2009年12月16日水曜日

援助にどっぷりなウガンダ

今までは、というか今もだけど、援助っていうのは外国人が良かれと思って、ほぼ押し付けの自己満足のような形で行われている。すごくラディカルに聞こえるかもしれないけど、今のところ私はそう思っている。そんな援助が、数々の批判にさらされながらも、その存在意義についてはそこまで議論されないまま今の今まで続けられたのは、その援助の甘い汁を吸っている現地の権力者があまりにも多く、現地社会における彼らの持つ力が絶対的であるからであろう。彼らの声が「現地社会の声」として国際社会では受け止められているし、人々にしたって、そりゃあタダで何かがもらえるのともらえないのとでは、もらえた方がやっぱり嬉しい。 また、援助機関や援助する国の政府にしてみたら、援助なんて金稼ぎだ。例えば、アメリカからの食糧援助の食糧が、アメリカの農家からきているように。日本の途上国に対する建設事業(道路とか)も、結局は日本の業者のためであるように。だから、なんだかんだ言って、既存の「援助」という枠組みがなくなったら、一番困るのは他ではない、援助する側の人々なんだよね。

私は、国連の人道支援活動やNGOというのは、いずれはなくならなくてはいけないと思っている。というか、常識的に考えてそうでしょう?だからこそ、今回のインターンで民間企業で働くことができ、とてもうれしく思っている。そりゃ、私も昔は「国連に就職したい」とか「貧しい人を『助けてあげなきゃ』」とか思っていたけど・・・今はそんなの微塵にもありませんね。ただ、頑張る人が報われる世界にはなってほしいけどな。経済格差というよりも、選択肢や機会の格差や権力構造のほうに関心がある。だから、アマルティア・センが結構好きだ。

援助ねぇ。あれだけの資金が組まれていて、それが何十年も続けられて、その結果が・・・え?これですか?という話だよね。援助の方法とダイナミックな現地社会の間に、どれだけ多くの溝があるのか。これを本当に理解している人って、援助機関の中にどれだけいるのかな。多分みんながみんな分かっているジレンマだとは思うんだけど、きっと、組織という大きな権力を前にしてしまうと、みんななかなか言い出せないんだろうね。怖いね、組織って。どうして人間は、二人以上になると、こうすぐにびびるようになっちゃうんだろう。自分も含めてだけど、すごくイライラする。

私ね、思うんですけど、援助機関で働く人には、水だとか教育だとか経済の他に、文化人類学の学位も必須にした方がいいんじゃないでしょうか。現地で外国人が「現地社会のために」何かをするというのは、そう簡単なことではない。参加型開発?現地の人による活動?あんなの無理ですよ、今のままだと。 だって今は、あまり現地の文化や価値観を理解していない、あるいは、理解していても、外からの着眼点でしか現地社会を見られていない人や団体が、開発計画を立てているんだもの。たとえば、外からの価値観で見たら「問題」だと思われるようなことが、実はそこまで深刻じゃなかったりするしね。外の人が「アフリカは貧しい」ってあまりにも言うものだから、現地の人が「そうか、ウチラは貧しいのか!!」と感じ始めるのと同じ理論だ。結局は価値観の問題だよねぇ。

ウガンダの人は、援助慣れし過ぎている。援助機関のお気に入り国であるウガンダには、それはもう、草の根NGOから大きな国際機関にいたるまで、援助機関の供給量が需要量を遥かに超えているんですね。JICAや国際機関関係者とは何度もこのことについては話をしたし、彼らの援助に対する態度や、そんな援助慣れの態度が生み出された歴史的・社会的・文化的背景を抜きにしては、この特殊な国(『人が特殊』という意味ね。今まで私が訪れたアフリカ十四カ国の中でも、本当にウガンダ人、特にガンダ人は特殊だと思う)を理解することは不可能だと思うのだが、うーん。

