2009年11月30日月曜日

犠牲祭2009

先週の金曜日は、イスラム教の犠牲祭だったよ。三連休の週末だ。ラッキー!!犠牲祭は、二年前にケニアで経験したが、今回はどんな犠牲祭が待っているのだろうか。

思えば数週間前、「うちの会社のオンラインショップで、ヤギをどのようにして売るのか」という会議が開かれた。今は、犠牲祭のヤギをもネットで買う時代なのか!!と驚愕した覚えがあるけどね。でも確かに、これはいいビジネスになるね。

前日の木曜日の夜、お祭りが待ちきれない人々は、普段よりも賑やかだった。子どもたちは夜遅くまで道で踊りまくり、午前0時を過ぎているというのに、バスはなぜか運転している。こんなに頑張りすぎると、明日の朝早起きしてモスクに行けなくなっちゃうよ!!

翌日、私の近所は気持ちが悪いくらいに静かだった。毎朝家の前を通るファニコーおばさん(洗濯屋さん)も、この日はお休み。朝から音楽をガンガンかける向かいの家も、この日はしんと静まり返っている。少し具合の悪かった私は、十時くらいまで家の中でうだうだしていた。

十時くらいになって、少し出かけてみることにした。家から徒歩三分のところに、マリアムさんという三十歳くらいの女性がやっている屋台がある。バナナやマンゴーなんかを売っている典型的な屋台なのだが、彼女とは朝晩、挨拶てがらに毎日立ち話をしている仲だ。話の内容といっても、子どもたちや果物、天気についてぐらいだけどね。彼女はイスラム教徒で、この日はカラフルなドレスに身を包んで気合が入っていた。よく見ると、普段はおんぼろの服を着ている子どもたちも、きれいなイスラム服を着ている。女の子たちは着け毛までしてもらい、嬉しそうにピョンピョコ飛び跳ねている。

イケてるねぇ

オシャレガールズ。髪の毛に注目!!



私がマリアムさんの屋台の前を通るや否や、子どもたちがジャンプしながら飛びついてきた。「Tantie(ねえちゃん)、今日は特別なお祭りなんだよ!!」「ねえ、Tantieも一緒に来るよね?」そう言いながら、今日これから生贄にされるヤギを見せてくれる彼ら。家の前には、マンゴーの木の下で紐に縛られたヤギが、一生懸命最後の晩餐に食いついている最中だった。これから何が起きるかも知らないって、案外、平和で幸せなことなのかもしれない。「もちろん、私たちと一緒に来るんでしょう?今日は親戚の人がみんな集まるんだよ。」とマリアムさん。ここまで言われたら、断るわけにはいかない。

五人乗りのタクシーで移動した。だが、五人乗りのはずなのに、車の中には人が十三人もいた。運転手さんとマリアムさん、マリアムさんの義理の妹さんに私。それから、彼女たちの子どもたちが八人。さらに、マリアムさんのおなかの中にはもう一人ベイビーがいる。ヤギ君は乗り切れなかったので、次の便で移動だ。車の中では、テンションが上がりマックスだった子どもたちが、仲良く歌を歌い出した。

ぎゅうぎゅう詰めのタクシーの図。



それにしても、アビジャンにはあんなにイスラム教徒がいたのか!!車の中からは、あらゆるところに正装をしたイスラム教徒の姿が目に付いた。みんな思い思いにオシャレをしている。普段、本当にたくさんの人が飲み屋で飲んでるけど、あの感じだと、あの飲み人口のうちの何人もがイスラム教徒だね。車がびゅんびゅん行く道端で、市場の裏の空き地で、建て物の間で・・・あらゆるところで、朝の祈りが終わったイスラム家族が、一家総出でヤギを殺している。お金のある家だと牛を、ヤギすら買えない家だと鶏を、それぞれ生贄として捧げるみたい。そんな光景を見て、車の中の子どもたちは大歓声を上げている。「わー、あの人たちはもう殺してるよ!!」「僕たちも早くやっちゃいたいね!!」健気というかなんというか。


ヤギ君をかわいがる子どもたち。

道端でみんなやっております。

嬉しそうに内臓で遊ぶ子どもたち。今日のご馳走!!




ようやく、マリアムさんの旦那さんの実家に到着した。アビジャン特有の、長屋みたいな感じの家だ。十五家族ほどが、賑やかに共同生活をしている。家の前には簡易モスク。モスクの周りには、似たような長屋がいくつもあった。そこに住む家族それぞれが、何らかの形で動物を殺している。近所には、生贄の血でいっぱいの穴が、既にいくつもあった。

この日は、どこの家の子どもたちもテンションが高い高い。カメラを持って歩いているだけで、あちこちから写真を撮ってくれと頼まれる。子どもたちだけではなく、いい年した大人までもが、自慢のオシャレをカメラに写してくれとせがんでくる。誰か一人を写真に撮ろうとすると、必ず他の大勢も写りたがり、結果として集合写真になってしまう。アビジャンでは、普段はあまり写真に写りたがらない人が結構多いんだけど、オシャレをしているときは特別だ。思えば、近所の結婚式でも、私のカメラは引っ張りだこだったなぁ。

本当は、真ん中にいるおばあちゃんの写真だけを撮る予定だったんだけど・・・みんな集合しちゃいました。




長屋の中では、既に殺した動物を料理し始めている家庭がいくつもあった。私たちのヤギ君はまだお見えになっておられなかったため、25フラン(約5円)のヨーグルトアイスをしゃぶりながら、日陰で適当に時間を過ごしていた。子どもたちは容赦なしに飛びついてくる。飛びついてくるのはいいけど、頼むからアイスを垂らさないでおくれ~。

ヨーグルトアイス。おいしいーーーーー




そうこうしている間にヤギ君のご到着だ。結構大きな雄ヤギなんだけど、こいつを普通のタクシーで運んじゃうのがTIAだね。まぁ、エチオピアでは、バスにヤギも鶏も乗ってきたし、モザンビークでは、ミニバスの中でヤギがウンチをし出しちゃって大変だったから、それを思うと、タクシーでヤギを運ぶ作戦は、ヤギへのリスペクトが感じられるといえば感じられるかもしれない。ちなみにこのモザンビークのヤギ、本当に災難だったよ。タダでさえ暑くて、ぎゅうぎゅう詰めで、空気がこもっていたのにね。

ヤギ君のご到着と共に、男たちが、ナイフとナタを手に外に出てきた。穴を掘り始める。周りにいる子どもたちは、さらにテンションが高くなっている。ヤギに頬すりする子、今さらヤギに餌を与え始める子。ヨチヨチ歩きの赤ちゃんまでもがヤギ君に触れている。穴が完成すると、たちまちヤギ君の手足が紐で縛られ、体全体が地面に倒される。一生懸命見つめる子どもたち。

