2010年6月8日火曜日

外国製品への憧れ

同じものを現地の人と外国人が持っていたとしても、どうやら外国人が持っているものはカッコよく、お値段も高めに見えるらしい。

ウガンダでは、ウガンダで買った中国製の使い捨て腕時計を使用していた。すると、市場のおばちゃんやクラスメイトには「わー、素敵な時計。日本で買ったの?」「これ高かったでしょ?いいな、私にちょうだい。ちょうど時計が壊れちゃったんだよね(←物をねだるためによく使われるフレーズ。ちょうどこの前○○で・・・のパターン)」とよく言われた。彼女たちにしてみたら、とりあえず言ったもん勝ちだから、別にもらえなかったとしても何ら問題はないんだけどね。「とりあえずおねだりしてみて、本当にもらえちゃうようならそれはそれでラッキー」程度の感覚だ。

コートジボワールに到着して間もないころ、アビジャンのアジャメ市場で買った、これまた中国製の使い捨てサングラスをつけていたら。すると、街行くイケイケファッションに身を包んだ男の子に「それ、超クールだね。どこで買ったの?」と言われた。コートジボワールでは、外国製品に対する人々の意識はどのようなものなのだろう・・・これを知るために、私はちょっとこの男の子をからかって試してみた。

「これは、アメリカで買ったんだよ。」と私。
「やっぱり!!!そうだと思ったよ。だって、そんなにクールなサングラスは、ここでは手に入らないもの。俺さ、すぐそこでメガネの売ってるんだけど、お姉さんのそのサングラスを売ってくれないかな。」

おっと!!買い取るとまで言ってのけたぞこの彼。彼のお店についていくと、なるほど。彼は本当にメガネやサングラスに関しては、プロ(?)だったんですね。だったらますます、どうして私が身に着けていたというだけで、アジャメのサングラスが「ここでは手に入らないクールなサングラス」に思えてしまったのだろうか。しっかりしてよ、もうまったく。

それにしても・・・ボロい服を着て、中国人だのチンチョンだのシントー(安物の中国製品のこと)だの言われては街ゆく人々に指差される私でさえ、身につけているものは高価に見えるらしいのだから面白い。考えようによっては、外国人である利点を生かして一儲けできるよね。

というか、これで私は一儲けしました(笑)。

スーダンとエジプトの国境(といっても、砂漠の中にポツンとあるだけの町)にあるワディー・ハルファで、夕方出発のエジプト行きのフェリーに乗るため、朝早くから出国手続きだのなんだのかんだのに勤しんでいた私たち。スーダンのお役所作業は毛虫よりもノロい挙句、その日はラマダン真っ最中。普段からノロノロしている毛虫さんがさらにノロくなっていた。しかもスーダンといえば、とんでもなく複雑極まりない(&まったくもって意味のない)手続きを強要することで有名な国。その日も待ち時間をつぶすべく、私たちは躍起になってアクティビティー探しに励んでいた。

ちなみに、アフリカで学んだことの一つに、「何もなさそうな場所でいかにしてアクティビティーを創り出していくか」というものがある。小さな町のバス停で出発まで五時間待たなければならないなどということが、頻繁に発生するのがアフリカ大陸だ。常に発想を転換させ、ほんの小さなことにも興味と面白さを見出す能力が求められるし、また、この大陸に長くいれば、嫌にでもそうした能力は身に着くものだ。人生、得したような気分になるよ

でもさ・・・・摂氏五十度の砂漠の町during(しかもラマダン中)では、アクティビティなんか見つかるわけがない。ちょうどそのころ、私のバックパックは不必要なもので溢れ返ってすごいことになっていたため、出国までの待ち時間を使って荷物の整理をしてみることにした。

案の定、次から次へと出てくるジャンキーの数々。キリマンジャロの頂上で拾ってきた石、スワジランドで買ったコショウ、ナイフ、未開封の正露丸、モザンビークの市場で見つけたハイキングシューズ、エチオピアの寒さ対策のために用意したジャケット(当然、海外からやってきた援助衣類の垂れ流しね)、石鹸、etc…. 貧乏性のアドレナリンが働き、これら全てを捨てるのはもったいなすぎて私にはできなかった。そこで、道端に布を敷いてどこででもお店を始めてしまうアフリカン精神にヒントを得、とりあえず冗談半分で売ってみることにした。気分はすっかり寅さんだ。

