2009年9月22日火曜日

寮で働く人々とウガンダのあいさつ文化


ルームメイトと。衝突も何度もしたし、冷戦状態にもなったけど、
今思うとすごく憎めない子たちだったなぁ。今もたまに連絡取ってるよ。



ヴィッキー。勉強に対してはかなり真面目な子。



えーっと、今さらながら、ウガンダ時代の思い出についても書いていこうと思います。なので、これからはコートジボワールの生活についてとウガンダの生活について、両方のエピソードを書いていきますが、混乱しないようによろしくお願いしまーす♪

私がアフリカホールに入寮してから三日後にジョアンが、五日後にはヴィッキーが、それぞれC8にやってきた。ジョアンは、工学部に所属している背が高くて痩せているボーイッシュな女の子で、カンパラ市内出身。対するヴィッキーは、マスコミ学を勉強している、声が甲高くてきゃぴきゃぴしている子だ。

彼女の出身は、白ナイル川の源流といわれているジンジャという町だ。一応国では二番目に大きな町ではあるが、そこは小さな国ウガンダ。カンパラのような喧騒もなく、小ぢんまりとしている。コロニアル調の建物があったりして、なかなかいい雰囲気だ。ジンジャは世界有数のラフティングの名所で、これを目当てにウガンダを訪れる人も少なくない。

二人とも比較的裕福な家庭の出身で、新年度に新しく部屋に入る際には、テレビやオーティオ機器、湯沸かし器などを持ってきてくれた。殺風景だった部屋も、彼女たちがやってきた後には、生活臭の漂う住み心地のいい部屋へと変わっていった。

とはいっても、洗濯機や掃除機、冷蔵庫などは夢のまた夢。洗濯は全て手荒い、或いは、少しのお金を払って、プロの洗濯おばさんに任せるしかなかった。バケツ一杯分頼んだとしても、交渉次第ではあるが1000シリング(60円くらい)でやってくれる。何人もいるアフリカホールの洗濯おばさんの中で、エルザおばさんという、顔をくしゃくしゃにして笑う素敵な人が私のお気に入りの人だった。

彼女の洗濯は神業だ。大げさではなく、本当に。彼女が落とせない汚れはなかったし、洗濯をする手の動きそのものが芸術だった。洗い終わったら、寮の中庭の芝生の上に洗濯物を広げ、ウガンダの優しい太陽の下で乾かすのだ。

寮で 洗濯を干しているときはこんな感じ。



朝、たまに顔を合わせると、お腹の底から大きな声で挨拶をしてくれたのも彼女だった。あまりにも声が大きかったので、エルザおばさんの姿が見えなくても、彼女がそこにいるとすぐに分かった。英語が話せないエルザおばさんは、ウガンダの東部の出身らしく、私たちの会話はもっぱらスワヒリ語だった。彼女はいつまでも私のことをビビ・ムズング(白人のねーちゃん)と呼び続けた。「ビビ・ムズング、今日は洗濯物はないのかい?」「ビビ・ムズング、今週はまだ洗濯物が出ていないじゃないか」こんな調子だ。

ウガンダでは、お店でも食堂でもお釣りが不足している。当然、洗濯おばさんたちもお釣りなど持っていると思ってはいけない。細かいお金がないときは次回一緒に払えばいいのだが、エルザさんをはじめ、彼女たちの驚くべきところは、誰がいくら払ったのか、誰がいくら分払っていないのかを、書いていないのにきちんと把握していることだ。彼女たちはアフリカホールだけでなく、寮の外からも洗濯を頼まれていた。ウガンダ人はすぐにものを忘れ、忘れてもヘラヘラしているからいつも私はイライラしていたが、自分の稼ぐ分となると話は別だ。そして、彼女たちの商売能力(?)には頭が上がらない。

アフリカホールには、他にも料理や掃除をするおじさんやおばさん、売店のお兄ちゃん、アスカリ(警備員)のおじさん、エアタイム(携帯のプリペイドカード)を売っているお姉ちゃんなど、様々な人々が働いていた。「働いていた」とはいっても、どっしりとのんびりとそれぞれの仕事を適度にこなし、お腹がすいたら食べ、木陰で昼寝をし、残りの時間はおしゃべりに花を咲かせる、といった具合だが。今思うと、カンパラは本当にのんびりしていた。現在暮らしているアビジャンも似たようなものだが、こちらはもっとせかせかしている。


寮で靴を直すおじさん。でも、一日の大半はこーんな感じにダラダラ過ごします。


入寮した日にそのうちの何人かに挨拶を済ませたが、たちまち私はアフリカホールの超有名人になった。私の苗字である品川はガンダ語の人名であるナガワにそっくりであるため、先述したエルザおばさん以外は、みんな私のことをナガワと呼んだ。

ウガンダでは、コミュニケーションにおいて挨拶ほど重要なものはない。日本で初めて受けたスワヒリ語の授業の際に、挨拶表現だけで授業時間が丸々終わってしまって驚いた記憶があるが、それほど挨拶のレパートリーは豊富なのだ。

ウガンダでは、「こんにちは」はただの「こんにちは」では済まされない。例を挙げてみよう。例えば、私は毎朝、寮の食堂のおじちゃん・おばちゃんたち一人ひとりとこんな“あいさつ”をする。

「ナガワ、おはよう。」
「おはようございまーす。」
「元気?調子はどう?」
「まあまあかな。」
「夜はどうだった?(=よく眠れた?)」
「うん、おかげさまで。」
「昨日はどんな日だった?何をしたの?」
「授業に行って、買い物に行って・・・」
「先生は元気だったかい?」
「ええ、まあ。」
「家族はどうだい?日本で元気にしてるかい?」
「多分ね。最近電話してないからわからないけど。」
「弟はちゃんと勉強してるかい?」
「してるんだかしてないんだか。」
「ルームメートはどうだい?」
「相変わらず、一緒にギャーギャーやってるよ。」
「今日はどんな予定だい?」
「えーっと今日は・・・」

以下、ダラダラと続くため省略。

一人に挨拶するのに5分はかかる。時間や心に余裕のある時は私も長々と挨拶をしたのだが、授業に遅れそうな時などは大変だ。適当にあしらうと、みんな悲しそうな顔をして「どうして挨拶してくれないんだい?」「私たちの文化では、あいさつは重要なんだよ」と、のーんびりと訴えかけてくるのだ。あんな顔をされてしまうと、こちらだって申し訳ない気持ちでいっぱいになる。そして結局、授業に間に合うことよりも挨拶を優先させてしまうのだ。

寮のおじちゃん・おばちゃんと。残念ながら、エルザさんはこの日は
村へ帰ってしまい、ここにはおりませんでした・・・。


挨拶に関して忘れられないエピソードがある。ウガンダに到着して間もない頃、いつものように掃除のおばちゃんと挨拶をしていた。彼女は私に、「牛はどう?」と聞いてきたのだ。一瞬にして私の頭は???でいっぱいになった。牛?一体何のことだ?昨日の昼ごはんの牛肉スープのことを言っているのかな?

しかし、彼女は「日本人=金持ち=牛をたくさん持っている」という発想のもと、私の実家にいるであろう牛について聞いてきたのだった。残念ながら私の実家には牛はいない。その旨を伝えると、非常に驚いた顔をしていた。

どの人も本当に無邪気によく笑うのだ。そして、同じことをネタにして、何度も何度も笑う。1年間の留学生活の終わりの頃になっても、未だに私の名前についてみんな笑い続けていた。「ナガワ、あんたはムズングなのに、ガンダ語の名前があるんだね。あーっはっはっはっは!!!」

私がガンダ語で簡単なことを言ったときなど大騒ぎだ。「アイヤイヤイヤイヤー(ウガンダ人の口癖)!!!みんな聞いたかい?ナガワがガンダ語を話しているよ。ナガワ、あんたは賢い子だねぇ。」ウガンダで生活でもしていれば、簡単なガンダ語くらい話せて当然なのだが。

他のウガンダ人同士のあいさつを聞いていると、もう本当に笑うしかない。子どもの学校のこと、昨夜のご飯のこと、家畜のこと、天気のこと・・・。ありとあらゆることについて質問をしたがるのだ。そして、それらが決して単なる決まり文句なのではなく、彼らが本当に興味関心を抱いてそのような質問を投げかけているということは、典型的なウガンダ人と一度あいさつをすれば明らかになるだろう。聞いてどうこうというのではなく、ただ単に知りたいのだ。知ることで、みんなの生活が平穏に送られていることを確認し、安心したいのである。

毎日とりたてて大きな変化のないように見える彼らの生活ではあるが、人々がどれだけそれを感謝しているか、そしてそんな日常生活の中でも確実に起きている小さな変化にどれだけ注意を払っているかということが、このあいさつ文化からうかがい知ることができる。

もしもあなたがウガンダに来て、街中で、手と手を握りしめた状態で見つめあいながら会話をしているおじさんたちを見ても、決して驚かないで欲しい。(念のために言っておくが、ウガンダはもとより、アフリカ社会では同性愛はタブーであり、存在しないことになっている。)これも彼らのあいさつなのだ。前にこっそりと人間観察をしていたときに、4分20秒も握手をしたままあいさつをし続けていた人を見た。

とろけそうなほど暑い日の日差しの中で、体の大きな知り合いに会ってしまったときなど、もう完全にアウトだ。ただでさえ暑いのに、そこに握手も加わって、もう暑苦しくて暑苦しくて仕方がない。私はいつも、どのタイミングで手を離そうかで迷ってしまう。余計な心配ではあるが、手のひらにじわりとにじみ出てくる汗も気になってくる。

それでも人々にしてみれば、そんなのお構いなしである。彼らの笑顔は本物で、友好的な態度も表面的なものでは決してない。時間はかかるし合理的でもないけれど、とても大事に扱われている感じがしてなかなか悪いものではない。

2009年9月21日月曜日

ダイエット作戦

エアロビの 最後には一応ストレッチ。


エアロビの様子。


受付のところに貼ってある写真の数々。

バナナ畑でポーズをとるボディービルダー。素敵です。


海外で生活すると、毎回体重が激増する私。2ヶ月くらいの旅行なら、逆に少しやせるようだが、それ以上の期間の「生活」となるとどうやらダメなことが経験から分かってきた。

高校時代の10ヶ月のオーストラリア留学。ホストファミリーに初めて空港で会った際、家族みんながビッグなものだからあっけに取られたのを今でも鮮明に覚えている。「この人たちと一緒に生活するのか・・・」と思うと同時に、ある覚悟が私の中で芽生えた。お父さんは「フライドポテトは芋だから野菜だ」と言いのけた人物で、冷凍庫の中には5リットルのアイスが常備してあった。5リットルとか、日本では飲み物だってそんなサイズでは売っておりません。

また、よく今ではネタにするのだが、当時の私はあまりにも面白いくらいに体重計の数字が増えていくので、ある日暇つぶしに電子辞書の広辞苑で「体重」と調べてみた。(もう何度も聞かされたというそこのアナタ、しつこくてごめんなさいね。どうぞこの部分は飛ばしてお読みください。)

「体重」 からだの重さ

うん・・・じゃぁ「重さ」って実は何を意味するのだろう。

「重さ」 地球上の物体に働く重力の大きさ。

そこで「重力」を調べてみると・・・

「重力」 地球上の物体に下向きに働いて重さの原因になる力。地球との間に働く万有引力と、地球自転による遠心力との合力。同じ物体についても地球上の場所によって幾分異なる。

超ポジティブ思考なのか、それともただのおバカさんなのか。「日本とオーストラリアでは、きっと遠心力が違うんだ」と勝手に決め付けた私は、どんなにジャンクを食べても若いうちは太らないオージーの子達と一緒に調子に乗って食べ続け、結果として日本へ帰国後、実は日本もオーストラリアも遠心力が一緒である(=体重はどっちの国で量っても同じである)ことを文字通り体感したのであった。そして、制服のスカートがはけなくなっており、また、レディースのジーンズが入らないためにメンズを買わなければいけなかったという屈辱(?)を味わった。

海外生活第2回目となった前回のアフリカ滞在。留学と旅行を合わせると、14ヶ月に及ぶ。前にも少し書いたが、マラリアなどで一時期体重が激減したのにもかかわらず、最後はラマダンで調子に乗って食べ続けたのが致命的だった。ラマダン中、人々は一晩中飲み食いする。しかも、いかにもカロリーの高そうなご飯に、砂糖よりも甘いと言っても過言ではないアラブのお菓子を食べては寝て、起きてはまた食べるというスタイルだ。郷に入れば郷に従えを座右の銘とする私はそれを実行し、結果として帰国後、大学のとある友人には「焦げたアンパンマン」と呼ばれ、また別の友人には「『太った女性を美しいとする国に長く居すぎたんですね』としかコメントのしようがない」と言われるまでになってしまった。

そういえば、少しずつ確実に肥えてゆく私を見て、ウガンダ時代にいつも行っていた市場の人々は「ナガワ(私のガンダ語の名前)はだんだん綺麗になっていくね。今じゃとても強そうに見えるよ。いい感じだ。」と毎回のように言っていた。むこうは褒めているつもりでも、こっちはガビーンである。強そうなのが若い女の子にとって「いい感じ」なのは、もちろん、水や薪を頭に載せて炎天下を歩いても大丈夫そう(=いい嫁の条件)だからであろう。カンパラのような都市部に住む人にとっては水も薪も生活には必要ないのだが、伝統的な価値観は未だに人々の中に強く存在している。

