2009年10月14日水曜日

TIAなサタデーナイト

この前の土曜日。

まず、いつものように朝の10時半から11時半までのエアロビに行ったのだが、私が20分遅れて到着したとき、部屋は真っ暗で誰一人としていなかった。「今日はキャンセルになったのかな?」と思ってジムの受付に行くと、先生が寝ているではないか。先生曰く、まだ誰も着てなかったから寝て待っていたんだって。11時5分くらいにおばちゃんが一人やってきた。終了間際には、人が9人に増えていた。10時半に始めるなら、「9時半に始まりますよ」とみんなに言っておけばちゃんと10時半に始められるのにね。

夕方スーパーへ買い物に行った。エスカレーターを心から恐れるイボリアンの話は前に少し書いたが、この日は、私の目の前で巨大な体をしたおばちゃんがハデにこけ、エスカレーターが停止する騒ぎになった。このおばちゃん、上り口のところで足元を見つめながら、随分長い間エスカレーターに乗るタイミングを見計らっていたのだが、覚悟を決めて乗った次の瞬間に「AH MON DIEU!! (オーマイゴッド!!のフランス語版)」と叫びながら転んでしまったのだ。どうやら乗り込みに失敗し、エスカレーターの隙間には彼女が来ていたハデハデ伝統衣装の裾の部分をはさんでしまったらしい。はさまってしまっただけならまだよかったのだが、なんせおばちゃんがあまりにも大きかったために、彼女の体はエスカレーターの上に上手く乗ることができないでいた。エスカレーターは無常にも彼女の服をはさんだまま上っていき(でもおばちゃんが大きいから、なかなか上っていかなかったけどね)、彼女の体だけは上り口のところにひっくり返ったまま。こんな状態になってしまったのだ。なんとなく分かるかな?

それからがカオスだった。すぐにエスカレーターが急停止したのだが(この状況に対して急停止という対応ができたのは、TIAの割にはお店側も頑張ったと思う)、パニクったおばちゃんは手足をジタバタさせているだけで上手く起き上がれないわ、野次馬がどんどん集まるわ、彼女の服は破れてしまうわ・・・。警備員が3人駆けつけてきた。3人がかりでおばちゃんを起き上がらせようとするのだが、彼女のパワーには3人がかりでも勝てないようで、なかなか苦戦していた。

気が付いた頃には、エスカレーターの前にある本屋さんの店員までもが野次馬に加わっていた。おばちゃんを無事に起き上がらせたのだが、彼女は、助けてくれた警備員に何度もお礼を言いながらも、「パーーーーーーッパッパッパッパッパ!!Cette machine-là!!! (この機械野郎め!!)」と何度もエスカレーターを罵っていた。「パーーーーーッパッパッパッパッパ!!」とは、イボリアンの感情が高まったときに、彼らがよく使う表現だ。ウガンダならさしずめ「アイヤイヤイヤイヤーーーーー」である。

その日はちょうど、パリにいたころに知り合ったビジネスマンであるアレクシーが、出張でアビジャンへ来ることになっていた。マキ(コートジボワールの居酒屋)でご飯を食べようという約束をしていたため、夜の9時半くらいに彼とアウアと私の3人で出かけた。家からそこまで遠くないところに、前にイボリアンの友達に連れて行ってもらったマキ街がある。ウォロウォロがもう終わっている時間帯だったので、私たちはタクシーでそこまで行くことにした。

タクシーを見つけるのは簡単だったが、この運転手、「あー、そこならよく知ってるよ。さぁさぁ、乗った、乗った」と言っていたクセに、途中で道に迷い、挙句の果てには全然違うところに私たちを連れて行った。キレたアウアが問い詰めたところ、機嫌を損ねて「だって、元々そんなところ・・・知らねぇもん」とだけボソっと吐き捨てて、プイッとしてしまった。「知ったかぶり+ミスを指摘されるとプイッと機嫌を損ねる=アフリカの超典型」なのかな。アビジャンの人はウガンダ人ほどこの傾向にあるわけではないけどね(と、独断と偏見と経験から私は断言できる)。

結局彼には、このタクシーに乗ったところまで、タダで私たちを運ばせた。振り出しに戻ってしまった夜の10時。

気を取り直して、少し遠いが、ヨプゴン地区にあるマキへ行くことにした。ポイ(ヨプゴンの愛称。Yopougon→Yop→Poy。少し前に流行った、池袋をブクロと呼ぶのと似ているね。)はアビジャン最大の地区で、夜にもなれば、あちらこちらから音楽がガンガン聞こえてくる。到着すると案の定、道は人で溢れかえっていた。

それにしても、どうしてフランス人って、レストランやバーを選ぶときにあんなに時間をかけるのだろう。グルメにこだわりを持つ彼らだ。選択ミスをしてみんなの前で恥をかきたくないだけなのだろうけど、「もうどこでもいいからとりあえず入ろう」と言った後がいつも長い。しかも、あまり新しいお店には入ろうとしないばかりか、あーだこーだと何かにつけていつも議論したがるので、余計に時間がかかる。この日もそうだった。「もうマキなんてどこでも一緒じゃん!!」と私はずっと言っていたのだが、フランス人2人にこの声は届かず、ポイの繁華街を歩きに歩くハメになってしまった。ようやくとあるマキに到着したのが10時50分。お腹すいたなぁ。

このマキ、すごく不思議だったよ。なんでって、店内は満席だったのに、女の人が一人しかいなかったの。マキはだいたいどこも男男している雰囲気なのだが、あそこまで極端なマキは初めてだった。少しずつ増えてきているとはいえ、アフリカの飲み屋にいる売春婦以外の女の人というのは未だに少数派だ。飲み屋にいても、彼女たちはコーラやファンタばかり飲んでいる。


この日のマキ。



グルメなフランス人たちとは、魚を食べることだけは意見が一致していた。早速注文すると、魚は今日はないと言われてしまった。がびーん。

魚がないマキに嫌気がさしたのか、それを聞くとフランス人2名は「別のところに行こう」と言い出してしまった。外に出たのはいいものの、3人に共通していた疑問は「とりあえず外に出た・・・mais où on va?(でも、どこに行くの?)」というものである。これだからフランス人との外食は面倒くさい。結局、アレクシーの前回のアビジャン出張中に行ったというレストランへ行くことにした。結局最後は、新しいお店に行きたがらないんですね、この人たちは。場所は、私のオフィスもあるプラトー地区。ポイからは結構遠いので、またタクシーに乗り込む夜の11時15分。

途中の道で、いつものように警察の「チェックポイント」にひっかかってしまった。ああ、お腹がペコペコなのにバカな警察の暇つぶしにつき合わされるのかよ、面倒くせー。さらにややこしいことに、こんなときに限って私はパスポートを持っていなかった。警察官はこれをいいことに、次々とイチャモンをつけてきた、

「この国の法律を知っているかね?外国人はパスポートを常備しなくてはいけないんだけど(もちろんこんなの、ワイロをもらうためのでっちあげ)」
「普段は持ってるんですけど・・・今日に限っておいてきてしまいました。すみません。」
「君、中国人かい?それともフランス人?」
「日本人です。」
「(コートジボワールであまり良く思われていない中国人やフランス人ではなく、私が憧れで大人気の日本という国からやってきたことを知り、少し態度がよくなる)コートジボワールで何してるの?いつこの国に来たの?」
「約1ヶ月前にきて、ここではインターンシップをしていて・・・・」
「そうかそうか。それはコートジボワールと日本の更なる関係に大いに役立ってくれているね」
「はぁ・・・それはどうも。」
「ところで・・・」

この「ところで」というのは、いわゆる「取引」が始まることを暗示している。

「ところで、土曜日の夜にこうして仕事をするのも、なかなか楽じゃないんだよ。ちょっと眠いんだけど、眠いときには何を飲むのがいいと思う?日本人はこんなとき、何を飲むんだい?」

あー、出た出た。うざい、うざすぎる。

「日本人も、他の国の人と同じようにコーヒーを飲みますね。」
「そうか、でもね、私は今、ちょうど細かいお金がなくて、コーヒー飲めないんだよね・・・。どうしたらいいかな?」

