2010年5月11日火曜日

ハイチ地震から考える~分け合うということ・国際養子縁組について~

ハイチの大地震の直後には、アビジャンでも募金活動が活発に(?)行われていた。どうせ、募金を集めるだけ集めて、そのお金で若い女の子連れて飲みに行っちゃうインチキな主催者がほとんどだと思うんだけど・・・と、私が正直のところ感じていたことは内緒である。しかし、前にも書いたのだが、アフリカの人の心理的連帯感はすごい。政治レベルはダメダメだけど、兄弟愛というか、「俺たちアフリカン!!」的な気持ちの強さは、世界のどこにも類を見ないほどなのではないだろうか。

そんな理由もあり、ハイチやカリブ海諸国には、西アフリカから多くの奴隷が「輸出」されたせいもあり、「ハイチにいる兄弟姉妹を助けよう!!」のような雰囲気がアビジャンの人々からもダラダラと出ていた。朝、マンゴーの木の下の新聞売り場でその日の一面記事を眺めているだけの人々(←買わない場合が多い)も、ハイチの惨状の写真を見ては、口々に「アイヤイヤー」「パーパッパッパ」「YAKO!!!(誰かを慰めるときのお決まりのフレーズ)」などとブツブツ言っている。

仕事の関係でアフリカの外にいるアフリカ人ディアスポラの人たちと関わる機会の多かった私は、ある日ベナン人の同僚にこんな話を聞いた。人にもよるのだろうけれど、奴隷としてアメリカ大陸に連れられていった人々の子孫は、今でもアフリカに対してフクザツな感情を抱いているのだとか。自分たちのルーツはアフリカだけど、今日のアフリカ人の先祖こそ(全員が全員そうではないにしろ)自分たちの先祖を売り飛ばした張本人に他ならないから、素直に心を開くことは難しい・・・ということらしい。かつては「奴隷海岸」と呼ばれていたベナンからは、多くの人が、ブラジルでの農作業のために「輸出」されていった。私のベナン人の同僚曰く、ブラジルに暮らすアフリカン・ディアスポラはベナンに対してあまりいい感情を抱いていない場合が多いのだとか。本当なのかな?すごく調べてみたいので、誰か一緒にブラジルへ行きましょう。

ところで、今回の緊急支援活動ではセネガルがかなり頑張っていたね。あまり無理しなくても、あんたたちもうちょい自分たちの国内を頑張りなよ・・・と言いたくなっちゃうけど、「困っている人がいたら自分が持っているわずかなものでも分け合いましょう」というのが、多くのアフリカに共通している精神(でも最近は、都会を中心にかなりのスピードで廃れつつあると思う)だから、セネガルらしいといえばセネガルらしい。

何かを食べている象牙人の前を通りかかるとしよう。ここでは、知らない人同士でも「Bon appétit(食事を楽しんでね、ボナペティー)」と言い合うのが習慣になっていて、それを言うと、95%の確立で「ありがとう!!こっちに来て、ここに座って、あんたも食べなよ」という返事が返ってくる。幼い頃から「試食荒らし(無駄に試食を食べまくること)」が趣味の一つであった私は、コートジボワールでは「試食荒らし」ならぬ「ボナペティー荒らし」を密かに楽しんでいた・・・なんてことを、こんな公の場で発言しちゃっていいのかどうか迷いましたが、正直に告白することにしました(笑)。ちなみにこれを私の同僚に言ったらドン引きされたよ。「知らない人と同じお皿で食べるなんて、不潔よ!!」「こういうときはね、断るのがこの国の慣習なのよ」などなど。でも、みんなのノリが素敵過ぎて、「一緒に食べようよ」のオファーを断る気持ちなんてこれっぽちも生まれないんだもーん。



スーダンの田舎の通りすがりの村にて、イフタを分けてもらう東洋人の図。


これは、ケニアのラム島だね。こんな感じでみんなで一緒に食べるの。



アビジャンの私の家の近所で毎日物乞いに励んでいるおじさんも、なぜか食事中に私が通りかかると、いつも「こっちに来て一緒に食べようよ」と言ってくれる。食事といっても、誰かに恵んでもらったパンやらピーナッツやらヤム芋なのだが、それすらも分け合おうとする。すごく温かい気分になるけど・・・そんなに私は困っているように見えたのかな(笑)?

