2009年12月21日月曜日

汚職について考えると、げんなりするんですけど。

Le businessと象牙人が言うとき、何を意味すると思う?

彼らの言うle businessは、英語のbusinessとはちょっと違う。そう、ここでle businessといえば、汚職に対してビジネス、つまりワイロの額を交渉をし、いかに安くしてコトを進めるのかという意味になるのだ。ここの人にとっては、市場で野菜の値段交渉をするのも、役所で出生証明書をゲットするためにウラでle businessをするのも、同じことなのだ。

A Abidjan, on fait rien pour rien (アビジャンでは、誰もタダでは何もしちゃくれない。)

これは、les Abidjanais(アビジャンっ子)がよく言う言葉だ。コートジボワールは周辺諸国よりも豊かで、経済にもインフラも発達している。が、汚職に関しては、周りの国とは比較できないほどヒドイ。災難だらけのリベリア、シエラレオネ、ギニア、ギニアビサウ―ここ西アフリカには、こういた難しい国家がたくさん集まっているが、汚職ランキングを見ると、コートジボワールの状態のほうが悪いことがよく分かる。

日本人でle businessに慣れていない人がアフリカに来たときに、万が一問題が発生してしまったらどうすればいいのか?お金の渡し方やワイロの額の目安をここに簡単に書いたので、ぜひ見てみてくださ~い。

あ、ちなみにリベリアは、シャーリーフさんっていうアフリカ初の女性大統領が頑張っているね。汚職や横領、不正に対しても、結構彼女は頑張っているという評価をあちらこちらから聞く。コートジボワール西部、リベリアとの国境近くで仲良くなったリベリア難民の人たちも、新しい国にはものすごく期待していると話していた。彼女が本当にクリーンでありますように。政治家に100%クリーンな人なんていないにしろ、せめて汚職のレベルがあまりひどい大統領ではありませんように。彼女が本当に汚職に対する戦いに力を入れているのであれば、あまり他の人の反感を買って、失脚させられませんように。リベリアね、複雑な国ですよ、ここも。

さてさて、アビジャンの汚職について(というか、アフリカの汚職について)、どこでどのようなle businessが必要とされているのかがだんだんと分かってきた今日この頃。ただしね、なんだかどこまでが汚職なのかワイロなのか、あいまいよねぇ。

何かをあげるのって、人と人の間にある壁を取り除くというか、アイスブレーキングのような効果があるわけで。私は高校時代にオーストラリアに留学したけれど、日本から大量に、扇子だのおせんべいだの折り紙だのを持っていった。そして、友達やホストファミリー、お世話になる人々みんなにそれをプレゼントしていた。「日本から来ました。これからよろしくね。」っていう意味で。今にして思うと、あの時、学校の先生や学校の事務職員の人にもプレゼントしていたワケだけど、厳密に言えば、あれは「ワイロ」だったのかな・・・?

例えば日本の役所で、住民票なんかをとるのに少しお金を払わないといけないでしょ?あれは公的機関によって決められていることだし、きちんと支払いのプロセスが役所のシステムによってチェックされているから、汚職とは呼べないと私は思うんだけど。それに、実際に書類発行に当たる人が手数料を横領するなんてことは、日本ではありえるのかな?お役所も収入が必要であることを考えると、仕方がないことだと私は感じる。ただ、私の外国人の友達の中には「あれは汚職だ!!役所の書類にお金を払うなど受け付けられない!!」と言う人が何人かいる。「役所とは税金で動いている場所であり、その上さらに金を儲けようとするのはおかしい」というのが彼らの理論だ。この考え方も一理あるんですけどね。

今でこそアフリカに慣れてきて、「あはは、TIAだししょうがないよね」と笑い飛ばせる余裕を持てるようになった私だけど、未だにこの汚職は、生理的に受け付けることができない。もちろん、領収書の発行される範囲内の「手数料」に関しては、文句を言わずに払うよ。と言っても、だいぶこの領収書も怪しいものがあるけど。ただし、領収書のないウラでの金品要求には、私はどうしても敏感に反応してしまう。「ギフト」「ランチ代」「コーヒー代」「友情の証」「手数料」「trouble cost(直訳すると『面倒料』?つまり、『君は私に面倒をかけるのであるから、何かをくれなきゃ困る』という趣旨の要求)」「外国人専用手数料」などなど、様々な「理由」のもとにそれらは要求されるが、こんなときにはもうげんなりしてしまう。

ここで私が払えばコトは簡単に進むだろう。外国人でお金のある私にとっては、決して払えないような額が要求されているワケではないのだから。しかし、この「ウラ要求」のせいで苦しんでいる人がたくさんいるのだ。ヤツラは貧しい人からどんどんお金を吸い取る。払えないほど貧しい人は、権力を目の前に泣き寝入りするしか道が残されない。ヤツラは、自分たちの好きなようにルールも法律も変えてしまう。お金のある人のためには既存のルールを変えてまで何でもしてあげるが、お金のない人には、既存のルールをわざと適用させないようにしてしまう。それが自分たちには可能であると思い込んでいるのだ。この腐ったメンタリティー!!本当に許せない。