家に帰ってお金とってこい、このアホンダラ。

「あ、そういえば君、パスポートもってなかったよね。これって法律違反だよね。どうかな?コーヒーを飲ませてくれたら、今回はなかったことにしてあげてもいいんだけど。日本人は素晴らしい人々だから、そのような素晴らしい人々が法律を犯すなんてことが知られたら、みんなショックを受けちゃうしね。」

TIAですね、これぞまさに。500フラン(約100円)を渡そうとしたら、「エーイ、アビジャンの物価をどうやら君はまだ知らないようだね。これでコーヒーが買えると思う?ここは君の国じゃないんだよ(←たった今日本人と言ったばかりなのに、もうすでに中国と混同しているのがTIA)」と言われたので、仕方がないから1000フラン渡した。ちなみに、コーヒーは150フランあれば余裕で飲める。

お金をもらったときの、アイツのニンマリとした顔!!!どうせ、コーヒーじゃなくてビールでも飲むんでしょ。

ようやくレストランに到着したのだが、時計は11時半を回っていた。

このレストラン・・・いやいやいやいや、レストランじゃないでしょ(笑)。

典型的なパリのレストランのようなメニューを出すカラオケスナックと言えば上手く伝わるだろうか。ウェートレスのお姉ちゃんはかなりの厚化粧に無駄に露出の高いギラギラした服を着ていたので、最初は彼女たちがただの売春婦かと思ったほどだ。中にいるお客さんも、金遣いの荒そうな成金イボリアンやレバノン人のおっさんがほとんどだった。おまけに、カッコよく言うところの「バンドの生演奏」は、お笑いとして評価すれば素晴らしいエンターテイメントだったんだけど・・・音楽としては・・・(笑)。

異様な盛り上がりを見せるカラオケスナック。

左に見える黄色い服のお姉さんは、ウェートレスさんでございます。



選曲も愉快だったよ。オーシャンゼリゼからホイットニー・ヒューストンまで、なんでもありだった。アビジャン有数のchoco(コートジボワールのフランス語で「上品な」とか「イケてる」という意味。フランスでは通じないので要注意!!)なお店でシャンゼリゼの歌を聞くなんて、すごくironicだね。あはははは。

バンド演奏という名のカラオケ大会はだんだん盛り上がっていき、パーティーソングの定番(?)である「I will survive」の頃には、ボーカルのおばさんが各テーブルを周るという大サービスも。ウェートレスのお姉ちゃんを両腕にご機嫌だったレバノン人の成金風のおっさんと一緒にデュエットをするなど、なんでもありのショーがしばらく続いた。

食べものはというと、お通しに豚肉が使われていたため、イスラム教徒であるアウアは食べるのを拒否。そこまではよかったんだけど、それを知ったウェイターが、アレクシーと私がいるのにもかかわらず、お通しを全部下げてしまった。アフリカの接客サービスは、どこに行っても、お世辞にもいいとは言えない。私たちにも一言聞くのが常ってものでしょ?

しかも、やはりTIA。今度は、頼んだものとは全然違う飲み物を持ってきた。さらにしつこいことにこのウェイター、注文した料理を2回も聞きに戻ってきた。それだけではない。こいつ、ようやく料理を持ってきたものの、アウアが注文した付け合せの組み合わせを3回も間違えやがった。そのたびに厨房へ戻る彼。ちゃんとメモしないからこういうことになるのだが、それにしても間違えすぎではないだろうか。やはり、3歩歩いたら忘れてしまうのだろうか。

私は何も言わなかったが、実は私の料理も、注文したのとは別のものが出てきたのだった。普段なら作り直させるところだが、この日はお腹があまりに空いていたため、知らないふりして黙って食べた。ようやく食事にありつけたのが、深夜12時過ぎ。長かったなぁ、ここまで。

カラオケ大会がヒートアップしすぎてきたので、デザートは別のお店で食べることにした。正直デザートとかもはやどうでもよかったのだが、グルメのフランス人にとってはデザートがない食事など食事ではないらしい。

デザートを探しまわっていたときに本格的なフランス料理のレストランらしきお店にも行ったのだが、ここでも、ウェートレスのお姉ちゃんは露出が高めの服を着ていた。レストランの落ち着いた雰囲気をぶち壊していたが、彼女たちはこうすることで、チップを手に入れるらしい。カラオケスナックのお姉ちゃんたちと一緒だね。

結局4件のお店をまわったが、深夜1時前にデザートをやっているお店などあるはずもなく、この日はこれにてお開きとなった。かなり愉快なサタデーナイトだった。

2009年10月13日火曜日

アビジャンの交通

平日の朝のラッシュアワー時に、私が住んでいるドゥープラトー地区からプラトー地区に行くためには、3つの選択肢がある。公共バス、ウォロウォロ(乗り合いタクシー)、それから個人タクシーだ。個人タクシーはオレンジの車体で、ウォロウォロの色はアビジャン市内の自治体によって、黄色や青、緑と色分けされている。この、色分けがされている時点で、「あぁ、ちゃんと交通制度が整備されているんだなぁ」と、アビジャン生活当初の私にとっては感無量だった。




朝の渋滞。黄色いのが、ドゥープラトーを循環するウォロウォロ。
ウォロウォロとウォロウォロの間に見えるオレンジの車が、個人用タクシー。



タクシーに乗ると、家からオフィスまでは片道1500フラン(約300円)かかる。当然、ふっかけてくるドライバーもいるので、乗る前には当然値段交渉をしなければならない。所要時間は、渋滞も入れて20~30分。しかし、雨が降ると極端にタクシーの数が減る。道路の質が悪いから、みんな運転したがらないらしい。市内の移動で、しかもアフリカで、片道300円は高すぎると私は思うのだが、アビジャンの物価は決して安いとは言えない上に、街はとてつもなく広いから・・・・給料の低いインターン生にはキツいけど仕方がない。どこの国にいようと、個人タクシーは極力避ける主義の私だが、仕事には時間通りに行かなければならないため、この街では妥協している。乗るときはアウアも一緒なので、割り勘できるのがせめてもの救いだ。




どこの国でもそうなんだけど、アジアやアフリカに行くと、運転手の宗教によって
さまざまなメッセージが車の内外至る所に溢れているんだよね。
Rien n'est tard si la vie se prolonge(=人生が延びれば、遅すぎるものなどなにもない。)
つまり、今まで通りのペースでやってても、長生きさえできれば、
それが遅すぎるかどうかの心配などしなくてもいい、ということ。
かなりアフリカンですな・・・笑


タクシーは、週末だと安くなる。普通逆だろー!!って話だけどね。週末は渋滞がないから、その分安いみたい。

私が一人で移動するときには、だいたいウォロウォロに乗る。アビジャンには10ものcommune(自治体)があり、一つ一つのcommuneだけでウガンダの首都より大きいのではないかと思わせるほどなのだが、ウォロウォロは、このcommune内の決まった道を走っている。路線バスの小さいバージョンみたいなものだ。

家からオフィスまでタクシーで1500フランかかる距離を、ウォロウォロなら一人当たり600フラン(約120円)で移動できるが、それでも高いなと私は思う。しかも乗換えをしなければいけないから面倒くさい。しかしこのウォロウォロ、結構ちゃんとorganizeされており、かなりTINA(this is not Africa)だ。

普通はcommune内のみを走っているウォロウォロだが、たくさんの人が働いているビジネスcommuneであるプラトーにはこれがない。ウォロウォロがプラトー内を循環していると、超非効率で生産性の低いビジネス街になってしまうからだ。その代わり、プラトーから別のcommuneに行くためのウォロウォロなら存在する。プラトーだけは特別に、ウォロウォロはcommuneの境界線を越えて走ってもいいことになっている。

プラトーに出入りするためのウォロウォロの車体は、黄色ではなくオレンジだ。これは、普段はタクシー運転手として働いている人が、時間帯によってはウォロウォロの運転手になるからだ。そっちの方が儲かるんだって。また、プラトー用のウォロウォロは、道で拾うのではなくgare(駅)と呼ばれるところで乗り込むのだが、それぞれの運転手は、gareにいるまとめ役の人にgare使用料を払うことで、プラトー用ウォロウォロとして走る権限が与えられる。

