2010年1月13日水曜日

現代アフリカの心は複雑だ!! 白人至上主義①

日本の大学で文化人類学の授業を取っていたとき、私たちの教授は「人類の生物学的な特徴を元にrace(人種)という概念が生まれたといわれているが、厳密には、人類にraceなど存在しない」と言った。Raceという概念が極めて政治的であることは分かっていたけれど、やはり、ネグロイド、モンゴロイド、コーカソイドなどのように、大まかに人類は分類可能だと思っていた私にとっては、目からウロコだった。

この教授によると、生物学上のraceとは、染色体の数や形に共通点が見られる生物の分類を意味する。言い換えれば、raceが違う生物というのは、染色体になんの共通点も見られないことになる。当然ヒトの染色体は、日本人であろうとボリビア人であろうとガボン人であろうと、みんな同じである。このように共通の染色体をもったヒトとヒトの間に、違うraceなど存在し得ない。私たちがraceと呼んでいるものは、よって、生物学的な要素など一切含んでおらず、完全に政治が生み出した概念である。

なるほど、これはものすごく説得力のある理論だ。この話を聞くまでの自分も含めてだが、「ヒトにはraceの違いが存在する」と思い込んでいる人の多いこと多いこと。Raceを理由に優越感・劣等感を感じている人など論外だが、「racism(人種差別)反対!!」と叫んでいる人々や、オバマが「人種的マイノリティー」だからとちやほやしている人も、そもそも論としてraceなど存在しないということを分かっているのだろうか・・・と疑問に感じる。「racism反対!!」と叫んだり、オバマのraceが故にちやほやしている人というのは、「ヒトにはraceというものが存在する」という前提から抜け出せていないからね。

しかし、実際には存在しないはずのraceだが、虚像の概念・押し付けられた概念として、世界のほとんどの人の心を支配しているのは事実である(私も含めて)。どんなに「実際にはraceは存在しない」と言われても、それを頭で理解はできても、現実の世界のありとあらゆるところにこのraceという虚像の概念が影響を及ぼしている。虚像の概念であろうと、それが実際に効力を発揮してしまっている以上は、raceは存在するのと同じことなのではないだろうか。

実際に力を持ってしまっている、虚像の概念としてのrace。うーん、ややこしいね。とりあえず、このブログの中ではあえて現実を直視して、「人種は存在する!!」という書き方をしておりまずが。そっちのほうが皆さんに色々説明するのに便利だしね。そこら辺はご了承願います。

冒頭の授業から半年後、私はアフリカの大地に初めて降り立った。しかし、ここで生活していくにつれ「ヒトにはraceなど存在しない」という「事実」が単なるキレイゴトにしか思えなくなった。そりゃ、私だって、raceは実は存在しないんだと未だに自信を持って説明できるし、信じていたい。しかし、この大陸について深く知れば知るほど、「黒人性」や「黒人アイデンティティ」という概念抜きには、アフリカの人の心理やメンタリティーを理解することができないことに気付いていく。

本当は、黒人だからどうのこうのだなんて言わずに、彼らのことを理解できるのが一番なんだけど。

例えば、「日本人」を理解するために、日本人がいわゆる「モンゴロイド種族」であることは全く関係ないよね。しかし、「コートジボワール人」や「ウガンダ人」を理解するためには、ネガティブにも歩シティブにも、「黒人性」や「黒人アイデンティティ」を無視することはできない。それだけ過去の歴史のダメージが大きかったのか、Africa as oneの意識が強い文化(?)なのか、何か特別な魔法でも潜んでいるのか(アフリカにいると、本当にここには魔法が存在するのではないかと思わされることがよくある)。―私にはまだ良く分からない。もっと勉強しないと。

この、非常に複雑な「黒人性」「黒人アイデンティティ」だが、今回はその中でも、一部のアフリカの人が抱いている「白人至上主義」と「自らの黒人性に対するコンプレックス」について少しお話したいと思う。

「白人至上主義」や「自らの黒人性に対するコンプレックス」はネガティブな動機であるが、アフリカ人としてのアイデンティティや黒人アイデンティティのエネルギー元の一部であると私は考えている。一つのアイデンティティが確立するには、他者と出会い、その他者を通して自分を再認識することが必要だから、こういうネガティブなのも、アイデンティティの存在のためには不可欠と言えば不可欠なんじゃないかな。ちょっと複雑な気持ちになりますが。

一応前もって断っておきます。この文章を読んだあなたは賛否両論さまざまな感想をお持ちになられるでしょうが、私はあくまで、キレイゴトなしに率直に現状について述べているだけです。なので、あまり深刻に受け止めずに、「こういう風に考えている人もいるんだな」程度に思っていただけたら・・・と願う次第であります。

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白への憧れ?

