容が明記されている。

「学生は、二つの学部(Faculty)に限ってのみ、授業を自由にとることができる。しかし、自分の所属学部以外の学部からは二授業を限度とし、また、自分の所属学部の必修科目はとらなければいけない。(中略)しかし、交換留学生にはこの『必修科目』のルールは当てはまらない。」

私は社会科学部(Faculty of Social Sciences)に属していたのだが、このルールにのっとって考えると、もう一つ別の学部(Faculty)から、二つも授業を選べることになるよね。色々調べてみると、人文科学部(Faculty of Arts)には様々な学科(Department)があり、中にはダンスや語学も学べるところがあるというではないか。

よって私は、アフリカ伝統舞踊とスワヒリ語の授業を、人文科学部傘下の言語学科と表現芸術学科から取ることにした。マーサに何度も聞いたところ、「これは大学のルールに反していないわ」の太鼓判を押されたからだ。あの時のマーサは、珍しく、確信したような表情をしていたため、これは信用してもいいのかな・・・と思わせてくれた。

ところがどっこい。

科目登録もクライマックスを迎えた十月中旬に事件は起きた。

「あとはダンスと言語の科目を登録すれば完全に科目登録は終了→ついに夢にまで見た学生証が発行される→図書館がようやく使えるようになる」というとき、いつものように私は、人文科学部のお偉いさん数名のサインをもらうために必死になってキャンパス中を走り回っていた。一人のお偉いさんのサインをゲットするために、最低三日は見ておいたほうがいい(つかまえるのが大変&説明してもサインにまでこぎつけるのに一苦労だからだよ)。しかしこの頃にもなると、それにもすっかり慣れてしまっていたから、人間の適応能力というのは恐ろしいものである。

マケレレのキャンパスには、田中真紀子さんの真似をして、私が密かに「伏魔殿」と呼んでいた大学の事務機関が集まった建物がある。忘れもしない、その建物の四階に、広々とした豪華なオフィスをもったasshole(ケツの穴)野郎にサインを求めに行った私であった。ところがコイツ、二回もアポイントをすっぽかした揚句、三度目の正直で私にこんな残酷な言葉を放ちやがった。

「君のダンスの実技の授業だけどね、これは、実技だけだと単位にならないんだよ。ハッハッハ」

ハッハッハじゃねーよ、セボ!!!もう私、二カ月近くもこのダンスの実技の授業に出席し続けているんですけど。木曜日の午後は、三時間も汗だくになりながらアフリカンダンスを踊ってるんですけど。あまりにも授業が幼稚園のお遊戯会のような感じであったため、さすがのマケレレでもこんなので本当に単位になるものかと不安になって、何度も先生クラスメートに「これだけで本当に単位と成績が来るの?」と質問しまくったんですけど。みんながみんな、先生までもが「うーん、大丈夫じゃないかな」と言ってくれてたんですけど(←このあいまい表現の時点で、私の方が気付くべきでした)。

どうして今まで誰も教えてくれなかったの~~~マジでFだよFFFFF。

この瞬間を境に、今までの気合はどこへやら。私は、完全に科目登録に対する闘志を失ってしまった。

伏魔殿と表現芸術学科の建物は隣同士であったため、私はこのセボに、「頼みから一緒についてきて、事実関係を一緒に確認してください。私にはもうこんなことはできません、もう限界です。」と何度も懇願したが、「私はね、忙しいんだよ」と言いながら、彼はケーキを食べ続けていた。そんな彼の後ろには、Time is money(時は金なり)の標語カレンダーのようなものが掲げられていたから恨めしい。

時が金なら、マケレレはとんでもない泥棒野郎だ。損害賠償訴訟でも起こしてやりたいくらいだわ。

しまいに私は、自己統制力を完全に失ってしまい、気が付いたら力任せでこのデデデンと大きな図体をしたセボを引きづり出そうとしていた。「お願いします。百歩も歩かないで、芸術科の建物に入れるんですよ。お願いですから一緒に来て。あなたが一緒に来ないと、私ひとりでは権力が弱すぎて何もできないんです。」

結局このときは、怖い出で立ちの秘書のニャボにつまみ出されてしまった。悔しい、悔しすぎる。でももう本当に無理・・・単位をくれーーーーーー。

普通だったら、単位が少しくらい来なくても痛くもかゆくもないのだが、私には、どうしても単位を取らなければならない事情があった。私の日本の大学には、3年半で卒業できるというおいしすぎる制度があり、入学時からこれを狙っていた私は、いい成績をキープするために、そこそこ頑張っていたのだ。ここで単位を取らないと、早期卒業計画が狂ってしまう―そんな状態であったから、もう必死だった。今にして思うと、TIAな環境にいるくせに将来設計云々と言っていた自分がバカだったんだけどね。

また、語学の授業登録にも苦労していた。ここでもまた、私の登録を受け付けられないというフザけたことを言われていたのであった。それも、担当の先生に!!!

そんなこと言われても、私が最初からちゃんと授業に出ていたことを一番よく見ていたのは、ほかでもない、この先生のはずなんですけど。何が起きているんだマケレレ。人間不信に陥りそうになった。というか、当時の私は部分的に陥っていたと思う。

この先生からこの話を告げられた時、激情にかられた私は、彼のオフィスの机をバーンとたたき、「あなたたちはバカ?脳みそある?心がある?こんなんだから、アフリカはいつまでたってもダメダメなのよ!!!」とののしりの言葉を吐いてしまった。これは、完全に私に非があると今でも反省している。

年上の人、とくに、医者と先生を尊敬する社会において、このような態度に出たのは明らかに間違いであったし、感情をストレートに出して怒ることをなによりも忌み嫌うウガンダでは、これは文化的にアウトだった。そして何よりも、「アフリカはいつまでもダメダメ」の部分は本当に良くなかった。なんだいこの究極の上から目線。自分は今まで、このように考える人にだけはなりたくないとずっと思っていたはずなのに。自分の未熟さに恥ずかしさすら覚える。今後は、どんなにストレスが極限にまで達していようと、絶対に傷つくような発言や自己中心的な発言は絶対にしないと決めている。

このときは、先生もブチ切れた。当り前である。二人の警備員が呼ばれ、私は両腕をつかまれて、強制連行された。

先生と最悪の関係になってしまったときに助けてくれたのが、言語学科の学科長であった。彼は日本を非常に尊敬している人で、あんなに失礼な騒動を起こした私に、叱りもせずに「日本人は我々の親友だから」と、優しく接してくれた。この時点で涙ボロボロである。

彼はまず、このマケレレのカオスについて謝罪した後、マケレレで物事をうまく進ませるにはどうしたらいいのかについて、約一時間ほどのレクチャーをしてくれた。内容は、「我慢」「忍耐」「役人をヨイショする」などといったものであったが、このような権威のある人にハッキリと「暗黙の了解ルール」について言及され、逆にすっきりとした気分になった。同時に、ウガンダに来て初めて、ずっと抱えていたフラストレーションについて話し合える人に巡り合えたことが嬉しくて仕方なかった。また、こうしたイライラについて誰かと話をすることで、初めて、イライラの原因を解明する心の余裕が生まれた。先生と仲直りをする際にも、彼が間に入ってくれたおかげでスムーズなコミュニケーションをとることができた。

マケレレ砂漠のオアシス的存在のこの先生は、人間として素晴らしい方だ。この事件の後も、私は彼から多くを学んだ。

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