「出番」待ちのヤギ。


ヤギ君のご到着に伴い、地面に穴を掘り出す(しかもナタを使って)




二年前のケニアのヤギ君は、暴れるわ鳴きわめくわで大変だった。しかし、今年の私たちのヤギ君は割とおとなしかった。耳で目隠しをされるヤギ君。周りの大人たちは、首筋を触りながら、どこから首チョンをするかでもめている。さすがのヤギ君も、首筋に何かを感じたときにはギャンギャン騒ぎ出したけどね。

どうやら、首チョンポイントが決定したようだ。固唾を呑んで見守る子どもたち。そしてついに、首が切られた。音を立ててジョボジョボ流れる血は、絵の具のように鮮やかだ。首が切られても、最後の力を振り絞って鳴くヤギ君。二年前の犠牲祭もそうだったし、マサイマラ保護区でヌーの子どもがライオンにハンティングされるのを目撃したときもそうだったけど、死ぬ直前の動物の鳴き声って、なかなか頭から離れてくれないんだよね。生きるっていうのはこういうことなのだと思う。もう痛みとかもはや感じていないのだろうけど、「僕はここにいて、まだ生きている!!」と叫びたい気持ちが、その最後の鳴き声からは感じ取れる。

アッラーに祈りをささげてから・・・

あああ・・・・

ハイ、犠牲祭でおなじみの光景ですね。いつ見てもちょっぴりスリリング。




子どもたちに、怖くないのか聞いてみた。すると、みんな首を振って「怖くなんかないよ!!」と答えた。やっぱりアフリカキッズは偉大だ。肉とは、スーパーやお肉屋さんで買うものだと思い込んでいる日本の子どもたちには、真似できないだろうね。こういうシチュエーションに子どもの頃から慣れていると、自然のサイクルの一環としての自分といいものが見えてくる。食べるって、他の命を犠牲にするということ。他の犠牲があって、自分の生が持続されるのだ。今日これから食べるヤギ肉は、さっきまで頬すりしていたヤギ君なのだ。彼の脚であり、肝臓であり、心臓であるのだ。そう子どものうちから感じていると、きっと見えてくる世界も違うんだろうなぁ。

子どもたちも必死。


ヤギ君の出血が一応収まったら、次は、タイヤに火をつけて、彼の体を丸焼きにする。こうすることで、解体しやすくするらしい。タイヤなんかで焼いて、ダイオキシンとか問題ないのかな?怪しい!!さすがTIA。丸焼きにする間も、子どもたちは興味津々。硬直したままのヤギ君の遺体が、荼毘に付されている。アッラーは、きっと君を天国へ連れて行ってくれると思うよ。

タイヤで焼いとるよ、これこれ。


丸焼きなのか荼毘に付されたのか。真相はともかく、次はいよいよ解体作業だ。首チョンされた部分から、お腹にナイフが入る。次の瞬間、きれいなピンクや白の内臓がお目見えする。思わずチョンチョコとつつきだす男の子たち。それを見て叱る大人たち。内臓を取り出した後の体は、一気に空っぽになってしまった。膝(?)から下を切り取り、脚の部分を切り取り、最後は頭にもナイフが入る。こうして、ヤギ君は跡形もなく、きれいさっぱりなくなってしまった。本当、さっきまで幸せそうに葉っぱを食べていたのにね。

頭と膝下の部分は、その後さらに火であぶられた。おっさん曰く、ヤギは頭が一番おいしいらしい。まだそのままの形が残っている頭を、ナタで切り割る。「食べてみなよ」と言われるがままに頭の肉を食べてみると、ウエー!!油っぽい!!「あはははは、油っぽいのは当たり前だよ、それガソリンだもん。」あははじゃねーよ、おっさん。

にしても嬉しそうだね・・・・


結局最後に残ったのは、角だけでした。


その間家の中では、女たちが内臓の始末にてんてこまいになっていた。何度も洗い、消化されかけた食べ物を全部取り除き(小腸が一番面倒くさい)、火にかける。油と唐辛子を入れれば、もう数分後にはおいしそうなニオイが鍋から出てくるから不思議だね。

そうそう、この日の女性の食べっぷりはすごかったよ。まぁ、普段から彼女たちはそうなんだけど、料理がまだグツグツいっている頃から、味見と称しては小皿三杯分は食べる。「ソースの本当の味は、主食と一緒じゃないと分からないわ」といいながら、アチャケ(キャッサバでできたクスクスのような食べ物)やフートゥー(キャッサバとバナナを混ぜた、甘いお餅のようなもの)、プラカリ(キャッサバでできた、すっぱいお餅のようなもの)を次々と平らげる。しかも、このソースっていうのは、油をたくさん使っているんだよ。

そのくせ、彼女たちに比べれば小柄である私に「どうしてあんたはそんなに痩せているんだい?私もさ、やせたいんだよね、太ってると何かと疲れるし。」と聞いてくるのだから笑ってしまう。「たくさん運動して、野菜や果物をたくさん食べて、油と肉と砂糖をあまり摂取しないようにすればいいんですよ。」と言えば、「油なしで!?そうかい・・・・とりあえず頑張ってみるよ(←絶対に嘘)」という答えが返ってくる。WHOによると、今日の世界の肥満人口は、栄養失調人口の二倍以上らしいからね。頑張れ、ダイエッターの象牙おばちゃん!!

昼の祈りがモスクで始まる。それでも、お祈り前には体をきちんと清めないといけないので、料理に忙しい女性やヤギの解体に忙しい男性、泥んこになりながら遊ぶ子どもたちは、お祈りをキャンセルしないといけない。

料理ができた。この日は、とりあえず内臓と、背中やお腹の肉を食べるだけにとどまったけどね。残りの脚なんかは、貧しい人と分け合ったり、みんなのお土産用にするらしい。お米もあるし、チェップ(セネガル式油ギトギトチャーハン。コートジボワールでも大人気)もあるし、プラカリもある。内蔵のスープは唐辛子がきいていて、好みでオクラソースを混ぜることもできる。焼肉もある。いただきまーす!!

