2009年12月14日月曜日

マラリアのまま、日本大使公邸のパーティに行ってみた。

なんか・・・犠牲祭の日からかれこれ一週間以上、体調を崩しております品川です。夜になるとね、ほぼ毎日熱が出るの。ひどい頭痛と関節痛と、それから悪寒も。まずまず暑くなるアビジャンですが、窓を締め切りにして、長袖を着て寝袋に包まって寝ているの。食欲もないんだよ、食と旅が生きがいであるこの私に!!

でも、昼間はなんだか大丈夫な感じがするから、普通に生活しております。スカイプで他の国にいる同僚と一時間以上話すと、もう疲労でダウンになっちゃうんだけどね。たまに息切れしちゃうの。スカイプで話すだけなのに。これは精神的な疲労感のほうが大きいとは思うんだけどね。

少し汗でもかけば変わるのかなと思っては、軽く昼に近くのTIAジムに行ったりもするんだけど、なかなか思うようにfouka fouka(コートジボワールのフランス語で『元気』という意味)にはなれません。軽く歩くだけでものすごく疲れちゃったりね。

犠牲祭の日の夜、初めて熱が出たときに「まさか・・・」と思ったよ。この感覚、どこかで覚えがあるんだよね。そう、マラリア。普段から健康優良児そのものの私だから、一旦体調が悪くなるとそれはそれは大変なことになる。ダウンすることに慣れていないから余計にね。そんな数少ない病気体験の中から考えると、この体調といいこのパターンといい、今回もマラリアとしか思えない!!というのが結論。実際に病院でマラリア検査をしたら、陽性だったよ。ガビーン。

ここで皆さんの頭の中に浮かぶ疑問はこれであろう。「マラリア=死の病気。なのにジムなんかに行けるのか?」

ところがどっこい。ウガンダでもそうだったんだけど、こっちで生活していると、マラリアっていうのが日本人の感覚で言う「インフルエンザ」みたいなものであることが分かるんだよね。「あ、マラリアになっちゃったから、今週仕事休みま~す」的な。「子どものころには毎年かかってたよ」なんていう人はよくいるね。だから、確かに死亡原因のトップには入っているけれど、決してマラリアにかかったからといって死に至るとか、そんなことは決してありません。

初めてマラリアにかかったとき。確かあの時も、ウガンダに到着してからちょうど三ヶ月を迎えた節目の時期だったなぁ。今回も、コートジボワールに到着してからちょうど三ヶ月目でのばたんきゅーです。何だろうね、この三ヶ月のジンクスって絶対何かあるよね。

思えばあの時も、日常生活にそこまで支障がない体調の時間帯と、もう寝込むわダウンだわでてんてこまいだった体調の時間帯が交互にやって来た。ちょうどアフリカンダンスの授業の実技テストとかぶっちゃって、眩暈がしたけどとりあえず激しいビートの北ウガンダダンスを踊りきった記憶があります。だって、マラリアだろうとなんだろうと、踊らないと単位がこなかったんだもん。基本的に、マケレレ大学のありとあらゆる事に対して信用をしていなかった私は、「具合が悪いので実技試験は別の機会にしてください」とお願いをしたところで、どんな仕打ちが待っているかがなんとなく予想できた。先生はとりあえず再試験を実行することを面倒くさがり、何かと理由をつけては渋ってくるだろう。仮に再試験が可能になったとしても、先生は、試験の結果を学部事務所に報告するのを忘れてしまいかねない。そして何よりもややこしいのが、あの超がつくほどのバカで意地悪な大学事務所だ。「どうして君だけ試験日が違うんだ。そんな君に単位をあげる訳にはいかない。」嘘でしょうと思ったそこのアナタ。是非マケレレに留学してみてね。

だからこそ、マラリアに体力を奪われていようとなんだろうと、超体育会系の北ウガンダのダンスを気力で乗り切る必要性があった。だって、こんなアホみたいなやつらに負けて泣き寝入りするなんて、そっちの方が屈辱的でしょう。そのときのビデオがあるけど、いやー、本当に自分は頑張ったと思う!!(笑)

二回目にマラリアにかかったときは本当にヤバかったので、病み上がりの際には、歩行練習を数日間しなければいけなかったけどね。退院したら、普通に歩けなくなってたんだよ!!練習しても、その後普通に歩けるようになるには二週間半の月日を要しましたが。あのときも、具合が悪くなり始めた時には「まさか・・・・これってマラリア!?」という疑惑が私の中にあった。そしたら本当にマラリアだったというオチね。

今回はそこまで症状も重くないし、病院に行くまでの交通を考えるだけで疲れてしまうし、そもそも二回目のマラリアの時にモザンビークの病院で殺されかけたのがトラウマになっているせいもあって、もう苦しくてどうしょもなくなるまで病院には行かないで頑張ることに決めた。こんなこと言うと、いろんな人に怒られてしまいそうですが。ちなみに、ついに発症から十一日目で病院に行きましたよ。十日目にね、とんでもない高熱に襲われて、顔が腫れちゃったの。コートジボワールの私立病院(公立病院は死んでも行かないというか、死ぬために行くようなものだから・・・)は、お医者さんがかなりジェントルマンで感動!!どっかの大学の病院みたいにワイロを要求してくることもなければ、どっかの国の公立病院の医者みたいに、自分があたかも神様であるかのような振る舞い(なのに超藪医者)はして来ない。

