2010年6月21日月曜日

コートジボワールに住む外国人の苦労

コートジボワールにいる外国人の中にも様々なバックグランドを持った人が混在しているから、一般論を振りかざすのは非常に難しい。

フランスの統治時代、資源が豊かな現在のコートジボワールには、たくさんの労働力が必要だった。そこで、植民地経営的視点から見て何もないサヘル地域から、ドル箱的存在であったコートジボワールに向けて、労働力の移動が行われた。もともと人の移動が激しく行われていたアフリカだけど、今のコートジボワールあたりにおいて、ヨーロッパの政治的な力による人の動き(奴隷を除く)が始まったのはこのころである。

独立後も今日のコートジボワールにいるサヘル系の人々の中には、「生まれも育ちもアイデンティティーも、完全に象牙人だ!!」という人がたくさんいる。というか、彼らはもうコートジボワール社会に溶け込んでいて、サヘル系の人々をあえてカテゴリー化すること自体がナンセンスになっているんだけどね。

ところが、どんなにコートジボワール社会に同化していようと溶け込んでいようと、書類上は「外国人」扱いされてしまう彼ら。彼らを取り巻く環境は、決していいものとはいえない。

コートジボワールで外国人絡みの話をするときは、気をつけないといけない。なぜなら、「アイツは外国人だ」というときには、政治的なニュアンスが含まれてしまう(感じられてしまう)場合が多いからだ。例えば、最大野党のリーダーであるワタラ。彼の地盤は、コートジボワール北部(現在は反政府軍が支配している地域で、ブルキナファソに近い)だ。これがね、フクザツなんですよ。本人はコートジボワールで生まれたと言っているんだけど、それを疑う人(別の政党の支持者)がいて。こういう人たちは、ワタラが生まれたのはブルキナファソ国内だと言っているんだね。外国で生まれた人には当然、立候補の権利がないけれど、きちんとした出生照明やなんやかんやが曖昧になっているからこそ、こんな事態が発生してしまうんだね。実際に彼は、IMFでエコノミストとしてワシントンDCで働いていたんだけど、その前にはペンシルヴェニア大学を出ている。そしてそして、このアメリカ留学のために、彼はブルキナファソ人として奨学金をもらっているようなのです。これが決定打(?)となって、彼は大統領選挙の正当な立候補者として、認められなかったんですね。めちゃめちゃTIAな展開。ちなみに、彼に反対している人々は、ワタラがブルキナの中学校を卒業していること(小学校はコートジボワール)も理由の一つに挙げて、彼がブルキナファソ人であることの正当化を試みているよ。コートジボワールでは、もう数年前から大統領選挙が延期されているけれど、こういうすったもんだで立候補者がどんどん立候補できない状態に追いやられているのも大きな原因の一つだ。アフリカの選挙やら民主政治の難しさはメディアでもよく言われていることだけど、実際に起きているのはこんな些細な(?)ことなのです。

ワタラの政党の地方事務所に張ってあった新聞記事。
見出しは、「神は私に、Ado(ワタラ)こそが次の大統領であるとおっしゃられた」。
この人は、政治的にアクティブな神父さん。こういう、社会的・心理的に影響の強い人が
宗教の力を使ってこんなことを発言し、またそれを新聞が大真面目に取り上げることで、
人々は簡単に「ああ、そうなのか」と納得してしまう。
ここで疑問に思ったりできる人が多ければいいんだけど・・・
なかなかそうもいかないんだよね。みんながこの発言を受け入れてしまい、
事態はさらにややこしくなるんだな。
ところで、この事務所にたまたまいたおっさん達(ワタラの支持者)と面白い話をしたよ。
彼らがワタラを支持する理由はいくつもあるけれど、どうやら、
ワタラは集会にも会合にも遅れることなくやってくる男だから信用しているんだって。
「ワタラ以外の政治家ときたら・・・会合は自分の都合で数日遅らせたり、
始まる時間が予告なしに五時間くらい遅れたり・・・人のことを何だと思っているんだ。」だそうで。
マジTIAだなと思いました(笑)。
ワタラの支持基盤であるコートジボワール北部の、小さな小さな町にあるレストランの壁画。
「Ado(ワタラのこと)大統領」と書いてある。気が早いんだから、まったくもう・・・。