みんなに平等のチャンスが与えられるようなキレイゴトが公式には並べられているが、実際には社会はそんな風に動いちゃいない。日本にだって同じことが言えるけれど、アフリカはそのレベルじゃない。こうしてますます、貧しい人が生きにくい社会ができていく。これを目の当たりにするのは、本当に辛いことだよ。

個人的に私は、物質的な貧しさには何の問題もなく耐えられる。あれがない、これがない、水がない、電気がない、汚い、粗末だ・・・こんなのへっちゃらへっちゃら。ただ、精神的な貧しさだとか、権力の乱用だとか、そういうのにはもう本当に耐えられないの。だからこそウガンダに留学していたとき、汚職は「一番辛かったことランキング上位5位」に堂々のランクインを果たすほど、私に大きな打撃を与えた原因だった。Dieu merci、今回、コートジボワールでは会社で働いているし、あまり外部の人と関わるような仕事内容でもないため、幸いにも汚職とあまり対峙することなく、比較的平和に毎日暮らせている。

アフリカにいる多くの外国人は、面倒なトラブルを避けるためにとりあえず払ってる。お金がすべてという考え方は、ある意味分かりやすいといえば分かりやすいし、外国人にとって、要求される額なんて全然大したことないから。それに、ワイロを払った方が安く済む場合がたくさんあるからね。

私はどうやら懲りない性格のようで、今まで散々な目にあわされてきたのにもかかわらず、未だに「ダメ、絶対!!」の精神を持ち続けている。もちろん、払わなければ本当にとんでもない事態になってしまう場合(逮捕など)には、しぶしぶ払うよ。ただ、それ以外の場合には、要求には応じないようにしている。強気な態度を見せると逆効果なので、ジョークの一つや二つを言い、とにかく何を言われてもニコニコして拒否するの。権力者が私のことを面白くていいヤツだと思ってくれたら、後は簡単だからね。

もちろん、そんな権力者だって人間だからさ、だからややこしいんだよね。悪を悪だとハッキリ言えれば簡単なんだけど。彼らにも養わなければならない大家族がいて、しかも多くの場合、親戚中から彼らの収入は当てにされている。親戚の中の失業率がヤバいからね。それなのに、当てにされているはずの自分のお給料は遅れるわ、来ないわ、突然減らされるわ。

また、le businessの過程で色んなコミュニケーションをとると分かるのだが、彼らの多くは、とても陽気で愛嬌があって人なつっこくて。そこらへんにいる汚職の被害者と何ら変わりないから、ますます分からなくなってしまう。私の言うジョークに大爆笑してくれたり、家族の質問をすると、嬉しそうな顔で子どもの自慢話を始めたり。「どうしてそんなあなたが、弱いものいじめをしてしまうの?」私にはもう分からないよ。誰もがいじめっ子になり得るのと同じだよね。本当に人間って恐ろしい。

誰かがNOと言わなければ、この問題は解決しない。

「あんたはバカだよ」と、今まで何人のアフリカの人に言われただろう。「これは確かに理不尽なことだけど、あなた一人では何も変えることができない。一人でそんなことしたって、余計に新しい問題を生み出すだけだ。とりあえず大人しく払った方が無難だよ。」ってね。「でも・・・」と言いかけると、「日本は日本。ここはここ。」とピシャリと言われてしまう。こう言われてしまうと、返す言葉がなくなってしまう。

これは、文化や社会、価値観の違いとして片付けてしまっていい問題なのだろうか。

私は、このような態度の現地の人にも、要求してくる権力者と同じくらいの怒りを感じてしまう。みんなの態度がこうだから、権力者に力を与えてしまうのだ。ヤツラをぎゃふんと言わせるには、自分がどんな目にあおうと、汚職に対して強い態度で臨むべきである。

とかなんとか言っちゃって、私には彼らの言っていることが痛いほど分かるから複雑だ。私は日本人だから、現地の人と比べると、汚職の被害は比べられないほど少なくて済んでいる。権力者も一目置いてくれるし、日本という国は、それほどアフリカの人に愛されているからだ。それを分かっているから、彼らの忠告を聞く度に、怒りと心のズキズキが同時にやって来るんだよね。

そして、いつも思う。この環境で生きている(生きなくてはならない)彼らは強いな、と。こうしないと自分や家族は守れない。生きるためには必要なのだ。ネプチューンの原田じゃないけど、「曲がったことは大嫌い~」を通している私なんて、まだまだ甘いのかな。

理不尽なことに対しても、頭を下げる日本のサラリーマンと似ているよね。私はああはなりたくないっていうのが本音だけど、本当はものすごく彼らのことを尊敬している。心でおかしいと思いながら、それをぐっとこらえるのって、なかなかできる事じゃない。アフリカの人もそう。世の中が理不尽なのを骨の髄までよく理解している彼らは、本当の厳しさを知っている。そんな中でもいつも笑ってるんだもんね。まったく、あの生きる力はどこから沸いてくるんだろう。

0 件のコメント: