2010年6月16日水曜日

コートジボワール社会の中での移民・外国人問題

フランスで、フランス人がやらないような安い賃金の仕事をしているのが、主に旧植民地からやってくる移民である。北アフリカ出身者が圧倒的に多いけど、サハラ以南のアフリカだと、カメルーン、コートジボワール、セネガル、マリの出身者が一番多いかな。

メディアが移民の問題をたくさん取り扱うようになり、「ヨーロッパにいる移民=危なくて、薄給な仕事をしている人々」というイメージが出来上がってしまっている感がある。しかし当然ながら、全ての人がそのような暮らしをしているわけではない。専門職に就いている人やエリートもたくさんいるよ。

ところで、アフリカの中にも移民や出稼ぎ労働者による「人の流れ」があるのを、みなさんはご存知でしょうか?

国が壊滅的状態に陥っているジンバブエから、お隣の南アフリカに人がどんどん流れていることは、メディアでもたくさん取り上げられている。おかげで南アフリカでは、外から来た出稼ぎ労働者とのトラブルが絶えない。

スーダンに滞在したときに驚いたのは、スーダンに出稼ぎに来ているエチオピア人の多さだ。アディスアベバのスーダン大使館は出稼ぎに行くためのエチオピア人で溢れ返っており、スーダンへ入国する際にも、大きな荷物を抱えたエチオピア人グループの姿が印象的だった。ハルツームに着いてからも、至る所でエチオピア人に遭遇したし、エチオピア人女性がハルツームの道端でお茶やコーヒーを売っている姿も、ちょくちょく目撃した。(ちなみに、スーダン人男性の間では、エチオピア人女性は大人気だ。美しさではピカ一のエチオピア女性は、日本女性と似ていて、「男性の三歩後ろをゆくひかえめな女性」というイメージが強いからね。)

コートジボワールは、西アフリカ一の先進国だ。最近は若干不安な部分もあるが、社会も経済も、周辺国と比べると非常に安定している。そして、そんなコートジボワールの周辺には、サヘル諸国(通称:世界最貧国。でもさ、国際機関やNGOは、何を基準にして「世界最貧国」だなんて失礼な言い方をしているのかしら)のブルキナファソ、ニジェール、マリや、内戦や社会不安定で一時は大変なことになった(というか、今でもそう?)リベリア、ギニアが名を連ねている。だから、コートジボワールの社会の中に、周辺国からやってくる出稼ぎ移民がたくさんいても、別に驚くべきことではない。

象牙人がやりたがらないような仕事を進んでやるのが、こうした外国からの出稼ぎ労働者だ。彼らは、象牙人にとっては受け入れがたいような賃金でもよく働くし、「生活環境が少しくらい悪くても耐える強さを持っている」と、一般の象牙人から評価されている。「彼らの国の状況は我々の国のそれよりも劣悪で厳しいから、ウチラにとってはhors de question(問題外)な環境も、彼らにとっては天国のようなものなんだろうね~。」といったところだ。皮肉なことにこれは、フランスにいる象牙人出稼ぎ労働者に対するフランス人の眼差しと若干似ている。

最近は象牙経済も下向き気味だから、象牙人もぜいたくを言わずにどんな仕事も引き受けるようになったのだとか。ただ、「イボワールの奇跡」と呼ばれていた70~80年代の絶頂期には、下請けの仕事はほぼ全部外国人にやらせていたというのだから驚きだ。3Kの仕事はほぼ全て外国人にやらせていた、バブルのころの日本みたいだね。

ちなみに、サヘル地域の人というのは、涙が出るほど「穏やかでいい人」タイプが多いんだよね。どうしてここまで優しくなれるの?と、逆にこちらが聞きたくなってしまうくらいだ。忍耐強くて、常に心の平安を求めていて、つつましやかで、シンプルで・・・。やはり、厳しい環境で育つと、人というのは優しくなるのかしら。優しくて穏やか過ぎるから、自分勝手な権力者の思うがままにされてしまうくらいだ。私のパリでの同僚であるママドゥー(ニジェール人)がまさにその典型例でした。(ママドゥーは、カメルーン人のトンデモ社長の不当な扱いにも、それからうちの会社の劣悪な労働環境にも文句ひとつ言わず、常に微笑を浮かべながらひたすら耐えていたの。見ているこちらが泣きそうになってしまうくらい!!)そんな彼らだから、どんなに厳しい試練が降りかかろうと、じっと耐えて耐えて耐えまくってしまうのです。