残ったお肉は、近所に住むキリスト教徒にも分けられるんだって。




この時食べたレバーは、間違いなく、今までの人生で食べたレバーのナンバー1だ。口の中でとろけるのである。新鮮だから臭くもないし、自然な味が出ているし、あぁ、ヤギ君よありがとう。肝臓として、ヤギ君の命を支えていたものが、この瞬間から私の体の一部になると思うと不思議な感じがする。ヤギ君の命を受け継いでいる、そんな気持ちが強まるし、だからこそ「明日も、明後日も、何年経っても、一生懸命生きないとなぁ」という決意で、体全体が満ち溢れるようだ。

いただきまーす。

料理担当の女性陣は、まずは男たちに十分な量の肉を振舞う。次に自分たちの分。そして最後に、子どもたちに分けていく。子どもにまだ肉が分配されていないときに、既に肉を食べている女の子がいた。といっても、彼女に肉をあげたのは、他でもないこの私なんだけどね。それを見たおばちゃんは、ものすごい剣幕で彼女に怒り出した。「ちょっと待って、お肉をあげたのは私なんだよ!!育ち盛りの子どもたちこそ、お肉をしっかり食べないと。」というと、「あんたの国では子どもが随分大切にされてるみたいじゃない!!」とピシャリと言われてしまった。これは、もちろん皮肉。ここでは、大人が食べてから子どもが食べるみたい。

だから、子どもたちの肉の争奪戦は、それはそれはすさまじい。お肉を入れたお皿を持って彼らの前に登場すると、まずは体の大きい子が、ライバルたちを突き倒して私の前に飛んでくる。ちびっ子たちも負けていない。三人姉弟の我が家では、クリスマスや誕生日は、必ず食べ物が原因でケンカになった。三人だけでもあれだけすごいのに、それを二十人近くでするんだもんね。そりゃ子どもはたくましくもなるわな。

一通りみんながお腹一杯になる頃には、あんなに大きかった鍋がすっかりからっぽになっている。食べ終われば必ずdodo(お昼寝)タイムだ。妊婦のマリアムさんも、ぐっすり眠っていたうちの一人。外は相変わらず、暑さが厳しい。昼寝をして、夕方のお祈りの時間に備えるんだね。


簡易モスクの前で・・・

ちびっ子たちも最後尾で一緒にお祈り



しかし、長屋が静まり返ることは決してない。食べ終われば大量の荒いものがあり、荒いものが終われば、今度は同じタライでたくさんの子どもたちを洗う必要があるからだ。母ちゃんは本当に大忙しだ。お風呂(?)を待つ間、素っ裸で鬼ごっこをする子どもたち。お風呂がイヤで、泣き止まない赤ちゃんを怒鳴りつけ、放置し、それでも泣き止まないので、文字通り片手で赤ちゃんを家の外に投げ出す母ちゃん。彼女、本当に赤ちゃんを「投げ」出してたよ!!象牙ママは怖いです。驚くことに、こんなときも近所の大人は、家の外に投げ出された赤ちゃんを放置しておくのね。しかし、そこはみんなが一緒に暮らす長屋。必ず年上の子どもが優しい声をかけ、赤ちゃんを泣き止ませようとするのが微笑ましい光景だ。自分の幼少時代を思い出した。弟とケンカをして家の外に出されるときに、いつも助けてくれたのは、向かいに住む家のおばあちゃんだった。数年前に彼女は亡くなられたが、長屋の光景を見ながら、私はずっと彼女のことを考えていた。

長屋キッズは素っ裸で鬼ごっこ。

長屋のお風呂。


そんなこんなで祈りも終わり、家に帰る時間になった。家に帰った途端、食べ過ぎたのか、私は急に具合が悪くなってしまった。悪寒が走り、体の節々が痛く、頭がガンガンする。熱も結構あるね。最初はマラリアかなと思ったほどだ。

寝込んでいる間、頭の中ではヤギ君の首チョンの光景が何度も何度も思い起こされた。

2009年11月23日月曜日

象牙&ウガの下町 ~エロショップからチンチョン攻撃まで徹底比較(?)~

ソルボンヌの露天。よく小競り合いがおきるので、巻き込まれないように注意!!




アビジャンでは、街中至る所で賭け事が大人気だ。昼間からおっさんが街角に人だかりを作っている。だいたいは競馬。どこの国も一緒だね。

でも、そんな賭け事よりもホットで人気なものがプラトーにはある。その名もソルボンヌ。そう、世界史で習う、あのソルボンヌである。

初めてパリに行ったとき、当時ソルボンヌ生だった友達に大学周辺を案内してもらった。特別に大学構内にも入れてもらったのだが、おのぼりさん丸出しの見るからにバカそうな東洋人は、相当浮いていたに違いない。早稲田にたまにいる観光客らしき人々や、キャンパスツアーに来ている人たちのほうが、よっぽど周りの環境にマッチしている。

本物のソルボンヌはこんな感じ!!アビジャンのソルボンヌとは偉い違いだ・・・


ちなみにこれは、教室内ね。


が、アビジャンのソルボンヌはひと味もふた味も違う場所だ。ソルボンヌの中央には広場があるのだが、その広場にある木の下は、毎日朝7時から夜まで、アビジャン市民が自由に政治や社会についての弁論を述べられる場所となっているのだ。午前中はそこまで人が集まっているわけではないのだが、午後4時前にもなると、もうこの広場は群集でごった返す。どこまで本当かは分からないが、一応ここでは言論の自由が保障されているんだって。とは言っても、アビジャン自体がものすごくリベラルでオープンな街だから、普段から政治の話をしてもそこまで問題があるわけではないみたいだけど(それでも気をつけるに越したことはないのが実情ですが。まぁこれは、どこの国に言ってもそうだけどね)。ウガンダにも言論の自由はあったが、保守的で従順な人が多いせいなのか、それとも今や独裁者と化している大統領のせいなのか、ウガンダの人々とした政治関係の話は、あまり面白くなかった記憶がある。ウガンダの人って、一般的にのほほんと生きているから、批判とかそういうのに慣れていないんだよね。


アビジャンのソルボンヌ。みんな一生懸命話を聞いています。



このソルボンヌにはきちんと運営委員のような組織があって、発表者の身の安全は確保(?)されているのだとか。だから、写真を撮ったときには面倒臭かった。理屈っぽい運営委員のお兄さんに、長々と写真の利用法についての質問を受けたからだ。最初は「私の目の前でその写真を消しなさい」とか言われたけど、粘りに粘ってようやく理解してもらえた。ホッ。

アビジャンに住んでいる間に、是非一度、このソルボンヌで私も話をしてみたい。テーマですか?「フランス人と中国人にこれ以上やりたい放題させるな、立ち向かえ象牙人たちよ!!」なんかいかがでしょうか?