そうそう、家で寝てたら、エムボマからお見舞い電話があったよ。彼、本当にいい人(笑)。「モシモシ~、オゲンキデスカ~?」と言われたから、「あまり元気じゃないです~」と返事した。そしたら何故か爆笑されたんですけど。

そんなマラリア七日目、天皇誕生日を祝うためのリセプション・パーティーとやらが日本大使公邸で行われた。そして、何のギャグなのか知らないけど、この私にも招待状が来てしまったのである。吉本系外交官のKさんが、職権を乱用して、大切な招待客のリストの中にこんな場違いな人間を入れてしまった形ですね(笑)。何はともあれ、招待されたその日から、私はこのリセプションとやらを密かに心待ちにしていた。ところが、リセプションの数日前になって、着ていくはずだったスーツ(コートジボワール製)のチャックが壊れるというハプニング(別に、太りすぎてパーンというパターンではないので要注意)に見舞われ、その後寝込んだり仕事で忙しかったりしていたこともあり、ついにそのスーツは当時まで直ることがなかった。

何を着ていけばいいんだ?葉っぱ?ジャージ?私の日本にいる友人からは、「貝がいいんじゃないのか」などという意見も寄せられる始末。さてさて困った困った。服がない。苦渋の作戦で、私はこんな服を着ていきました。



この笑顔が引きつっているマラリア患者(向かって左)とその友達。友達の笑顔はさわやかです。



母のお下がりのキャミソールに、叔母から中学時代に(!!)もらったスカート、上に羽織っているグレーのカーデガン(?)は、高校時代に宇都宮で買ったシロモノで、お値段なんと百円。バッグは、父から無理やり奪った犬の形をしたポーチだし、しかも、手に持っているのは・・・ハイ、ビニール袋です。ビニール袋を片手に大使公邸のパーチー、です。靴もなかったので、小学校六年生のオシャレに目覚めだした時期に、小山にある怪しい輸入専門店で買ったタイのカラフルなサンダル(結構気に入っているから、以来ずっと、底がすれようが壊れようが履いているの。一応自分の名誉のためにも言っておくけど、別にお金がなくて新しいのを買えないだとか、そんなんじゃないよ。結構質もいいから長持ちしてくれております。)を履いていった。私がこちらで持っている中では、一番マトモな靴だからだ。さすがにビーサンとかスニーカーでは行けないしねぇ。お化粧?もちろんそんなのありませんよ。大使公邸でのパーティにスッピンで挑みましたが、何か?

あ、ちなみに小山というのは、栃木県南部の一大都市のことだよ。私が中学生だったころ、地元・大平町の女の子は、部活が休みの週末になるとみんなオシャレをして電車に乗って、小山までプリクラを撮りに行ったものです。今の子達はどうしているんだろう。

それにしても、こうして文字にしてみると、我ながら自分のオシャレへの無頓着さには呆れてしまう。小学生のときに買ったサンダルを未だに履いているだなんて、伝説だよね、自分で言うのもなんだけど。でもさ、お金があれば、旅と本にかけたくなっちゃって、服とか靴とかは二の次三の次になっちゃんだもん、しょうがないよね。

それがね、それが、だよ。このパーチーの数時間前に、マラリアの症状がまたもややって来たんだよね。最初にoopsと感じ始めたのは、さぁもう一仕事してから今日は早い目にオフィスを出ましょう、っていう時で。神様仏様エムボマ様、頼むからこのタイミングでばたんきゅーとかやめてください・・・と願いながらも、症状は刻々と悪化していく・・・。

とりあえず無駄だよなとは思いながらも頭痛薬を飲んだ。それからレッドブルでスタミナを取り戻す作戦にも出た。「マラリア+頭痛薬+レッドブル=∞」しばらく胃の中がすごい混ざりようだったけど、不思議なもので、一時的にではあるが活力が沸いてきた。久しぶりのレッドブルの効き目は半端じゃない。神様仏様レッドブル様!!

それから、「病は気から」を座右の銘とする私としては、心の中で呪文を唱えることで精神的平安を保つことに成功した。「頑張れ自分、こんなパーチーに招待されるなんて、もう二度とないかもしれないんだぞ!!マラリアが何だ、マラリアにも負けずに踊って単位を勝ち取ったではないか!!マラリアなんてちょろい、マラリアなんてちょろい、マラリアなんてちょろい・・・」

こんなんだから、体は大使公邸にたどり着くことに成功したけれど、冷や汗はダラダラ、髪はボサボサ。おまけにあのファッションでしょう?ビニール袋持っちゃってるし。


髪はぐちゃぐちゃ、汗で体はベタベタ、おまけにビニール袋を持っております日本人。
コートジボワールには30人しか日本人がいないのに、
こんな恥さらしで申し訳ありません。一緒にいるムッシューは文部大臣。




いやいや、日本国民の皆様、恥をさらしてしまい申し訳ありません!!日本大使並びに大使館職員の皆さんも、申し訳ありませんでした!!