そこでウガンダ時代の私は、とにかく歩いた。カンパラは小さいし、悶えそうになるほど暑くはないので、この作戦が効果的であったかどうかは別として、とにかく歩いた。しかし、ただでさえ汗かきの私は、少し歩いただけで滝のような汗が吹き出てくる。よくウガンダ人に「sorry(この場合のsorryは、謝罪ではなく同情を意味する)」と言われた。ウガンダ人が常に口にしているsorryであるが、最初は汗をかいてるぐらいでどうして同情されているのかがチンプンカンプンであった。だんだん分かってきたのは、彼らにとって汗をかいている人というのは疲れている人のことであり、その疲労に対してのsorryなのであった。そんなに疲れてるのなら、もっとのんびりと生きていけばいいのに―そのようにも意味の取れるsorryだ。

さてさて今回はどうなることやら。

コートジボワールのご飯は、他のアフリカ地域と同様、かなりの量の油を使う。そして炭水化物の消費量がハンパない。最初からあまり食べないようにすればいいのだが、いやいや、それは無理だ。あまり食べないと、すぐに周りが大騒ぎになる。「具合でも悪いんじゃないか!!」「ああ、この子は私たちのご飯が嫌いなのよ!!」「コラコラ、食べなきゃダメじゃないかい(←もはや半分脅し。パワフルなおばちゃんにこんな事言われてしまうと
さすがにビビる)!!」などなど。

アビジャンでは家から職場まではタクシーだし、道路の質があまりにも悪く、どこへ行ってもごみごみしており、しかも外が溶けそうなほど暑いので、「趣味・散歩」と言い切る私でも、木陰でダラダラしていたくなる。やばいやばいやばい。このままでは、二度あることは三度あるの諺通りになってしまう。そこで、職場のすぐ近くにある通称「トレーニングセンター」に入会することにした。

この「トレーニングセンター」、朝10時くらいから夜は7時半くらいまでやっており、コートジボワール的には営業時間の面では◎だ。アビジャンのビジネス街であるLe Plateauにあるため、仕事帰りのビジネスマンも多く利用している。ジムの人はみんな良い人で、仕事で遅くなったときには8時近くまで開けておいてくれる場合もある。値段は学生料金で月に22000フラン(4500円)と意外と高い。しかし、これを払える裕福層の間では、健康でヘルシーな生活に対する意識が高まっているのは事実だ。

更衣室は一応あるが、ロッカーのセキュリティーなど期待してはいけない。私はロッカーは決して使わず、常に自分の持ち物は目で見える範囲内に置いておくようにしている。トイレにきちんと紙と鍵があるのは素晴らしいが、シャワーは当然水のみ。この熱帯のジムだから、そもそもお湯なんていらないけどね。

一階がトレーニングジムとなっており、古そうな器具が所狭しと並べられている。ランニングマシンの近くには一応テレビが設置してあるが、動くわけもなく、ただのデコレーションと化している。アフリカンミュージックかレゲエが常に流れているが、これもしょっちゅう止まってしまう。マッチョなイボリアンからでぶでぶのおじさん・おばさんまで、様々な人が利用している。みんな頑張ってるね。

二階にはスタジオがある。冷房は付いているが機能しているわけもなく、天井につけられた扇風機が、たまにゆるい風を送っているのみだ。まったくもって意味がないのだが、窓を開けると風通しがいい。床はかなり汚いので、エアロビなんかで床に触る動きがあると大変だ。汗でベッタリしている肌に、埃や汚れがくっつくのだ。そりゃそうだよね。みんな土足でジムを利用しているのだから。

このエアロビは、かなりアフリカンだ。

まず、みんな遅刻してやってくる。日本では、ウォームアップが終わってしまうと中に入れてもらえないことがほとんどだ。しかし、こちらではみんなが遅れてやってくるため、そんなことは決してない。この前など、残り時間あと10分という時にレバノン人のおっさんがチンタラと入ってきた。出るもの拒まず、去るもの追わず。途中退出もみんなが自由にする。毎回、腹筋が始まるときと終わるときとでは、人数が半数ほどにまで減ってしまう。特にがっぽりしたおばちゃんなんかは、「アイヤイヤイヤイヤー」などと言いながらサッサと退散してしまう。

それから、たまにエアロビなんだかカラオケなんだか分からなくなることがある。動きがあまりにもキツくて脱落した人は、少しの休憩をはさんで流れている歌を歌いだすのだ。鼻歌のつもりなのだろうが、アフリカの人の鼻歌は日本人にとっての熱唱であることをお忘れなく。こっちが一生懸命腹筋しようとしているときには、カラオケを始めないでほしいものだ。笑ってしまい、腹筋どころではなくなるからだ。

また先生もアフリカンな人ばかりだ。体力も身体能力も超人並なのだろうが、どこか抜けているのだ。掛け声だけはイッチョ前で、動きも相当エネルギッシュなのだが。例えば、流す音楽が明らかにおかしい。タイタニックのテーマでリズミカルなエアロビなんて、そもそもできないっつーのと言いたくもなる。当然、リズムなど完全無視で、音楽はBGMに過ぎない。服装も、アメリカの黒人ファッションを真似しようとして真似し切れていない人から、10年は着ていると思われるランニングシャツに短パンというスタイルのおじさんまで、様々だ。

彼らは、カウントを呼びかけるときにもやたらと間違える。さっきまで8カウントで音をとっていたのに、気が付いたらそれが10になっているなどよくあることだ。数字を飛ばして数えてしまうなど、小学生並の間違いも見受けられる。まぁ、そこら辺はご愛嬌ということで。

この先生たちが、どのような経緯と経験でこの仕事に就いたのかは私の知ったことではないが、一つだけ確かなのは、誰も科学的根拠に基づいたエアロビなど行っていないことだ。両手に1キロのダンベルを握り、その状態で腕を振り回しながらスキップで部屋をウロウロするとかね。しかも水分補給の時間がないため、先生の指示通りに動いたら、1時間ぶっ通しで動くハメになる。

実は私、ウガンダでも数回ほどエアロビに参加したことがある。キャンパス内に、フライドポテトなどの不健康なメニューのみを出すカフェテリアがあったのだが、エアロビの部屋はそのカフェの奥にあった。エアロビを終えた人々は、よくここで食事をしていたなぁ。全然意味ないじゃん!!っていう感じだけどね。授業の関係でこのエアロビにはあまり行けなかったが、今となっては貴重な経験(?)だなぁ。

ここでも、やはり科学的根拠とは一切関係ない、オリジナルエアロビが毎回展開されていた。古い木造の踏み台を使ったレッスンが多かったが、巨大なおっさんなんかはたまに派手にコケたりするなど、危険極まりない。それでも先生はエネルギッシュに叫びながら続けていく。ある意味体育会系だし、こちらも必死になる。

かかっていた音楽はコンゴ生まれのリンガラミュージックだが、このリンガラ、なかなかのクセ物で、1曲がなかなか終わらない。曲調も一定だから、「あーーーいつ終わるんじゃい!!」と、途中からイライラしてくる。

ある日、日本から来た友達をこのエアロビに連れて行ったが、彼女は最初から最後まで大喜び(?)で写真やビデオをバンバン撮っていた。アフリカに来てエアロビをする経験は、なかなかできるものではあるまい。みなさんもアフリカにいらした際には、サファリやビーチもいいけれど、本場のアフリカン・エアロビを楽しんでみてはいかがだろうか。

2009年9月15日火曜日

アフリカの中の日本

アメリカで食べたそこらへんのお寿司よりもおいしかった、Osakaの寿司セット。





今や世界共通語となったKawaii。これは、スーパーに売っていた、女の子用のスクールバッグ。

でも・・・その下に書いてある「悪」って何じゃーーー!!



日曜日に本屋さんに行ったが、そこには、なんとMangaのコーナーがあった。そこにはクレヨンしんちゃんやはじめの一歩なんかがあったりして、かなり興奮した!!

フランスは、日本に次ぐ世界第二のオタク大国。自分たちでそう言っているのだからよっぽどなのであろう。アニメやマンガは、私なんかよりも普通のフランス人のほうがよく知っているくらいだ。日本のドラマも大人気。一度、ドラマが大好きなお洒落パリジェンヌの友達に「花より男子」について聞かれた。しかし、日本のドラマを全く見ない私に彼女は何を期待していたのか、そんなの見たことないよって正直に白状したら、「え!?日本人なのにそんなことも知らないの??がっかりだわ」と言われてしまった。

パリのオペラ座の近くは日本人街になっていて、ラーメン屋(早大生の強い味方である一風堂もあるよ!!)や日本食スーパーはもちろん、ブックオフまである。パリにいた頃、なぜか天草四郎が大好きなフランス人の友達とお好み焼きを食べにオペラ座まで行ったのだが、そこでは店に並んでいるコスプレ族やロリータをチラホラと目撃することができた。もちろんみんなフランス人。日本式カラオケだって毎晩盛り上がりがすごいみたいね。それに、毎年開かれているフレンチ・オタクの祭典・Japan Expoは、今年も大大大盛況だったようだ。

しかし、日本からフランスへと海を越えたオタク文化が、更に海を越えてアフリカ大陸のこんなところにまでたどり着いているとは!!そういえば、パリのアフリカ人コミュニティーからも、仏語圏アフリカで増え続けるOtakuについて聞いたことがあったなぁ。

仕事を通して知り合ったトーゴ人の息子は自称「在トーゴ・オタクの草分け的存在」らしく、漫画やアニメにゾッコンなんだとか。同じようにして知り合ったセネガル人は、ダカールにはアニメのDVDがあまり手に入らないからと、ネット上のアニメを日本語で見ている(日本語が分からないのに!!)と私に教えてくれた。カメルーン育ちの男の子にワンピースの歌を日本語(っぽい言語)で歌われたときには、こっちまで感動してしまった。彼のワンピースに対する思い入れは相当なもので、「あれは芸術だ。ギャグと冒険物語を取り入れながら、道徳的教育もしてしまうなんて!!日本人は素晴らしい」と、大絶賛していた。

やはりアフリカでは、Mangaに手が届くのは中産階級以上の人のみだ。それでもオタク文化は国境も肌の色も越える。今度、秋葉原で「マンガを通した平和の実現」というフォーラムでも開きましょうか。どう思う?これなら麻生さんにとっても難しすぎないだろうし。

日本文化の話からそれてしまうが、このMangaの本屋に来たときに面白い光景に出くわした。エスカレーターだ。イボリアンの多くはエスカレーターを恐れているらしく、私の同僚も、運転がすごく上手なのに「私は階段じゃないといやなの」と、事あるごとに階段を使っている。この日目撃したのは若いカップルだったが、二人ともエスカレーターの上り口のところで止まったままなかなか進もうとしない。何度か最初の一歩を踏み出そうとしても、思うように上れないのだ。しばらくその状態が続き、ついに彼氏の方がバランスをくずしながらもエスカレーターに乗り込んだ。彼女も、彼に手を引かれてようやく乗ることができた。見ているこっちまで、思わずガッツポーズをしてしまった。よかったね。

さて、この本屋の近くには、レバノン人経営(という時点で怪しさ全開の)Kaitenという自称日本料理屋がある。その先にはもう一つ、シンガポール人経営のOsakaというレストランがある。ウガンダ唯一の日本料理店だったKyoto Restaurantを髣髴とさせるKaitenとOsaka・・・うん、なんか勘違いしてそう。

ちなみにウガンダのKyoto Restaurantとは、トルコ人によって経営されている。敷地に入るとすぐに鳥居のモニュメントがあるが、店内には中国風のデコレーションと、見るからに100均で買ったと思われるどうしょもない置物がたくさんあるだけだ。味は東南アジアとも東アジアとも言えないどっちつかずの中途半端で、従業員のサービスに至っては最悪のレストランだ。

Kyoto Restaurantの豆腐の厚揚げ。
店員が別の豆腐料理を注文してから1時間後に持ってきて、、
「これ頼んでないんだけど」と注意したら、「間違っているのはあなたのほうだ」と逆ギレされ、
マネージャー呼んで、もめにもめた末にようやく出てきた豆腐の厚揚げ。
あのレストランのサービスについては、あとでまた書きますが・・・ひどかったよー。



よく、アフリカの人に日本料理について聞かれるのだが、刺身について説明をすると、みんな顔が一瞬凍りつく。モザンビークもエチオピアも、マラウイもコートジボワールもそうだ。老若男女問わず、私のおざっぱな統計では9割以上の人が同じ反応を示すのだ。ニタニタしながら目を丸くして顔が凍りつくため、ものすごくかわいい。私は、刺身のコンセプトを説明した直後の彼らの顔が大好きだ。そして必ず「ッアー!!」と、裏声でナイスなリアクションを見せてくれる。今度、そのリアクションをビデオで隠し撮りしてブログに載せるね。本当にかわいいよ。

さて、あんなに怪しいと思っていたOsakaであるが、案外早く行く機会に恵まれた。日本大使館で働いている、大阪出身(なのに巨人ファン)のKさんに連れて行っていただいたのだ。ちなみにKさんは元大阪府警の刑事さんで、かなり面白い経験をたくさんされている。本当にエラい人なのに、本当に吉本にいそうな雰囲気でウケる(もしもこれを本人が読んでいたら・・・ごめんなさーい)。外務省も、外交に最も適した人材をゲットできてよかったね!!