このソルボンヌの演壇周辺には、先述したような安食堂がびっちりと密集している。そして、安い中国製のラジカセだとか、DVDのレンタルだとか、伝統医療の薬草だとか、とにかくなんでもごちゃごちゃと揃っている。その中には、朝早くからやってるエッチな露天も紛れているから面白いよ。どこのエロ店が朝7時前から営業してるんだっつー話だけどね。カンパラにも、こんな感じのごちゃごちゃスポットがあったし、そこでは水道の蛇口から便器まで売られていたが、さすがにエロい露天まではなかったかな。ウガンダは保守的な人が多いし、教会も、コートジボワールよりうるさそうだし。


DVDレンタル屋。下にある白いカバーのは、エロいDVDなんだって。



DVDレンタルには、こんなものまで。ドラゴンボールの上の映画は、
ギニアの独裁者にまつわるものらしいんだけど、このごちゃまぜ具合がアビジャンだね。


エロショップにはカテゴリーされないと思うんだけど、男性用の伝統的な薬を扱う露天。
一つの小袋が1000フラン(200円)なんだって(笑)。
それにしてもこの木彫りはなんなんでしょうか・・・アートであると、店主は仰せられておりました(笑)。
本当は、もっとあからさまなお店もたくさんあるんだけど、一応このブログでは、
その写真は載せないでおきますね。興味のある人は、メールください(笑)



それにしても、ソルボンヌにいる男どもときたら。とりあえず、私がソルボンヌを歩くといつも言われる言葉のレパートリーをここに書いてみることにする。

*中国人!

あー、もうこれは定番過ぎる。アフリカにいる限り、こう呼ばれることからは逃げられない運命だね。ただし、ここの人は東アフリカの人ほどは「中国人!」とは呼んでこない。東は・・・やばかったよー。

*ヒーハオ

ニーハオと言いたいんだろうけど、言えてない。ちなみに、このヒーの部分を鼻にかけたような音にすると、彼らのヒーハオに近くなる。

* シントー

「中国のテクノロジー」を、象牙流フランス語ではシントーと言うらしい。最初は「神道」と言ってるのかと勘違いし、「なんだ、象牙人のタムロ族は、なかなか教養があるじゃない!!」と感心したのに・・・。

* ジャッキー・シェン、ジェット・リー

もうこれは、アフリカ全土でアジア人の形容詞だね。ただし、象牙人の場合フランス語だから、「チェン」の音がどうしても「シェン」になるよ。

* Ma chérie (マ・シェリーって日本でも知られているフランス語の表現だよね;my dear)
* Mon bébé (my baby)
* Jolie famme (beautiful woman)
* Ma petite (my little)

このうち、Ma chérieは一般的に女性を呼ぶのに使われている表現だから、普通に許容範囲内です。老若男女、色んな人にこう呼ばれてるよ。フランスのフランス語では、名前を知らない若い女性に対しては「マドモワゼル」が一般的だけど、コートジボワールでは、お堅い場面以外ではMa chérieが当たり前。こっちのほうが親しみがあって、私は好きだな。Ma petiteも、仲良しの女の子や娘・妹のような存在の子を呼ぶのによく使われるフランス語の表現。ただし、Mon bébéやJolie fammeなんかは、女と知るやすぐにナンパモードに入る象牙人(というか、広く一般的にアフリカの男性)ならではと言えるでしょう。言葉が安っぽすぎて、不快感さえ覚えてきます。

* アミーゴ 
* セニョリータ
* ボニータ

もうこの辺になると、「Si, セニョール!!コモエスタス?」と答えたくもなる。そして、スペイン語を勉強したことがないことに後ろめたささえ感じてくる。

* チュ!!(投げキッス)

まだ、蛇を撃退するときに使う「スー、スー」よりはマシだけど・・・ううううça me donne mal au coeur !!!(キモイ!!)

でも、正直言って、アビジャンはカンパラの1000倍はマシです!!!!!カンパラの下町を歩くと、10秒ごとに、四方八方から私の注意を引くための一言を叫ばれ続けたなぁ。10秒後ごとだよ、10秒。これは、決して誇張なんかではない。いい加減にしつこい。でも、カンパラで鍛えられたおかげで、アビジャンでは「なかなか周りが騒いでくれないなー」と感じる余裕があるけどね。

東アフリカ、特にウガンダでは、道端で暇を持て余しているお兄ちゃんたちに「チャイナーーーーーーーーーー!!」「ホンコン!!」「ベージン(北京)!!」「ジャッキーチェン!!」「ニーハオ」「チンチョン」などなど叫ばれ、いつもイライラしていた。中でも「チンチョン」が一番シャクに障る。Dieu merci(神様、ありがとう)、アビジャンではこのチンチョン攻撃は滅多にない。フランス語にはチャ・チュ・チョの音がないからだね、きっと。

カンパラ下町の代表格、オウエノマーケット


こんなダメ男を当然真似するのが、ウガンダの将来を担うちびっ子たちである。彼らにも「チャイナーーーーーーーーー」と何度も呼ばれた。彼らはかわいいから、「おばさんは日本人なんだよ」と笑顔で答える余裕がいくらかはあったけど、かわいげのないお兄ちゃんたちにチンチョン攻撃をされて疲労困憊しているときにちびっ子からも「チャイナーーーーーーー」と言われると「黙れ!!テメーら、ロクな大人にならねーぞ!!」と叫びたくもなった。

まぁ、ここは私が大人にならないと話にならないので、きちんとそういうときには、まずは近くにいる母親や近所の大人に注意を促したけどね。「きちんと子どもたちに、ああいう大人(チンチョン攻撃を仕掛けてくるダメ男たち)の真似をしてはいけないと、注意しなきゃダメじゃないですか」「アジア人全てが中国人ではないことを、子どもたちは学ばなくてはいけません」ってな感じに。

だいたい中国ネタを言ってくる奴らは、極端な高音・裏声でかかってくるか、或いは叫んでくるかのどちらかだったから、馬鹿にしている態度が全面的に押し出されていて余計に腹が立つ。そもそも私は中国人じゃないし、中国人を小ばかにしている態度にも腹が立つ。正直、私はアフリカにいる中国人のことがあまり好きではないのだが、ここまでバカにされたら、同じアジア人として許せない。ウガンダで中国人扱いされないとしたら「ムズング!!(白人)」「フィリピン!!」「コリア(韓国)!!」呼ばわりされた。この中に正解がないところが笑える。

同じくカンパラ下町。タクシーパーク周辺。


こういうときに反応すると相手の思うツボだ・・・と、イライラを抑えながら無視して素通りしようとすると、それが面白くないのか、やつらは更にしつこく叫び続ける。しまいには「耳がないみたいだぜ、あいつ」「ウガンダでは、呼ばれたらちゃんとあいさつするのが文化なんだ」と言いながら、仲間同士でゲラゲラ笑うのであった。キーーーーーーー!!!これのどこが『呼んでいる』と言えるんじゃい。叫んでるだけだろうが、このサルどもめ。

「うるせーこの野郎!!日本人だ!!」と言えば「あ?ジャパニー?チャイニー?」と言われ、「カナダ人だ!!(ここでアメリカ人であるとは死んでも言わないのがポイント)」と嘘をつけば「白人じゃないお前がカナダ人なハズがない!!」と言われ。いやいや、世間知らずのおサルさん、カナダは移民国家で、アジア系はかなり多いんですよ。

とにかく、このようにして喧嘩のレベルはどんどん幼稚化していくのがオチであった。お陰で、私が「こんにちは」と「ありがとう」の次に覚えたガンダ語は「silimu china(中国人じゃねーよ)」だ。トホホ。

あーだのこーだのと言われないときは、日本の田舎で蛇を撃退するときにみんながよく使う、あの「スースー」という音をたてられた。ったく、私は犬じゃないっつーの。アビジャンの投げキッスよりも、個人的には嫌いである。投げキッスにはまだ、人間としての尊厳が保たれているような気がする。

中国人でも犬でもない場合は、裏声で「Hello baby」だの「sweetheart」だの。もうこれには身の毛がよだつ。「あいまいな英語しかしゃべれないクセに、変なアメリカ映画の真似事などするな!!」と一喝したくなる。先述した、ソルボンヌのjolie femmeなんかに似てるけど、愛の言葉・フランス語のほうが、そういうナンパ用語は似合ってるね。

もちろん、ウガンダ人がこんな人たちばかりな訳ではありませんよ。私の第三の故郷で暮らす人々の名誉のためにも、一応言っておきますが。

アビジャンは、やはり街灯が街灯としての役割を果たしているだけあって、カンパラのダメ男みたいに叫んでくる奴には未だかつて遭遇していない。カンパラの下町ではしょっちゅう腕をつかまれたりしたが、アビジャンではごくたまに手を触ってくるアホがいる程度である。外国人の女の子が一人で歩いていても、みんな良い具合に放っておいてくれている。だから、ここの方が住みやすいと感じるのかも。

下町で写真を撮ってると、必ずこういうお調子者に遭遇します。
彼曰く、これはジャッキー・チェンにインスピレーションを受けたカンフーポーズなんだって。



数週間前、ソルボンヌ近くの道を歩いていると、道端にいるお兄ちゃんに「シェリー!!シェリー!!」と呼ばれた。道端で「シェリー」と声をかけてくる全ての人とおしゃべりをしていたら日が暮れてしまうので、一言あいさつだけしてそのまま歩き続けると、彼はまだシェリーシェリー呼び続けている。彼の友達らしき人がこっちに来た。この友達は、「mon frére(=俺の兄貴。まぁ、アフリカでは誰彼構わずみんな兄弟姉妹と呼び合うんだけどね)があんたのこと呼んでるよ」と言っている。「私今急いでるし、あの人のこと知らないから・・・」と言うと、この友達は一言。

「人生は長いんだよ、何を急いでいるんだ。それに、アイツのこと今は知らないかもしれないけど、こうして今から話をすることで知っていくんじゃないか。」

おお、出た、名言。なんだかんだでアフリカは偉大です(笑)。


アビジャンの中心街

アビジャンのアップタウンであるプラトー地区は、エレガントでchoco(コートジボワールのフランス語で「洗練された」という意味)なビジネス街。エレガントといっても、銀座や表参道なんかと一緒にしちゃいけないけどね。ここには、アフリカ開発銀行の本部をはじめ、銀行や官庁、各国の大使館なんかが集まっている。

プラトーは遠くから見る限り、美しいスカイラインを描いている近代的な高層ビル群だ。緑の彼方に見えるプラトーは、急激な変貌を遂げているアフリカを象徴するかのよう。夜景ももなかなか悪くないよ。日本の皆さんがアビジャンに来たら、いわゆるアフリカのイメージとは似ても似つかないプラトーの夜景に、さぞかし驚くことだろう。


プラトー。遠くから見ると、すごくいい感じ。

ところが、実際にプラトーに足を踏み入れると・・・ちーん。やっぱTIA(笑)。遠くから見るとスマートに見える高層ビルも、実は、薄汚れて壊れかけたただのおんぼろビルであることがすぐに分かってしまう。おんぼろと言っても、70年代から80年代にかけて、コートジボワール社会が一番イケイケだった時に建てられたビルなんだけどね。そこまで古くもないのだが、やはりメンテナンスが苦手なアフリカ。もうちょっと頑張ろうぜー。


でも実際は・・・・・ちーん。

ここは、プラトーの中でも頑張ってるほうだね。割ときれい。



ビルとビルの間には、トタンや木陰をフル活用した造りになっている安食堂がびっちりしている。アフリカ大陸のどこに行っても、こういった安食堂の建築様式(?)は同じだから、つくづくアフリカは偉大だなと思う。色んな意味でね(笑)。ここでは、カラフルな服を着たおばちゃんたちが、朝から夕方まで元気に料理をしている。彼女たちのにぎやかな声と大鍋から出てくる煙のおかげで、安食堂の近くを歩いているとすぐに気付くんだな。その他にも、ビジネス街のど真ん中なのになぜか野菜市場があったり、果物売りのおばちゃんが道端の至るところに座っていたり。

安食堂郡の中にある通称「カフェ」。
日本の屋台と似たような感じだけど、違いがあるとすれば、中でおばさんが寝ていることかな。



そういえばプラトーって、どことなく西新宿に似ているかも!!西新宿にも、日本が誇る安食堂である牛問屋や立ち食いそばがあったり、高層ビルの間にちょこんと八百屋さんがあったりするよね。この八百屋さんで売られている野菜の値段がありえないくらい高いのも、プラトーと西新宿の共通点だ。

プラトーの野菜市場。法外に(?)高い。マンゴーが200フラン(40円)とか高すぎでしょ。


プラトーには、大きな公園がある。フランスの街って、どこにも公園が必ずあるものなんだけど、さすがそのおフランスを真似して国づくりが行われたと言われているコートジボワール、こんなところまで真似しているとは。アフリカの国を色々見て回ったけど、街の構造には旧宗主国の影響が本当にたくさん見られる。もちろん、人々の生活や社会の動き方にもそれは顕著に現れているけれど、比較してみると本当に面白いよ(旧宗主国がもたらした影響については、後に詳しく比較しながら書くつもりでーす)。

ただし、うなだれるような暑さと容赦なしに照りつける太陽のせいで、とてもじゃないけど、この公園で憩いのランチタイムを送ろうとすら思えないのが本音だ。人もやたらめったら多いし、ゴミだらけで汚いしね。

初めてプラトーに来たのは、コートジボワールに到着してからわずか8時間後のことだったが、とにかく、アフリカの割には急いでいる人が多くて、歩くのも(東京並ではないけれど)早い早い。ケータイや新聞を片手に、みんな忙しそう。思えば、ナイロビのアップタウンもこんな感じだったっけ。チンタラしたカンパラみたいなのを想像していた私は、いきなり拍子抜けしてしまった。