ウォロウォロで感動したのは、乗る前に値段交渉をしなくても、ボラれることは絶対にないことである。一定料金が定められており、しかもこの一定料金制度がきちんと実行されている。

その上、gareではラッシュアワー時に、アフリカとは思えない光景が繰り広げられる。なんと、ウォロウォロを統括する人々がgare内の交通整理をしているのだ。今までアフリカ各国の様々な交通機関に触れてきたが、このようなシチュエーションで交通整理をする人など見たことがない。普通は、それぞれのドライバーが自分の儲けのことのみを考えてやりたい放題やり、時たま存在するまとめ役の人は、昼寝をしているか友達とおしゃべりをしているかのどっちかなのだ。さすがアビジャン。信号機が信号機としての役割を果たしているだけある。

さらに感動することに、gareにいる彼らは乗客に対してきちんとした敬語が使えるし、それぞれの運転手が十分な小銭(お釣り用)を持っているかを確認し、足りない場合は両替までする。そうそう、アフリカって、いつも小銭が足りないんだよね。お店でもどこでも、「お釣りがないからウチでは買わないでくれ」と言われてしまうのはよくあることだ。

途上国では、交通関係者というのは『ぼったくる・失礼極まりない・うざい・嘘つき・カオスとストレスの原因になる』の五拍子が揃っているものだ(と私は信じている)が、どうやらウォロウォロに関しては少し違うようだ。

Gareで感動するのはそれだけではない。なんと彼らに先導され、次のウォロウォロが到着するまでの間、乗客が列に並んで待っているのだ。アフリカの人が・・・乗り物を待つ・・・しかも列に並んで!?その光景は、地下鉄を待つ東京のサラリーマンとほぼ変わらない。アフリカ名物の「席の奪い合い合戦(乗り物の到着とともに車内へダッシュし、席を確保する熾烈な戦い。敗北者は次の乗り物が来るまで、延々と待つハメになるからみんな必死)」で鍛えられた私には少々物足りないんだけどね。えへへ。




プラトー行きのウォロウォロを並んで待つ人々。
前回のアフリカ滞在で相当鍛えられた私にとっては、かなりのカルチャーショックでした。



おフランスかぶれしているアビジャン人のお気に入りの朝ごはんは、サンドイッチである。フランスで一般的にサンドイッチと呼ばれているのは、フランスパンに野菜やチーズをはさむタイプのものなのだが、それがアフリカンにアレンジされたものがアビジャンのサンドイッチだ。アフリカンにアレンジといっても、フランスパンに、好きな具(豆、油ギトギトの魚、アボガド、辛いヤギ肉炒めなど)を入れてもらうだけなんだけどね。それぞれの具には値段がついている。なので、パン代と具代を払えばOKだ。




サンドイッチのネタは、ご覧のとおり、結構アフリカンです。





このサンドイッチ、どこのgareに行っても必ず売ってるんだけど、排気ガスがとにかくひどいこの場所で作られても、あまり食べる気にはなれない。それでも、スーツを着たビジネスマンから通学途中の小学生まで、みんなに愛されている一品だ。



手際よくサンドイッチを作るお姉さんたち。subwayみたい。



ただしこのウォロウォロは、場所にもよるが、夜9時前にはほとんど見かけなくなる。終電ならぬ終ウォロが終われば、タクシーに乗るしかなくなってしまうのだ。また、アビジャンはとてつもなく広いため、目的地に着くまでに何度も乗換えを繰り返さなければいけない。渋滞がひどいこの街では、そんな乗換えなどしていたら、いつまでたっても目的地にはたどり着けない。

アビジャンの七不思議の一つは、月曜日の朝に必ず起こる、とてつもない渋滞だ。渋滞は毎日あるけれど、月曜日は街中が大パニックになり、道路のあちこちで怒声が飛び交う。タクシーやウォロウォロを見つけるのも一苦労。当然、交通は売り手市場になり、運転手はつっけんどんにとてつもない値段を要求してくる。だから、月曜日と火曜日は、値段交渉が上手くいかなくてもlaisser tomber(あきらめる)しかない。

これが水曜日あたりになるとだんだん落ち着いてきて、金曜日になると割と楽になる。どうして月曜日なの?と聞いても、誰もハッキリした答えは分かっていない。「c’est comme ça, à Abidjan.(アビジャンではこうなの)」らしい。だから私も、深くは考えないようにしている。

早稲田と一緒だね。四月は大学が混雑しているけど、ゴールデンウィーク明けになると一気に人が減る。

ウォロウォロのgareでは、運転手はgareで働く人に使用量を払わなくてはいけない。例えば、乗客一人当たりの運賃が600フラン(約120円)であるウォロウォロの場合、運転手が手にするのは600フラン×4人=2400フラン。そのうちの400フランが、gareの使用量として消えていく。

これだから、月曜日にウォロウォロのgareに行ってもなかなか車は見つからない。こんなに高い使用量を払うくらいなら、ウォロウォロではなくタクシーとして客を探した方が、採算が取れるからだ。だから、アビジャンのウォロウォロのgareでは、週の初めにもなると「仲間を探せゲーム」が行われる。

「仲間を探せゲーム」って知らないかな?よく、子ども用ワークショップのアイスブレーキングで使われるゲームなんだけど。ルールは簡単。例えば「誕生月が同じ仲間を五人見つけましょう」と指示されたら、とにかく周りにいる人に声をかけまくって、指示された通りの仲間&人数で構成されたグループを作ればいいのだ。

ウォロウォロ不足の週初めのアビジャンでは、行き先が同じ人を他に三人見つければいい。これで、めでたくタクシーを一台シェアできるというのだ。ウォロウォロを待っているのよりも早く、しかも上手くいけば、ウォロウォロよりも安く、目的地にたどり着くことができる。これね、なかなかいいよ。知らない人と友達になるいい機会だし。毎週同じ時間に出くわすメンツはだいたい一緒だから、「あ、ムッシュー・○○、今日も一緒にタクシー拾いますか?」なんていう会話もよくあるね。ただし、gareを切り盛りしている人は、当然怒ってしまうが。


仕事に行くためのもう一つの交通手段であるバスは、家からオフィスまでを300フラン(60円)で運んでくれる。しかも、定期券のような制度まである。どんだけ整備されてるんだ、アビジャンの交通。ただし、バスは本数が少ないうえに乗せてもらえる保証はなく、運転もトロいため、仕事に間に合うためには7時前には家を出て、平日の朝の埼京線並みのすし詰め状態に1時間ほど耐えなくてはいけない。ヒドイ乗り物には今までさんざん遭遇してきたが、このバスに毎朝乗るのだけはちょっと勘弁だ。これに乗って疲れ、嵐のような仕事に疲れ、なかなか思うように上達しないフランス語に疲れ、なんだかんだでTIAなコートジボワールでの生活に疲れていては、何のためにここに来たのか分かったものではない。




みんな黒いせいで見えにくいけど、朝の混雑時のバス。
後ろにもっとスペースがあるんだから、譲り合って詰めてあげればいいのに・・・
いえいえ、交通機関で譲り合いの精神なんか持ってたら、アフリカでは敗北します。
相手を突き飛ばす勢いで乗り込まなくては、生き残れないのです。
バスは、韓国の中古車が多いかな。



アビジャン市民はよくものを読むという話は以前にも書いたが、タクシーの中で、ウォロウォロを待っているときに、そして、バスの中でひたすら立ち続けながら新聞を読む彼らには感激する。大都市アビジャンと田舎町であるカンパラを比較してはいけないが、あちらではみんな、乗り物の中ではボケーっとしながら徒に時間を過ごしていたなぁ。まぁカンパラも、あれはあれで案外よかったんだけどね。




新聞を選ぶアビジャン市民。ものすごく典型的な朝の風景。



以上、上に書いた3つの乗り物の他にも、アビジャンには2つの乗り物が存在する。

ミニバスであるバカは、communeとcommuneの間を走る。プラトーに行くためのウォロウォロ同様、バカに乗るためにはgareに行かなければならないが、私が住んでいるドゥープラトーにはバカが走っていないから不便だ。




