2010年1月26日火曜日

見せつけが大好きなアフリカン

いきなりだけど、アフリカでの私の質素な(?)暮らしぶりをここで少し紹介するね。

まずは服装。アフリカにいるときは、特別な場合を除いて、涼しくて動きやすくて、見るからに安そうな服装でいるのが一番だ。

ウガンダ留学時代の私は、いつも髪を一つにしばりあげ、汚いスニーカーかビーチサンダルに半ズボン+ヨレヨレのキャミソールといった格好で過ごしていた。旅をしていたときもそう。コートジボワールでは、仕事中は一応まともな服装を心がけるようにしているけれど、それでも、アクセサリーやお化粧は絶対にしない。そもそも暑すぎるし、日本にいるときでさえも、私はそういった類のものとはほぼ無縁な生活をしているからね。

もちろん、仕事以外のときは、強盗やナンパ野郎にすら相手にされないような身なりを常に心がけている。(というか、そんな服しか持ってこなかったし、新しく買うのも面倒だから、自然とそうなってしまう。)ただでさえ外国人だから目立つのに、「いかにも」な服装でいると「ハイ強盗さん、私を襲ってください」と大声で叫びながらウロチョロしているようなものだ。

安いのは、携帯電話もそう。今の携帯は会社が買ってくれたやつだから、画面はカラーだしにカメラまでついている。でも、ウガンダ時代の携帯は、ノキアの白黒の一番安い機種だった。だって、携帯なんて、電話とメールができれば十分でしょ?

食生活もとことん安いね。ウガンダでは、年間たったの450ドル(光熱費、水道代込!!)で生活できる食事つきの寮に住んでいた。ところが、寮のご飯はまずい挙句に毎日同じメニュー(バナナと豆とたまにご飯)だったし、かといってキッチンもなかったから、ほとんどの寮生はあまり寮で食事をしない。私も、外から食べ物をよく買ってきていたよ。まぁ、私が買ってくる食べ物なんて、せいぜい道端の焼きとうもろこしだの焼きバナナだの、その程度の激安フードだったんだけどね。(今は、家にキッチンがあるお陰で本当に助かっている。)

学生は貧乏だから、お金の使い方は慎重に選ばないといけない。切り詰められるところはひたすら切り詰めて、本やら旅やら緊急出費のためにまわす。これは私のお金に関する基本方針だ。そりゃ、ウガンダの物価のほとんどは日本よりも安いから、豪遊しようと思えばできなくもなかったけれど・・・だからといって、ストリートフードがあるのにわざわざレストランに行ったり、外国からやって来た援助衣類の垂れ流し(結構安い)を買わないでわざわざお店でキレイな服を買ったりするのは、私にとってはちょっとナンセンスに感じられた。たとえ100円だろうと、より安いもので代替できるのであればそうするべきだ。ただし、安ければ全てがいいわけではなく、自分にとっての最低水準を設けておくべきだけれど。

ところがどっこい。

しばしば、このポリシーをどうしても理解しない現地の人に遭遇する。彼らにとって、お金がある人は、それ相応の生活水準を守らなければならないもの。言い方を変えると、こちらの多くの人は、お金があるのに質素な生活をしている人や、わざわざチープな生活をしている人のことが理解できないっていうことね。

ウガンダの大学構内では、顔見知りでもなんでもないマケレレ女子から「ちょっとそこの中国人!!チンチョンチョンチン!!!」と声をかけられ、何事かと思ったら「どうしてこんなにみすぼらしい格好をしているの?」だの「今すぐにきれいな服を買いなさいよ。どうせお金あるんでしょ?」だのズケズケとよく言われたものだ。アンタたちこそ、教科書や本を買わないくせに、どうしてそんなにいい格好しているのよ?まったくもう!!(私は最初、マケレレガールズの多くがあまりにdressyなものだから、授業が終わったらそのままクラブにでも行くのかと思ってしまったくらいだ。)授業のノートなどを入れていたリュックに至っては「女はリュックなど背負わないもの。私が持っているような、かわいいハンドバッグを持つようにしなさい」とバッサリ。キーーーーー、何で私が、リュックを背負っているがために、こんなこと言われないといけないんだ。


マケレレの授業。みんな結構dressy!!



