2010年6月26日土曜日

アラビア語の学習とTIA(This is Arabia/Africa)

もう既にご存知の方もいるかもしれないが、私は今アラビア語を勉強している。週に三回、二時間ずつのレッスンに通っているのだが、担任であるスーダン人の先生が・・・私は彼のことが好きで好きで仕方がない。本当に愛嬌のある人なの!!彼を見ていると、スーダンでの忘れられない日々がまるで昨日の出来事であるかのような錯覚に陥る。

まず、授業の進むスピードが遅いのなんの。あまり早すぎても問題だし、今はとても忙しいのでアラビア語の復習にばかり時間を割いているわけにもいかないから、私にとっては非常に好ましい。が、それにしても遅い。遅いというか、毎回一貫性のない授業でランダムに次々と違うことをするため、私たちのクラスのメンバーももうすっかり彼の調子に慣れてしまった。

学校が始まった四月の段階では、まだ日の入りの時間が早かったために、授業とお祈りの時間(イスラームでは、一日五回お祈りをする)がかぶらずに済んだ。お祈りをしてから授業に臨んでいたんだね。だが、最近ではだんだんと日照時間が長くなり、それに伴いお祈りの時間も遅くなってきているため、授業の途中で突然、彼は十分ほど消えてしまう。お祈りから帰ってきたと思ったら「これから十分間の休憩だ」と言い放ち、また消えてしまう彼。いいよね、こういうの。私たちも私たちで、みんなTIA(この場合、This is Arabiaになるのかしら)だからそんなの誰も気にしない。お祈りと休憩時間のほうが仕事よりもはるかに重要なのだから、仕方がない。この学校に行くためには地下鉄を利用しているが、私はどうも、あの地下鉄の中ですらみんながせわせわと忙しそうにしているあの雰囲気がダメなんだよね。だから、学校に到着して時間の流れがゆったりとしているのを感じると、とても心地よい気分になる。

あ、でも、ラマダンのときとかどうなっちゃうんだろう・・・。ラマダン中は、日の入りの時間帯になると道路という道路から車が消え、歩行人も消え、みんなイフタ(日の入りの後に最初に食べるご飯)以外のことなど考えられない状態になるのだが、きっとこの学校でも同じ現象が起きるであろうことは安易に予想がつく。まぁ、そうなったら一緒にご飯食べればいいだけの話なんだけどね(笑)。

またこの先生は、疲れているときとそうでないときのギャップが激しい。これが本当にTIA(この場合はThis is Africaのほう)だなと私の目には映る。

特に、金曜日の授業なんてもう意識が教室にないね、完全に(笑)。そもそもこの学校は、イスラームの休息日である金曜日を週末としないで、日本にあわせて土日を週末としているから、そこからして彼にとっては???に違いない。疲れているときは、適当に数字の勉強をして終りになっちゃったり、アラビア語圏内の国と首都、及び地理的位置について話して終わっちゃったりする。この前なんて、動詞の活用の説明をするために、なぜか染色体や遺伝子、細胞分裂の話をダラダラとして授業のほとんどの時間が終わっちゃったしね(笑)。こちらがツッコミを入れても、彼にとってはそんなことはお構いなし。のーんびりとした自分の世界にどっぷり浸かっているのだ。別に、自己中心的とかそういうんじゃなくて、本当に自分の世界の中でのんびりそているというか。全然悪い意味で、というわけではないよ。それにしても、あのときの先生の態度は、スーダンの入国管理のオフィサーを彷彿とさせた(笑)。


スーダンのイミグレにて。これをイス代わりに、仕事をしているかのように見せておいて

オフィサーたちは適当にダラダラと時間を潰しています。

まぁ、ラマダン中だったし、外は五十度だったし、仕方がないね。

イミグレ事務所の奥の方で「勤務中」の入国管理官。
お布団代わりに使っているのは、お祈りのときに使う神聖な敷物です(笑)。
まぁ、このダラダラ感が本当にスーダンだよね。ちなみに黄色の服の東洋人は、
旅の途中、面倒なので私の夫ということにしておいたヒロシ君です。
でも、エチオピア人やスーダン人にはヘロシと呼ばれていました。