このKさん曰く、コートジボワールには日本人が約30人いるそうだ。この30という数字を多いと見るか少ないと見るかはわからないが、そのうち10人は大使館関係者だという。どっちにしても日本人は天然記念物並みであることがわかった。なるほど。La crise、日本語ではコートジボワール内戦って言われているけど、その後、企業もJICAもここから撤退しちゃったきりだから仕方がないね。アビジャンの大使館は大変だ。ニジェール、トーゴとベナンも担当しているのだから。

Osakaに到着してみると、確かに!!看板には大きくOSAKAと書いてある。それだけではない。横には地味に漢字表記までされているではないか。本当に(というかさすが)大阪@アビジャンだね。レストランの入り口は鉄格子で厳重警備されているし、怪しい赤いネオンがなんとも言いがたかったが、中に入るとそこはアジアな雰囲気だった。決して大阪ではなかったし、日本ですらなかったけどね。



Osakaの看板


うん、純和風とは言いがたいけど、なかなか頑張ってジャポネな雰囲気は出しています。



オーナーは、ものすごくありがたそうな顔をしている面白いシンガポール人のおっちゃんだ。顔からも分かるとおり(?)、かなり気前もいい。この日は、立派な海老料理を2皿もサービスしてくれた。ありがたい顔のオーナーと、吉本系外交官であるKさんが一緒になると、そこらの芸人よりもはるかに面白い。

オーナーの奥さんが東芝で2年働くために大阪にいたらしく、Osakaのネーミングもそこからきたのだとか。二人は奥さんの日本滞在後に中国で出会い、レバノンで日本料理屋を経営していたとき、西アフリカに行って一旗上げようとするレバノン人に誘われてアビジャンに来たらしい。従業員にはかわいらしいフィリピン人のお姉さんもいた。別にフランス語が話せるわけでもないのに、彼女はどういう経緯で(アジアから見た)最果ての地である西アフリカなんぞに来てしまったのだろうか。まぁいい。私も人のこと言える立場にないのだから。

オーナー曰く、客層の7割は金持ちボンボンのレバノン人。2割が国連やNGOなどで働くインターナショナルな人々で、残りの1割は在外イボリアン(パリなどに住んでいるイボリアン)なんだとか。なるほど。私たちが行ったときも、フランス人と思われる人々や中国人、コートジボワール経済を牛耳るレバノン人ばかりが目に付いた。

このオーナーの方針なのか、ここでは従業員全員がgot sushi ?というオリジナルTシャツを着ている。彼自身もI love sushiと書かれた、よく見ると若干下ネタが入ったデザインのTシャツを着ている。オーナーの寿司に対するアツい思い入れが伝わってくる。




Osakaのオーナー。ノリがいいおじさん。彼のTシャツからも、寿司に対する並々ならぬ(?)愛情を感じる。

隣のお姉さんは従業員さん。



ちなみに、従業員のユニフォームであるTシャツの背中には、こんなことが書かれております。

アビジャン土産に一つ欲しいなぁ。




メニューはやはり、ウガンダのKyoto by トルコ人のそれとやはり変わらない。どことなく日本料理が勘違いされているが、トルコよりシンガポールの方がやっぱり日本に近いね。東アジアか東南アジアかどっちつかずなのではなく、中華と混同されている程度でよかったよかった。味も、日本料理だと思わずに食べればなんの問題もない。

客層でも分かるとおり、値段は確かに結構高い。タマゴのニギリやかっぱ巻きがそれぞれ2貫で1350フラン(約250円)である。味噌汁が3000フラン(約600円)。海外のちょっと洒落た日本レストランならこれくらいはするだろうけど・・・。なるほど、どんなにコートジボワールがアフリカの中じゃ経済的に進んでいるほうだとはいえ、一人当たりの平均GDPが約1100ドル(10万円)であるこの国では、大多数の市民にはOsakaは手が届かないね。

それでもオーナーは、おいしくてヘルシーな日本料理は必ずアフリカでも成功すると見込んで、積極的にマーケティングをしている。アビジャンには裕福な人が比較的増えてきているのと、日本料理の世界的なブームを考慮してのことらしい。「アビジャンの中産階級は、日本料理と他のアジアの料理の違いを知っている(本当かよ~?と突っ込まずにはいられなかったけど)。そして、経済が発達するのと同時進行で、人々の健康に対する意識も高まりつつある。だんだんここの人も、ヘルシー志向になってきている。アビジャンでも日本料理がヒットするのは時間の問題だ。」

近いうちにSakuraというレストランを開店させて、多くの人に喜んでもらいたいといっていたオーナー。シンガポール人だけど、日本の文化を熱意を持って伝えている彼を嬉しく思う反面、「もっと日本人もアフリカで頑張らないとなぁ」と思わされた。



2009年9月14日月曜日

ヤムスクロで私も考えた その2 ~カリスマ独裁者~

ヤムスクロの工科大学の図書館。いいデザインでしょ?本もちゃんとある。

アマドゥ。懐かしい母校の前で。

初代大統領の銅像。



キャンパス内の様子。めっちゃきれい。


日本語訳すると、「天才の通路」といったところでしょうか。大学の一角。




アマドゥの母校である工業大学へ行った。同じアフリカの国立大学でも、マケレレとは全然違う。湖と森のすぐ隣に位置する広い広いキャンパスの中には、校舎はもちろん、郵便局や体育館、お店や劇場兼映画館まであり、キャンパス内で勉強も生活もできるような空間になっている。どの建物もヤムスクロの街と同じでやはり巨大だが、なかなか素敵な建築だ。80年代に建てられたというこの学校も、アビジャンのLe plateauと同様、所々壊れていたり薄汚れているのが否めないが、建物がきちんと有効的に使われているという印象を受けた。さすがコートジボワール。エアコンももちろん完備だ。図書館にも本が所狭しと並んでおり、中身がほぼ空っぽのマケレレの図書館とはこれまた対照的だった。

気になるのは寮。誰かの部屋の中に入ることはできなかったが、寮生全員が個室をもらえるらしい。もちろんキッチンも付いている。すごーい。共同トイレとシャワーを見たが、マケレレの女子寮ナンバー1と言われている(←事実)Africa Hallのそれよりもずっと清潔そうだった。清潔かどうかなんて、目で見て判断するものではないから、実際のところはよく分からないが。やはりマケレレ同様、トイレの鍵ははずされてない状態であった。

この大学は、コートジボワールの中でも選りすぐりの優秀な学生しか入学できない。学生が払うのは年間約25ユーロのみ。これで授業料も医療費も寮費も食費も全てがカバーされ、残りは政府が払ってくれるんだって!!その代わり、学生は優秀な成績を修めることが条件だ。日本にもこんな大学があればいいのに・・・と思ってしまう。

コートジボワールでも、他の普通の国立大学は、マケレレ大学と同じような問題を抱えているという。

マケレレも、イディ・アミンの時代や70、80年代の内戦のころは、ヤムスクロの工科大学と似たような制度を取り入れていたらしい。今じゃ信じられない話だけど、当時は全員が奨学生で少人数教育だったんだって。70,80年代といえば、コートジボワールでも経済や社会インフラが発展していた「イボワールの奇跡」と同じ時期だね。よく、今日のアフリカの状態を悲観視する専門家が「独立後間もないアフリカはまだよかった。ほとんどの国では独裁者がある意味で安定した政権を保っており、経済もインフラも今日のそれよりずっといい状態だった。」と言っている。あの頃の人々には、新しい国を自分たちの手で作り上げるという希望と情熱があった。これは当時をよく知るアフリカの人もよく口にしていることだ。

「マケレレもね~、昔は本当にいい大学だったんだけどね。」とさびしそうに話していた、マケレレ卒のとある教授の言葉が忘れられない。

大学の客間に案内された。ゆったりした美しい部屋の正面には、初代大統領のウフェボワニの写真がかけてある。ゴージャスでアフリカン・テイストな部屋の雰囲気と合わさると、彼がまるで、コートジボワールという国の王様であるかのように私には思えてきた。ウフェボワニが一共和国の大統領で、33年もその座に居座り続けた事実を頭で考えると、「またこのパターンか・・・」と思わずにいられなかった。



Papa du Pays(国のお父さん)であるウフェボワニ


ゴージャスな客間と、ウフェボワニの写真。


私は基本的にアフリカのBig Manが好きではない。彼らの多くはカネと権力にすがりつき、人々のことなど何とも思っていないからである。

どうしてなのだろう。

どんなに世界的に評価されているリーダーも、人々から好かれているリーダーも、最終的には長期政権を維持するBig Manがアフリカではほとんどだ。私は南アのマンデラ元大統領を心から尊敬している。もちろん、アパルトヘイトと闘い続けたこともその理由の一つだが、それよりも、彼は28年間も投獄されてようやく大統領になったのに、5年の任期を終えるとその座から潔く退いた。

優れたリーダーとは、次世代のリーダー育成を怠らない人のことをいうのだという名言(?)を聞いたことがある。彼が退いたあとのANC(マンデラの政党で、今でも南アの与党)は、残念ながら権力闘争と汚職でカオスと化してしまったが、マンデラのように自ら権力を手放す政治家はアフリカでは皆無に近い。そういう意味で、アフリカの父のような存在である彼を、もっと多くのBig Manにも見習ってもらいたい。評価されているBig Manにも、評価されているからこそ、マンデラのようになってもらいたい。

イボリアンたちはウフェボワニを建国の父として今でも敬愛している。彼の話をするときは、大統領という雲の上の存在ではなく、自分のお父さんか、村の首長さんの話をしているような口調になる。「イボワールの奇跡」の頃、コートジボワールが他の西アフリカ諸国とは比較できないほどの経済成長を遂げたのは彼のおかげだし、彼のおかげで医療も教育もこの国では随分発展した。彼は自分の出身民族やクラン(氏族)を特別扱いはせず、国民全員をコートジボワール人という新しいアイデンティティでまとめあげた。

たかだか2週間しか経っていない私のコートジボワール滞在であるが、どのイボリアンと話しても、みんながみんな彼に対して肯定的な意見を持っていることに驚かされる。カリスマ性があったのかな。日本に住んでいるアマドゥでさえも、ウフェボワニを高評価している。

ウフェボワニが大統領だった頃も、当然コートジボワール社会には汚職が蔓延していたという。また、他のアフリカの大統領と同様、彼が国家の資金を私的に横領していたのは明らかだ。その証拠として、ヤムスクロにある彼の私宅は皇居並みに大きく、お堀にはワニが生息している(←本当だよ。私はこの目で見ました 笑。実際の面積が皇居並みかどうかは知らないけど、敷地の端から反対側までの感じだと、皇居ぐらいはあったと思う。ベルサイユ宮殿ほどではなかったけどね。更にトリビアになりますが、お堀のワニには毎日夕方5時になると、警備員が餌付けをするらしいよ。私はこの日、餌付けの様子も見ました。マジでワニだった!!)。

ウフェボワニのお家。まぁ、土地の値段が東京とヤムスクロじゃ全然違うから、やっぱ皇居とは比較しちゃいけないね。


ワニが生息するお堀。右手に見えるヤシの木の部分は、お堀を渡る道路。

しかし、それでもイボリアンたちが彼を高く評価しているのは、彼が実績を残したからである。人々からとるだけとって何もしない他のリーダーとは違い、ウフェボワニはカネと権力に固執しながらもきちんと国民を満足させ、国づくりに成功した。 彼がいなくなった今、コートジボワールの貧困層は増え、国民の暮らしは(数字上は)悪化した(とは言っても、政治以外にも、人口爆発や世界経済の影響など、たくさん原因はあるけどね)。 他のアフリカ諸国とは比べられないほどの経済発展を遂げ、他のアフリカ諸国とは全然違ったリーダーがいたこの国の歴史は、皮肉にも、他のアフリカ諸国と同じようにして今日に至る。

彼に関するさまざまな話を聞くにつれて、私は民主主義の本質について改めて考えるようになった。民主主義が機能している国も当然世界には多数あるが、これが全ての国に応用可能な理想的な政治体制と考えるのは、大きな間違いなのかも知れない。例えば一昔前のコートジボワールのように、独裁者(というか、家族を見守るお父さんとか、国民に優しい王様みたいな??)が治めている方が国は発展し、人々は幸せになる場合もあるのだ。その場合、選挙の度に暴力沙汰になり、かえって社会が不安定になってしまう民主主義と比べて、どちらが本当に人々のためになるのだろうか。 独裁政治ならなんでも批判し、民主主義こそが最善の政治体制であると考えるのは、少し短絡的かもしれない。

話は飛躍してしまうが、現代アフリカの政治は、少しだけだが江戸時代の藩政に似ていると言えるかもしれない。贅沢三昧のどうしようもない大名から名君と謳われる大名まで、江戸時代には様々な藩主がいたが、どの藩主も藩の収入の多くを自分たちのものとし、藩主としての地位は保証されていた。世襲制なのも、一部のアフリカの大統領たちと似ているし、バックに更に大きな力(=藩主の場合は徳川幕府。アフリカの大統領の場合は、イギリス・フランスの旧宗主国やアメリカなど、実際に裏でアフリカ政治を動かしている影のドン)があって、実は独裁者も操り人形として利用されているだけなのも、藩政と現代アフリカ政治はそっくりだ。