アフリカでおなじみの光景。左のほうに新聞を広げている人がいるのに注目。
ウガンダで、このように道端で読み物をしている人なんかいなかったような気が・・・笑


もう一つ、プラトーとカンパラ中心部には大きな違いがある。

ここでは、青帽子の国連PKO軍の軍人をよく目撃するのだ。UNOCIで働く人たちね。2002年に勃発した内戦にアビジャンが巻き込まれることはなかったようだが(というよりも、象牙人本人たちに言わせてみると、あの内戦は海外メディアが内容を誇張しすぎて大騒ぎしすぎた感が否めないのだとか・・・)、平和で豊かなこの場所で生活する私にとって、街中で制服姿のPKO軍人を見るのは、あまりにも非日常的でヘンテコリンな感じがする。

どこで読んだのかが思い出せないのだが、PKOに人材を最も多く提供している国の一つがバングラディッシュであることを以前知った。理由として、巨額の資金を国連に提供することができないが、人口が多く、かつ自国の防衛のために多くの軍人を必要とするほどの外交問題を抱えていないから、だったかな。PKOの軍人も、貧しい農村出身の人が多いんだって(ちゃんと後でもう一度調べます。。。あいまいでごめんなさい)。これを読んだとき、「なんだいこりゃ。例え平和維持が目的であれ、これじゃ豊かな国がお金を出して行っている軍事作戦に、貧しい国の人が前線で戦っているだけじゃないか。彼らの命の価値なんて、結局国際社会にとってはその程度のものなんだし、彼らの出身国の政府にしても、所詮兵士なんてお金の代物なんだ、キーーーー!!」と怒った覚えがある。本当に平和維持というのは、矛盾だらけで難しいミッションだ。

とはいっても、実際のPKOは本当に危ないところには行かないみたいだけどね。しかも、PKOの兵隊というと「平和をもたらすヒーロー」みたいなイメージがあるけど、実際は、現地社会でやりたい放題やってる人がかなり多いみたいだ。

先月、UNOCIの上官であるというバングラディッシュ兵と知り合いになった。コートジボワールのミッション自体にはもうさすがに戦闘沙汰はないため、彼はオフィスでの勤務がメインだ。お給料もそれなりにいいみたいだったし、国連勤務というステータスも得ているわけだし、本人はこの仕事を喜んでいるから別にいいのかな。

プラトーの朝は早い。それもそのはず。コートジボワールでは、七時半始業が一般的なんだって。+αで交通渋滞があるから、みんな朝は相当早くに家を出なくてはいけない。友達のファティマは、毎朝六時前に家を出るんだって!!満員の地下鉄は大変だけど、まだ到着時間が遅れない分、東京のサラリーマンはラッキーだね。

朝早く仕事を始める代わりに、象牙人はみんな、お昼には二時間ほど休憩する。Déjeurner(ランチ)はおそらく、一日の中で最も重要な食事。だから、これでもか!!と言わんばかりにお昼ご飯には時間をかける。これからまた仕事に戻らなくちゃいけないというのに、飲兵衛の皆さんはワインもきちんと飲む。かなりおフランスの影響受けてるね。
ビールも飲むよ。安食堂で、昼時にビールを飲むおっさんは、プラトーで結構見かける。
この前、友達に誘われて、フランスっぽい内装になっているレストランにお昼を食べに行ったのだが、隣に座ってたおじさんが、近くに置いてある観賞用の植物の葉っぱをちぎり、つまようじ代わりに使っているのを目撃。だからどうというわけではないけど、なんというか、私はこういうの好きですよ。笑

アフリカでは、兄貴は黙って全員分の会計を払うのが鉄則(一部例外もありますが)。弟分や女性に支払いをさせるなんて恥ずかしくてできないみたい。この文化を完全に利用して甘やかされているのが、マケレレ女子学生を始めとするアフリカンビッチたちなんだけど・・・。まぁ、彼女たちについてはまた後ほど詳しく書くことにして。とにかく、この『兄貴が支払う鉄則』だが、プラトーで働くビジネスマンレベルになると、もうすごいなんてレベルじゃないよ。彼らがいくら稼いでるのかは知らないが、当たり前のように20000フラン(約4000円)くらいならポンポン支払う。コートジボワールの4000円は、日本とはワケが違う。この前、友達(20代後半のイボリエンヌ女性)に誘われてレストランでお昼を食べてたんだけど、たまたま隣に座ったのが彼女の元同僚だったの。この男性は、もう一人、別の男性と一緒にお昼に来ていたんだけど、彼は最後には4人分まとめてお会計いたしました。ゴチでーす。

私のオフィスの周りには、やたらとムスリムが多い。目の前に大きなモスクがあって、イスラム教徒が運営する商店で周りは埋め尽くされてる。モスクの近くだから当然、喜捨を求めて物乞いの年寄りなんかもわんさかしているよ。もう彼らとはすっかり顔なじみだ。挨拶をすると、手を振りながら答えてくれるおじいちゃんもいる。かわいいね。

イスラム圏のお昼時の風物詩である「道端雑魚寝お昼寝タイム」も、私のオフィス周辺では見ることができる。これって、別にイスラム圏に限ったことではないとは思うのだけど(実際にウガンダではみんな一日中そこら辺で寝てたしね)、いくつかの宗教が共存しているアビジャンのような場所では、お昼時に日陰で昼寝をする人といえば、イスラム教徒が際立って多いような気がする。どんなに暑かろうが、どんなに周囲が騒がしかろうが、彼らのシエスタを邪魔できるものなど存在しない。お昼休み中の店の目の前で幸せそうに熟睡する警備員を見ると、きっと泥棒も、盗む士気が下がってしまうに違いない。

昼間はたくさんの人でごった返すプラトーも、夕方になればみんな家に帰るのでゴーストタウン化する。そこらへんのギャップは、世界中のビジネス街に共通しているかも。ただし、そんなときに地味に登場するのが、路上即席バーだ。とは言っても、道には通行人がいないわけだから、バーが登場するのはウォロウォロのgare内のみである。ラッシュアワーを過ぎた後の夜のプラトーは、ウォロウォロに人がなかなか集まらないから大変だ。そのため、gare内でひたすら時間をつぶすことは日常茶飯事なのだが、こんなときに即席バーをやっているおばちゃんやらお兄ちゃんとおしゃべりをするのも、なかなか面白いよ。

即席バーといっても、木でできた小さなイスを道端において、そこに客を座らせるだけなんだけどね。夕方五時ぐらいから営業を開始して、だいたい十時には店じまいするんだって。でも、十時になる数時間前にはもうプラトーが無人になるから、商売あがったりなんだろうなといつも思う。小袋に入ったウィスキーが100フラン(約20円)、汚いグラスに入ったショットのクトゥク(Coutoukou;パルミラヤシでできたお酒。かなり強い!!)なら50フラン(10円)。仕事帰りに一杯いかが?