ちなみに、カンパラ市内ではビーチサンダルは嘲笑の対象だった。ルームメイトにまで「お願いだからそれだけは履かないで。私たちまで恥ずかしい思いをする」と言われたね。カンパラでは、ビーチサンダルはトイレやシャワーのスリッパとしか見なされていない。だから、仕方がないといえば仕方がないんだけど。不思議だよね、これが、ダルエスサラーム(タンザニア)やキガリ(ルワンダ)では、みんな普通にビーサンを履いているのに。

私が使っていた携帯も、多くのウガンダ人にとっては???だったようだ。というのも、「何だこいつ、日本人で金あるくせにこんなダサい携帯使いやがって」という気持ちがウラにあるんだよね。

私が今まで訪れたアフリカ諸国では、どの国の若者も、音楽&写真に写るのが大好き。よっぽどお金に困窮している人や、少数ながらも存在する「電話なんてたかが電話、そのために浪費するなどばかばかしい」という考えの持ち主を除いて、イマドキのアフリカ若者は、最低でも、カメラと音楽ポータブル機能付の携帯を持っている。お金に余裕のある人は、i-phoneやblackberryのような電話を使ってるよ。(「~のような」というところがポイント。やっぱりTIA,もちろん、これらの電話からインターネットに接続はできません。だってほとんどは中国の安物コピー製品なんだもん♪非常に稀ながら、本物のi-phoneなんかを持っている人もいるけどね。)

貧しい層の人々はみんな、お金の面では様々な苦労をしている。「いつかこの生活から抜け出してやる!!」という願望が強ければ強いほど、お金持ちに対する羨望が強ければ強いほど、あるいは、自分の経済力に対する劣等感が強ければ強いほど、本当はお金があるのに、わざわざチープなライフスタイルを好き好む人の心理が分からない。

中産階級の人々は、出費を抑えるために自分たちよりも下の階級の人々と同じ場所に出入りしたり、同じものを購入したりすることはほとんどない。例えば、コートジボワールの中産階級の人々に南ア~エジプト大陸縦断の旅のことを話すと、みんなに「飛行機は?ホテルは?レストランは?そんなお金がよくあったね!!」と言われる。「バスやヒッチハイクが交通手段だったし、果物とかストリートフードばかり食べていたし、泊まるところも、誰かの家や安宿ばかりだったから、お金はそんなにかからなかったよ。」そう答えると、彼らはたいてい唖然としてしまう。ぎゅうぎゅう詰めで、乗っているだけで疲れてしまうような長距離バスは「貧しい人々」のためにあるもの。ご飯も、そんな汚いところで食べたら体調を崩してしまう。不潔で、「危険」で、シャワーがなくて、お湯がなくて、冷房も扇風機もないような安宿に泊まるなど、問題外―自分たちは、自分たちの階級にマッチしたラグジュアリーが必要なのだ。

大きな家に数台の車。メイドさんが家事を全てやってくれ、仕事や留学のために世界中を飛び回るような上流階級。こんな人たちにお目にかかることは滅多にないことだけど、彼らはマジですごいよ。飛行機は絶対に欧米系の航空会社(さすがに、自家用ジェットを持っていう金持ちには未だかつて遭遇していない)だし、基本的に買い物は全部海外で済ませるから、全身ブランド品でがっちり。よく聞く話だけど、パリのルイ・ヴィトン本店のVIP顧客は、今やほとんどがアラブ系かアフリカ系だっていうしね。

彼らにとっては、もはや重要なのはラグジュアリーの中身ではなく、「その社会の中で相対的に判断して、自分がどのレベルにいるのか」という点なのではないかと思わずにはいられない。例えば、東京に留学しているとあるアフリカ人お嬢様を知っているけれど、彼女は高級マンションに一人暮らしをし、疲れているときは、地下鉄を使わずにタクシー通学なんだって。彼女の国と東京では物価があまりにも違いすぎるが、「そんなことはお構いなし」な感じが、彼女の家のボンボンさを物語っているね。そもそもの話として、彼女の国と東京では生活の質と便利さは比べ物にならないくらい差があるわけだから、彼女の国のスタンダードでいう「お金持ちの暮らし」は、東京では、高級マンションに住んでいようと5万円のアパート住んでいようと、送れるはずなのだ(東京のアパートは、アフリカの豪邸育ちの人には小さすぎるかもしれないけどね)。