民主主義の導入がオールマイティーで人々に優しい社会を生み出すと私は思っていたけれど、実際の世界はそこまで単純ではないようだ。冷戦が終わって、かえって世界が複雑になったのは誰の目にも明らかだが、アフリカは、皇居並みの私邸で暮らす、王様のような独裁者をリーダーとして、成功を勝ち取るるのか?「独裁=悪の権化」という現代国際社会の認識をアフリカは壊し、新たな政治のあり方を提示してくれるのか?さてさて、これからアフリカが、どのような道を選ぶのか、ますます今後、アフリカから目が離せないね(と思っているのは私だけ?笑)。

ヤムスクロに行っただけで、本当に色んなことを考えさせられた。



最後に、先の衆議院選挙に関してイボリエンヌのおばさんがボソッと私に言った一言を紹介して、今日は寝ようと思いまーす。

「日本って、あんなに発展しているのに民主主義が実はなかったんだってね!!」

うん、全くもってその通りだよおばさん!!私はアフリカの民主主義云々とずっと考えてきたけれど、自分の国にも民主主義があるようで、実は全然なかったんだよね(まぁ、この「民主主義の欠如」の度合いには、日本とアフリカだとかなりの差がありますが)。それでも日本では、アフリカよりもずっと政府や社会を信頼することができるし、国民はある程度生活に満足している。こう考えると、アフリカも、民主主義がなくてもこれから上手いこと自分たちのやり方を見つけてやっていけるのではないかねー、などと妄想してしまう。On va voir(とりあえず様子を見よう)。

ヤムスクロで私も考えた その1





La Basiliqueの前にて。


パイナップルを同時輸送。アフリカじゃ本当に日常的な光景。

な~んて、どっかの本のネーミングをパクってみましたが。

日本で暮らしているイボリアンの友達であるアマドゥが、3年ぶりにコートジボワールに帰省した。大手日本企業で技術士として働く彼は、少ない有給休暇を利用して、11日間だけ戻ってきたのだ。日本のサラリーマンは大変だね。東京、大阪、ドバイ、アクラ(ガーナ)を経由して、ようやくアビジャンにたどり着くという長い長い旅路。世界はだいぶ狭くなったけど、やはり日本とアフリカはまだまだ遠い(でも、この距離を縮めるのが彼や私だけでなくたくさんの人の夢だから、みんなで頑張ろうぜーーー!!)。

金曜日に仕事を早く片付けて、彼の家族とご飯を食べに出かけた。Maman(お母さん)は故郷でお留守番しているらしいが、Papa(お父さん)が息子の凱旋帰国のためにアビジャンまで駆けつけていた。アビジャンで勉強をしている妹さんと弟さんも加わり、にぎやかにマキ(コートジボワールの居酒屋)へ行った。どこの国へ行っても、私は現地の家族と時間を過ごしたり、一緒に暮らすのが一番好きだ。アマドゥとは日本語とフランス語で会話をしたが、日本語を自由に操る息子を見て、ご家族はどんなに誇りに思ったことだろう。

翌日、コートジボワールの首都であるヤムスクロへの日帰り旅行に誘われたため、アウアと一緒に行ってみることにした。

え??アビジャンが首都じゃないの??

と思ったそこのあなた。アビジャンだろうとヤムスクロだろうとそんなマニアックなことまで知らないぜというそこのあなた。

コートジボワールの経済と文化の首都は、当然アビジャンである。各国の大使館も官庁も、国会だってアビジャンにある(国会に関しては、来年ヤムスクロに移動されるらしいが)。ヤムスクロは突然首都になるまで、ただの小さな村であった。その村が、どうして一夜にして首都になってしまったのか。

答えは簡単だ。初代大統領にして、 33年間大統領であり続けたウフェボワニの生誕地がヤムスクロであったためだ。ちなみにクロとは、村という意味らしい。つまりヤムスクロはヤムス村ね。

それにしても、この行動力・・・。どれぐらい本気だったのかは知らないけど、以前、那須に国会を移す計画があったよね。私が総理大臣になったら、霞ヶ関をまるまる栃木に移して、国花も桜ではなくイチゴの花にしようかしら。

アフリカの各国に存在した(そして、今でも多くの国では健在中。みなさん頑張りますね~)権力者であるBig Manは、なんだってできちゃうのだ。そういえばウガンダでも、一部の人の間では「大統領がどうやら首都をムバララに移そうとしているようだ」という噂が絶えなかった。Big Manといえば、アフリカ史上最悪のリーダーの一人とされている中央アフリカ共和国のボカサに至っては、国名を「中央アフリカ帝国」と変更し、自らを皇帝として、ナポレオンの戴冠式のような壮大なセレモニーを開いたことで、世界の失笑を招いたらしいからね。いやいやアフリカのBig Manはすごいすごい。

だいたいどこのアフリカの国でもそうなのだが、大きな街と大きな街をつなぐ道路はそれなりにきちんとしている。もちろん例外もあるけどね。これが選挙前になると、今まで放置され放題だったような道路も、人の生活圏内(つまり多くの人の目につく範囲内)だけは一夜にしてきちんと整備される。シンデレラだってびっくりだね。

アビジャンとヤムスクロの間の道路は、私の独断と偏見に基づいたアフリカ道路のスタンダード的には中の上くらいであった。分かりにくい表現でごめんなさいね。車は一応びゅんびゅん走れるけど、ところどころ大きな穴がぼっこりと口をあけている場所が時たまあり、表面が割れかけている場所がかなりあり、道路の両端に至っては、工事が中途半端な状態で終わってしまった形跡が残っている。この両端の中途半端なところから、道路がすぐにダメになってしまうのね。

森の中を、パイナップル・プランテーションの脇を、そして、村や小さな町をいくつも通り抜け、3時間弱でヤムスクロに到着した。コートジボワールの南部は緑が豊かだ。北部は少し乾燥したサバナ地帯になっているらしいが、これは砂漠化の影響でサヘルが南下しているのも関係しているんだって。この日は南部でのみのドライブとなったが、そこにはおなじみのアフリカの風景が広がっていた。木の下で昼寝をするおじさん。赤ちゃんをおんぶしながら薪を頭にのせ、途方もない距離をスタスタ歩く女性。ぶっとばす車を横目に色とりどりの野菜を山のように道の脇に並べ、誰かが買いに来るまでおしゃべりに興じているお姉さんたち。彼女たちには一生懸命野菜を売るつもりなんてこれっぽっちもないのだろうが、「誰かが来たら棚からぼた餅♪」程度のあのダラダラ感が私は好きだ。

アフリカのサービス・エリアとも呼べそうな売り子さんエリアは、ここでも健在だ。ウガンダでもブルンディでもどこでもそうなのだが、アフリカの幹線道路を走っていると、飲み物や食べ物、そしてその土地の名産を頭いっぱいに抱えた(腕いっぱいではなく頭いっぱいに抱えているのがアフリカだね)女性と子どもがウヨウヨ(という表現が一番ふさわしい)している場面に何度も遭遇する。そして彼ら彼女らは、スピードを落としたバスや車めがけて一目散に突進してくる。窓を開けたりしたら大変だ。何でもお構いなしに腕という腕、売り物という売り物が四方八方から伸びてきて、身動きが取れなくなってしまう。「これ買いなよ、おいしいよ!!」「バナナどう??200フランでいいよ。」といった感じでね。




ウガンダの売り子さんエリアの様子。



コートジボワールの売り子さんエリアの様子。こちらも負けてはいません。



売られているのが果物や野菜ならいいのだが、たまに串刺しの肉なんかがあったりするともうやばい。車の外から、串刺しの肉が大量に狭い車内に侵入してくる様子を想像していただきたい・・・。もう、こっちが串刺しにされてしまった錯覚に陥る。


車内に侵入する肉と、串刺しの図。ウガンダにて。



途中で一度だけ、運悪く警察のチェックポイントにひっかかってしまったのだが、別に違法行為は何もしていないのになにかしらイチャモンをつけられて、私たちの車の運転手さんは500フラン(約100円)を渡すハメになってしまった。汚職は悔しいけど、賄賂が500フランで済んだのだから安いものだと思わないとね。ここはアフリカなんだし。

ヤムスクロに到着した。人が集まるところに自然にできた街とは対照的で、ゼロから造り出される街とはなんとも奇妙なものである。普通、田舎から都会へ入るときには、全体的な雰囲気がだんだんと活気付き、街らしくなっていくのが感じられるものだ。しかしヤムスクロの場合、いかにも「ハイ、ここからが街ですよ」と宣言しているように、ブッシュの中を突然だだっ広い道路が出現した。あまりにも広いその道路には車がほとんど通っていない。建物も、近代ビルがあちこちに散らばっていて、うまく表現できないが、写真でしか見たことのない社会主義的な街を髣髴とさせた。中身が空っぽなのに見てくれだけは圧倒的な社会主義の国の街並み。何となくお分かりいただけるだろうか。ヤムスクロは、そこまで特に圧倒的でもない。それに、市場やマキがあちこちにあるために、活気はあるといえばある。しかし、何もないところから造り始めた街は、私の目には少し奇妙に映った。


                         ハイ、ここからヤムスクロが始まりま~す


ヤムスクロには、イボリアンにとっての観光名所であるLa Basilique(平和の聖母聖堂)がある。これは、後述される初代大統領私邸の目の前にある、巨大なカトリックのバジリカ聖堂だ。アビジャンの旅行代理店でも、熱心なイボリアンのクリスチャンを相手に「La Basiliqueお参りツアー」なるものをこぞって企画している。やはり、このデデデーンとした建築物は、どこか不自然でさみしい。それとも、今はまだLa Basiliqueができてから20年くらいしか経っていないから少し不自然なだけで、これが800年後には、今のフィレンツェのように、歴史的建造物の仲間入りを果たすのかな。

私たちが到着したとき、すでに時計は、公式な閉門時間である午後6時をまわっていた。でもやっぱりTIA。門のところにいた警備員は、一度は私たちが中に入るのを断っておきながらも、建物の中に入らないことを条件に敷地内へ入れてくれた。当然、彼らは何かが欲しくてそうしたのだが。私たちが車から降りて敷地内へと入っていくと、そのうちの一人が後を追いかけてきた。「やっぱり特別に中に入ってもいいぞ!!でも、カメラを寺院内で使うためには500フラン(約100円)払わないとだめだ。」出た出た。別に払ってもいいけど、その際、きちんと領収書が来るとは思えないね。どうせ彼のコーラ代に消えてしまうに決まってる。こうしてどんどんお金が闇へと消えていく。おおアフリカ。おおTIA。

中は、思ったとおり。そこまで感動的でもなければいい雰囲気でもなかった。豪華で大きければいいと思っている典型的なパターンだ。とりあえず一周して外に出たら、案の定、さっきの警備員が「入場料」と「謝礼」についての交渉をふっかけてきた。

アフリカでは、市場で値段交渉をするのと同じ要領で、賄賂を払う際にも値段交渉をしなくてはいけない。これは、前回のアフリカ滞在時に、傷つきながら少しずつ学んでいったことの一つだ。私はまだコートジボワールの物価感覚を完全には把握し切れていないので、この交渉には加担せずに遠くからぼんやりと眺めていた。最終的には一人当たり500フランで落ちついた。私たちは5人だから、全員で2500フラン(約500円)。普通、警察や軍隊、役所などではもっと多めに支払わなければいけないのだろうが、ただの警備員だから少なめで済んだ。

2009年9月9日水曜日

2010年ワールドカップ, ouais, allons-y!!!

大手携帯会社の広告。
アフリカ各国で見る、携帯会社の広告。スーダンにて。このデザインなかなかいいでしょ。


みなさんテレビに目が釘付け。





あまりにもこの男の子がかわいいもんだから、一緒に写真撮っちゃった。



市場の女の子。 気合入ってます。個人的には、コートジボワールの国旗にオレンジ色が使われていて嬉しい(笑)




先日、2010年の南アフリカへの切符をかけたアフリカン・カップの試合がアビジャンであった。アフリカ全土では早くからワールドカップが相当盛り上がっていて、携帯電話の会社や金融機関などの広告にもワールドカップが大々的に宣伝されている。アフリカ各国で商売をしている企業の広告は、使われている言葉こそ違えども、同じデザイン・同じメッセージで人々にワールドカップがやって来る興奮を伝えている。あれを見ながら名曲「Africa Unite」を聞くと、これからは本当にここが平和な大陸になるという、根拠のない自信が湧き出てくるから不思議だ。

サッカーとは無縁なようにしか思えないスーダンでさえ、大型広告のある町ならどこでもワールドカップが宣伝されていた。全てがインッシャッラー(もしもアッラーがお望みであれば)なお国柄だ。試合の勝敗もインッシャッラーで片付いてしまうに決まっていると断定しているのは私だけだろうか。

ウガンダでもサッカーの試合がある日は、ただでさえカオスなスタジアム周辺が収拾のつかないことになってしまう。なかなか勝てないウガンダ代表に愛想をつかしているのか(ジョークです。愛想は尽かしていません)、ウガンダ人はみんな、ウガンダの国際試合よりもプレミアム・リーグに熱中していた感じがする。

南アフリカに囲まれた美しい小国・レソトにいたときには、代表チームについての面白い話を聞いた。この国には、働き盛りの男性が極端に少ない。みんな南アに出稼ぎに行くか、エイズにやられてしまっているからだ。実際に私も馬に乗って国のあちこちの村へ行った(道がないから馬で行くしかないのね)が、女性とお年寄り、それから子どもが多くても、それに合うだけの数の男性を見ることはなかった。そこで、国際大会があるたびに首都のマセルの警察がチームを編成して頑張るらしい。南部アフリカを旅していたとき、レソト警察に関するいい噂は全然聞かなかったが、ぜひレソトの子どもたちの夢のためにも頑張ってほしいものだ。少し悲しい、それでも心がほんわかするようなサッカーチームである。

ワールドカップ開催地である南アを旅していたときには、各地で試合会場となるであろうスタジアムを何度か見かけた。決勝戦の会場となるスタジアム(当時は建設途中)の前も通った。クライマックスのこの試合をヨハネスバルグでやるなんて・・・治安面が一番心配だね。興奮して酔っ払ったフーリガンが、地元のギャングにコテンパンにやられてしまうに決まっている。それでも、2010を合言葉に、政府は無能ながらもみんな一生懸命やっている。観光業も、世界中からお客さんを向かえる準備オッケーだ。開催成功するといいね、頑張れ南アフリカ!!