ここで少し、コートジボワール社会でどのような人がそのような事をしているのかを紹介したいと思いま~す。

*ブルキナファソ人
コートジボワールにいる出稼ぎ外国人の中でも圧倒的に多いのは、隣国であるブルキナからやってきた人々。ブルキナ人を見分ける方法の一つに、顔の引っかき傷がある。エチオピア南部やスーダンでも、顔に引っかき傷のある人は目撃したよ。この傷は、その人がどこのクランに属しているのかを示すためのもので、伝統が強く残っているサヘル地域の一部では、今日でも守られている習慣だ。アビジャンの市場や道端では、このような引っかき傷のある女性が、卵やら小物やらを売っていたのが印象的だった。そして、彼女たちの多くは*フランス語があまり喋れないため、とにかくスマイルで値切り交渉を乗り切るしかなかった思い出があるなぁ。




近所のブルキナおばさん。卵をいつも安く売ってくれてたの。

でも言葉がなかなか通じなくて残念だったわ。




*コートジボワールでは、今やフランス語しか話せない子どもが出現しているくらい、フランス語が普及している。母語が違う人同士が結婚して家でフランス語を話しているのならともかく、母語を共有する夫婦が、あえて家庭内での会話をフランス語で統一している場合もあうぃ、個人的には少し残念に感じている。コートジボワールの場合、村に行ってもフランス語が通じるからビックリだね。反対に、サヘルの国々やセネガルでは、フランス語が分からない人がまだまだたくさんいる。これには、フランスの植民地運営の方法や教育の普及率、言語政策の影響など、様々な理由がある。

ある日、道端で近所の人と立ち話をしていたときに、若い男性が「携帯電話を持っていますか」と私に尋ねてきた。電話をかけたくても、持っていなかったらしい。そこで、私の電話を出すと、彼は持っていた女性用の財布の中に入っていたカードを取り出して、そこに書いてあった番号にダイヤルした。どうやら、道端に落ちていた財布の持ち主に電話をかけたようなのだ。ここは、東京ではなくてアビジャンである。物を落としたら最後、絶対にそれが手元に戻ってくることなどありえない場所である。

私は本当に感動した。TInA(This is NOT Africa)じゃないですか!!それとも、こんな天使に思わぬところで出会えてしまうということ自体がかなりTIAだと言ったほうがいいのかしら?

「もしかして?」と思い、その若い男性に聞いてみると、やっぱり彼はブルキナ人だった。象牙人が悪いヤツとは言わないけれど、こんなにバカ正直なのはやはりサヘル出身者ならではだなぁ・・・と、つくづく実感させられるようなエピソードだ。

田舎っぺなブルキナの人、私は結構好きだよ。ウガンダ人と少し似ていて、挨拶するのにいちいち時間がかかるところもチャーミングだしね。「結構長い間立ち話したなぁ」と思って会話の内容を思い出してみたら、実は挨拶ぐらいしかしていなかった!!なんてこともよくあった。


ただし、彼らは一見穏やかそうに見えて、話すべきこととそうでないことをよくわきまえている。これは私が受けた印象だけど、ブルキナの人は、象牙人に比べるとあまり政治の話をしたがらない(というか、避けている)傾向にあるように思えた。こちらからサンカラ(私が大好きな、アフリカ版チェゲバラ。急進的すぎてみんながちょっとついていけてなかったけど、こういうリーダーがこの大陸には必要だ。ちなみに彼は、ブルキナ出身)の話をふっかけようとしても、すぐにはぐらかされてしまい、気付くと話題が変わっていた・・・なんてこともしばしば。おそらくこれは、厳しい環境の中で暮らす人々の知恵なのかもね。余計なことは口にせず、ひたすら心の平和を求める・・・・そんな感じ。

ちなみに、サッカーの国際試合がある日には、アビジャンでは一日中、社会の機能が停止する。それくらい、サッカーは象牙人にとって大切な生活の一部だ。これがね、コートジボワール対ブルキナファソの試合だと、ちょっと面白いことが起こるの。マキ(飲み屋)に集まって飲んで踊ってドンチャン騒ぎをしながらテレビに釘付けになる象牙人と、地味に地味に、なるべく目立たないようにコソコソと集まるようにして試合を観戦するブルキナ人の、このコントラストがなんとも言えないほどシュールなんだよね(笑)。コートジボワールとブルキナファソなら実力の差がありすぎるから、結果なんて最初から誰の目にも明らかなんだけどね。


コートジボワールがアフリカ杯で勝った、ある夜のアビジャン。みんなこのおばちゃんのようになり、道という道を老若男女問わず走り続け、朝までドログバ・ビールを片手にパーティは続きます。