バーの様子。右手に写っている白いランニングの人は、毎晩立ち話をするデジレンダゴロゴロさん。
これは本名です。彼のIDにもそう書いてありました。


このクトゥクだけど、実はもう一つ名前があるんだって!!このバーでたむろしているお兄ちゃんに教えてもらって始めて知ったんだけど、Qui me pousseと呼ばれているらしい。直訳すると、「俺にゲロを吐かせるヤツ」って感じかな。Pousserというのは、フランスのフランス語なら「圧力をかける」っていう意味なのだが、象牙流フランス語では「吐かせる」っていう意味でよく使われている。最初にこの名前を聞いたときは、笑っちゃった。

夜までプラトーに残る、道端の物売りのおばちゃんたち。彼女たちが店(?)じまいをする頃にはもう、家に帰るための交通手段がなくなっている場合がほとんどだ。そこで彼女たちは、とある中国人の家で寝泊りしているんだって!!エアコンつきで安全だし、シャワーも使えるのだとか。月曜日から金曜日まで宿泊して、お値段なんと1000フラン(約200円)。困ったときはお互い様っていうけど、すごい協力体制だね。

2009年11月20日金曜日

インターンに至った経緯~休学のススメ in フィレンツェ~

おおフィレンツェ。おおルネッサンス。


フィレンツェに到着したのは深夜を過ぎたころだった。電車が40分遅れたのにも関わらず、Aは駅で待っていてくれた。「ごめんね、イタリアっていつも電車が遅れるんだよね・・・」と彼に言われたが、40分などとんでもない!!アフリカでは2,3日の遅れは日常茶飯事なので、40分なんか、私にとっては定刻通りでございます。

家まで歩いている間、イタリアがどうして先進国として認識されているのかという話で盛り上がったが、「理由?そんなの、ローマ帝国とルネッサンスの栄光を21世紀に至るまで引きずっているから以外にはありませんね」という点で、私たちはすぐに同意に至った。ダメダメな政治にガタガタの経済、穴だらけの社会制度にマフィアに牛耳られたメディア。それでも、ローマ帝国とルネッサンスが西洋の社会や価値観に与えた影響を考えると、こんなのは微々たるものなのかな。一応カフェのトイレには紙があるし、夜になれば街灯がちゃんと点く。こういった意味では、ウガンダに比べればイタリアなんて、余裕で先進国だとは思うけど。とりあえずAも私も、G8からイタリアを追い出すことには賛成という点で、またもや同意に至った。

ところで、私の大学には濃い人生を歩んでいる個性キャラがわんさかしているが、このAは、その中でも私が最も影響を受けたうちの一人である。Aは、とにかく人生の楽しみ方を熟知している。見た目と経歴から判断すると間違いなくチャラ男なのだが、中身は他の誰よりも真面目な日本男児。そんな彼についてちょいと紹介させてくださいな。

高校時代に一年間アメリカに留学していた彼は、大学受験が終わった直後の高3の春休みに、かねてから興味のあったイタリアを一人旅した。その後、大学生最初の夏にはインドを放浪したらしい。まだこの時私たちは運命の出逢いを果たしていなかったが、同じ時期にインドにいたんだね。デリーの旧市街の市場あたりで実はすれ違ってたりして。

ある日、新宿アルタ前の喫煙所でタバコを吸っていた彼(当時未成年だろ、コラ!!)は、たまたま隣にいたイタリア人と話をし始めた。私はタバコは吸わない主義なのでよくは知らないが、喫煙所ってコミュニケーションの場所としてかなりいいみたいだね。

Aがイタリア語を勉強していたあったこともあって、会話が弾む二人。このレオという名のイタリア人は、フィレンツェでレストランやバーを経営していて、大規模なパーティなんかもプロデュースしている人なんだって。Aはダンサーだから、音楽なんかにも結構詳しい。すっかり意気投合した二人はすぐに仲良くなった。

それから半年後、レオに招待されて(しかも飛行機代も出してもらったらしいからビックリ!!笑)イタリアに行ったAは、彼のパーティで踊ったり、レオの仕事を少し手伝ったりして春休みを過ごした。ここで招待するレオもすごいけど、喫煙所で知り合った人にの招待を受けて本当にイタリアまで行っちゃうAもすごいよね。

私がウガンダに行っていたころ、Aはリトアニアに留学した。分類上はヨーロッパだけど、僻地留学組に十分入れるね。イタリアならこれからまだまだ住む機会はあるだろうから、今回は、留学のチャンスがないと行けないような所を選びたかったのだとか。ものすごくAらしい考え方だ。このラテン系の東洋人は、旧ソ連の北国で更に個性に磨きをかたようだ。

日本に帰国後、彼は大学を一年間休学して、イタリアへ行くことにした。留学から帰国すると、ほとんどの人はすぐに就活か院試モードに突入するため、彼の決断は相当異例であると言える。Aの人生哲学を知っていた私は別に驚きもしなかったが、このタイミングでの休学はアッパレだと思った。とにかく次へ次へと何かにつけて急いでいる私には、とても真似できることじゃないなぁ(と、少なくとも当時はこんな感想を抱いた)。

彼の何が素晴らしいって、とにかく時間の使い方である。秋までは学祭に向けてダンスに燃え、冬まではイタリアのためにバイトをしながら様々な本を読み漁り、それからイタリアに旅立っていった。常に精神的にも時間的にも余裕を持っているため、色んな意味でギリギリ人間な私にしてみれば、見習うべき点がたくさんある。

フィレンツェに到着した翌朝目が覚めてみると、あらビックリ。Aが住んでいたのは、あの有名なヴォッキオ橋から歩いて五分もしないロケーションだった。「豊かな毎日を過ごすためには、お金をかけてもそれなりにいい場所を」というAの思いが実現した形だ。「食はものすごく大切な生活の要素だから」と、冷蔵庫の中には少量ながらも、様々なイタリアン食材が並んでいる。今回のイタリア滞在中には、語学だけではなくて料理やワインも勉強しているらしいね。なんつーか・・・かっこよすぎるぞ!!衣食住は基本的に手を抜いている私は、またもや自分のこれまでのスタイルを改めなくちゃなぁと実感させられた。



世界のヴォッキオ橋。ここの近所に住むとか、どんだけだ。


フィレンツェのあるトスカーナ地方には、もうそれはそれは絵に描いたような「ザ・南ヨーロッパの田舎」の風景が広がっている。中世の村フリークである私にとっては、まさに夢のようなところだ。春だから気候はいいし、ご飯はおいしいし、時間はゆったり流れる。それなのに、同じように時間がゆったりと流れるアフリカとは違って、いちいち疲れなくて済むからもう素晴らしすぎる。なんつーのかな。考えてばかりでごちゃ混ぜになってた頭が、きれいサッパリと洗われたとでも言えばいいのかな。イタリアの春の魔力だね。