でも、重要なのはどうやらそこじゃないようだ。階級社会の上層部で育つと、別の社会で暮らすようになったときにも、「新しい社会の中での上層部の暮らし」をしないと気が済まなくなっちゃうものなのかな。彼女の国でお金持ちの生活をしていた人にとっては、「日本という国で暮らす際には日本のお金持ちの暮らし」をしないとダメ、みたいな考え方がどこかにあるのかも知れないな、と、彼女を見ていてそう思った。すごくいい子ではあるんだけど。

さて、ここに書いたような、階級による生活水準への認識というのは、なにもアフリカに限ったことではない。日本にも、ここまでハッキリと分かれてはいなくても、子どもの教育やなんやかんやで「我が家の階級にあったものを選ばなくちゃ」という傾向は存在する。(「格差社会」と言われながらも日本の格差はそこまでシビアなわけではないけどね。)

問題は次。ここには、「目につきやすいポイント」に集中的にあり金を注ぎ込む人、つまり、派手好きで自分が金持ちであることを「見せつける」のが大好きな人がかなりの割合で存在するんだな。(無論、こんな人は世界中にいるけれどね。)目に付きやすいポイントで相手や周囲を圧倒させ、そこから得る優越感に浸る―老若男女問わず、こんな傾向にある人が多い。

ちなみにこの「目につきやすいポイント」とは、ファッション、車、家、豪遊などのことである。一発で、しかも誰にとっても分かりやすい形で見せつけるためには、教育や医療のような地味なお金の使い道よりも「目につきやすいポイント」を優先させなくてはいけない。(だからこそ私の会社は、ヨーロッパにいるアフリカ人デジアスポラがアフリカにいる家族にお金を送るのではなく、モノや教育・医療などのサービスを直接提供できるようなビジネスを行っている。送金者が納得するようなお金の使い方をする受取人が、あまりにも少ないためだ。詳しくはこちら。)

この傾向は、別にお金持ちに限ったものではない。庶民層でも多くの人が、「分かりやすくて目につきやすいポイント」に集中的にお金を使っている。見栄っ張りさんが多いのかな。それとも、優先事項違うのは、単なる文化の違い?いずれにせよ、私には到底理解のできないようなお金の使い方をしている人が、村でも都会でも多いこと多いこと。

「お金がないから」と本や教科書を買うのを拒否するくせに、ファッションや化粧品、携帯電話にあり金をつぎ込むマケレレ大学の学生。子どもを学校に行かせる余裕がないのに、家にはちゃっかりテレビがあるスラムの家庭。具合が悪くても病院に行くお金がないと言っていた近所のおばさん。そんな彼女の娘は、毎日毎日髪の毛とお化粧と服を完璧にキメて、ケータイの音楽を聞きながら果物を売っている。(もしかしたら、彼女は援助交際をしているのかも。)その傍らでは、ピカピカの車が音量マックスで音楽を流しながら走っており、道端でたむろしている無職の若者たちの羨望のまなざしを集めている。

アフリカで売られている本やマケレレの教科書は、ほとんどが欧米からの輸入品だ。だから、税金なんかも課されてメチャメチャ高い。学校も、コートジボワールではもちろんワイロを要求されるから高くつくし、ウガンダの場合だと、*UPEのとばっちりを受けたせいで、どんなに貧しい家庭でも私立学校にやらないといけないご時勢になってしまった。医療だって、何もしてくれない公立病院に文字通り「行く」のなら無料(病院までの交通量も、貧しい人にとっては痛い出費。しかも、そんなこんなでたどり着いた公立病院でも、しばしばワイロを要求されるから、結局はタダじゃなくなっちゃうんだけどね)だけど、薬を買ったり、きちんとした治療を私立病院や診療所で受けようものなら、当然出費を覚悟しなければならない。