*ニジェール人
ニジェールは肉関係の産業が有名だ。そのせいか、アビジャンの道端や市場で肉を扱う仕事をしている人の多くはニジェール人だ。

オフィスの近くの道端には、私がよく行く焼肉屋台(?)があった。ここでいつもニコニコしながらお肉を焼いていたのは、ニアメ(ニジェールの首都)から車で一日半かかるという村出身のおじさんだった。私が通りかかると、いつも「試食していきなよ」と言っては次から次へとタンだのハツだのをくれたものだ。「オラは、初めてアビジャンに出てきたときのこと、未だにそ~りゃ鮮明に覚えてるでぇ~(彼の話すフランス語を、日本語に訳すときっとこんな感じ)」と言っていたのが印象的だった。ニアメでさえ都会なものだから村から出てきた彼にとってはそれだけでカルチャーショックだったのに、アビジャンはきっと異次元だったんだろうね。それはそれはぶったまげてしまったのだとか。

この焼肉屋台でいつもダラダラしているおじさんがいたのだが、彼もどうやら同郷出身者らしい。他にお客さんがいないときは、二人で仲良くお昼寝をしているか、黙ってニコニコしながらポカンとしているか、チャイをすすっているかのどれかだった。喧騒的なアビジャンの中心街で、そこだけ時間の流れがニジェールだった。

たまに、コートジボワールの北部に向かう長距離バスのターミナルに行くと、伝統衣装を着た美しいニジェール女性に出会えたりする。かつて、エチオピアから現在のニジェールに向かって人の大移動があったせいなのか、彼女たちの服の雰囲気や肌の色、顔の感じなどは、エチオピア女性そのものだ。

綺麗なニジェールの女性。本当に美人!!アビジャンの長距離バスターミナルの近くにて。




* マリ人
フランスにいるマリ人コミュニティーは、独自の強いコネクションとシステムで結ばれている。フランスのアフリカ人コミュニティーの中でも、マリコミュニティーはその他のコミュニティーとは少し一線を画しているというか、離れているというか。そのせいもあってか、あれだけマリ人がたくさんフランスに移住しているというのに、私の働いていた会社では、マリだけはなかなか手をつけられない状態だった。

マリ女性には美人が多いというのがアビジャンでの評判だ。コートジボワールのスターであるドログバも、奥さんはマリ人。そんなマリ人女性だけれど、少なくとも私は、アビジャンに滞在していた間には一度も遭遇しなかった。出会ったのは全て男性陣。そして、彼らにもブルキナ人やニジェール人同様、サハラの人に特有の、あの優しすぎるくらい優しすぎる傾向が見受けられた。

去年の暮れあたりから、アビジャンの私の家の近くの大通り沿いで、マリ人のお兄さん二人が突然パイナップルを売り始めるようになった。車がビュンビュン通るすぐそばで、彼らは山のようなパイナップルを前に一日中座っているのである。売る気ゼロ。ひたすら座り続けて、客が来るのをただただ待っている・・・客が来たとしても、あまり売ろうとはしないでただただ客に話しかけられるのを待っている。そんなTIAな商売です。彼らは、パイナップルを売っていた場所のすぐそばにあった薬局の警備員(?)をしていて、副職としてパイナップルを売っていたんだけどね。

私は、彼らと仲良くするようになってから初めて、コートジボワール国内にいる出稼ぎ移住者の暮らしの実態を目にしたような気がする。結構衝撃的だったよ。

まず、家がない。だから彼らは、薬局の屋根の下の部分で寝起きしている。盗まれるものがないとはいえ、さすがにこれは危ないし、警察が来たりしたらもう大変だ。しばらくは、近所の人の家から水をもらって何とか生活していたが、水道代が高いアビジャンで、ホームレスのマリ人に大量の水を与え続けるような天使はなかなかいないだろう。そして、薬局の人には彼らは完全に動物扱いされている。労働者の権利もすったくれもない。お給料は支払われないまま、それでも彼らは、「来月こそはきっと御金を貰えるだろう」と信じて、この薬局の人の言われるがままに働き続けている。もしかしたら、彼らも心の中では、いつまで経っても給料など貰えるはずがないということに気づいていたのかもしれない。それでも黙ってニコニコしながら耐えているところが、とてもサハラ的だなと思った。

私にできることがなにもないというこのジレンマ。今でも思い出すたびにイライラする。

こういうときに、住所不定者や闇で働いている外国人は、立場が弱いよね。日本のような国に住んでいると、社会生活において必要な自分の権利というものを意識する機会がなかなか少ないけれど。そう思いながら、今日も東京の街中にいるホームレスの人の横を通り過ぎた私なのであった。

*モーリタニア人

モーリタニア人男性は、アビジャン中でキヨスクを経営している。キヨスクとは、コートジボワール版のコンビニのようなものだ。朝は6時過ぎから、夜は11時くらいまで開いている。バゲットや粉ミルク、コーラを始め、歯みがき粉や石鹸、文具に至るまで、ちょこまかとしたものを売っているのだが、これがすごく便利なの!!