これね、面白いのが、世界中アフリカ中様々な国で働いた経験のある人がみんな「ウガンダ人は難しい」「ウガンダ人は『もらえて当たり前』だと思っている」「いろんな国で働いてきたけど、この国は五十年経ってもこのままだろう」って言ってることなの。他のアフリカ諸国出身の人だって、ウガンダ人は難しいとよく言っている。「すぐにモノやお金を要求してくる」「態度が悪い」「モノを貰えないと分かるとすぐに態度を変える」「うちの国と比べて、あまり何かを分け合おうだとか、そんなことがない」「上昇志向がない」「他力本願」「他人のことを全然考えずに、いつも自分のことばっか」「上辺だけ取り繕ってる」などなど。

最初、私はどうしてもウガンダ人が好きになれなくて悩んだ。寮にいるタンザニア人の子や、授業が一緒のケニア人の子とはすごく仲良くできるのに、何だろう、この、ウガンダ人との見えない壁は?確かに人々はフレンドリーで礼儀正しいだけど、すごく表面的なんだよね。まぁ、最初から敵対心に満ちた態度で接してくるbitchもかなりいたけど・・・。もちろん、ウガンダ人が全員そういうわけではないけれど、付き合うのが難しい人、付き合うのすら面倒くさい人の多いこと多いこと。そして、こんなんだから、援助機関で働いている人にとってはジレンマが多いらしい。

外国人と見るや否や、彼らがすぐにモノからお金にいたるまでを要求してくるのに私は到着後、すぐに気づいた。これは文化的なものと、それから長年の援助依存がメンタリティに染み込んじゃった結果らしい。元々、ウガンダ中央部に多く住んでいたガンダ人っていうのは、こんな傾向にあるんだって。現代社会のウガンダ人は、「ダメかもしれないけれども金品を頼んでみるのはタダ。貰えたらラッキー」な、難波のおばちゃんのやる気がない&他力本願バージョンな人が多いような気がする。まだ、難波のおばちゃんは、自分で積極的にズカズカといくけどね。ウガンダが私にとって最初の「ディープな」アフリカだったから、てっきり、ここの人が色々あれこれちょうだいと言ってくるのは、「植民地主義と現代社会における世界的な経済格差」が原因、つまり「アフリカはどこもこんなもんなんだ!!」と思っていたが、その後様々な国に行って様々な人と議論をするうちに、どうやらそうではないらしいことが分かってきた。

ある日私は、カンパラの町をバナナ片手に歩いていた。すると、すれ違ったスーツ姿のセボ(男性)に「それ、分けて」と言われたのである。明らかにアナタの方が私よりもお金あるでしょう?もちろん無視。

またある時には、朝ごはんの牛乳を飲みながらキャンパス内を走っていた。朝一の授業に遅刻しそうになっていたからである。すると、綺麗に着飾ったマケレレ・ビッチ(マケレレにいるウガンダ人女子学生のビッチ率は高いよ。自分で言うのもなんだけど、相当彼女たち相手には苦労しました。)が一言。 “Where is mine?(私の分はどこ?)”カチーン。「はぁ?」と聞き返したら、「私の牛乳はどこ?」だって。見知らぬ人に、よくそんな事言えるわねこのクソ女。最初から、もう発言的に「もらえて当然」なオーラがプンプン出ている。


今だからこそ、これは文化社会的な態度であると冷静に分析できるのだが、この朝急いでいるときにそんなこと考えている場合ではない。もうウガンダ人のそういうところにうんざりしていたこともあり、自分がとった行動に、私自身驚いてしまった。あのね、私、ニコニコ笑いながら「あなたの分ならちゃんとあるわよ。」と言い、飲みかけの牛乳をこの女の頭からかけてやったの。もうあの時は頭の中が真っ白だった。でも、日々のストレスのやり場に本当に悩んでいたから、ああいう行動に出ちゃったんだろうね。