広告のエピソードからもお分かりの通り、このワールドカップに対するアフリカの経済効果には非常に期待が高まっている。ケニアでは、「たなぼた観光客(治安の悪い南アを旅行するのではなく、試合を見たらさっさとケニアに来てサファリや登山やビーチなどを楽しむ人が大勢いるのではないか!!!と、勝手に想定されている観光客)」を心待ちにしているサファリのオペレーターやホテル従業員に何度か遭遇した。2007年末に起きた大統領選挙後の暴動のせいで、私がケニアのビーチでダラダラして過ごしていた2008年6月当時、ケニアの観光業界は閑古鳥が鳴いている状態だった。期待してしまうのも無理はない。

日本では、「ワールドカップ」「アフリカ」というキーワードで多くの人が思いつくのは、大分県中津江村ではないだろうか。そうそう、2002年のワールドカップでお騒がせカメルーン代表が様々な話題を振りまいてくれた、あの中津江村。今や私の上司となったエムボマも、うどんとふりかけと神戸と中津江村のことになるとアツく語りだす。相当好きだったんだね。村長さんも、アフリカンな彼らに翻弄されながらも頑張ってたもんね。エムボマと一緒に日本に行く機会があれば、是非大分にも立ち寄りたいものだ。

さてさて、この前の試合はコートジボワール対ブルキナファソだったんだけど・・・。正直、勝負の結果は最初から見えてて、ちょっとブルキナがかわいそうだったね。試合は午後の5時からなのに、朝からスタジアムのまわりには、熱心なサポーターがうじゃうじゃしていた。この日は田舎に行くために車で移動していたが、試合開始まで時間がだいぶあるというのに、マンゴーの木の下に集まって国旗を振りながらラジオを聞く人々や、顔に国旗のペインティングをして市場で野菜を売るおばちゃんたちなどに出くわした。

コートジボワールではみんなサッカーが大好き。前に、偽モノのチケットがしょっちゅう出回るために、アビジャンのスタジアムはいつも人が入りすぎて、非常に危険だという記事を読んだが、あの様子を見ると「なるほどね・・・」としか言いようがない。

コートジボワール(象牙海岸)の名の通り、コートジボワールの代表チームはLes Eléphants(象軍団)というニックネームがついている。コートジボワールだけでなく、アフリカのサッカーの代表チームには、それぞれ動物のニックネームがついているらしい。

例えばセネガル代表はLes Lions de la Teranga(テランガのライオン軍団)、カメルーン代表はLes Lions Indomptables(不屈のライオン軍団)、ブルキナファソ代表はLes Etalons(馬軍団)、そしてナイジェリア代表はSuper Eagles(これはそのままだね。スーパーイーグルス)といった具合だ。現時点でアフリカのトップであるエジプト代表はLes Pharaous(ファラオ軍団)と、象だのライオンだのとは一味違う、なかなか知的で歴史を感じる名前がついていて、そんなファラオ軍に嫉妬しているイボリアンたちは「ファラオだからあいつらはアフリカサッカーのle rois(王様)なんだ」とブーブー言っている。対する弱小チームであるベナン代表は、Les Ecureuils(リス軍団)というニックネーム。象軍団のサポーターたちは「だからヤツらは勝てないんだ」と笑っているが、リスにはリスなりの勝ち方というものがあるだろうから是非頑張って欲しい。

結果は5-0でコートジボワールの圧勝。その瞬間を、私は道端のマキ(小さくて汚いけどおいしい、コートジボワールの居酒屋的存在)で迎えたのだが・・・On est franchement chaud (みんな相当アツいねー)!!当然、道行く車はクラクション鳴らし放題。マキのテレビには近所の人が人だかりを作るものなのだが、試合終了の瞬間そこはダンスホールと化した。道端で魚や肉を焼いているおばちゃんたちも、料理そっちのけでテレビの方へと駆け出し、みんなでダンス、ダンス、ダンス+歓声なのか雄たけびなのか聞き分けのつかない(まぁどっちでもいいけどね)どんちゃん騒ぎ。おーい、お魚焦げちゃいますよー。 その様子を撮ったビデオをアップしたいんだけど、ネットのコネクションがそこまでよくないのでまた今度ね。


今度は10月にマラウイとの試合があるらしい。ははは、こりゃまた最初から勝負が分かってるのに、わざわざこんなことを・・・。マラウイは私のAfrican Sweet Heartだから、あの優しい人々が激しい象軍団にコテンパンやられるのを想像しただけで胸が痛む。そんなこと言っておきながら、今度こそスタジアムで試合観戦したい(当然象軍団のクレイジーなサポーターと一緒に!!)と願う私・・・。人間とは矛盾した生き物なのだ。仕方がない。

2009年9月7日月曜日

こんな一日を過ごしてるよ!!

自宅の前で。この人がアウア。

見よ、このワインのコレクション!!
スーパーの入り口。栃木よりすごい。



私の一日の流れはこんな感じだ。まず、朝は7時半くらいに起きて、シャワーを浴びる。鳥のさえずりと、近所の子どもたちの笑い声、それから、どこかからともなく流れてくるアフリカン・ミュージックのお陰で、目覚まし時計など必要ない。シャワーからはお湯が出ないが、水を浴びると気分もシャキッとする。ウガンダの寮ではしょっちゅう断水が起き、シャワーの水を確保するのが大変であったが、ここは普通の住宅街。今のところ水はきちんと出ている。朝食には、マンゴーかパパイヤを食べる。フランスのように、クロワッサンやバゲットを食べることもあるが、私は新鮮な果物の方が好きだ。気温がかなり上がるコートジボワールでは、ごみがすぐに腐って異臭を放つ。なので、私たちの家では、ゴミ袋ごと冷蔵庫に入れておく。朝のお祈りをするアウアを待って、ごみを冷蔵庫から取り出し、家を出る。この辺りはいたって普通の住宅地であり、住んでいる外国人はおそらく私たちぐらいであろうが、念には念を入れて鍵は三重だ。

クラクションが激しく鳴り響くラッシュアワー。車の洪水とも描写できるような道路でタクシーを捕まえるが、朝はなかなか難しい。ウガンダのボダボダがこんなときはものすごく懐かしくなる・・・。ボダボダとはオートバイや自転車を利用した交通機関(?)で、渋滞で交通ルールも車線もへったくりもなくなるカンパラ市内の道路を、神業とも呼べそうな運転技術でスイスイと抜けていく。カンパラの渋滞は小規模ながらも本当にひどく、packedという表現がぴったりだ。大げさに言うつもりはないが、カンパラ中心部では渋滞している道路を渡るのも一苦労――渋滞の中の車と車の間があまりにも狭すぎて、人すら通れなくなってしまうのだから。アビジャンにはボダがいない。時たま、車がびゅんびゅん走るすぐそばで、おんぼろ自転車を一生懸命こぐおじさんの姿が見受けられるが、あれは自殺行為としか言いようがない。

タクシーを呼び止めるときは、必ず「スー、スー(ヘビを撃退するときの、あのスー、スー。分かるかな??)」と合図をしなければならない。東アフリカでは、レストランで注文するときや、道路で誰かを呼び止めるとき、そしてボダを呼ぶときには必ずこの「スー、スー」が使われた。ちなみに、どんなに文化が違うとはいえ、そして郷に入れば郷に従えという諺があるとはいえ、私はこの「スー、スー」を好きになることはできない。犬じゃないんだから、まったく・・・。

タクシーの中では、運転手さんとおしゃべりをするか、アウアにフランス語の文法や表現を教えてもらったりして過ごす。朝はまだ気温がそこまで高くなく、わりと爽やかだ。空気は汚れているけど、タクシーの窓を開けた方が気分がよい。赤信号で止まると、新聞の売り子がやってくる。アビジャンの人は、とにかくよく読む。退屈そうなガードのお兄ちゃんは、仕事中ケータイをいじるか新聞を読んでいるかしているし、開いたドアから人がこぼれてしまいそうな満杯のバスの中でも、みんな一生懸命新聞を読んでいる。この光景を見て、東アフリカの大都会であるナイロビに始めて行ったときの事を思い出した。そこで一番衝撃を受けたのは、ナイロビの人々の歩くスピードの速さと新聞を読む人の多さだった。のどかなカンパラよりも、ものを読んでいる人の割合が圧倒的に高かった。

また、信号機が信号機としての機能を果たしている(素晴らしい!!)アビジャンではあるが、ラッシュアワーの時には警察が交通整理をしている。この交通整理が、こりゃまた見事なんだな。お化粧バッチリのお姉さんが、ピッピピッピと動いてるの。しつこいようだけどカンパラでは、たまにやってる交通整理もダラダラしててやる気のかけらすら感じられないし、むしろノーテンキなお巡りさんが、交通整理と言う名のもとに交通を乱しているようにしか見えなかったり・・・。アイヤイヤイヤイヤー、ウガンダ。でも、なんだかんだで私はこののんびりとしたバナナの国を恋しく思っておりますが。

私たちのオフィスのあるle Plateauというビジネス街を通り抜ける。イボワールの奇跡と呼ばれた70年代から80年代にかけての経済成長を象徴するようなle Plateauには、ユニーク形の美しいデザインのビルが林立しているが、どれもくすんで古ぼけていてどこかさみしい。それもそのはず。イボワールの奇跡以降、アビジャンには新しい建設がほとんどされていないという。活気こそあるものの、古きよき時代と誰もが口をそろえる70、80年代のまま時間が止まったようなle Plateauは、なんだか不思議な空間だ。

オフィスに着くのは8時半過ぎ。もうみんなは仕事をしている。アウアと私を入れると6人しかいない小さなオフィスではあるが、みんなよく働き、親切で仲が良いので、私はここを本当に気に入っている。オフィスを開設した当時、ここで働きたいと応募してきた人が4千人もいたらしい。高い失業率が大きな問題で、みんな必死なのは分かるけど、4千人はすごいね・・・。特に2002年に勃発したla Crise(日本語では「コートジボワールの内戦」とよく言われているが、現地では誰も「la Guerre=戦争」という言葉を使わずに「la Crise=危機」という表現を使っている。この表現の差は、多くのイボリアンが言うように、メディアや国際機関が過大表現しすぎたことが大きな原因であるのかも知れないが、私はイボリアンが言うようにla Criseという表現をあえて使いたいと思う。)の後には社会全体のバランスが失われ、アビジャンに仕事を求めて人が流れ込んで来たようだ。

それだけに、4千人から選ばれたこの4人は本当に優秀で、モチベーションも相当高い。英語を勉強したいという彼らの希望があったため、午前中は英語で会話をするように心がけているが、英語も本当に上手だ。

パソコンに向かった作業をすることもあれば、ミーティングや外をまわることもあるため、仕事中は毎日別のことをしている。午前中は毎日怒涛のように過ぎていく。ちなみに、私はインターンという名のバイトちゃん程度にしか自分を見ていなかったが、渡された社員証(?)にはJunior Managerと書いてあるので、そういうことにしておくことにした。

私のアビジャンでの仕事はたくさんある。広報活動や他企業、他団体とのパートナーシップを担当してはいるが、面白いのでは「La Nipponisation(日本化)」というものも。日本に留学していた当時、アウアは日本の「お客様は神様です」というサービス精神と日本式サービスに感銘を受けたらしく、同じようなサービスをコートジボワールでも実現させたいというのだ。パリにいるエムボマも、本当に日本びいき。彼の強い勧めもあり、うちの会社のLa Nipponisationはこれからすすんでいく(予定・・・。上手くいくかな)。私は、同僚のためにセミナーを時々開いたり、クライアントに満足してもらえるような改革を行うように言われている。アフリカでは、カスタマー・サービスがあまり充実していない。今回はまだ経験していないが、前回のアフリカ滞在では、店の人の対応にブチ切れることもしょっちゅうだった。こっちが客なのに、まるでお金を払って「サービスを受けさせていただいている」といった感じなのだ。マネージャーを呼んで説教したこともよくあった。ハタチそこそこの女の子に怒られるマネージャーは、さぞかし立場がなかったことであろう。