ここまで言うと言い過ぎかも知れないけど、マイケル・ジャクソンが肌の色を変えたのは、一部の(多くの?)アフリカの人やアフリカ系の人々の心理を表している。白い肌は、それだけで権力だ。白い肌があれば、「語られる」存在ではなく「語る」立場になることができるのだ。別に、今日の二十一世紀の世の中では、(公式には)白い肌というだけの理由で権力を得られるわけでもなければ、他者を「語る」立場に常にいるワケではない。が、しかし、白い肌を持つことには確かにこんなイメージがどこかにある。ないと言ったら、それは単なるキレイゴトだと私は思う。

日本人にとっては、白い肌に対してここまでの強いイメージはないかも知れないけど(日本は植民地化されなかったしね)、この心理がなんとなく分かるっていう人は多いんじゃないかな?実際に、白人は誰でもカッコいい&美人だと思い込んでいる人や、白人に特別扱いをする人は日本にわんさかしてるよね。あとは、東南アジアとか南米系の人の話はまともに聞かないのに、白人の話はちゃんと聞く人とか。

自らのアフリカ人性や黒人性を否定したい気持ち。これは植民地主義が与えた打撃の中で最も深刻かつ大きなもので、今日のアフリカを見ると、政治から経済まで、援助活動から美意識まで、または理想の恋人像に至るまで、実にありとあらゆるところに影響を及ぼしている。

植民地主義は、資源を盗んだり人をさらったりしただけではない。ヨーロッパ人はアフリカの文化や歴史を否定し、誇りと自信を失わせ、キリスト教を広めて自分たちと同じ神を信仰させた。自らの価値観を押し付けることで、自分たちに順良に従う人間を作り出したのである。まぁ、これはアフリカだけに限った話じゃないけど、世界中どこを見渡しても、アフリカほど壊滅的な打撃を受けた場所はない。

植民地主義というのは、魂を奪い、殺し、その後の世代をも精神的に支配する。人々のメンタリティーを植民地化し、結局は自分たちのやりたいように、その国の人々を操り人形にしてしまう。計算高くて、何百年間も後まで影響を及ぼすという意味では、原爆や虐殺よりも残虐なんじゃないかな。

先ほど、「政治から経済まで、援助活動から美意識まで」と書いたが、実際に私がアフリカで気付いた「自らのアフリカ人性や黒人性を否定したい気持ち」や、精神的な植民地の傷跡を少しここで紹介したい。

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まずは政治と経済。今日のアフリカは、*ネオコロニアリズムに完全にやられている。特に旧仏領は、Françafriqueの呪縛から未だにとかれていない。Françafriqueというのは、France(フランス)とAfrique(アフリカ)を合わせた造語なんだけど、簡単に言えば「フランスに支配され続けるアフリカ」という意味だ。

*ネオコロニアリズム/新植民地主義;第二次世界大戦後、植民地体制を脱却した新興諸国を、再び諸大国が政治・経済的に支配・従属させようとする外交上の方策。広辞苑より引用。

植民地主義の中での植民地は、名実ともに支配を受けていた。しかし、ネオコロニアリズムは、表では旧植民地が独立を得たかのように装っておきながら、実際には旧宗主国やアメリカが全てを操っている。上手に隠されているから、余計にいやらしいし、ややこしいし、醜い。ネオコロニアリズムやFrançafriqueについては、もうちょっと時間のあるときに思ったことをつらつらと書きますね。

政治や経済がこんなんだから、当然人々の間には「アフリカ人=やっぱりいつまでたってもダメダメ」なFatalism(運命への服従)ムードが生まれてしまう。まぁ、何度も言うように、本当に立派だなと思わせるような人や志のある知識人なんかは、批判をしながらもあきらめないという姿勢を保っているよ。だから、社会全体がfatalismなワケではありません。

ちなみに、ネオコロニアリズムと、ネオコロニアリズムに起因する「いつまでたってもダメダメ」ムードは、現代のアフリカ各地で多くの人々が抱いているアフリカそのものを否定する心理やアフリカの外に出れば天国が待っているという考えに直結している。アフリカ脱出希望者のほとんどは、単純に金稼ぎのために外に出たいという人だ。しかし、「この社会にいる限り、この人々に囲まれている限り、自分はダメになってしまう」というような理由からアフリカ脱出を夢見ている人も少なからずいるんだな。すごく皮肉で悲しいことだよね。

でも、私には彼らの気持ちが痛いほど分かる。というのは、私自身、海外に眼を向けるようになったきっかけというのが、日本という国や日本社会、現代の日本人に対して、批判的でネガティブな気持ちしか抱けなくなったからだ。最初にそう思うようになったのは、確か小学校四、五年生ぐらいの頃だったかな。「日本は小さな国なのにごみを出しすぎていて、じきに埋立地がなくなってしまう!!」という話を社会の授業中に聞いたとき、「あぁ、やべーな日本。」と感じとったんだよね。そして、その頃から日本社会の問題点ばかりが目に付くようになってしまった。その結果として、思考が昔から単純な私は、「こんな国にいてもお先真っ暗だ・・・じゃぁ海外に脱出すればいいんだ!!」という結論に至ったのだ。

まぁ、様々な国で様々な体験を重ねたおかげで、今となっては日本万歳主義者になってしまいましたが(笑)。

話がそれました。すみません。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

人種は存在しないとかそっちのほうがよっぽど政治的妄想だな
何の根拠もないし
ただ勝手に宣言してるだけ
勝手にわめきたてれば納得するのかおまえは

そんなことよりアフリカから出て行けイエローモンキー

このチーノが

何が日本人だ
アジア人はしょせんすべてチーノ

匿名 さんのコメント...

生物学的に根拠がないって言ってんだろうがアホめ
宣言じゃなく世界の生物学会の共通理解だよ
人種なんてのはDNAが知られてない時代からの恣意的な外見的/文化的分類にすぎないっつうの