よくありがちなのは、せっかく金銭がらみなしの交友関係が築けたかな~と思った矢先に、信じていたその本人からお金を要求されること。これには本当にがっかりしたし、人間不信にも陥りました。金持ちも貧乏人もそうなんだよ。そのお金の名目は「お昼代」だとか「子どもの教育費」だとか色々あったけどね。

丸々太った人からヘラヘラした顔で「ご飯食べたいんだけど」と言われることも。「ウチラ、アフリカ人でしょ?貧しくてさ、食べるものないんだよね~エヘヘ」エヘヘじゃねーよ。

たとえ本人は冗談のつもりでも、冗談にすらなっていない。毎回頂戴頂戴言われるこっちの身にもなってほしい・・・と思ったが、彼らに「人の立場になって考えろ」といってもまず無理な話であるため、諦めた。なんでだろうね、物を求めることだけじゃなくて、お店の人の態度といい、大学生の態度といい、人を傷つけたり、嫌な思いをさせていることに気付いていない人が多いような気がするんだよね、ウガンダ人。これは、ウガンダに住んでいるムズングも同じことを言っていたし、ケニア人やルワンダ人などの、他のアフリカ諸国出身者も言っていた。

出発前に日本で仲良くしていたウガンダ人の子は、すごく素朴でいい子だった。彼女は所謂「貧困層」の出身なんだけど、とある日系のNGOを経由して、日本で勉強する機会が与えられたの。だから、彼女と、大多数のウガンダ人のギャップには本当に悩んだよ。彼女とのメールでのやり取りでは、いつもウガンダ人の他力本願なところや援助慣れしているところについて語っていました。これって、やっぱり、日常的に私が経験していた出来事ときっても切れない関係にあると思うんだよね。

彼女とのメールのやり取りは、後で日本語訳してブログに載せるね。今ここに書いているのは、あれから一年半たった視点で書いているからどうも現実味というか、私の感情がそこまで注入されていないんだけど。そのメールを読めば、当時の私がどのようにウガンダの人の考え方について考えていたのか、いかにこの国の自立した将来について心底嘆いていたのか、そして、日本という国で価値観が一気に開かれたウガンダ人の女の子が、それに対してどのような反応を示しているのかが分かって、すごく面白いと思う。

ウガンダは豊かな国だ。バナナもキャッサバも芋もフルーツも、なんだって大量にとれる。農民はね、極端な話、他の国にいる農民ほどは一生懸命働かなくてもいいんだよ。私は農業の専門家じゃないから偉そうなことはいえないけれど。東ウガンダのとある村や、西ウガンダの農村で色々話を聞いたんだけど、「種をまけば、後はいい具合に雨が降り、時間がたてばアラ不思議、食べ物がそこら中に生っているではありませんか!!」状態なんだって。だから、戦争中も「飢える」経験は全然していないみたい。食べ物はいくらでもあったから、ひもじい思いは特にはしていないみたいだよ。



素晴らしきウガンダの畑。ごちゃ混ぜ&disorganizedだけど、
これでも収穫できちゃうから豊かな国です。


確かに、西洋的に見れば、ウガンダは何もない「貧しい」国かもしれないけど・・・でも、だからこそウガンダの人というのは「ムズング(白人)が、ウガンダには問題がたくさんあって、ウガンダは貧しい国だといっている。そうか、自分たちは貧しいのか。だから、ムズングにあやかるべきだよね。」って考える人が多いのかも。ムズング至上主義も問題だね。これは、植民地主義の影響もあると思う。結局、メンタリティーは未だに植民地化されているのかも。

ウガンダという国は援助機関のお気に入りの国だ。治安もいいし、政治も安定している(独裁?)。というか、ある程度食べ物がある場所って、だいたい社会がある程度は安定しているから、だからこそ援助機関が活動しやすいんだろうね。政府も政府で、援助機関を奨励し、彼らが活動しやすいように色々と法律なんかを整備している。ちょっと前まではウガンダ北部で内戦をやっており、子ども兵士がたくさんいた。また、ウガンダには他のサブサハラアフリカ諸国同様、HIV/エイズも存在する。「子ども兵士」「HIV/エイズ」などのキーワードは、援助機関が支援者からお金を集めやすいっていうのもあるだろう。とにかく、カンパラを歩いていると、NGOの看板や援助機関のランドクルーザーをよく見かける。