私は、日本では外国人扱いされているが、やはり海外にいると、常に自分が日本人として見なされていることを強く感じる。特に日本人がほぼ皆無の国では、私がとる行動一つ一つが日本人の代表として見られているというプレッシャーがあるので、尚更しっかりしなくてはと思う。幸い、私の会社はアウアが徹底的にマネージメントや教育をしているだけではなく、同僚もみんな優秀であるため、今更改革などする必要がないのではないかと思うほどしっかりとしたサービスを行っているが。

1時くらいになるとお昼の時間だ。アウアと同僚の一人であるミリアムは、この時間を利用してモスクへ行く。他の同僚3人はカトリックであるため、ラマダン中もお昼を食べる。近くの空き地でおばちゃんたちがやっているアチェケ(象式クスクス。キャッサバを乾燥させて作られる)を食べに行くこともあれば、マキ(小さな食堂)でフートー(キャッサバとバナナを混ぜて作られたお餅のような食べ物)を食べることもある。大抵のソースは辛く、パルムオイルをふんだんに使ってあるためかなりこってりしている。私は前回のアフリカで8キロも体重が増えた。マラリアで激ヤセした時期があったにもかかわらずこれだから、相当やばい。今回は本当に気をつけてはいるものの、うーん・・・。アフリカで体重をキープするのは相当難しい。かといって食べないと、今度は周りが大騒ぎする。「アイヤイヤイヤイヤー、体調でも悪いんじゃないか」「コートジボワールのご飯が嫌いなんじゃないか」といった具合にね。だから、食べないのも食べないで難しいのだ。悩む。

午後は午前中よりも時間が経つのが遅いけれど、やることは山のようにあるので退屈するなどありえない話だ。やはり外に出る機械も多い。たまに休憩をしつつ、おしゃべりをしつつ、気がついたらいつも6時をまわっている。

夏のヨーロッパにずっといた私にとって、6時半には日が暮れてしまうアビジャンはなんだか寂しい。パリでは、夏至の日などは10時過ぎまで明るかった。パリでラマダンをしているムスリムは相当大変だね。フランスで育ったアウアは、「アビジャンのラマダンは本当に楽!!」といつも言っている。そりゃそうだ。10時まで食べられないのは相当キツそう・・・。仕事が早く終わる日は6時半にはオフィスを出るが、だいたいいつも7時か7時半くらいまで残る。アウアは本当によく働く。

雨が降っているときは、早い目に仕事を終わさなければいけない。コートジボワールの人にとっては、雨の中を運転するのが怖くて仕方がないから、家に帰れなくなっちゃうんだって。それもそのはず。アビジャンの道路は、他のアフリカの都市同様、あまり質がよくない。雨が降ったら水がはけなくて大変だ。だから、天気が悪いときは、タクシーも乗り合いタクシーも、何もかもが走らなくなる。来象(「来日」っていう言葉があるでしょ?象牙海岸という意味のコートジボワールだから、来象でこれから通そうかと思います♪笑)後間もない頃、アウアはそれを知らずに夜の8時まで仕事をしたらしい。でもその後、2時間もタクシーが見つからなくて大変だったんだとか!!
かくいう私。日本で仮免に3回も落ちた超ダサダサの劣等生だけど、落ち着いたらこっちで免許取得を目指そうかと企んでいる。免許を取得するのか、それとも免許を「買う」のか怪しいところだけど・・・。ウガンダにいる外国人は、免許を「取る」ではなく「買う」という表現を使っていたのよね。さすがTIA(This is Africa)。

その後は、友達とご飯を食べることもあればスーパーに買い物に行くこともある。いわゆるショッピングセンターの中にある巨大スーパーは、もはや日本人が想像するアフリカとは別世界だ。砂漠にある難民キャンプで飢えている子どもたちをみんなは想像するかもしれないが、それがアフリカだと思うのは大間違いだ。このスーパーの目の前には、室内噴水がなぜか設置されており、かなりゴージャスだ。フランスから輸入されたワインやシャンパンのコレクションは圧倒的だし、チーズも充実している。ヨーロッパ、アジア、中東、アフリカ中から集まっている食材。100はおそらく越えているであろう新聞と雑誌。本格的なBoulangerie(パン屋)に家電売り場まで!!そして何よりもすごいのは、そこにいるお客さんのほぼ全てがイボリアンであるということ。外国人向けじゃないんだね。カラフルな伝統衣装を着たマダムがチョココーナーの前でおねだりをする子どもたちをしかったりとか、イスラム教の正装をしたお父さんと男の子がきれいなフランス語で晩ご飯について話していたりとか。こういう場面は世界共通なんだなと改めて実感する。

ちなみに、アビジャンの人は新しい物好きのハイカラな人々なので、このようなスーパーは増え続ける一方のようだ。もちろん、伝統的な市場も負けてはいないけど。

仕事の後は、アウアとはなるべく日本語で話すようにしている。彼女が横浜に留学した年からもう3年たつのに、彼女の日本語は本当にきれいだ。ご飯を家で食べるときは、一緒にフランス語の字幕で日本のドラマを見たりしている。私は日本では全然テレビを見ないので、ドラマを見るのはすごく新鮮だ。今は二人でドラゴン桜にハマっている。

11時くらいになったら部屋に戻る。その後、疲れていなければパソコンに向かって文章を書く事が、アビジャンでの私の日課となった。

2009年9月4日金曜日

コートジボワールのビジネスのジョーシキ

プレゼンの様子。このカラフルなスーツは、これでもここでは地味な方。


先日、クライアントを集めての「カクテル・パーティ」をうちの会社で行った。

これは、もう既にパートナーとして一緒に仕事をしている、あるいは、将来的に一緒に組んでやっていきたいなとこちらが考えている会社やお店の社長を招待して、プレゼンテーションをしながら軽食を食べようという企画だ。

なぜ軽食を準備しなくてはいけないのか。それは、アフリカでは、食べ物や飲み物を準備しないと人が集まらない(というか、準備するのが常識である)からである。

ウガンダにいたときも、多くの援助団体や大学関係の集まりに参加したが、必ずソーダ(ジュース類)と軽食が登場した。とあるNGOの人と一緒に、ウガンダ東部の村でのHIV/エイズ予防研修に参加したときもそうであった。多くの人を周りの村からも呼ぶために、タダでさえ資金難であったこのNGOは全員分の飲み物と、少しのおやつを調達しなければならなかったのだ(でも、日本でだって、地域の講習会なんかに参加する人のためにおやつぐらいは出すけどね)。農村の場合、移動手段の提供や交通費の支給は当たり前だし、謝礼金を支払う場合もあるらしい。そうでないと、そもそも研修の内容に興味を持っている人すら皆無に等しいのに、畑仕事を休んで長い道のりをかけてまでして誰が来るというものか。たくさんの援助団体が「住民に○○の知識を普及させている」とか「△△教育の実践」なんて偉そうなこと言ってるけど、実際は「住民であるお客さまにに□□をさせていただいている」の方がよっぽど正しいんじゃないかと思ってしまう。

モノは言いようですものね。とにかく、住民とともに開発事業を行って、地域社会を変えていく(そもそもどんな方向を目指した変化なのか、これが援助団体のための変化なのか、本当にその地域に住む大多数の人のための変化なのか・・・)ために、皆さん並々ならぬ努力を行っているのである。果たしてこれが、最近流行の「参加型開発」なのかどうかは、私としては大きな疑問だが。

話を元に戻しましょう。

準備される軽食は、ウガンダではサモサ(もともとはインドの食べ物。三角形をした揚げ物)やチャパティ(これもインドの食べ物で、ナンのような感じ。でも、アフリカのチャパティは、油でギトギトしていてインドのそれとは全然違う)が主流であったが、こちらコートジボワールでは・・・さすがおフランスの影響が浸透しているね!!クロワッサンやパン・オ・ショコラ(クロワッサンにチョコが入ったようなパンで、クロワッサンと並ぶ、フランスの朝ご飯の王道)なんかがスタンダードらしい。

ちなみに、新鮮な果物が溢れているのに、どうしてそれを出さないのか。果物の方が安いし健康的だしいいではないか、と提案してみたものの、アビジャンではクロワッサンレベルでないと相手にされないらしい。新鮮な果物はあまりにもコートジボワール人にとって当たり前すぎるみたいだよ。だからマンゴーやパパイヤが高級品として扱われている国から来た私にとっては、「なんとも贅沢な!!」と一喝してやりたいところだけど。それに、今でこそコートジボワールとフランスの関係は最悪だけど、コートジボワール人はフランスの製品とか文化が大好きなんだって。だから、クロワッサンとパン・オ・ショコラの登場はà la mode(イケてる)なんだとか。

クライアントを招待するには、次のようなステップを踏むようだ。

まずはカクテル・パーティの2,3週間前に、今回の趣旨を説明するために簡単に電話をしてアポをとる。次に、開催の1週間から5日前くらいに、正式な招待状を携えて挨拶のために、各招待客を訪問する。 それでもって、前日に1回と当日の朝に1回、カクテル・パーティの存在が忘れられないようにしつこく電話をする。

え??仕事で忙しいであろう社長や店長を招待するのに、1週間から5日前に招待状を出すの??遅くないかい??

というのが私の正直な感想だったが、「1週間よりも前に招待すると、みんなどうせ忘れちゃうよ。5日前に招待しても、覚えているかどうか怪しい人は怪しいし」と広報担当のジョン=ジャックに言われ、大きく納得した。

ベネトンがあっても、夜中にちゃんと街灯がついても、ここはやっぱりアフリカなんだよなぁ。

私は月曜日にアビジャンに到着したため、月曜日の午後から早速、招待状を配る同僚についてまわった。だいたいいつもの感じだと、カクテルには20から30人は集まるらしい。「面白そうな企画ですね、是非カクテルに参加させていただきます」「じゃぁまた明日!!」など、好感触な反応が多く返ってきたため、今回もたくさん人が来るのかなと、期待が高まる。

当日は、「一番品のある」服を着てくるようにとのことであった。アフリカの人は一般的に着倒れの人々で、とにかく見てくれだけは、どんなに貧乏であってもきちんとする。特に旧フランス領にいたっては、オシャレで見栄っ張りなフランス人の志(?)を立派に引継いでいるのか、「とにかくともかく、アフリカとフランスのコンビネーションであるヤツラはすごい」という噂はよく耳にしていた。世界中で、きちんとした身なりというのは大切なビジネス・マナーの一つであろうが、ここコートジボワールでは、それが意味することの重みが他の場所とは全然違うのではないだろうか。

ところが、私は品がある服などほとんど持っていないために困ってしまった。こんな時、魔法使いでも現れて、私のボロいTシャツとビリビリのジーンズを、着倒れフレンチ・アフリカンに認めてもらえるような品のある服にしてくれたらいいのに!!

などとバカな妄想をしても、魔法使いが灼熱のアビジャンに現れるハズもなく、当日は大学の入学式に着た黒のスーツを地味に着た。「地味に」というのは、アビジャンのマダムやマドモワゼルの間では、色とりどりの服にピカピカのアクセサリーをドンジャラとつけて、ちょっと古いけどヤマンバギャル顔負けのお化粧をするのがjolie et belle(かわいくて美しい)とされているからだ。ジャラジャラというのが本来は正しい擬態語なのであろうが、彼女たちの場合、ドンジャラという表現の方が近そうなので仕方がない。

それにしても日本女子は大変だね。ボタンの数やスーツの形だけで「派手だ」とか「地味だ」とか判断されちゃうんだから(特にシューカツ中の日本女子)。カラフルなアフリカンの生地をふんだんに使ったビジネス・ファッションを目の当たりにした今、ボタンの数ごときで派手だだのなんだの、私はもう言えません。

ところがこのカクテル・パーティは、お世辞にも成功したとは言えなかった・・・。

開始時間の10時になっても、誰もお客さんが到着していない。でも誰も驚かない。私もこれくらいでは動じない。

アビジャンの交通渋滞+アフリカンタイム=1時間遅れての開始

この計算は、常に頭の中に入れておかないと。が、しかし・・・

10時半になっても誰も来ない。その10分後に、ようやく最初のムッシューが登場した。しかし、10時50分になっても、他に誰も来ない。さすがのTIA(this is Africa)でも、さすがにこれはやばいんじゃないか。テーブルには、食べ物がどっさり用意されている。なのに招待客がたった一人だなんて・・・。

それでも、同僚は誰もがみんな落ち着いていて。プレゼンの最終確認をしているではないか。そうそう。アフリカの人って、こういうがかりな状況にもめげずにたくましく頭を切り替えられる人が本当に多いんだよね。貧しい人や女性なんて特にそう。様々な困難にも泣き寝入りせずに、笑って生活しているアフリカの村の母ちゃんのたくましさには、特に頭が下がる思いです。

とりあえずムッシューをこれ以上待たせてはいけないということで、プレゼンを始めることにした。1人を相手に5人が発表をするという、ちょっと寂しいプレゼンになっちゃったけど。