象牙人が経営するキヨスクもあったんだけど、これはちょっとダメダメね。まず、品揃えがモーリタニア人のキヨスクとは比べ物にならないほど悪い。しかも、モーリタニア人キヨスクでは、あの小銭不足のアビジャンにおいて奇跡的ともいえるほど、少額貨幣が常に充実している。だいたいどこのお店からも、マルシェで野菜を売っているどのおばちゃんからも、「お釣りがないからアンタには売らないよ」な雰囲気が感じられるのがアビジャンだ。(TIA,売り手が神様で、売り手に絶対的な権限があるわけです。客は犬同様です。)

たとえお釣りが店になくても、モーリタニア人は独自のルート(アビジャンには、少額貨幣を取引するための闇市も存在するよ。詳しくはこちらを参照。)を駆使して、なにがなんでもお釣りを見つけてくる。最初は「面倒くせー」なダラダラ感を出してくる彼らだが、なんだかんだできちんと最後には対処してくれる。カスタマーサービスの質が違うから、アビジャンに行く際には是非、モーリタニア人のキヨスクで買い物をすることを私は強く勧める。

ところがどっこい、このモーリタニア人コミュニティーには、とんでもない秘密が隠されているのです。それは、モーリタニア人女性。

アビジャンにいるモーリタニア人の多くは、モーリタニア北部出身のアラブ系の人がほとんど。そして、アラブとアフリカの間には色々な心理的いざこざがあったりしているせいか、アラブ系とアフリカ系が結婚するということは、極めて貴重なケースなのです。そこで、在コートジボワールのモーリタニア人男性がどうしているかというと、五、六人くらいでモーリタニア人女性をpartager(共有)しているのだそう。

モーリタニアの人は本当に親切でフレンドリーだけど、同時にモーリタニア人コミュニティーは閉鎖的で、象牙人にとってはかなりミステリアスな存在だ。「彼らは閉鎖的で、自分の国の女としか寝たがらないんだ」と私に教えてくれたのは、象牙人のエリクソンとジェローム。だからこんな噂が囁かれるようになったのかもしれないけど・・・。イスラムの教えがかなり強いからなのか、確かに女性の姿は一度も見なかったなぁ。エリクソン曰く、モーリタニア辺りの女性は、家の外になかなか出たがらないのだとか。

いずれにしても、HIV/エイズ関係の団体の中には、この、モーリタニア人コミュニティー内でのHIV感染拡大を本気で憂慮しているところもあるくらいだから、この噂は本当なのかも。信じられない話だけど、TIA,これが事実だとしても、私はもはや驚かない。何があっても不思議じゃないからねぇ、アフリカは。だから好きなんだけど(笑)。

*リベリア人

先述したエリクソンと一緒に、コートジボワール西部のサンペドロという町に行く機会があった。ここは、リベリアとはもう目と鼻の先。シャリーフさん(アフリカ初の女性大統領)が頑張っているおかげで、なんとかリベリアにも希望が見え始めている今日この頃だけど、それでも長期にわたる内戦と社会不安定で痛めつけられたこの国には、問題が山積みだ。

パワフルなリベリア難民のおばちゃんと過ごした週末についてはまた別の機会に書くことにして・・・。

サンペドロでは、少なくてもリベリア人難民は、象牙人やコートジボワール社会からの差別に苦しんでいた。「苦しんでいた」と書くと、いかにも苦しんでいるかのように聞こえるから、「差別と闘っていた」と書いたほうが正しいかな。リベリアでの内戦は残虐であったため、どうやら象牙人の間では「やつらは野蛮で危険だ」というデマが広く浅くではあるが信じられているようだ。そのせいで、就職時や学校で、様々なinjusticeが起きているのだとか。

言語の壁も大きい。これが、同じフランス語圏出身の難民であったなら、話は少しは違っただろうけど。ちなみに、リベリアの英語は世界で一番難解だと言われています。確かに、私はリベリア人とはフランス語で話したほうが楽に通じ合いました。彼らの英語は、本当に何を言っているのかさっぱり!!

どこの国でもそうだとは思うけど、難民と難民を受け入れる国の地元の人の間には、いつも確執が起こるのは避けられないことなのかな。リベリア難民の多くは、もうコートジボワール社会に表面上は溶け込んでいる。もともと失業率が高かったところに難民が流れてきて仕事を持って行っちゃったり、難民にばかり支援をする国際機関やNGOを見て、やっぱり地元の象牙人にとっては面白くないよね。嫉妬してしまうのも分からなくもない。

次回は、こんな象牙社会で暮らす外国人が、どのような行政上の問題を抱えているのか、そして彼らがそれに対してどのようなユーモアで対処しているのかについて、書きたいと思います!!

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