*Universal Primary Education(公共初等教育無料政策)。援助にどっぷりのウガンダ政府が、統計上の「就学率」を上げるため、また、国際機関や世界銀行のご機嫌をとるために、無理やり作ったとしか思えない政策。お金がないのと汚職が蔓延しているくせにこんなことをし、結果として、先生のお給料は支払われず、校舎もボロボロ、教室には子どもが溢れかえり、文字通り学校に「行く」だけの初等教育になってしまった。小学校一年生百人につき、ストライキばかりしている先生が一人だけとか、ジョークもほどほどにしてくださいという話だ。学校に行ってもなにも学ばなかったら、それこそ詐欺だと私は思う。当然、教育の質は、有料だった頃と比べてガタ落ち。今ではどんなに貧しい家庭でも、どうにかしてお金をやりくりして子どもを私立学校に行かせている。少なくとも、私は一年弱のウガンダ生活で、公立小学校に子どもをやっている親には一度も遭遇していない。

だから、これらの出費は、ちょっとやそっとの節約をしたところでできるものではないのはよく分かるんだけど。

ウガンダ生活の初めの頃、カンパラのスラムで暮らす人々の雰囲気から、所謂「貧しさ」をあまり感じなかったから、私は心底ビックリしたよ。ちょうどその一年前にインドをうろちょろしていたんだけど、インドでは、スラムで暮らすような人は本当に見るからに貧しそうな格好だったからねぇ。ウガンダのスラムは、時間がゆっくりと流れるちょっとした下町のような場所で、日本にいる皆さんが「スラム」と聞いてイメージするような、あんな悲壮感たっぷりの場所では決してない。みんなオシャレさんで、失業者の若者は道端でイヤホンをして音楽を聞いているし、食べ物も道端で売られていて、子どもたちはそこらじゅうで遊びまわっている。まぁ、外国人にとっては衛生的ではない場所だし、教育や医療の状態がいいとはとても思えないし、貧しさから売春に走る女の子やなんやかんやは絶えないみたいだけどね。ちなみに、同じアフリカでも、エチオピアのスラムはちょっぴり違う。エチオピアは、どちらかと言うとインド寄りだ。

マケレレ近くのスラムと呼ばれる場所のお風呂タイム。そもそもスラムの定義ってなんなんだろう・・・。 洗濯物。

どんなに悲壮感が感じられないスラムだとはいえ、ちょっとこれを見ると心配になっちゃうよね。


どうしてだろうね・・・。私は最初、これがウガンダだけの特徴なのかと思ったし、文化的なものだとも思った。ほら、よく、「産業革命当時のイギリスの労働者階級は、どんなに生活が苦しくても靴だけはきちんとしたものを履いていた。靴を履くことが、人間らしく生きるための最低ラインだった。」っていうじゃない?(私のうる覚えだったら申し訳ありません。)何に重点を置いて何に優先順位をつけながらお金を使うかというのは、その人の個性は当然のことながら、文化的背景も大きく影響してくる。だから、「見せつけ&見栄っ張りのお金の使い方は、もしかしたらウガンダ周辺地域の文化なのかもしれない!!」という結論に、ウガンダ生活当初の私は至ったわけなのである。

だが、ウガンダ以外の国を旅をすればするほど、どうやらこのウガンダ文化だと信じていたものが、この大陸全体に蔓延している傾向のではないかという疑惑を抱くようになった。行けども行けども似たようなモンなんだもん。ということは、これは「アフリカの文化」なの??