私はこの日のトップバッターで、会社の概要を簡潔に説明した。フランス語でのプレゼンにはまだ慣れていないので、たとえ相手が1人であろうと緊張する。

私が話し終えたちょうどその時、緑のドレスを着たマダムがのっぺりと登場した。時計を見たら、11時をまわっていた。とりあえず2人。この2人を相手に発表は進んでいって、質疑応答もかなりいいものができた。

12時半近くになり2人を見送ろうとしていたその時、2人組の男性が「いやー、すっかり遅れちゃって申し訳ないですねー」などと言いながら入ってきた。2時間半の遅刻か・・・。まぁ、覚えていてくれただけよしとしよう。そして、この2人を相手に、もう一度プレゼンを行った。

それにしても、他の招待客はどこへ行ってしまったのか――。カクテルの後に開かれた反省会で全員一致した(そして私も、薄々はそうかな、と思っていた)ことがある。そう、ラマダンだ。ラマダン中なのにも関わらず、「カクテル・パーティを主催しますのでいらしてください」という形で招待をしたのがまずかった。(言い方悪いけど)普段は招待客を釣るための要素である食べ物が、今回はあだとなってしまった形だ。これでは誰も来ないのは当然である。

新しい企画、今までにない試みを実行する際、人を巻き込んで上手くやっていくのは非常に難しい。ましてや社会に対する人々の信用が低いアフリカだ。最初の方は人が集まらなくても、根気と忍耐で諦めずに続けていくしかない。が、この難しさにラマダンが加わると、このような残念な結果に終わってしまう。

いや、これは残念な結果なのではなく、次につなげるためにいい事を学んだのだ。とりあえず、来週と2週間後に別の企画のプレゼンのためにもう一度似たような企画を行うけれど、今度こそはしっかり作戦を練らないと。

2009年9月3日木曜日

TInA(this is NOT Africa)

感動のベネトンとの再会inアビジャン。まさかこんなところで出遭えるとは・・・

アビジャン



オフィスから徒歩3分。サングラスをしているのは同僚のデニース。


午前の3時にアビジャンに到着したのに、9時半にはもうオフィスに行かなくてはいけないという、さすがの私にとってもハードだった1日目。

まず・・・アビジャン、やぱりすごいぞ!!!というのがその日の第一印象でした。

ウガンダにいた頃に仲良くしていただいていたJICAの専門家の方は、80年代にガーナで青年海外協力隊として活動していたんだけど、当時のガーナの隊員の間では「アビジャンに行けば、ソフトクリームが食べられるらしい!!!」と、夢物語のように語られていたんだって。

80年代のアフリカでソフトクリームが食べられるアビジャン・・・。2007年のカンパラでさえ、私は一度もソフトクリームを見ることはなかったけど。

また、日本の大学のゼミの先生が、「アビジャンは西アフリカのパリだといわれている」とおっしゃっていました。この先生は、パリ留学を経て世界銀行に勤務しており、西アフリカにも何度も行ったことがあるので、アビジャン通です。

ちなみに私、この「○○の△△」という表現はあまり好きではありません。サンクトペテルブルグが「北のパリ」、ルワンダが「アフリカのスイス」、浜崎あゆみが「日本のブリトニー」などと勝手に呼ばれているらしいけれど、どうしてパリが「南のサンクトペテルブルグ」、スイスが「ヨーロッパのルワンダ」、そしてブリトニー・スピアーズが「アメリカのアユ」ではいけないのでしょうか。大抵、この△△には西洋の場所や人名が入り、○○にはそれ以外の地域の場所や人名が入ります。まるで、西欧というフィルターを通してでしか世界が見られないかのようです。別に「だから何」というわけではありませんが、人々が意識しないところで、世界はそのように語られ、認識されているのですよ皆さん。

西アフリカ最大の都市であるアビジャンは、本当に都会です。よく、私はジョークで「ナイロビ(ケニアの首都)はCapital cityだけどカンパラ(ウガンダの首都であり、私が留学生活を過ごした思い出の場所)はCapital townで、さらにそこから内陸のキガリ(ルワンダの首都)やブジャンブラ(ブルンディの首都)なんかに行くと、もうそこはCapital villageだよー」なんて言っておりますが・・・。

アビジャンは、ナイロビよりも更に大きいです。大きいというか、massiveといった方がいいですね。とにかく、都市計画ゼロな大都会が、果てしなく続いている・・・それがアビジャンです。

私のオフィスはビジネス街に位置してるんだけど、すぐそばにスーパーがあります。そこまで大きなスーパーではないけど、地元の人やビジネス街で仕事をしている人に大人気のようです。さすが旧仏領。食材の種類が旧英領のウガンダのそれとは全然違います。エアコンも冷蔵庫も冷凍庫も機能してるし、チーズやフランスパンなんかが普通に売っているのがすごいと思った。カンパラにもこういうスーパーはあったけど、ケニア系や南ア系のスーパーが、お金持ちや外国人のためだけに3,4つあるといった感じでした。エアコンが機能しているスーパーもあれば、そうではないスーパーもあったし・・・。地元の中産階級向けのスーパーは、全部インド人が経営していて、冷蔵庫も冷凍庫もそこそこチンタラと動いている程度だったし。

まだまだあるよ。

このスーパー、(機能はしていなかったけど)エスカレーターがついていて、レジには(これもまた動いていなかったけど)ベルトコンベアみたいなの(日本語でなんと言うのか分からなくてお恥ずかしいのですが)がついてたの。コートジボワールは旧仏領の優等生だとは聞いていたけど、こんなところにまでフランス式が浸透しているとは。しかもしかも、ダイエットコーラが売っているの!!!ウガンダでは、相当のレベルのお店に行ってもなかなかお目にかかれなかったダイエットコーラ。アビジャンではこんなに小さなスーパーにさえ、しかもキンキンに冷えて売られているではないか!!!

そして、ここでは缶ジュースが一般的。これにもビックリした。ガラスの瓶ではないのですね。

初日は、顧客訪問を同僚としました。そこで更に衝撃を受けたのが、エアコン。小さな文房具やからラジオ局に至るまで、実に様々な場所に出向いていきましたが、どこにもエアコンがついているんですね~。新しい自宅の自分の部屋にエアコンがついていたのは驚きであったけど、ここまで街中にエアコンが溢れているとは。


また、夜になっても街灯がついているのも驚いた。アビジャンには高速道路みたいな道路があるのですが、夜になっても電気がついているのは相当すごい!!普通は、建設後1週間で、電気がついたりつかなくなったりするものなのですが。

そしてベネトン。そうですよ皆さん、あのベネトンです。アビジャンには、細々ながらもベネトンがあるんです!!値段は、ヨーロッパのそれと大して変わらないので、客層はお金持ちと外国人であると思われます。でも、ベネトンがあるというだけで、ものすごく興奮しちゃった!!

人が歩くのも、話すのも、カンパラよりも早い早い!!あいさつに5分かけるとか、アビジャンではありえないらしいです。それでもやっぱり、スーツを着たビジネスマンたちが、路上の露店やマキ(小さな食堂)でフートー(キャッサバとバナナを混ぜたお餅のような主食)を食べているのを見ると、アフリカだなーと実感。日本のサラリーマンが、吉牛とか立ち食いそばでご飯を食べているのと似ているかもね。

また、信号機がきちんと信号機としての役割を果たしているのも、カンパラの思い出が強く残っている私にとっては驚きでした。走っている車だって、窓ガラスにヒビがはいっているのはまだ見たことがありません。

ウガンダには中国人とインド人が多かったけど、ここではレバノン人とベトナム人が多いみたいね。さすがfrancophone(フランス語圏)です。ベトナム料理が大好きである私にとって、これはすごくありがたい!!

そして、極めつけは・・・みんなみんなみんなオシャレ!!!!アフリカの人って、着倒れ文化とでもいいましょうか。とにかく服装にはものすごいお金を投入するんです。フランスに住んでいるアフリカ人の女の子って、白人のフランス人の子と比べると、7倍くらいのお金を、お化粧やら服に使っているんだって。パリ時代のコンゴ人の同僚曰く、今ではシャンゼリゼのルイ・ヴィトンの一番の顧客は、金持ちアフリカ人なんだってさ。ウガンダでも薄々気づいてはいたけど・・・「フランス語圏のアフリカは、本当にすごいよ」とは聞いていたけど・・・これは本当にすごい!!そのうち、このブログで「アビジャン・コレクション」でも開催しますね(笑)。

当然私にも、ドレスコードだけは気をつけなさいという命令が下されました。この私に、ドレスコードに気をつけろと??と言いたいところだけど、ちゃんとした服を着ていないとまともな人間扱いされないらしいので、仕事のため、毎日スーツを着ています。大学の入学式以来、今回のインターンを始めるまで触ることすらなかったスーツ。私を知っている人がこれを知ったら、まず笑うでしょうね。「はぁ?お前がスーツinアフリカかよ!!」みたいな。

そして、フランス人曰く「世界で最も美しくロマンチックな言語」であるフランス語をみんなが話します。ええ、当然アフリカン・フレンチですが。道端のお兄ちゃんも、食堂のおばちゃんも、タクシー運転手のおじさんも、市場でパパイヤ売ってるお姉ちゃんも、みんなみんなフランス語。あのデカイ体した黒い人々に「ボンジュール、マドモワゼルーーーーーーーー!!!」と言われると、これが果たして本当にロマンチックなのか疑問ですが(笑)。一日も早く、ノウシ(コートジボワールのフランス語)をマスターしたいものです。

ビザ物語 ~コートジボワール編~

この物語は、パリを出る少し前に起きた実話です。

スーダンよりも面倒くさいビザでした。ありえないーーーーと言いたいところだけど、それがありえちゃうのがTIA (this is Africa)なのです。

まず、初めて大使館に行ったときにビザ取得の方法が「変更」されたことを知らされました。出た出た。変更。アフリカでは日常的です、「突然の変更」。こないだの日記にも書いたけど、今月から料金が100ユーロというとんでもないぼったくりの額に変わり、しかも大使館とのアポを1回取るごとに5ユーロの手数料がかかるから、合計110ユーロ払わないといけなくなったのね。

しかも、TIAのクセに、アメリカ大使館を真似して、クレジットカードを使ったオンライン支払いのみでの受け付けになってて・・・。めんどくせー

ってなワケで、大使館に言われたとおりのURLを使ってネット検索してみると、ええ??中国なんちゃらという中国語のページにいってしまったではありませんか。コートジボワールのビザのページじゃないのかと。もうよく分かんなかったから、大使館に電話をするも誰も出ず、しょうがないからもう一度出直すことに。この21世紀のITの時代に、URLを聞き出すためだけにどうしてわざわざ出向かなければならないのか。それは、TIAだからですよ。

ようやく正しいアドレスを教えてもらい(どうして最初から教えてくれなかったのか・・・)、いざ支払い!!って思ったら・・・

私のカードがなぜか使えず、同僚のカード2枚を試してみても払えず。合計3枚のクレジットカードで何度も何度も試したけど支払えず。やっぱ結局はTIAなんですよね。

しょうがないから、エムボマのコネを総動員して大使館の割と偉い立場の人に直接会ったのね。このおばさん、ニワトリみたいな髪型してるおばさんで、大阪に行ったことがある人だったの。彼女のオフィスは、ウガンダやマケレレの役人のそれと全く同じ(つまり、ゆるい風を送り続ける扇風機に、散乱した書類、そしてほぼ動いていないパソコンとお茶とお菓子、それに加えて何もしていないであろう秘書が数名ダラダラしてるの)なもんだからびっくりしたね。一応ここは仮にも、パリの16区なんですけどね。

まぁ、大使館内はその大使館の国の領地と同じだから、しょうがないね。どんなに場所がフランスでも、大使館内はコートジボワールなんですよ、結局は。その証拠に、人の歩くスピードや話すスピードが大使館の敷地内では遅いのなんの。

それにしても、西アフリカの女性のファッションは、どうしてあんなにもエクストリームなのかしら。お化粧もすごいけど服や髪型なんて、ネタですね。私もぜひ真似してみます、アビジャンスタイル。

話は戻って、このニワトリ風の大阪おばさん、「私は日本が好きだから、普通は誰にもこんなことはしないけど、ここにいるma soeur japonaise(日本人の妹)のために、一肌脱ごうじゃないかい」と言い出したの。「おっとーーーーおばさん助けてくれるのか!!!」と一気に期待したら、結局は彼女もAfricainne. 「どこどこの○○室にいるムッシュー・△△△に聞いてみて」と言われてしまいました。そう。TIA.出たよTIAの名物、オフィスのたらい回し。このムッシュー・△△△はめちゃめちゃご機嫌斜めで、せっかく私は下手に出て懇願するように話し出したのに、ジロリと私を一瞥してからただ一言。

「今は、オンライン支払いのみしか受け付けておらず、現金での支払いはできない。偽モノのクレジットカードが出回っている世の中だ。君のカードも偽モノなんじゃないのか。とにかく、払えなくても試し続けなさい。それえも払えなければc’est la vie(人生ってそんなもの)だから。」

クッソーこのオヤジ、私や同僚のカード3枚を偽モノ呼ばわりしただけじゃなく、支払いができなくてもc’est la vieで片付けようとしていやがる!!って、昔の自分だったら怒ってたと思うけど、ウガンダで学んだ我慢と忍耐のお陰で動じることなくハイハイと聞き流すことができました。