近所の物乞いのおっさん達。笑顔がね、もう本当に素敵な人々なんです(笑)。


エチオピアでは、汚い食堂でも比較的きれいなレストランでも、道端でも建物の中でも、食事を待っている間にはたいてい、周りの人(既に注文した料理が出てきている人)がご飯を分けてくれた。ラマダン中のスーダンやエジプトでは、イフタ(日没直後の食事)の時間帯になると「こっちへ来―――――い!!」と言わんばかりに道端での食事に引っ張り込まれた。家でのイフタに間に合わなさそうなツイていない人々が、磁石に吸い付く砂鉄のように次から次へと道端イフタに駆け込んでいく光景は、かなりの見ものである。こうして、知らない人々が食べ物と時間を共有するのである。

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いや、でも待てよ。この前ウォロウォロの中で、ダカールに長いこと住んでいたというセネガルとコートジボワールのミックスおっさんと話をしていたんだけど、彼曰く「ダカール人は狡猾で、特に人間関係においては計算してから行動する」から 「J’en ai marre (もうやんなっちゃった)」なのだとか。「サヘル地域の人々(ブルキナ、ニジェールなど)に比べると、象牙人は計算してから人間関係を育む傾向にある。それでも象牙人は、相手から直接何かを得られなくても構わない、とにかく『仲良くなりたい!!相手のことをもっと知りたい!!』という気持ちが強いからこそ、フレンドリーに振舞う人が多い。それなのにセネガルときたら・・・」。たとえば、誰かと友達になるとき、セネガル人の多くは「この人とつながりを持つことで、どんな利益を得られるか?」ということをまずは考えるんだって。

私はセネガルには行ったことがないので比較はできないが、なるほど、アビジャンには、ただ単に私と仲良くなりたくて親切にしてくれる人が、カンパラよりも多い印象は受ける。

セネガル女性がかなり強くて、オシャレだけど若干浪費が大好き・・・という話は、「何も買ってくれない男なんてポイよ、ポイ」な傾向の強い西アフリカでもかなり有名だ。(注:この手の噂は、日本の「九州男児」「越後美人」と似たような類のものなので、別に偏見だとかレッテルだとか差別だとか、そんなんじゃありませんよ。)no offenseだけど・・・なんだか、東アフリカや南スーダンでのウガンダ女性の評判と少し似ているかもね(笑)。関係ない話だけど、パリにいるセネガル人コミュニティーの「ミス・セネガル」と一緒に働いてたの。メチャメチャかわいい子だったけど、彼女の金銭感覚と男に貢がせるスキルは目を見張るものがありました。

ただ、ウガンダ人の多くはあまり難しい計算はしないし、後先のことまでややこしいことはほとんど考えない感じがします(笑)。極端に言うと、彼らは目の前にボーンとあるものに、本能的にホイホイついていってしまうタイプ。そして、ウガンダ人はあくまでも礼儀正しくて婉曲的。「○○ちょうだい」とはあまり言わない。でもその代わりに、さんざん仲良くなった後、ゆっくりとしたウガウガなトーンでニコニコしながら、やんわりと物品の要求をしてくる。

これのやんわり加減がいいのか悪いのかは分からないけど、だからインド人やら中国人やらに経済を乗っ取られちゃうんだよね、ウガンダ人(笑)。嗚呼ウガンダ。ポケモン世代のウガンダ経験者なら、私がしょっちゅう言っている「ウガンダの国民性を例えるなら、ヤドンだ」の意味がよく分かるのではないでしょうか。(誤解されたくないから一応説明しておきますが、それでもウガンダは、私にとっては大切な場所です。ウガンダ人についてあれこれ私は言うけれど、すべて愛のムチです。 )

ということは、セネガルのハイチへの兄弟愛を謳った緊急支援も計算づくしなのかしら?まぁ、政府の援助なんて、国益の計算がされていなかったら逆におかしいんだけどね。一応テンガラの人々(セネガルの愛称)の名誉のためにも言っておくけど、私の知り合い&同僚のセネガル人はみんな良い人だよ。(あ、でも、ただ単に良い人のフリをされているだけだったりして・・・なんちゃって)。

セネガルね、面白そうな国だよね。ビーチとピーナッツと音楽くらいしか知らないけれど、なぜかずっと気になっていた国の一つです。初代大統領はアフリカ人奴隷所有者の子孫なんだけど、「もしも奴隷制度の補償が求められるものであれば、私の先祖の奴隷やその子孫たちは、この私に賠償金を求めることができるであろう」という言葉を残した人なの。ちなみにこの人、かなりのフランス文化好きで、ノルマンディーを心から愛し、最期をそこで迎えるほどの人だったらしいよ。ってオイ、大統領の個人的な嗜好は大統領という仕事には関係ないかもしれないけどさ、リーダーがこんなんじゃ、社会の上層部にフランス文化至上主義が蔓延しちゃうのもうなずけちゃうよね。Françafrique(フランスに支配され続けるアフリカ)を邁進したいフランスにとっては、こういう人が大統領でいてくれたことはうってつけだったに違いないけど。セネガルの歴代ファーストレディーが、全員白人女性であるっていうのも気になる。どうして??(笑)