思えばマケレレの先生もコートジボワールの同僚も、疲れているときはあからさまな態度を見せた。まだ私たちのスーダン人の先生は、疲れていることを理由に教室からいなくなっちゃったりすることなど絶対にありえないからいいんだけど。ウガンダの教授の中には、やたらめったら「村にいる親戚の葬式」を理由に夜の授業に来なかった人もいたし、コートジボワールの同僚たちは、「お腹がすいているから」「疲れたから」「気分が乗らないから」「眠いから」というものを、会議中止と早退の正当な理由として認識していた。そしてそれが本当に許されちゃうから(というか、許可せざるを得ないから)素敵である。コートジボワールの会社のお局的存在だったデニーズ(体も態度も声も大きい、典型的な象牙女性)なんて、上司がいちいち自分のオフィスに入ってこないことをいいことに、お昼ご飯を食べ終わったら毎日ゴザを敷いて昼寝してたしね。中からイスと机を押し当て積み重ね、外からは絶対にドアが開けられないような工夫も忘れていない。こういうところだけはしっかりしてるんだから。もうまったく。

あとはね、このアラビア語の先生は、絶対に細かい文法を教えようとはしない。質問をしても「これは後でまた習うから。インシャッラー(神がそうお望みであるのなら)」「今はこれを知っている必要はない」と言い、先生なのに(?)質問に答えてはくれないのである。最初はそんな彼の態度にイライラしたりもした。コートジボワール人やウガンダ人は一応、こういう状況では、完全とは言えなくてもそれなりの答えをくれたものだ。

しかし、だんだんと彼のスピードに巻き込まれていくにつれ、彼がどうしてこんなあいまいな態度をとるのかが理解できるようになった。彼の中には彼なりの物事の順番というものがあり、どんなに時間がかかっても、それを平和にこなしていくことが何よりも重要なのである。それを裏付けるように、彼はいつも「私は今はこれを教えない。なぜなら、あなたたちを混乱させたくないからだ。今はやらない。後でやるからいいのだ。」と言っている。決して悪気があるわけではなく、面倒くさがっているのではなく(もしかしたらそうなのかもしれないけど)、心の奥底から素直にそう信じているのがはっきりと分かるような声でこんなことを言われてしまうと、こちら側としても「ああ、そうなのか。じゃあその時に習えばいいか」という気持ちになってしまうから不思議だ。

言語を習得するために、膨大な時間がかかるのは仕方がないことだ。もちろん、その言語の難易度や本人の努力によっても、習得までに必要な時間の長さは大きく左右される。しかし、スワヒリ語のときも思ったのだが、その言語が話されている地域の人々の文化や価値観によっても大きく左右されるよね、きっと。アラビア語の教科書は間違いだらけだし、スワヒリ語に関しては、辞書でさえ穴だらけであった。辞書が間違っているなんて、もはや誰を信用していいのか分からないだろという話だが。

しかし、そんなことはどうでもいいことなのである。なぜなら、その言語を話している人たちにとってはそんなことは些細な問題であるからだ。それよりも、お昼寝をしたり、お茶を飲んだり、おしゃべりをしながらご飯を食べたりしている方がよっぽど大切なのだから、言語を学ぶ者もそれに倣わなければならないと私は思っている。こうした時間の流れの違いを学ぶのも、その土地の言語を学ぶ過程の一部だもんね。そうじゃないと、アフリカやアラブ諸国ではきっと生き残れないのではないだろうか。

はぁ、いつになったらアラビア語をマスターできる日がやって来るのかしら。別にアラビア語ができても今ドキみんな英語ができるのだから、労力と時間を考えると、そこまでメリットのある言語だともあまり思えないけど。それでも、なぜか心から離れてくれないアフリカという場所についてもっと深く知るためには、アラビア語は極めて重要な言語であるから仕方がない。やるしかない。あまり期待しすぎず、あまり絶望しすぎず。このように書くと、アフリカとの上手な付き合い方の心構えに似ているなと感じてしまうのは私だけであろうか。

しばらくは、アラビア語を諦めずにダラダラと続けていきます。インシャッラー。

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