なんか・・・落ち着きます。色んな意味で、ゆとりを持つことの大切さを教えてくれてるみたい。


トスカーナの田舎をサイクリングするのもいいね。

あ、どうも。ボンジョルノー。

今までに行ったどのヨーロッパの村or小都市よりもビビっときた、サン・ジミニャーノ。
こんな風景で休学について考えると、もう東京に戻る理由も、先へ先へと急ぐ理由も忘れちゃうね。


この日は天気もよかったし、この小さな中世の街と、周辺の田舎道のお散歩だけで一日が終わった。
こんなトスカーナに住んでいるなんて、なんてAはラッキーなんでしょう 。



とにかく、フィレンツェ二日目にはもう既に、私はAの全てを崇拝(笑)するようになっていた。だから、彼がコーヒーを飲むときは私もコーヒーを飲んだし、外で昼寝をするときは一緒に行って昼寝をした。彼が図書館に行くときは私も金魚のフンのようにくっついて行ったし、家で勉強するぞと言われれば、私も部屋にこもってひたすら勉強した。世界のフィレンツェにわざわざ来たのに勉強かよ!!という話だが、Aがすることは何でも真似したかったのだからしょうがない。

フィレンツェの街を見下ろす丘で、読書をするA。贅沢な生活だ。嫉妬する!!


レオとの出会いも衝撃的だったよ。ぶっ飛んだ人々には遭遇する方だとは自分でも思うけど、彼はぶっ飛んでるだけではなくて、本物のカリスマだ。そうじゃないと、アルタ前でたまたま知り合った日本人を、遠く離れたイタリアになんて招待しないよね。

彼はとにかく、夢の塊のような人だ。いつもワクワクするような楽しいことを考えては、それをカタチにしている。本人も言っていたが、彼にとって仕事とは、おいしいご飯を食べ、様々な場所を旅し、いいお酒と音楽に酔いしれることなんだって。こうすると、いいアイディアもインスピレーションも生まれてくるから、あとはそれに従うだけなんだとか。事実、彼のアイディアは多くの人の心を惹きつけている。彼の経営するレストランやバーは繁盛してるし、パーティだって毎回大成功を収めている。こんな生き方もあるんだね!!脱帽です。私が特に素敵だなと思ったのは、年に一度、仕事の関係者を対象にレオが企画しているミステリーツアーだ。飛行機に乗るまで、行き先は誰にも教えないんだって。こんなのを仕事仲間のために実行しちゃうなんて、発想力のズバ抜けたカリスマは、やることがいちいち素敵すぎる。

彼のレストランは、そもそも観光客なんかをターゲットにはしていない。だから、地元の人にしか分からないような、こりゃまた目立たない場所にひっそりと位置している。だが、一歩中に入れば別世界。アイディアいっぱいの店内はいるだけで楽しい気分になってくるし、生演奏の音楽にはもううっとりするしかなかった。Aは、たまに夜になるとここでウェイターとして働いてるんだって。もうアレだね、イタリアという国を完全に楽しみつくしてるね、彼は。

こんな雰囲気の中、凡人離れしたカリスマと食べるフルコース・イタリアンの味といったら!!フィレンツェに来るまでの21年間、フルコースのイタリアンなんて食べたことなかった庶民・品川は、お皿にちょこんと乗ったパスタを前に、ただただおののくばかりであった・・・だなんて、ここではあえて言わないことにします。ちなみにここには、明太子スパゲッティもミートソースもなかったよ。

レオが経営するレストランの厨房にお邪魔させていただきました。


Aのエラいところは、こんなレオにも全然媚びていないところ。普通、あれだけすごい人を目の前にすると、みんな「どう気に入ってもらえるか?」みたいなつまらないことばかり考えちゃうんだろうけど・・・さすがAだ。見た目はチャラいのに、やっぱり中身は本物の日本男児だね。今回の滞在も、上手く媚びれば、住む場所くらいはレオのお世話になることだってできただろう。しかし、Aは自立する道を選んだ。レオもレオで、そんなAを子ども扱いするだちか、そういった感じが全然ない。二人の間にある自然でオトナな距離感は、見ているだけで心地よかった。

ってか・・・休学って・・・なんかアツいんだけど!!

私達の大学の所属学部には、飛び級で卒業を早められる制度がある。入学以来、私はこの制度を利用して、ちゃっちゃか大学を卒業してしまうつもりでいた。(だって、学費高いんだもーん。)だから正直言って、休学なんて最初から眼中になかった。大学を休むために、学費の半分を払わなくてはいけない理由も意味が分からない。

ところが、二年ほど前に休学制度が変わり、今では破格の値段で休学することができるらしいではないか。ドケチな私は、それでも休学中にどうして大学にお金を払わなければいけないのかが理解できないのだが、とにかく休学がぐっと身近な存在になったのは確かだ。そんなタイミングで、魂友であるAの休学ライフを目の当たりにしたのである。これはもう、そそられて当然です。

先述したとおり、Aは既に私の教祖と化していた。今でも彼は私の神だけどね。そのため、彼と話せば話すほどAワールドに引き込まれていき、しまいには、世の中の大学生がどうしてみんな休学という道を選ばないのかが不思議で仕方がなくなるほどだった。モラトリアム万歳!!

フィレンツェにいた一週間、休学をするという仮定で、私は密かに妄想に勤しんでいた。色々な夢を見させていただきました(笑)。シリアでアラビア語留学とか、ブラジルでサンバ&ポルトガル語修行とか、マダガスカルでバックパッカーの向けのバイトでもしながらフランス語を磨くとか。全体的にAの影響を受けすぎのような気もするけどね。まさかこの数日後には、このときの妄想とはやや違った方向ではあるものの、本当に休学することを決心するとは。

のんでんだらりなクセに刺激的な一週間を過ごし、ついにパリへと戻る日がやって来てしまった。この日は、AとAの語学学校の友達と一緒にルッカという町に来ていたんだけど、一緒に来ていた「いかにもアメリカ人」な女の子が怪我して、救急車で病院に運ばれたりして大変だった。あれは完全に自業自得だから仕方がなかったけど、それにしてもかわいそうだったー!!見てて本当に痛みを感じたもん。

こんな週末を過ごすA。ビバ休学ですね。
ちなみに、アメリカンな彼女が病院に運ばれたのは、このジャンプに無謀にも挑戦したからだったんです。




そろそろ行かなければならない時間になってきたので、病院を出た。「うぇーん、このままトスカーナに残りたいよー。」という気持ちを抑え、素晴らしい機会を提供してくれたAに別れを告げた。