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さてさて、セネガルの話をしすぎましたが、ここにきてようやく今日の本題に移ろうと思います。

今回の地震のおかげで、ハイチの子どもの人身売買ビジネスに光が当たっているよね。子どもが奴隷になったり、アメリカの養子縁組ビジネスの餌食になったりと、もうとんでもないことが次々と起きている。地震の直後に、ユニセフや多くの子ども・人権関係のNGOが緊急声明を出したりしていたのは、記憶に新しい。

五年前に、私はインドを二ヶ月間フラフラしていたんだけど、そのときに初めて、人身売買の被害となった女の子たちに出会った。衝撃的だったよ。本当に涙が出た。ネパールやバングラ、インドの貧しい村からだまされて連れてこられたり、誘拐されたり、時には(少数ですが)親や親戚の大人に売りさばかれたり。そして、そんな女の子たちは、コルカタの売春宿で強制労働させられるわけです。午後の二時、三時になると、ケバケバメイク&体のラインを強調するようなピチピチの服を着た女の子たちが狭い路地に並ぶの。インドの女性はみんなゆったりした服を着ているから、インドボケしていた私の目には、彼女たちのファッションは衝撃的に映った。みんなお化粧なんかで一生懸命大人っぽく見えるようにしているんだけど、どう見ても十代前半の女の子ばっかりで。中には、きっと八歳や九歳なんだろうなと思わずにいられないような、そんな小さな子もいた。あの路地の光景は、もう一生頭から離れないと思う。この手の子どもの性的搾取は世界中にある。ハイチももちろんその一つ。

もう一つ見逃してはいけない問題の一つに、途上国から先進国のお金持ちへの養子縁組ビジネスがある。

ジョリーピットやマドンナのおかげ(?)で、「貧しくてかわいそう」な子どもを養子にするのが今や世界的なブームになっている。ウガンダでは、街行くムズング(白人)の家族にウガンダ人の赤ちゃんが紛れ込んでいる・・・なんていう光景をちょくちょく目にした。本当に子どもがほしくて養子に迎えている人もいる中、哀れみの気持ちばかりが強い人や「神様に導かれたから、かわいそうな子どもを養子にした」なんていう人までいるから、この養子ブームに対しては、私は正直言ってすごく複雑な気持ちになる。アフリカがヨーロッパの支配下にあったころ、一部のヨーロッパの上流階級の奥様の間では、黒人の子どもを「ペット」としてかわいがるブームがあったの。信じられない話だけどね。二十一世紀のこの世界で起きている養子縁組ブームも、これと大して変わらないのではないのかな。

なんというか、これもやはり「イメージ」というものと深く結びついているのではないかと、ポストコロニアリズムが大好きな私は考えてしまう。子どもという存在がそもそも「小さい、か弱い、守るべき対象(=社会的弱者)」を連想させるが、それに*「黒い肌」というイメージも加わると、「アフリカの子ども・黒い肌の子ども」という存在が、彼ら自身が自らを語る主体なのではなく、他者によって作り上げられた「イメージ」に基づいて語られる存在、単なるobjet(対象)としてしか、認識されない存在になってしまう。うーん、ちょっと話がややこしくなっちゃったね。掻い摘んで言うと、アフリカの子どもや黒い肌の子どもという存在が、「救ってあげるべき対象」という呪縛から解かれるにはまだまだ時間がかかりそうだということ。そして、今日の世界で起こっている国際養子縁組ブームは、少なからずこの「イメージ」が作用しているということ。ジョリーピットやマドンナを、「世界の注目をアフリカの子どもたちに集めている。なぜなら、アフリカは『忘れられた、無視された』存在だからだ」と賞賛する人がいるけれど、私はこれにはかなり批判的な意見を持っている。昔はね、アフリカに実際に行く前はね、そりゃ私も同じように考えていたよ。でも、今は違う。確かに彼らは人々に関心を持たせているけれども、彼らによって作られているアフリカの子どもへの「イメージ」がかなりアンフェアだからだ。これはね、多くのアフリカのインテリ層も同じことを言っていた。

結局のところ、長い目でアフリカの未来を見たときに一番の障害になってくるのが、このアンフェアな「イメージ」なんだよね。人々の関心が高まれば、お金は流れてくるかもしれないし、多くのアフリカの子どもが「物質的によりよい生活」を得られるきっかけになるかもしれない。でも、その副作用として、「objetとしてのアフリカの子ども」が強まり、社会的にも人々の心理的にも、大きな歪を生み出してしまう。