バカ




この国に来たばかりのころ、gareで迷っていたら「tu veux prendre le BAKA?(バカに乗りたいの?)」とおっさんに言われた。向こうは親切心から助けてくれようとしたのだが、私は「はぁ?バカですと?おっさん、今私になんて言った?」と聞き返してしまった。バカの存在を知らなかった私のほうがおバカであったと今では反省している。そのおっさんには、日本語でバカが何を意味するのかを教えたら、「やったー!!俺、日本語を話せるようになった!!えへへへへ」と大喜びし、さらにはこの世紀の大発見(?)を報告すべく、奥さんに電話までしてくれた。

また、カーと呼ばれる乗り物は、アビジャンから近郊の町に行くときに使われる。これは3列シートのおんぼろ車で、乗り心地は最高とはいえない。




カーの中身。
右から、おなじみアメリカ星条旗、
(真ん中の小さいのが)コートジボワール国旗、
お隣のブルキナファソ国旗。
なぜかここでは、どのウォロウォロもタクシーもカーもバカも、
コートジボワール国旗と星条旗でデコレーションされている。


土曜日は、1時間くらいブラブラと散歩をしてから仕事に行くようにしている。道端で果物を売っているおばさんや朝ごはんを食べている子どもたちとおしゃべりをして、なぜか住宅街に存在するバナナ畑の横を通り、新しい道を通ってみたりして、普段の自分の生活からは見えない部分のアビジャンを発見している。

やっぱり、自分の足が世界一の交通手段だね。

2009年10月8日木曜日

貧乏なワーカホリックのためのTIA式家事のススメ

なにをするにもtime consuming(=時間がかかる)なTIA(this is Africa)。さすがにコートジボワールではありえない話だが、ウガンダ時代は、銀行でお金を下ろすだけで数時間、メールを数通送るだけで半日かかるなんてことは、決して珍しいことではなかった。きちんと使えるATMや、メールボックスを開けるくらい接続のいいネット環境を探す作業から始めないといけないからだ。実際に、科目登録に3ヶ月かけたしね、私。かなり不便だしイライラするが、アビジャンでは比較的全てがスムーズに動いているため助かっている。

しかし、どんなにスムーズとはいえ、TIAはTIA。何をするにも、やはり時間とエネルギーは必要だ。この環境の中に身を置きながらも、平日は朝から晩まで、果ては土曜日まで仕事をしていくためには、土曜日の夕方と日曜日に、生きるために必要な(?)全ての作業をしていかなければならない。

アウアと私は、土曜夕方になると、仕事を無理やり切り上げてスーパーへ買い物に行く。平日は、夜の8時過ぎまでオフィスにいるため買い物はできない。この土曜日の買い物では1週間分の食材を調達するわけだが、週末のスーパーにはかなりの買い物客が来ており、そのうちのみんながみんな大量に買い込み、その上さらにレジのおばちゃんはアフリカンペースでだらだらやってるから、たかがスーパーに2時間はかかる。TIAだからしょうがない。

スーパーに食材はかなり豊富にあるのだが、コートジボワール国産食品も輸入食品も、値段はフランス並(売っているのもがフランスのスーパーと似ているので、日本のスーパーの値段と上手く比較できないのが申し訳ないけど)。ものによってはもう少し高い。それでも、このスーパーの客層の9割はイボリアンだ。コートジボワールのみならず、アフリカの他の地域でも気づいたのだが、お金のあるブイブイな人々の消費はかなりの海外指向である。食べ物、衣料、化粧品、果ては医療や教育、言語に至るまで、アフリカ製と海外製のどちらかが選べる場合、みんなが海外のものを選ぶ。まぁ、その気持ちは痛いほどよく分かりますがね。

それにしても、あのスーパーで大量に買い物をしているあの人たちは、一体どんな仕事をしているのだろう。気になる。

このスーパーには、量り売りの日本風ミックスおかきが売っている。1キロ5800フラン(1160円)だが、おかき1キロって、きっと誰にも想像がつかないよね。このおかき、しけているためハッキリ言って全然おいしくないのだが、日本にあるおかきよりもありがたみがあるため、今では私の大好物だ。自分たちへのご褒美として、スーパーに来ると必ず少し買うようにしている。

ただ、このスーパーの量り売り担当の従業員が、あからさまに客をバカにした、典型的なTIA的態度をとってくるから、機嫌が悪いときや疲れているときはあまりここには来たくない。客がいなときは、ダラダラとケータイをいじったり、他の従業員と喋ってるのだが、そんな時に量り売りをお願いしようものなら、彼らはなぜかこちらに対してキレてくる。「なんで客なんか来るんだよ」という気持ちが見え見えだ。それから、「はぁー」と、わざとらしいため息をついて、肘をつきながら、大げさなくらい面倒くさそうにのっそりと働き出す。その一つ一つの動作が、正直言って癪に障るのだが、毎回毎回、1キロあたりのおかきの値段を間違えて量りに記入しているからあきれてしまう。注意していないと、だまされて不当に大きな金額を支払うことになってしまう。そこら辺の市場でこれならまだしも、大型スーパーでこんなんだから、このスーパーの運営がいかに適当に行われているかなど一目瞭然だ。


このスーパーには家電まで売っている。

なんでちゃんとしたおかきを売らないで、しけてるのだけを売ってるんだろう。



そんなこんなで、スーパーから家に帰る頃には、もう辺りは暗くなっている。ここから私の洗濯タイムが始まる。土曜夕方の涼しいうちに洗って(日中は暑すぎて洗濯どころではない)、日曜日に乾かす作戦だ。たくさん汗をかくこの国では、すぐに洗濯物がたまる。洗濯は大嫌いだが、とにかく洗わないことには服がなくなってしまうのでやるしかない。洗濯機があればなぁ。ウガンダ時代にお世話になったエルザおばさんがここにいてくれたらなぁ。

雨季はなかなか洗濯物が乾かないので、ちょっと困る。かといって、屋内に洗濯物を干すなど、虫とカビを歓迎しているようなものだから、雨が突然降ってこようと外に干すしかない。TIA。時間がかかるのは仕方がないけど、雨に降られたってどうせそのうち乾くんだから、焦らない焦らない。

コートジボワールには、fanikouと呼ばれる洗濯屋さんがいる。私の家の周りでも、毎朝「ファーニコー、ファーニコー」と叫びながら歩いている男の人がいるが、彼はさおだけやを髣髴とさせるため、彼の声が聞こえるたびに、ノスタルジーに浸ってしまう。コートジボワールのポストカードの写真として、大勢のファニコーがひたすら川で洗濯に取り組む様子がよく使われている。残念ながら、私はまだそれを実際には見たことはないが、アビジャンに住んでいる間にぜひファニコー見学をしてみたい。




ファニコーが洗濯をする様子。


ファニコーによって干されている洗濯物は、もはや芸術並みに美しい。色とりどりの布が草の上に広がっているのだ。今度ファニコーに洗濯を頼んでみてもいいかもしれないね。

ファニコーが洗濯物を乾かしている様子。


野菜や卵などは、市場で買ったほうが楽しいし新鮮だし安い。ところが、市場での買い物はそれはそれで時間がかかるため、だいたい日曜日の昼間にそれは済ませる。市場へ行くにはかなりの精神的・身体的エネルギーを使うため、踏ん切りがつくまでにさらに時間がかかる。そんなこんなで時間はどんどん過ぎていく。年をとったのか(?)、仕事にあまりにもエネルギーをそそいでいるからなのか、最近では市場のおばちゃんとの値切りバトルですぐに疲れてしまう。だから、市場へ行くのは週に1回で十分だ。

近所の市場。値段はウガンダよりもめちゃくちゃ高い。


どういうわけか、アフリカの家はコマメに掃除をしないと、あれよあれよの間に家中が汚くなってしまう。そのスピードは日本とは比較できないほどだ。一番困るのは虫にどんどん侵入されることなので、日曜日は一週間分まとめて掃除をする。

そんなことをしているうちに夕方になる。日曜日の夜は早く寝ないと、またハードな毎日がしばらく続く。

アビジャンではこれまた極端に少ないことだが、生活に必要な水や電気もたまに消える。すると、さらに水を探す作業も加わる。電気は他の場所に探しに行こうにも行きようがないけどね。ウガンダではよくあることだった。