そんな私を見て、吉本系外交官のKさんには「あっはっは、場違いだねー」と言われるわ、正装をした大使ご本人からは「あー、いつもブログを読んでいますよ」と言われるわでもう苦笑いするしかなかった(大使殿、今日も読んでいらっしゃるのですか?)。中に入ると、オーケストラはいるし、きらびやかな招待客がわんさかしているし、しかもこんな格好をした病人があいさつをしても、ジロジロを頭から爪先まで見てくるだけであいさつを返してくれない白人は多いし、もう完全にアウェーでしたね。象牙人はみんなあいさつを返してくれたよ。

と、とりあえず・・・食べなきゃ!!日本食~~~!!!という訳で、正直言って食欲はなかったけれども、次にありつけるのがいつになるかなんて知ったこっちゃない母国の味めがけてダッシュする私。寿司を食べたときには生きててよかったと心底思った。これね、面白かったんだけど、食べ物に群がっているのは全部象牙人だったの(笑)。「食えるうちに食えるだけ食え」の哲学が現れておりましたね。あいさつすら返せない白人招待客は白人同士でかたまって、ワイングラス片手に談笑中。少数派のアジア人は、端っこの方でかたまってたし。なんなんだ、このアパルトヘイト的な空気は・・・。

あのうちの何割がフランス人だったか知らないけど、フランス語系のパーティになると、やっぱりみんなフランス人みたいにsnobになっちゃうんだね。人種差別か、コイツら?って感じてしまうくらいだった。もちろん公用語はフランス語ですよ。この場において、フランス語を話せない人は人間じゃない―そんな雰囲気。これは冗談じゃなくて、本当の話ね。

英語圏のリッチなパーティには何度か出席したことあるけど、あんなんじゃないよー。もっと和気あいあいでみんないい感じにミックスしてるし、紳士淑女は多いし。そりゃ、フランスの庶民soirée(「夜会」と訳せばいいのかな?)でもフランス語が話せなかったらキツイけど、あんなに閉鎖的な雰囲気じゃなかったなぁ。みんな大体フレンドリーだし、アルコールが入れば肩組んで歌いだすし。恐るべし、フランス(むしろフランス語圏の)上流階級。

私の服装の問題もあったのは事実だけれど、とにかくここにいる象牙人も白人も、話しかけてもツンとしてるしね。「こんなアジア人にフランス語なんか話せるわけがない」みたいな。だから、象牙人とは何回か会話はしたけれど、みんな「え!?君、フランス語が話せるの?」とそれはそれは驚いた顔をしておりましたよ。アジア人がフランス語を話せて何が悪いのでしょうか、えぇ?普段ならもっと積極的に話しかけるところだけど、なんてったって、体内ではレッドブルがマラリアに負けつつあったため、いつものようにはいかなかった。残念!!きっと、ツンとしていながらも、実は面白くて優しい人なんてたくさんいただろうに・・・。

今度フランス語圏内でこのような上流社会のパーチーに招待されたら、①ドレスは招待状をもらったその日から準備します。②体調は万全に調節してから挑みます。みんなも気をつけてね!!

とりあえず、パーチー会場には私の象牙人父さんもいたので、私は父さんとその友達と行動することに。でも、やっぱり途中からは立ってるのもキツかったよー(涙)。くそ、憎きマラリア。オーケストラの君が代(ちょっぴりネジが足りないオーケストラだったけど、これは愛嬌ということで。学生オケの皆さん、なつかしの国家をありがとう。)にややホームシックになったり、大使のスピーチを聞いて将来の日象関係(日本とコートジボワールの関係)に思いをはせたりしながら、同時に蚊の存在意義について悶々と考える私であった。

オーケストラまでいて、本格的!!(大使公邸なんだから当たり前か・・・ヘヘヘ)




世界中の人が人間同士の戦争なんかやめて、今もっているテクノロジーと兵力を駆使して「人類vs蚊」の全面戦争を始めればいいのにね。オバマがそれを言い出せば、彼は真の意味でのノーベル平和賞受賞者になれるであろう。Yes We Can!!

1 件のコメント:

ごとうp さんのコメント...

めずらしいコメントで、しかも返信がメールでということなので、なにか怪しい内容かと思ったらそうでもないようですねww。

メールアドレスが分からないので、コメントで返させていただきます。
外国免許切り替えの件ですが、各都道府県によって色々違うので受験予定のところで聞いてみることをお勧めします。
僕は何度も受けることになってしまったのですが、それは主に、僕がかなりの緊張しいだからです。w
左右確認を大げさに行い、車線変更は早めに行い、停止線等は踏まない、という基本を押さえておけば、一度か二度で受かると思います。
教習所に通うべきかどうかは、試験のためというよりも、合格後の運転に不安があるようでしたら、教習所を通うことを僕はお勧めします。