また話がそれちゃうけど、この95年の大統領選挙には他に、立候補者としての健康診断書が原因で候補者として不適切だという烙印を押されてしまった人もいるんです。なんでも彼は、アメリカの病院で受けた健康診断の結果を選挙管理委員会(はてはて、公平な機関として運営されているかいないのか・・・)に提出したところ、色々とイチャモンをつけられて結局認められず、書類不備扱いで候補者としての権利を失ったのだとか。私がアビジャンにいた時も、ラジオで似たようなニュースを聞いた覚えがある。

これだから、アウアは「アフリカには民主主義は根付かない。アフリカに必要なのは、公費を横領しても着服しても、とりあえずは国民の生活の向上のために貢献できるいい独裁者が必要だ」という思想を持っているんだね。まあ分かる気もいたします。

私がさっき「政治的」って言ったのは、こういうことなんです。普段の生活では、もうみんなごっちゃに混ざっていることを承知の上で仲良く生活しているのにもかかわらず、いざ学校だだの仕事だだの昇進だだのいう事態になったら、「象牙人・非象牙人」「象牙人の両親のもとに生まれた人・親の片方が外国人である人」という二極構造になってしまう。結局は、都合がいいときにだけ外国人ネタを持ち出して相手を叩くという作戦なわけですよ。


今、コートジボワールの成人には、コートジボワールの国民であることを証明する身分証明書の取得・携帯が義務付けられている。そして、何かあるたびにこの身分証明書を提示するのだ(例:ワイロを欲している警察官に、身分証明の提示を求められた時)。しかし、そんなときに見せられる証明書がないと、面倒なことになる。

象牙人にとっても、この証明書をとることは結構面倒なことなのだ。

例えば、出生証明書のない人々。出生照明を届け出るのが「高すぎる」から、届け出たくてもできない人が多いのだ。なぜ高すぎるのか、もう説明する必要はないですよね。そう、以前にも書いたけど、当然のことながら役所に届け出る際には「ビジネス」をする必要があるからなんです。だいたいチャージされるのは2000FCFA(約400円)ぐらいらしいんだけど、田舎に行くと、これすらなかなか払えない人がそこらじゅうにいるわけでして。こうして、400円が払えないような家に生まれて生きた子どもは、法律上は存在しないことになり、さらなる不平等に拍車がかかっちゃうんだね。

日本でサラリーマンをしている象牙人の友達であるアマドゥーの実家に遊びに行ったとき、お父さんがこのことについては色々と教えてくれた。なんでもお父さんの知り合いで、お兄さんが亡くなったときに死亡届を出さないで、その代わりに故人の出生証明書を自分がもらって、成人に携帯が義務付けられている身分証明書を役所に手再発行してもらった人がいるのだとか。ちょっとフクザツだね。つまりは、お兄さんの出生証明書を手に持って役所へ行き、お兄さんの名前で自分の顔写真入りの身分証明書を作ってもらったということ。この弟さんは、出生証明書が出されなかった故に、身分証明書も手にすることができなかった人なの。それくらい、みなさん苦労されているのです。

さてさて。自国民でさえこんな状況だから、外国人の苦難は想像できますよね。

1955年以前は、特にこんな政治的なワダカマリもなければ外国人証明証なるものも存在しなかったため、誰がマリ人で誰がブルキナ人だかがかなりあいまいだったらしい。当たり前だよね、もともとブルキナもマリもコートジボワールもへったくれもなかった場所に、政治的な境界線が引かれたのだから。

その後、外国人滞在許可証が導入されたが、最初のうちは今とは違って無料で手にすることができた。ところが、それをいいことに(?)どんどん出稼ぎ労働者が入ってきてお金が国外に流れてしまったこと、外国人滞在許可証ができてしまったが故に、それをダシにして不当にワイロの要求をする警察官が増えたこと、あとは財源の確保なんかの目的もあったりで、発行の際にはお金が徴収される運びとなった。実際に私の滞在許可証も、一年間有効なもので10000FCFA(約2000円)したよ。この額は、貧しさから仕事を求めてアビジャンにやってくる外国人労働者にとっては、なかなかそう簡単に払えるものではないから、この時点で外国人の流れは少しは収まるのか・・・と思いきや、そんなことが起こるはずもなく、今では不法滞在者が大量発生する事態になっている。いっそのこと、どうせ出稼ぎ労働者は後を絶たないのだから、合法にしちゃえばいいのにね。