「How to be a Ugandan(ウガンダ人になるためには)」という、ウガンダ絡みのジョークを集めた本があるのだが、ウガンダを知りたい人にはかなりオススメだ。といっても、ウガンダ国外で手に入るのかどうかは分からないが。この本のNGOの章にはこう書いてある。「ウガンダには、NGOが洪水のように溢れている。カンパラには、ストリートチルドレンを支援する名目のNGOが、実際のストリートチルドレン一人当たりにつき二つは存在する。」

職のないウガンダでは、とにかくお金がほしければ、NGOを作るのが手っ取り早い。誰もこんな不謹慎なことは大っぴらには言わないけれど、誰もが認める暗黙の了解だ。とりあえずなにかテーマを見つけて、それに関するプロジェクトの企画書を書けば、あとは国連やらお人よしの金持ちムズングやら他の財源にアタックするのみである。ラッキーなら採用され、めでたくNGOも作れるというワケだ。この、「とりあえず聞いてみて、貰えたらラッキー」のあたりが、バナナやら牛乳やらを求めてくる国民性にマッチしているでしょ。

マケレレで、私は社会科学部に所属していた。ここでは、NGOの運営方法だとか、企画書の書き方だとかの講義があるんだけど、やっぱりみんな、NGOに就職か、NGOを立ち上げようと頭の中でひょうひょうと考えているね。大学卒業しても仕事がないのだから、仕方がないことなのかもしれないけど。

道端で、いきなり「NGOを始めたいからスポンサーになってくれ」と言われることもしばしばであった。大体そういう人に、どんな発想を持っているのか聞いてみると、ありきたりのプロジェクトばっかりなんだよね。で、必ず最後に言うのが「子どもたちのためなんです」「人々は苦しんでいるんです」。ハイハイ。もうちょっと頭をひねって、資金をムズングに頼らない方法も考えましょうね。だいたい、街行くみすぼらしい服装をした留学生にまで資金援助を求めないと成り立たないプロジェクトって、甘くないですか?

正直言って、ウガンダは百年経ってもあのままだと思う。メンタリティーが変わらない限り、あの国は援助によって生かされるだけの状態から脱却できないだろう。私はそれは決していいとは思わないけれど、本人たちはそれでいいと思っているのだし、それで幸せだと感じているのだから、どうでもいいんじゃないかと、ウガンダを離れてしばらくたつ最近、ようやく思えるようになってきた。ただし、自分の足で立つつもりのない国に、日本の国民の血税を流し込む理由は分からない。国民が国をつくるために頑張っているのなら、そこに私たちの税金が使われても悪い気はしない。でも、ウガンダみたいに「もらえて当然」だと思っている国には・・・ねぇ。どうなのかしら。

他に本当に援助を必要としている国はいくらだってある。

例えばサヘル地域の国々。砂漠化が進んで、環境難民と呼ばれる人が増えてきている。ここは、人間が生きていくのに必要な「食」すらままならないし、だからこそ、とにかく「生、存のための援助」がたくさん行われているという話を、以前にニジェールでPeace Corpの一員として活動していたアメリカ人女性から聞いた。もちろん汚職は激しいから、援助だってなかなか上手くいってないみたいだけどね。それから、ソマリアのような戦闘地。ここに住んでいる人こそ、国際社会の助けが必要だ。冒頭に私は、「援助反対!!」のようなことを書いたが、これは「援助を本当に必要としていない国における押しつけ型の『援助』には反対です」っていうことね。もちろん、本当に援助を必要としている国においてさえも援助のやり方には問題がありすぎるから、それこそ本当に、「援助のあり方」を吟味して議論していく必要があるだろう。

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