コンビニがあり、スーパーも遅くまでやっていて、洗濯機も掃除機もある国では2時間もあればできるようなことが、ここでは2日かかる。確かに面倒臭いけど、時間をかけて一つ一つのことをやっていくうちに、生きているんだ!!!という実感が沸いてくるから不思議だ。生活するって、実はこんなにも大変で、だからこそ尊いものなんだね。うんうん。

アフリカに住んでいる外国人は、お手伝いさんを雇って、買い物を含めた家事全般を任せるのが主流だ。これは雇用創出のためにも奨励されている。外で仕事をしていない外国人(主婦とか)は、家事まで誰かにやってもらったら、一体何をして毎日過ごしているのかはかなり大きな疑問だが、とにかく私たちにはお手伝いさんを雇う経済的余裕はない。そのクセに仕事は忙しいし、生きていくために必要なフランス語も勉強しなければならないため、ここでは文字通り、殺人的な毎日を過ごしている。

と、このように書くと、楽しみのない生活を送っているように思われるかもしれないがご心配なく。週末はなんだかんだでビーチに行ったり、友達と飲んだり、レゲエパーティーや村に行ったりと、かなりエンジョイしているので。スーパーで必ず買うしけたおかきも私にとっては大きな楽しみだし、料理とエアロビを無心でやることで、かなりリフレッシュできる。



ビーチにて。


そして何よりも、毎日面白い発見の連続であるこの土地で生活できることが、私にとっての最高の娯楽なのだ。

2009年10月7日水曜日

世代交代の儀式

ここに来る前から、西アフリカには、とにかく伝統的なお祭りや踊り、信仰や儀式が今でも盛んに行われているイメージをずっと抱いていた。もっとマニアックな言い方をすると、伝統的なアニミズムの世界―神聖で、スピリチュアルな価値観が今でも生活に深く根付いている社会―を、西アフリカにはある意味で期待(?)していた。もともと私がアフリカに興味を持ち始めたのも、この地域の仮面文化の影響が大きいと思う。

別に私は人類学者ではないが、いつか西アフリカの精神的世界について、徹底的に勉強やフィールドリサーチをしてみたい。アフリカの伝統には、今の私たちが学ぶべき知恵がたくさん詰まっているからだ。

先週の土曜日、アビジャン郊外にあるAkouai Santéという村で、5年に一度開かれるというLa Fête de la Génération(世代交代の儀式)に連れて行ってもらった。というか、連れて行かれたという表現のほうが正しいかもしれない。金曜日の夜突然、とある友人から電話があり、「よし、あしたは儀式があるからナツノも来い!!いいな、朝9時に迎えに行くからな、じゃーまたな!!」とだけ一方的に言われて電話を切られたからだ。翌朝、結局迎えは10時にならないと来なかったことなど、今さら説明するまでもないと思うが。

まず村に着いて、煙を炊きながら歌い踊る、顔にペイントを施した半裸集団に遭遇した。「彼らは最終リハーサルに挑んでいるんだよ」との説明を受けた。そのそばでは、同じようにペイントをしてもらって嬉しそうなちびっこ達が走り回っていたり、大量の料理に忙しい女性陣がいたり、かと思えば、昼間からビール瓶を何本も開けているおじさん集団もいたりする。雰囲気的には、日本の田舎の自治会が主催している夏祭りのような感じだ。


10年、15年後の世代交代の儀式の主役は彼らかな?


昼ご飯が振舞われる。今日は特別メニューなので、アチャケも2種類あった。アチャケとは、キャッサバでできたクスクスのような食べ物だ。イボリアンたちの大好物。世代交代の儀式メニューでは、マグロの煮込みスープと一緒に食べた。かなり辛くて本当においしい。

そうこうしている間に、例の煙炊き集団が雄たけびをあげながらやって来た。どうやら儀式が始まったようである。すぐに食べ終え、村の大通りとやらに繰り出す私たち。大通りは見物人でごった返していた。

見物人もぞくぞくと集まってきます。


小さな見物人は、屋根の上にまで!!

踊りは激しいです。もう、その場にいるだけで暑くなる。


この儀式は、20歳から28歳くらいまでの村人(男性のみ)から選ばれたリーダーが主役だ。伝統的な社会では、このリーダーは首長となるべく様々な経験を積み、また、一つの世代のリーダーとしての特権が与えられるらしい。一つの世代とは、5年に一度のこの儀式で世代をバトンタッチされる人々の総称だ。毎5年ごとに、世代は変わる。リーダーとして選ばれるための条件は、たくさんあるが、最も重要なのは「落ち着いていて、穏やかであること」らしい。

この儀式は1週間ほど続く。私が見学したのはそのクライマックスの部分であったが、儀式の初日に、その年の儀式で世代をバトンタチされる一つ下の世代(つまり、10代後半から20代前半にかけての男の子たちで、5年後に世代のバトンを渡されるグループ)の中からリーダーが選ばれる。リーダーは、それから5年間の間、儀式に向けて準備をするのだ。私が村に到着早々遭遇した煙炊き集団は、5年後の世代のメンバーなんだって。

村の広場には、ハデハデの服を着ているおじさんグループがいくつかあった。それぞれ椅子に座り、楽しそうにおしゃべりしている。その奥にはおじいさんたちもいた。村の年配者は、各世代ごとにまとまって、毎回儀式を見物するようだ。

各世代には名前がつけられる。例えば、今年バトンが渡される世代の名前はTchagba Assoukrouっていうらしいよ。意味を聞いたけど、誰もよく分かっていなかったから、結構そんなものなのだろう。

と、ここまで説明を受けたと思ったら、ハデハデおじさんたちが、世代ごとに固まって歩き出したではないか。見物人もドドドドドーーーーーンと、まるでケニアで見たヌーの群れのように動き出した。いよいよ始まるらしい。


ハデハデな長老たち。


「あ、あそこだ!!いいかいナツノ、とにかく走れーーーーーー」と言われ、人ごみの中を突っ走る。しかし、その人ごみを構成する一人ひとりがそれぞれに突っ走っているため、もう何がなんだか分からなくなる。暑い。じめじめしている空気が恨めしい。

と、そのとき。

歌舞伎の白いカツラのようなものを被った男が、(たぶんニセ物だとは思うけど)刀を振りかざして雄たけびを上げているではないか。周りには、大量の半裸・顔ペインティング集団。みんなワーワー叫び、太鼓のビートが激しく轟く。あ!!白カツラの男がジャンプして、誰かに飛びかかった!?さっきの煙炊き集団はまだ煙を炊いており、中には人形を抱えている人もいるではないか。しかも何気に人形がかわいい!!なんだこれ!!なんだかよく分からないけど、戦争なのか世代交代なのか、もしかして世代を争って戦争でもしているのか、なんかもうカオスだけど、やばいぞこれ!!見物人のおばちゃんのパワーもこりゃまたすごい・・・おばちゃんの雄たけびも、男たちのそれに負けていない。あぁ、私も負けないように頑張らないと、歌舞伎の白カツラが見えなくなっちゃう、ああ、ああ、ああーーーーーーーー!!!!

と、私がボケっとしてる間に、儀式の前半は終わった。


意外とかわいい人形。


半裸集団は汗びっしょりだ。どうやら、あの歌舞伎のカツラ男が、今回の世代のリーダーらしい。え??だって、リーダーになるには落ち着いていて穏やかな人であることが条件なんじゃないの?アイツ、思いっきり暴れてましたけど。

しかし村人曰く、リーダーとは、普段は穏やかでも、儀式の時には激しくないといけないらしい。激しさを併せ持っていてこそ、男なんだって。かっこいいね。

リーダーが入っていった家には、見物人が押し寄せていた。みんな興奮している。リーダーすごいね、大スターだよ。家の玄関口には、出待ちまでいるじゃないかい!!

今回の儀式の主役。


当然その家では、おばあちゃんとおばさん数名が、玄関のところで見物人を制していた。私も、外国人である特権を使って中に入ろうとしたけれど、たとえ外国人だろうと特別扱いはしないらしく、結局入れてはもらえなかった。残念。

あまりにも激しすぎたので、なんだか疲れた。私は少し寝ることにした。ザコの上で寝ているおばちゃんに、少しスペースを分けてもらって昼寝開始・・・・が、しかーし。

おばちゃんのイビキがすごすぎて、うつらうつらする程度で終わってしまった。何でも食べ、どこでも寝られるのが自分の長所だと思っていただけに、こんなおばちゃんのイビキごときで眠れなくて悔しかった。

そうこうしているうちに、後半が開始。後半では、3人の女性がリーダーを先導していた。巫女さんみたいな役割なのかな?3人によって先導される主人公・・・なんだか、モーツアルトの『魔笛』のような構成だ。パッパゲーノみたいなお調子者ならそこら中にいたから、完璧だね。

3人の巫女さんみたいな女性。

なかなか素敵なペインティング。

お調子者はどこにでもいるね。


後半は、もう人ごみの中を突進していく元気も残っていなかったので、遠くから眺めていることにした。相変わらず激しい。後半は、ハデハデ服の往年の世代の周りをリーダーがぐるぐるまわったりと、戦闘(?)の中にも儀式的要素が組み込まれていた。しかも・・・・長い。軽く40分間は、その場にいたみんなが必死で動き回っていたたと思う。あふれ出すパワー。鳥肌が立った。だが、前回同様、私が状況を飲み込む前に終わってしまった。

時計を見たら、もう4時半をまわっていた。その後村の人々は、夜までパーティをするんだって。私たちはアビジャンに帰らなくてはいけなかったため、その場を去った。あっという間に終わった午後だった。

アフリカの「儀式」に参加するのは今回が初めてではなかったが、毎回思うのは、この大陸の人々は、肉体的なパワーだけでなく、精神的なエネルギーの爆発がハンパないということだ。一種のトランス状態なのだが、彼らを見ていると、本当に魂や悪霊が体に乗り移ってしまったのだと思わずにはいられない。「今、この人の体を動かしているのは○○の神だ」と言われても、素直に「ああ、そうなんですね。だからあんなふうに動くんですね」と納得できる。不思議だ。

一度、周りの人が次々と心霊に乗り移られるという、非常にレアな経験をしたことがある。ザンジバル島で参加した、カバキという儀式での話だ。もともとスピリチュアルなコモロ諸島(マダガスカルの北に位置する島国。政治的にものすごく荒れている。)から伝わったこの儀式は一晩中続いたが、心臓がドキドキしっぱなしだった。幼稚に聞こえるかもしれないが、自分がいつ心霊に乗り移られるのかが怖くて仕方なかった。この経験については、後でまた詳しく書こうと思う。

また5年後、この世代交代を見るために、この村に戻って来たい。



2009年10月3日土曜日

酒、酒、酒

先週末、アビジャン郊外の村に遊びに行ったとき、おじさんたちと一緒に飲むことになった。さすがカカオのコートジボワール。カカオでできたウィスキーのようなお酒がまず出され、次にヤシのジュースからできた甘いお酒も登場した。イボリアンの女性があまり飲まないだけなのだろうけど、「お、姉ちゃん結構イケるねぇ。ほれほれ、もっと飲め飲め」的な雰囲気になって、調子に乗ってガンガンいったら少し気持ち悪くなっちゃったけどね。というか、おっさん、あなたたちの半分以上は、ムスリムだって言ってたよね?なんで飲んどるんじゃーい。


ちなみに、サハラ以南のアフリカ人ムスリムは、いたってお酒に対してリベラルな(?)立場をとっている。信仰深いのと酒好きは別物らしい。もちろんそうではない人もいるけどね。

例えば、ラマダン明けのお祝いの席。先日家の近所を歩いていたら、「マドモワゼル、こっちに来て一緒に食事でもしないか!!」と呼ぶ声が聞こえた。親戚中が集まっているラマダン明けの食事に、私を招待してくれたのだ。ちょうどその日は何も食べていなかったので、ラッキーと思いながら行ってみると・・・いつもよりも更にハデに着飾った迫力満点のおばちゃんたちに、コテコテの色彩をふんだんに散りばめた伝統衣装を着たおじさんが、楽しそうにワインやらウィスキーやらシャンパンやらを飲みまくっているではないか!!ってオイ、あなたたちは、断食明けの宗教的な食事をしているのではないかい??って話だよね。

ラマダン明けの食事。ワインやらシャンペンやらがたくさん!!
イスラム教徒にとって大切な食事中に飲酒しちゃうところがTIAだね。



コートジボワールの居酒屋であるマキでは、ムスリムたちはこんなトリックを使っているらしい。これは、実際にムスリムの知り合いから聞いた話なのでかなり信憑性はあると思うのだが、彼らは最初にコーラを注文し、その後、そのコーラの空き瓶にお酒を入れてもらうように注文するのだ。外から見ると、彼らはソフトドリンクを飲んでいるようにしか思えないのがポイントだ。それでもアッラーは真実を知っていると思うんだけど・・・。

この話を聞いたとき、スーダンのとある中華料理屋の話を思い出した。私がスーダンにいた頃、残念ながらこの中華料理屋に行く機会には恵まれなかったのだが、この話は仲良くしてもらっている日本人国連職員の方に聞いたことだ。イスラム国家であるスーダンの首都・ハルツームにあるこの中華料理屋は、国連関係者やNGO関係者の間でかなりの評判のレストランなのだが、常連客の間で特に人気なのがSpecial Teaとメニューに書いてあるお茶なんだとか。このお茶、重々しい土瓶に入れられ、なにやらスペシャルな雰囲気・・・と思いきや、セットで出てくる中国茶用の茶碗に入れられると泡を立てるんだって。そう、もうお分かりだとは思いますが、special teaって結局はビールのことなんだね。このように、みなさん苦労しながらも負けずに飲んでいます。

タンザニアにあるザンジバル島でも似たような経験をした。ザンジバルはムスリムの島である。もともと3,4日しかいないつもりだったのに、結局そこに3週間も居座った私。その理由の一つには、居候させてもらっていた家の兄ちゃんたちと一緒に、夜な夜なビールを飲みに行くのがあまりにも楽しかったから、というものがある。

東アフリカの人々は、どうやら冷たいビールは不健康だと信じているらしい。ビールを注文するときには必ず、bia moto (直訳すると『ホット・ビール』。要は、ぬるいビールのこと。アツカンみたいな感覚でぬるいビールと表現するのだから、スワヒリ語とはなんて素敵な言語なのでしょう。)がいいのかbia baridi(冷たいビール)がいいのかを聞かれる。このザンジバルの兄ちゃんたちは、みんな当然bia motoを選んでいた。

ザンジバルのお兄ちゃんたちと飲んでる様子。



実は彼らは、そこそこ信仰深いムスリム。その証拠に(?)毎週金曜日はみんな正装をしてモスクに行っていた。それなのに彼らは、その聖なる金曜日の日没時のお祈りから帰ってくると、普段以上によく飲んだ。「だってー、今日はjio ya ijumaa(スワヒリ語で『フライデーナイト』という意味)じゃないかー。飲まなきゃアカンだろー」とか言いながら。今でもたまにメールするけど、相変わらず飲んでるらしい。だから彼らが大好きなんだけど。うふふ。

私は旅するとき、よくおじさんと一緒に地元のお酒を飲む機会になぜか恵まれている。言葉が通じなくても、「とりあえず一緒に飲めば友達だー、ガハハハハ」は万国共通だ。韓国では、しなびた博物館の館長が、勤務時間なのにもかかわらず豚料理屋に連れて行ってくれて飲んだ。「勤務中から飲んでるから、博物館があんなにしなびれてるんだよー、おっさん!!」という表現が『指差し会話帳』に載っていなかったのが残念だ。ヒマラヤの山奥の仏教国・ブータンでは、酒こそ手に入らなかったものの、おっさんたちとバター茶で毎晩、しょうもない話をして盛り上がった。懐かしいなぁ。みんな元気にしてるかな。

ウガンダの村では、ヒエなどで作られた「自称・local beer(地ビール)」をしょっちゅう飲んだ。村の広場のような場所では、日曜日の夕方になると、教会から戻ってきたおじさんたちが大勢集まってくる。そして、みんなで輪になって座るのだ。その輪の真ん中にはポットが置いてあって、中にはできたてでまだ温かい「自称・地ビール」がたっぷりと入っている。これを、何かの植物を乾燥させて作ってある長い長いストローを使って飲むのだ。一つのお酒を、一度に大勢の人と共有する・・・なんて温かみのあるな飲み会なんだろう!!と、感動したのを覚えている。


村でみんなでビールタイム



この「自称・地ビール」だが、お味のほうは、ビールと思わなければ結構イケる。あたたかくて、少しドロドロしていて、少し苦くて、酸味もあり、そして粒入り・・・と言えば、なんとなく想像つくだろうか。うう、気持ち悪そうーだなんて言う前に、ぜひウガンダへ行って味を確かめてみてね。

ウガンダのじゃないけど、エチオピア中部の「地ビール」
味は、ウガのそれとそっくりだったよ



エチオピア南部では、私の今までの短い飲み人生の中では、間違いなくナンバー1である飲み屋へ行った。なにがナンバー1なのかって、とりあえずは写真を見てみてください。

みんなで乾杯!ビンの中にあるのがテジ




どうよ、これ。ここの飲兵衛さんたちとの会話も、非常に非常に面白かった。一生の思い出だ。ちなみにこのお酒は、テジと呼ばれるハチミツ酒。甘口だから、ジュース感覚でいくらでもいけるのだが、意外と強いので、飲むときは注意して飲みましょう。

ここにいるのはハマル人の皆さん。ハマル人の男の子は、10数頭の牛を一列に並べ、その背中の上を小走りし、地面に落ちることなく数回往復できないと、成人できない。厳しい世の中だ。成人式を荒らして喜んでるようなどこかの島国のダメダメ男子も、同じことをすればいいのに。

ハマルの男性は、みんななぜか小さな木製の椅子を腰からぶらさげていつも携帯している。昼間でも、このケータイ椅子にちょこんと座り、おしゃべりに興じているハマル男を何度も目撃した。それがまたかわいいんだな。

このケータイ椅子、夜になればテジを飲むために大活躍だ。私が行った飲み屋には、ケータイ椅子に座るハマル男が続々と集まってきた。幸い、昼間のうちに英語がなんとか話せるエチオピア人を見つけたので、「お酒おごるから、お願い!!」と頼んで通訳をしてもらったが、このおじさんの更にもう一人、ハマル語の分かる通訳さんが必要だった。それでも私たちは、どうしてもハマル飲みを実現させたかったため、なんとか協力してもらえるように頼み込んだ。飲みながら、ハマル人の人々と話がしたかったのだ。

2人の通訳を通した結果、どれだけ話に信憑性があるのかは不明だが、以下が会話の要約だ。

このハマル人男性(年齢不詳。というか、年齢などという概念はそもそも存在しないので、あしからず)は、成人の儀式に一度失敗しながらも、二度目にしてようやく牛の背中を渡り切ることができ、大人の男として認めてもらえるようになった。つまり、結婚できるようになったのだ。だが、人生とは厳しいもの。今は結婚したい女の子がいるのに、ヤギが5頭足りないがためにしたくてもできないというのだ。

頑張れハマル青年!!

一番右に座っている彼が、ヤギのせいで結婚できない男性。

お酒を飲むと、意外な人とこんな話もできるからやめられない。

後日、ハマルの土地からは少し離れた地域で、コンソー人という民族の市場に行った。そこでヤギが大量に売られていたので、平均的なオスの貨幣価値を聞いてみた。すると、1頭あたりおよそ2000円であるというではないか。せっかく牛の背中を2回も歩いて大人になれたのに、1万円相当のヤギを持っていないからなかなか結婚できないのか・・・。

いやいや、お金ではないのだ。そもそも、ダイヤの結婚指輪よりも、5頭のヤギのほうがよっぽど実用的で価値があると私も思う。

2009年10月1日木曜日

虫との終わりなき闘い

木につるされて干されているお魚さんにもヤツらはたかる。ウガンダにて。

ケニアの安宿の蚊帳。写真からはよく見えないけど穴だらけで全くもって蚊帳としての機能を果たしていない。



先日、お昼に食べていたパンを机の上に放置してミーティングに行ったら、2時間後には机の上に蟻の行列が群がっていた。どこから来やがったんだ。どうやって侵入しやがったんだ。オフィスは2階にあり、しかも私の部屋は奥の方なのに!!しかもそのパン!!楽しみにしてたのにーーーーー。

フランスパンのかじりかけの所にびっしりと這いずり回る蟻さんたち。パソコンのキーボードの隙間をせっせと歩く蟻さんたち。ちょっともったいなかったけどパンをすぐに捨てて、雑巾で机の上を拭いた。それでも蟻はひるまないので、もう手のひらで直接つぶす作戦に出た。とりあえず視界から消えたけど、その日はずっと、私の腕や背中に至るまで蟻がうごめいているのを感じた。やっぱりどこからか登ってくるんだよね。あまりいいものじゃないけど、元々は私が悪いのだから仕方がない。

アビジャンの我が家には、当然台所がある。ウガンダに住んでいたときには、寮で料理をする場所がなくて文句を言っていたが、今さらになってあの頃の自分を一喝したい気分になっている。自炊できるのは健康にもいいし経済的だし素晴らしいのだが、アフリカで台所を所有することは、虫とのエンドレスな闘いが始まるということなのだから。

例えば、果物や野菜を切ったときに出てくる汁。拭いても拭いても、細かくて見落としてしまいがちなところで、蟻もゴキもはすぐに群がる。だから、毎日料理をした後は台所を大掃除する。コンロの隙間も拭くし、シンクも何もかも、果ては冷蔵庫の中に至るまでピカピカにする。これが面倒なんだよね。今ではもう慣れたが、究極の面倒くさがりの私にとってはこの毎日の日課は拷問だった。ゴミは、全て冷凍する。そうでないと、すぐに暑さで異臭を放つし、虫だって寄ってくる。今のところ我が家のサムスンの冷凍庫は、ゴミを凍らせるためだけに使われている。

アフリカでは、どこの地域でもだいたい、伝統的な台所(?)は家の外にある。これぞまさしく先人の知恵である。火の都合上という理由もあるのだろうけど、この大陸では、家の中で料理などしたら、家族みんなが健康を害してしまうだろう。それに、家の中があれよあれよの間に不潔になっちゃうし。その代わり、外で料理するのは雨季のときなどは大変だろうね。いやー、人の生活がこれだけ自然と密着している場所って、世界中探してもなかなかないだろうなぁ(c’est pour ça, je suis tombée amoureuse de ce continent! /kwa hivyo ninapenda Afrika)。

今日はトマトを切っていたら、どこからともなくミニなゴキちゃんが腕に飛んできた。それを見てもひるまずに払いのけ、トマトに再び集中できるようになったんだから、随分成長したな、と我ながら思う。

それに、まだネズミが登場してないから安心だ。ウガンダの寮やアフリカで泊まった家では、時々ネズミがいた。そんなの、今の日本にだっているところにはいるのだろうけど、私にとっては人間の住居でミッキーをお目にかかるのが初めての経験であったため、最初は心臓が止まるかと思った。寝ているときに、ベッドの下からチュウチュウ言われるとちょっと気味が悪いし、やっぱりなかなか慣れないけどね。

でもその代わり、アビジャンの私の家にはトカゲがよく出没する。アビジャンは、人よりもトカゲ人口の方が多いと断定してもいいのではないだろうか。個人的にトカゲはかわいいから問題ないが、イボリエンヌのおばさんやお姉さんはみんなトカゲを怖がっている。あなたたちのほうがよっぽど迫力あって怖いですよ!!だなんて、口が裂けても言えないけど。うふふ。

ウガンダ時代に非常にお世話になったJICAの専門員の方が、ある日こんな話をしてくれた。彼女は青年協力隊としてガーナの田舎で2年間暮らしたのだが、ガーナでは外でう○ちをするとき、しゃがみながらお尻を丸出しにした状態で、歩かなければいけないそうだ。つまり、そうでもしないと、瞬く間にハエが生まれたてホヤホヤのう○ちや肛門にたかってきてとんでもないことになるため、う○ちをしながらとにかく移動しなければいけないのだ。歩きながらしゃがみながら、それでもう○ちをするコツを実演してまで見せてくださった彼女を私は心から尊敬しているが、それを聞いたとき、西アフリカとはどんなにすごい場所なんだ・・・と思わずにはいられなかった。