また、かつてのコートジボワールには、コートジボワール国内で生まれた子どもは誰もがコートジボワール国籍を持つことができるという法律があった。しかしそれが撤廃され、今では両親のいずれかがコートジボワール人なら、子どももコートジボワール国籍を持つことができるというルールに変わった。これがすごくトリッキーなのだ。

たとえば、ブルキナ人のお父さんと象牙人のお母さんの間に生まれた子どもがいるとしよう。そして、その子どもがブルキナ風の名前を受け継いだとする。すると、それだけで役所からなかなか書類が貰えず、コートジボワール国籍取得を断念せざるを得ない・・・なんてことはよくある話だ。ちなみに、この問題をテーマにした歌があるんだよ。(詳しくはこちら。)更にやっかいなのは、ブルキナ側に登録をしようにも、コートジボワール国内にいる限り、なかなかその手続きすら複雑であるということだ。アビジャンの外で暮らしている人にとっては、ブルキナの政府代表機関まで行くのになかなか時間もお金も労力もかかってしまう。アビジャンに住んでいるブルキナ人にとっても、これは大変な出費だ。なぜなら、広いアビジャン市内を移動するのに十分なお金すら、持っていない人が圧倒的に多いからだ。ブルキナ人が多く住むポブウェ地区からプラトー地区に移動するだけで、片道1200FCFA(210円)の出費は覚悟しなければならない。往復なら2400FCFA、更に、書類不備だのなんだかんだでイチャモンをつけられて何度か往復しないといけないことを考慮すると、その日暮らしで精いっぱいの出稼ぎ労働者の彼らにとってはとても払える額ではない。

さらに、今ではコートジボワールとブルキナファソのクォーター世代がどんどん生まれてきており、更に事態は複雑になっている。コートジボワール国籍を持ったお母さんとブルキナ国籍保持者のお父さんの間に生まれた男の子(国籍は一応コートジボワール)が、在コートジボワールのブルキナ人の女の子と結婚をして子どもが生まれたとしよう。すると、法律上はこの子にもコートジボワール国籍が与えられてしかるべき所なのだが、なかなかそうはいかない。「四分の三はブルキナ人なのだから、この子はブルキナ人だ!!」というのが役所の言い分である。(もちろん、そうではない優しい役人さんもいるけどね。)理屈でものを考えないのがTIA式だから、どんなに法律を振りかざして、この赤ちゃんのコートジボワール国籍取得の正当性について述べても意味がない。法律なんてあってないようなもの。結局は、現場の役人一人ひとりの裁量によってきまってしまう場合がほとんどなのだ。だからこそワイロが必要になってくる。

法律が存在しない―この意味は、きっと日本の皆さんにはなかなか伝わりにくいニュアンスだと思うけど。例をあげよう。私は、外国人滞在許可証を常に持ち歩いていた。ところが、田舎道にある警察の「関所」にひっかかり、運悪く悪徳警官にあたってしまった。通常なら「日本のパスポート+女の子であること+笑顔で警官をヨイショするテクニック」の三種の神器があれば問題ないのだが、コイツにはそれが通用しなかった。私のパスポートにあるコートジボワールのビザはもう切れており、代わりに別に携帯していた滞在許可証のみが、「私はコートジボワールに合法的にいますよ」ということを証明する書類だった。

が、しかし。

コイツは、「お前のビザの有効期限はもうとっくに切れている。なのにどうしてここにいるんだね?」と吹っかけ始め、「こんな紙(滞在許可証のこと)は自分は見たことも聞いたこともない。偽物に違いない!!」とでっちあげ、なんともまぁ、それはそれは面倒くさい展開になってしまったのだ。最終的には一緒にいた友人が助けてくれたからお金は払わずに済んだのだが、現場の気分と気まぐれ次第で、法的な書類は何の価値も持たなくなってしまうことを示すいい例だと思う。

どうかな?少しは、外国人(ほかのアフリカ諸国出身者)がどのような苦労を強いられるのかがなんとなくリアルに感じられたのではないだろうか?

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