ウガンダのお猿さんたちよありがとう。

ションボリとオフィスに戻ってきた私を見て、アフリカ人の同僚のみんなは「またくもう、これだからアフリカはいつまでたっても変わらないんだ」と口々に怒り、中には私を励ますためにチョコを買ってきてくれる優しい人も。うん、みんなありがとう。エムボマも「シンジラレマセンネー」と慰めてくれたので、まぁよしとしよう。

そこで、4枚目のカードで支払いを試してみると、おっとおっと!!払えたではありませんか!!ってなワケで、ようやく一回目のアポイントを大使館ととりました。理論上の約束の時間は翌朝の10時10分。

翌朝、大使館に向かうためにメトロに乗っていると、カラオケおばさんに遭遇しました。

パリでは地下鉄で音楽を演奏してるストリートミュージシャンならぬメトロミュージシャンがたくさんいるんだけど、カラオケを見たのは初めてだったな。しかも演歌風だった。あのね、スピーカーやマイクもちゃんと持ってるんだよ。それで、突然地下鉄に乗り込んできて大音量で歌いだすの。

地元である栃木は大平町のカラオケ大会よりもひどい歌だったーーーでもおばさんの商売の方法にブラボーって感じ。

ツボにはまったために思わず笑ってしまった私は(もちろん、そのカラオケおばさんには1ユーロもあげちゃいました)、それがきっかけで近くにいたギャングスター風のマッチョな黒人お兄ちゃん二人組みとおしゃべりをすることに。最初はyo yo whaz up?みたいな雰囲気だった二人だけど、私がコートジボワールでこれから働き、今日はそのためのビザを貰いにこうして地下鉄に乗っているんだと知ると、一気に表情が和らいでなぜか話し方も漫才風になったのね。面白かったよ。むしろカラオケおばさんよりもおもしろかったかも。

そのギャングスター風漫才コートジボワール人のお兄ちゃん二人と一緒に、アポイントの少し前の10時ぐらいに大使館に到着してみると、もう人がうじゃうじゃうじゃうじゃしててカオスなわけですよ。なのに列が一向に進まない・・・ってなワケで、私は12時半まで待っていました。なんのためのアポイント制度なんだかさっぱり分かりませんが、アフリカにはアポイントなどというものは存在しないので仕方がありませんね。シンジラレマセンネー。思えば私も、ウガンダ時代にはユニセフにさえアポイントをすっぽかされたことがありました。

この待っている間の2時間半の間に、様々な人間ドラマを目撃することができて、面白かったよ。「家政婦は見た」的なね。そもそも列に並んでいる人のほとんどは、フランス人になったコートジボワール人がほとんどなもんだから、結局はTIAなんだよね。列の横入りは当たり前、それも動物の世界と一緒で、体のデカイ人が勝利するワケですよ。雄たけびあり、小競り合いあり、小規模の乱闘もありで、普段はなにもせずにぼーっとしてるだけの警備員も、この日ばかりは大活躍でしたね。それにしても、アフリカの女性は強いねー。改めて実感しました。赤ちゃんはビービーなくし、それはそれはカオスだったよ。でも、待っている間に友達が何人かできたのは嬉しかった。まぁね、2時間半もずーっと一緒だったんだから、友達にもなるよね。みんなで「アビジャンで再会するあかつきには、ビザが取れたお祝いのパーティをしようね!!」と言って別れたのもいい思い出。

私がようやくビザ申請の部屋に入ったときに、担当者のおばさんが10分くらい消えたのね。で、牛のようにのっしりと歩きながら部屋に戻ってきたおばさんは、私が苦労して揃えた必要書類にダラダラダラダラダラダラダラしながら目を通しました。うん、こんなんだから、列が一向に進まないわけだ。効率とか能率という言葉は、彼女の辞書にはないので。

ってか、指紋検出がマジで面倒くさかった。私はテロリストでもないし、第一アメリカじゃなくてコートジボワールなんだから、誰もテロなんかしかけねーっつーの。

「月曜日の午後4時に戻ってくるように」と言われて、その日は大使館を後にしました。

月曜日の4時って言われたから、4時10分前に大使館に到着したナツノさんは、もはや5回目の来館ということもあり、セキュリティーも顔パスでOKになっていました。そればかりではなく、警備員のコートジボワール人のおっさんに、ナツノにちなんで「ナストゥー」という、現地語では結構ポピュラーな名前を付けられたために、「おお、今日もまたナストゥーが来た!!調子はどうだい?」と、もはや友達扱いされるようにまでになっていました。これだからアフリカの人は大好きです。

さてさて、この日はですね、結局6時半過ぎまで待っていました。ただビザをピックアップしに来ただけなのにねーーーアホくさい。ダラダラしているクセに偉そうな態度の大使館職員のせいでもあるんだけど、この日の問題はアビジャンにある移民局とパリにある大使館の間のコミュニケーションだったようです。アビジャン側のネットが動いていないのか、職員が昼寝でもしていたのか・・・真相は分かりませんが、「アビジャン側から正式な『最終許可』が届かないことには、パリにある大使館ではビザを発給することができない」というのが説明でした。最終許可ってなんなんじゃい。どんだけbureaucracyがヒドイんだ。

それを聞いた周りの人々は、Oh là là là là .....とかアイヤイヤイヤイヤー(懐かしいwwwウガンダと一緒www)とか言いながらも「ま、しょうがないよね、c’est l’Afrique(this is Africaのフランス語バージョン)だし」と、いたって冷静。中には当然「あーあ、私忙しいのに、あいつらは私の時間を盗む時間泥棒だ!!」とか言う人もいたけど、なんかアフリカの人がダラダラとそんなこと言っても説得力に欠けているというか。

でも、「次の日の朝の便でコートジボワールに行くからどうしてもビザが必要!!!」っていう人は、本当に見てて気の毒だった。だって、そういう人たちに対して大使館側は「フライトの変更をしなさい」と一言言うだけだったんだよ!?ありえないね(まぁTIAだからありえるか)。私は6時半まで粘ってみたけど、諦めることにした。「翌朝戻ってきてください。時間は、9時かもしれないし11時かもしれません」と最後に言われたのが印象的だった。

そして今日の朝。11時半に到着したよ。実に6回目の来館で、またまた顔パスでセキュリエィーを通過した私は、1時間待たされたあげくに午後の3時半に戻ってくるように指示されたの。「ビザは準備できているけど、午前中はビザを渡す時間帯ではないから」というのが説明だった。

そんでもって、午後の4時半に戻ってきた私は、30分待たされた後にようやくビザをゲット!!!

おーーーーーーーーーーー長かった。

実に、7回の大使館来館、110ユーロを払って(でも、実際に払ったのは会社なのでOK牧場―)10時間以上も待たされ、ついについに、いとしのビザと対面することができました。きっと、9ヶ月の妊娠期間と地獄のような陣痛に耐えて赤ちゃんと対面できるお母さんの気持ちってああなんだろうな、って思ってみたり。

でも・・・ちーん。ちーんというか、爆笑だよ。

私の苗字がNatsunoで、名前がShinagawaになっちょるこのビザwww
しかも、私のパスポート番号とは全然違う番号が明記されちょるこのビザwww

ってことは、ってことは、ひょっとして運悪く機嫌の悪いイミグレの役人がいたら、「このビザに書かれてる情報は本物ではない・・・・お前、これは偽物のビザなんだろう。よって、入国拒否!!!」なんてことになたり・・・・・???

まさかねー。でも、そのまさかが起こるかもしれないのがTIA(←しつこくてごめんね)。

でも、エムボマにそのビザを見せて相談したら、「まぁ、日本のパスポートなんだし、大丈夫じゃない??どうせそんな細かいところまで見ないよ、アフリカ人だから」と、一見すると自虐的に聞こえるような励ましを受けました。

うーん、でも、やつらは賄賂が欲しいがために、言いがかりやあらさがしを仕掛けてくるしなー。大丈夫かなー。

とりあえず、神様仏様エムボマ様に言われるように、神や仏と同等に扱われている彼が「ダイジョーブデース、シンパイナーイ」って言うんだから、大丈夫であると信じましょう。



最後まで読んでくれた暇人のみなさま、ありがとうございました(笑)

あ、ちなみに、みなさんアビジャンにいつでも遊びにきてね。東京にあるコートジボワール大使館なら、もっと楽に、もっと安くビザが取れるはずだから・・・シンパイナーイ。そもそもの原因は、フランスとコートジボワールの関係が最悪な状態であることなんだと思うのよね。だから、パリでビザを取ろうとすれば難しいというか・・・

2009年9月2日水曜日

アフリカ再上陸

どうも。昨日の朝3時に、無事に西アフリカはコートジボワールのアビジャンに到着した品川です。ブログ、せっかくだからまたやろうと思います。ウガンダ時代の思い出話も、本当は文章になってるんだけど・・・。まぁ、これから適度にアップします。

パリからまずはカサブランカ(モロッコ)へ飛び、2時間半の乗り換え時間を経てようやくアビジャン行きの飛行機に乗り込みました。

カサブランカの空港から見た夕日は、どことなくスーダンのそれに似ていてビックリした!!乾燥している地域特有なのかな。大きなオレンジの太陽がゆっくりと地平線上に沈むんだけど、空気中の砂埃のせいなのかな、あまり太陽の輪郭はハッキリしていないのね。空港には、ムスリムのおっさんが床でゴロゴロしてたり、ド派手な服のアフリカ人のおばさんが退屈そうにイスに座ってたり。そこにモロッコの音楽がダラダラと流れてたかと思ったら、みんなが一斉にお祈りを始めたり、外が暗くなったなと思ったら、みんなが一斉に食べ始めたり(今はラマダン中)。「あー、そうそう、これこれ!!この雰囲気!!」と、11ヶ月の間離れていたアフリカという大地を懐かしく思う反面、今まで日本やらヨーロッパやらにいたのが嘘みたいに、ずっと前から自分はアフリカにいたんだという錯覚に陥った。

パリからの飛行機は割りといい機体だったのに、カサブランカからアビジャンまでは、ボロイ飛行機だった。さすがだね(苦笑)。しかも、この飛行機の中は、アフリカの長距離バスを髣髴とさせる感じだった。手荷物は一つだけというお達しが航空会社から出ているのにもかかわらず、もうみんなやりたい放題の持ち込み放題。当然私も、手荷物5個というアフリカンスタイルだったけどね。満席じゃなかったのに、全員分の手荷物が入らなくて、最後の方に乗り込んだ私はビジネスクラスのラックに荷物を入れる羽目になった(でも、自分はエコノミーに座った。。。。。ちーん)。しかも赤ちゃんはビービー泣いてるし、みんな体が大きいし、やたらめったらカラフルだし。アビジャンに近づいたときに衝撃を受けたのは、深夜の3時なのに電気が街全体についていること。そして、夜景(?)からも、街の大きさが垣間見ることができた。

大都会じゃないかーーーーー!!噂には聞いていたけど・・・・すげーーーーーー!!

というのが正直な感想だった。隣に座ってた、インドに住んでるというイヴォリアン(コートジボワール人)が、着陸した後に小さくガッツポーズをしていた。 うんうん、私も同感だよ。とりあえず、着陸後に私たちがまだ生きていて本当によかった。

あー、アフリカに本当に戻ってきたんだな。

アフリカの空港にしては大きいこと大きいこと。おまけにすごくキレイなので驚いた。コートジボワール、期待高まる!!

飛行機を降りて早々、軍人による意味のないパスポートチェックがあった。

ビザ物語でも書いたとおり、私のビザに書いてあるパスポート番号はコートジボワール大使館のミスによるインチキ番号であるため、入国の際になにか面倒なことにならないかということだけが悩みの種であった。しかし、当然深夜の入国管理感はやる気がなく、半分眠った状態であったために、細かくチェックされることなくスルーした。

そして次に待ち受けていたのは、いかにもインチキ臭い医師による、黄熱病予防接種証明のチェックだった。彼だけ白衣を着てマスクをしていたから、「おお、インフルエンザ対策か!!やるなー、さすがコートジボワール。それにしても、マスクをしているのが彼だけで、周りの誰もしていないのがさすがアフリカだな。意味ないじゃん!!」とか心の中でつぶやきながら。

そんなこんなで到着ロビーまでたどり着いたら、アウアが待っていてくれた。彼女は2年前に日本に留学していたニジェール人で、彼女のお陰で今回インターンをすることになったんだよね。頭脳明晰でものすごくデキる人。これからは彼女が上司だし、彼女の家に居候させてもらう。

空港を出たら、アフリカの夜のにおいがした。何だろう、上手く説明できないけど、アフリカの夜の空気には、独特のにおいがある。 そしてこの湿った感じの空気。

家に向かう途中、運悪く軍の兵隊に2回も車が止められた。この国では、とにかくいつでも身分証明を持ち歩かないと、いちいち軍人に賄賂を渡さなくてはいけないらしい。

家のシャワーはお湯が出ないけど、ウガンダ時代に住んでいた寮と比べるとパラダイスだ。部屋には冷房までついているし!!結局眠りに着いたのは4時近くだったけど、9時半には仕事に行かなくてはいけなかったために数時間後には起きた。

それにしても、目覚まし時計じゃなくて鳥のさえずりで目が覚めるというのは本当に気分が良いね!!