まぁ、だんだんとアフリカの様々な地域の伝統文化や伝統的価値観について学んでいくうちに、そうではないと感じるようになったけどね。ある友人(コートジボワール中産階級)は、「これはアフリカの伝統文化ではけれど、長い間この傾向にあるせいで『文化』の一部になってしまった」と説明してくれた。また、ひょんなことから昨年末に我が家に転がり込んできた象牙人・シャカは、「アフリカのメンタリティーは道に迷ってしまっている」と、この見せつけ志向を嘆いていた。

お金も権力も、現代アフリカでは見せつけてナンボ。さっきも少し書いたけど、見せつけることで周囲を圧倒させ、恐れさせて平伏させ、優越感に浸ることを心から好む人が多い。ハッキリ言って、栃木の不良(だと本人は思い込んでいる)中学生と同レベルなのだがTIAの場合、マケレレの教授からアビジャンの警官までがこれだからあきれてしまう。

また、さらにTIAなことに、こういう見せつけ野郎をチヤホヤする人やら、外見の派手さに目が眩み、人を見極める力や理性を失ってしまう人が多いんだな。多くの人の目には見た目の派手さがそのままの形でその人の力や権力と映るのね。だから、派手な外見や雰囲気次第では周りの人を動かしやすくすることができるし、これでもかってぐらいチヤホヤされるから、好きなだけいい気分に浸ることができる。これだから見せつけ軍団はつけあがってしまう。

例えば、アビジャンでもカンパラでも、車を持っていることがモテ男の条件だ。今まで冴えずに誰からも相手にされなかった男が、車の購入と同時に女の子に囲まれるようになることなどしょっちゅうある話なんだよ。女の子をナンパするために、わざわざ知り合いにお金を払ってまでして車を借りるなんてこともしばしば。ただし、三回以上歩いている姿をお目当ての女の子に目撃されてしまったらアウトだからちょっと厳しい(?)よね。豪華なライフスタイルにたくさんの彼女(←一夫多妻制の現代版)とくれば、同性からの羨望のまなざしも手に入れ、結果として自分のステータスが上がる。

贅沢が大好きな派手好きビッチが多いのも問題。日本では、収入で結婚相手を選ぶ女性が多いみたいだけど、アフリカンギャルは、付き合う男の子から何から何まで、男性のことはとにかく経済力で判断する。飲み食いショッピングは当然全て男性持ちだし、車を持っていないがために、女の子を家まで送っていけない男性には、家からの交通費+αを当然のように請求する。というか、男性が払うのが当然のしきたりとなっている。交通費すら出せない男なんて、ポイされちゃうよ。携帯の電話代まで男性に払ってもらうビッチも結構いるし、中には生活費や教育まで払わせる子も。ここまでくると、生きるのにみんな必死なんだな・・・という印象を受けるよね。もはや彼氏じゃなくてスポンサーです。そして、それらを払えない男はただのガラクタなので一緒にいる意味などなく、次々と捨てられていく。哀れだよね。

反対に、それらを全て払ってくれる男の周りには、ビッチたちがうじゃうじゃしてるよ。ダメ男もダメ男で何股でもかけたいから、女心を掴むための投資は怠らない。だから、少しくらい家計が厳しくても、まずは「僕はあなたのために払えます」というメッセージを自分の外見に込めるのだ。

学業や仕事で周りよりも優れていることを見せつけたりするのならまだ理解できなくもないんだけど。短絡的な人や教育を受けていない人というのは、分析力に欠けているせいか、どうしても分かりやすい見た目や派手なライフスタイルのみで相手を判断しがちだ。何よりも、ここでは正々堂々のフェアプレイがほとんど存在しない。実力があっても、ワイロがなければ判断してもらえない、いわば「努力をするものがバカをみる」社会なのだ。

努力は自分を裏切るかもしれないけど、派手な見た目は裏切らない。きっとこれも、現代アフリカに根付いている見せつけ主義の大きな原因だ。
なんだかねぇ・・・このままだと、心や魂が伴わない、ここ二、三十年の日本のような「空っぽな発展の時代」をアフリカも迎えそうで、ちょっとと私は心配だ。
もうちょっと中身を重視する人が増えてくれればいいんだけど・・・。見せつけようとしない人は、権力闘争や社会的地位を獲得する際の競争で不利だから、結局は、社会の上に立つ人の多くが見せつけ大好き人間になっちゃうんだね。そして、それを見ている社会の下のほうの人々は、「いつかああなりたい」という希望を抱いて自分たちまで見せつけ大好き人間になってしまう。
うーん。

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