*「黒い肌」へのイメージについては、フランツ・ファノンの本なんかかなりオススメです。

ウガンダでお世話になったアメリカ人のクレイグは、自閉症の孤児三人を養子にしていた。
厳密には、(二年前の段階で)法的に養子縁組が成立していたのは一人だけで、残りの二人は申請中だったんだけどね。この前彼から、無事に全員の養子縁組が終了した旨を伝えるメールが来た。今はウガンダ北部の田舎で、小さな采園を営みながら静かに生活しているらしい。

ちなみに彼は、痛々しいような慈愛に満ちてるタイプの人間ではない。「アメリカ中部出身・白人中産階級・クリスチャン」の三重苦(笑)の人ってどうも苦手なんだけど、クレイグはオープンマインドで自然な人。ウガンダで養子縁組をしている多くのアメリカ人に対しても、「ブームに乗っているだけにすぎない」と批判的な意見を持っていた。それに、何よりも私が好きだったのは、ハッキリと「自分のために、この子たちを養子にするんだ」と明言していたこと。彼は同性愛者だから、本人曰く、子どもが欲しいと思ったら養子縁組に頼るしか方法がないんだって。アメリカ国内の養子を引き取るのではなく、わざわざウガンダ人の子どもにしている理由は、「タイミング的に自分がウガンダにいるから、ここで養子縁組をするのが自然な流れだった」から。

クレイグの子どもたちと一緒によく遊んでいました。I miss them!!




私がウガンダで彼に出会ったとき、クレイグは、養子縁組申請にかなり手こずっていた。ウガンダの国際養子縁組の法律は、かなり複雑だ。手続き開始から縁組成立までは数年もの時間を要する。ウガンダ政府に払わなければならないお金も結構な額だ。手続きの間、ウガンダ国外への出入りもあまり自由にできない。もう今さら明記する必要もないだろうけど、TIA、「公式な」プロセスだけでは、当然、いつまで経っても手続きは進まない。もともと複雑なお役所仕事をさらにややこしくするのはウガンダ役人の得意技だから、毎回、「書類が足りない」だの「写真写りがはっきりしていない」だの「今日は役所のボスが村に里帰り中でいないから、来週また来い」だのグチグチとイチャモンをつけられては、申請が却下されるわけだね。ワイロも渡さなくてはいけないし。

途上国の役人は、この国際養子縁組ブームのご時勢における子どもの需要の高さ&彼らのの商品価値に十分気づいている。「自分の国の子どもの人権を守る」とか表では色々キレイゴトや正論を言いながら、結局はお金。そもそもさ、子どもが守られていない社会をあなたの国に作っているのは、他でもない役人のあなたでしょうが!!とツッコミたくなるけどね。

一方的な大人の都合のみで動いている莫大なお金と、ある日突然、その取引の渦中に「商品」として引っ張り出されてしまった子ども。本当に腹が立つ。 なんだか・・・人間ってなんなんでしょう。

養子を欲しがっている大人が、多くの子どもの中から一人を選ぶこのシステムも・・・なんだかねぇ。ペットショップでワンちゃんを選ぶのと子どもを選ぶのを一緒にしちゃダメなような気がするのですが。もう一つ私がおかしいなと思うのは、当の子どもの意思がほとんど尊重されていないこと。養子縁組って幼児期の子どもが「一番人気」なわけだけど、子どもが幼いことをいいことに、大人の勝手な事情でこんなことしちゃっていいのかな?もう少し年齢が上がると、自らの意思で養子に行きたいという願望を抱くようになる子が少なからず存在する。しかし、その年齢層の子どもにお声がかかることはそう滅多にあることではない。

この前、私の家にエチオピア人のカウチサーファーが泊まりにきた。そのときに、アフリカを取り巻く国際養子縁組について話をしていたんだけど、陽気な彼は冗談で皮肉たっぷりにこう言った。「アメリカの貧しい家庭の子どもや施設に入れられているような子どもをエチオピアの家族が養子にしたいと言ったら、アメリカ政府はどう反応するかな?」

ナイスアイディア!!!子どもにとってもそのほうがいいだろうし、エチオピアとアメリカが対等な立場であることをはっきりと示すためにもすごくいいことだと思うね。

2 件のコメント:

まゆシャン さんのコメント...

ジョリーピッドwwww
まさにfree the childrenだと思いました。kids can!だ! しかも、クレイグだしww

Natsuno さんのコメント...

あ、確かに(笑)
気づかなかった(笑)