確かに、東アフリカも南部アフリカも、その前に行ったインドも、トイレの虫はやばかった。むしろ、トイレとは虫の生息場所であり、人間はそれを使わせていただいていると考えたほうが正解に近いのではないだろうか。しかしそれをも越える西アフリカとは、果たして一体・・・。

覚悟してやって来たその西アフリカだが、最初の数日はハエと蚊がものすごく少なくて拍子抜けしてしまった。少ないに越したことはありませんがね。ここでも、田舎に行けばやはり虫は多いのだが、今のところ、ハエと蚊という世界一annoyingな生物に生活を邪魔されていないから非常に助かっている。私のアビジャンでの生活が快適な理由はズバリこのお陰であると思う。(もちろん、アビジャンでは割と効率的に社会がまわっているのも大きな理由だけど。)ハエと蚊・・・。前回のアフリカ滞在では、私は毎日のように、ハエと蚊に対してブチ切れていた。汚職や腐敗だけでなく、こんな虫ケラにもいちいち怒っていたのだから、ある意味忙しい毎日だったなぁ。

ヤツらの存在意義を哲学的に、あるいはエコロジー的に熟慮(もはや『考える』のレベルではなく、本当に『熟慮』していた)してみたりもした。ハエという生物が存在する理由はまだ理解できる。ハエが消えてしまえば、カエルや、他の小動物たちが困ってしまうからだ。でも、蚊は・・・。「うるさい・かゆい・忌々しい・マラリアの原因になる」など、人間を始め全ての生物にとって邪魔な存在である以外、ヤツらに役割などないのではないだろうか・・・。

また、果たしてこの地球上にどれくらいのハエや蚊がいて、そのうちの何パーセントと私は出会ったのだろうか、とも考えてみた。本当にくだらないけど、それくらい私の怒りは大きかった。だから、キリマンジャロに登ったときはパラダイスだった。蚊もハエもいない日が1週間も続くなんて、夢のようだったからだ。

テスト前に勉強したいときはもう大変だった。蚊のせいで勉強どころではない。ヤツらが活動的な夜には勉強などできない。部屋中の蚊を始末してから勉強したこともあったが、それでは勉強に取り掛かるまでに時間がかかる。平均で1時間半くらいかかったかな。私が蚊に対して躍起になっているとき、ルームメイトは何事もないかのように、テレビを見たり本を読んだりしていた。やっぱり、この環境でずっと育った地元の子にはかなわないね。

これ以上の忌々しい虫の侵入を防ぐために窓を締め切りの状態にすると、今度は暑くて集中できない。人間なんて、結局は自然には勝てないんだね。そう考えたときに、テストや単位なんて、所詮は人間界の一部にしか通用しないちっぽけな存在なんだよなと思い、全てがどうでもよくなるのだ。「蚊と暑さにやられた」というのは、テストで悪い成績をとるのに正当な理由であると、私は今でも信じている。

蚊に関するどうしようもないエピソードだが、マラウイやザンジバルなどの水辺では、蚊のせいでリアルに収集のつかない事態になってしまう。ウガンダの蚊がかわいらしく思えてくるくらいだったから相当だ。完璧に蚊帳で完全防備しても、蚊帳に穴が開いていないことを何度も確認しても、それでもしつこく蚊帳の中にいる蚊を全滅させてから寝ても、熟睡など夢のまた夢。どこからかヤツらは侵入しているからだ。これは不思議で仕方がなかったなぁ。どうして?どこから?どうやって入ってきたの?いつの間に!冒頭の、パンと蟻の話と似たようなものである。

夜中の蚊で本当に困るのは、あの恐怖感を与える音である。明るいところにいる蚊は憎たらしいだけなのに、暗闇で音を立てながらフワフワ飛んでる蚊は、精神的に恐怖感を与えるから参ってしまう。しかし、暗闇で人間に勝ち目はないので、もう降参してひたすら耐えるしかない。第一、夜中まで電気がつく場所が非常に少ないアフリカである。蚊に宣戦布告するためにわざわざ起き上がってロウソクや懐中電灯に明かりをともすのもアホらしい。蚊の音を忘れるために布団の中で無になろうと試みたり、プーンというあの気味の悪い音をエレキギターの音なんだと自分に言い聞かせようとしたこともあったが・・・結局は全てが無駄だった。

昼間は暑すぎて農作業ができないから、アフリカの田舎ではだいたいみんな、日中は木陰で昼寝をして過ごす。でもこれって実は、夜中は蚊のせいで熟睡できないからなんじゃないのかな・・・などと想像してみたりしてみなかったり。

モザンビークでは、私の人生史上最強の蚊と遭遇した。とにかく足が長く、蚊帳の外から、中に侵入せずに血を吸ってくるのだ。おかげでモザンビークにいたときは、体中が腫れ上がり、それを見て自分でも気持ち悪くなってしまうくらいだった。そのせいで日中も常に疲れていたし、イライラすることも多かった。そういえば、マラリアで「もうダメだ・・・」というあたりにまで追い込まれたのも、この国だった。

ハエは危害を加えないが、とにかく存在自体がウザいのである。乾季のハエは特にタチが悪い。汗を求めて腕に張り付き、蚊にさされた場所からわずかに出てくる血や体液をめがけて、ピンポイントで、しかも大勢で攻めてくる。ハエを寄せ付けないために、蚊に刺された場所にはバンソウコウをいちいち張らなければいけないほどだ。


激キモですね、こんな写真を載せて申し訳ないです。
蚊にさされたあとにたかるハエは、もう思い出しただけでイライラします。
マラウイ湖は文句なしに最高なのに・・・舟に乗っててもハエがやってくるのはどうしてなのでしょう。
どうして、あんなに大きな湖の真ん中にまでハエはいるのでしょうか。誰か頭がいい人教えて。



アフリカで生活していくうちに、私にとってハエとは、追い払うでもハエたたきをつかうでもなく、もはや平手打による攻撃の対象と化した。暑いときのハエは動きが鈍い。だから、3匹を一度の平手打ちでしとめるなんて朝飯前だ。これが履歴書の特技の欄に書ければいいのに。


モザンビークの地方都市の街角で、黙々とハエつぶしにいそしむ東洋人。
旅仲間だったサンディーとともに、日頃のヤツらに対するうっぷんを晴らすべく
こんなことをしたこともありました。くだらないなー。


何かを心から憎み、「こんなのいなくなっちゃえばいいのに」と思うときの人間は、どんな残酷なこともできる。そんなときは、一切の感情が消えてしまうのだ。私はそれを、ハエに対して感じていた。だから、コーラのビンに入り込んだハエをそこに閉じ込め、「ざまあ見ろ、バカでトロいからこうなるんだ」などと心の中でブツブツ言いながら、そこに水を加えて溺死させる様子をひたすら眺めるという、もはや幼稚園児レベルとしか言いようがない悪戯(?)もしょっちゅうした。しかし、こんなことを他の人に対してもやってしまう人もいるのだから、本当に人間とは残酷な生き物である。

ハエたちは日中に活動的だ。だから困る。夜は蚊に悩まされ、昼はハエに邪魔される。しかもその数がハンパない。もう本当にいい加減にして欲しいし、「うギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーおんどりゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」と発狂しそうになるけど、周りを見渡せば、地元の子供たちはそれを何とも思わずに生活している。いい年して本当に情けないなぁ、自分。そうだね、ひたすら耐えるしかないよね、所詮私は人間なのだから。



たくましいね、この子達は。ハエなんかでイライラしている自分が情けない。


虫ネタはまだまだある。エチオピアのノミやダニは本当にひどかった。しかし、虫ネタなんてあまりにもくだらない内容なので、今日はこの辺で。乾季をもうすぐ迎えるコートジボワールで蚊やハエが増えませんようにと願いつつ・・・おやすみ!