商売を始める前からすでに、道端でゴロゴロしていたおっさんたちがこちらの様子を興味深そうに見つめ始めた。通りすがりの人に英語で「見てってよ!!安いよ!!」と言っても、???な顔をされるだけだったが、だんだんと好奇心旺盛な子どもたちや若者が集まりだしてきた。ひとたび人が集まると、私たちのスイッチは完全にオンになる。「これ、全部五ポンド(約二百円)!!五ポンド五ポンド五ポンド!!!」だんだんとお祭り騒ぎが始まり、やる気のやの字もないようなスーダン人が、ようやく重い腰を上げて集まりだしてきた。こうして、どう考えても売り物になんかなりえないようなシロモノの数々が、次から次へと買われていった。当然、みんな最初は「これ、大丈夫なのかよ・・・」といった表情を浮かべるのであるが、それでもお金を出して買い取ってくれるのである。

もしも私たちが外国人では無かったら、こんなことはまずは起きなかったであろう。

私たちが商売をしていたときに、非常に親切なおじさんが二人現れた。

最初のおじさんは、黙って私たちに大きな傘を貸してくれた。言葉が通じなかったのが残念だが、容赦なしに照りつける砂漠の太陽を指差し、傘を使うようにしきりに勧めてくれたのである。

二人目のおじさんは、私たちの露店周辺に集まっていたヤジ馬と買い物客から少しずつお金を集め出した。最初はてっきり、彼は私たちが商売をしているまさにその土地の所有者か何かなのかと勘違いした。「これは俺の土地だ!!」と勝手にぶちまけては、お金を集めようとする手のTIA商法には何度も遭遇してきたため、心の中では「ああ、この人はきっと、このあと私たちにもお金をせびるつもりなんだ・・・面倒くさいなぁ」とグレーな気持ちになっていた。ところが、みんなから集金を終えた彼は、それをそっくりそのまま私たちにくれたのである。見せ物の出演料みたいなものなのかしら?外国人が露店を開いていたのが、そんなに物珍しかったのかしら?金額も相当なものだった。当時の換算で、約三十ユーロはもらったのだから。スーダン・ポンドは、隣国エジプトでさえも両替ができないという話を聞いていたので、そのお金を使い切るほうに頭を使ったけどね(笑)。おかげで、エジプトまで行く船の中では、かなり豪華なご飯にありつくことができましたよ。

アフリカでいつももったいないなと感じていたのは、現地の人の多くが、自分たちがどんな「いいもの」に囲まれて生活しているかということに気付いていないことであった。

たとえば、コートジボワールの市場。私の目には、コートジボワールの地元の市場は宝の山にしか映らなかった。欧米や日本で買うとかなりお値段の張るシアバターが、ここではなにも加えられず、百パーセントそのままのピュアな状態で売られている。色とりどりの美しい布地と、自然のものから作られた化粧品。ここでは、石鹸も油も、何もかもがすべてオーガニックである。一部、中国の工場やインドからやって来た安物が紛れてはいるが、それでも市場が宝の山であることに変わりはない。特に感動的なのは、伝統薬品と薬草である。今後、米の製薬会社がどんどんアフリカの植物市場に介入してくるだろうが、そんなことはつゆ知らず、ボーっとしながら薬草を売りさばくおばちゃんたちを見ていると、行き過ぎた資本主義の波が、彼女たちを直接襲わないことを願わずにはいられない。

魚から植物に至るまで、市場には先人の知恵が詰まった宝物がいっぱい!!

市場の様子。

伝統薬品や薬草を売っているおばさん。


白い石鹸(体や洗濯物用)、黒い石鹸(洗濯のりのような役割を果たす)、そして、赤油。
これらは全て、パームの木から採れたオーガニック製品。市場ではよく見かけます。


ところが、現地の人の多くが求めているのは、あるいは、多くの人が理想としているのは、地元の市場で手に入るような安くて質の高いものではない。もしも可能なら、大型のスーパーで手に入るフランス製品を消費して生活したい・・・これが彼らのホンネである。だから、少しでもお金があれば、値段が高くて質の劣る商品を選択する人が多い。これがトレンドであり、こうすることで、自分たちが社会的にも経済的にも豊かな生活をしているような気分に浸れるからである。

外国人が持っているものならなんでもかっこよく見えてしまうのは、日本人も同じことが言えるよね。もう少し自分たちが本来持つ「いいもの」に目を向けて、そこに価値を見出すことができればいいのだけれど・・・。とくにアフリカの場合、そうしないとどんどん搾取されるだけ搾取されちゃうからねぇ・・・。


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