2009年12月3日木曜日

パリの移民、アビジャンの家族

こちらにいると、本当に海外、特にフランスに出ているディアスポラ(移民、出稼ぎ労働者)の経済力の大きさを実感する。色々な人の話を聞いていると、パソコンやカメラ、なんかの電化製品は、フランスにいる親戚にもらうか、買ってきてもらうかのどちらかの場合が多いね。仕事でヨーロッパに行くような人の場合だと、その出張のついでに買ってくることがほとんどだ。理由は簡単。フランスで買った方が、いいものが安く手に入るからだ。日本人の私からすると、フランスだって日本と比べると高すぎると思っちゃうけどね。

また、ここで家を建てたりなにか小さなビジネスを始める際には、たくさんの人がディアスポラの経済力にあやかっている。資本を得るために、五、六年くらいヨーロッパで出稼ぎするのは結構ポピュラーだ(そして、そのためのビザをとるためにみんな相当頑張っている。これについてはまた詳しく後ほど・・・)。「アフリカからヨーロッパに移住する」なんて言うと、あたかも社会の特別層にしかできないことのように聞こえるかもしれない。実際に私もそう思っていた。ただ、旧仏領の場合だと、sans papier(without papersつまりは正式な書類のない、違法滞在外国人)だろうとなんだろうと、結構みんなバンバン行っているみたいだね。 よくニュースにも出てるよね、小舟でヨーロッパを目指す人とか、飛行機の荷物室(?)に身を潜めて渡欧を試みる人とか。

そんなSans papierの人たちが住む団地が、パリの郊外のどこだかにあるそうだ。結構有名らしいんだけど・・・。ジャーナリストの卵である友達が、大学の課題のために取材で行ったという話は聞いたんだけど、別に昼間だったし、危ないという感じではなかったみたいだよ。私も、春にフランスに戻るときに一度訪ねてみたい。

実際にパリの18区や19区なんかに行くと、もうそこはアラブ・アフリカの世界だ。あの有名なモンマントルでさえ、今では移民街のど真中にあるんだよ。18区と19区は、私の好きなパリでもあるし、パリにいた三ヶ月間は、そこが私の生活圏内だった。やたらと警察が多いし、一般的に治安も悪いと言われているが、みんな一生懸命暮らしているエネルギーで溢れている。お昼頃になると、密輸入したタバコを売るお兄ちゃんたちで歩道が埋め尽くされるのもここだし、一食3ユーロというありえない金額でお腹一杯アフリカ料理が食べられるのもここだし、ウガンダ時代によく食べた、なつかしの路上焼きとうもろこしが登場するのもここだ。パリジェンヌ品川は、道端でとうもろこしをかじっておりました。

奇跡の一皿3ユーロメニュー。
六人で食べに行ったのに、三皿完食することすらできなかった!!


18区のBarbèsという地区でやっている水曜と土曜のマルシェは、かなりオススメ!!とにかく安いし、アフリカから中東からアジアから、様々なエネルギーがこのマルシェに集まっているのを肌で感じることができるし、何よりも嬉しいのは試食が他のマルシェよりも多いってことなの(笑)!!マルシェのある日は、朝からすごいことになるよ。スーツケースみたいなのを持った人でメトロは溢れかえり、マルシェは、アグレッシブな売り子と客で戦場のようになる。みなさん、並々ならぬ気合です。まぁ、市場はこれくらい元気がないとね。図体のデカいおばちゃんをも突き飛ばす勢いで挑まないと、完敗します。あ、スリには気をつけましょう。

また、この地区をほっつき歩いていると、どこでもドアを使ってダカールやアビジャンから飛び出してきたんじゃないかと思うほど、カラフルでハデハデなドレスを着た女性によく遭遇する。メトロには、アビジャンの道端で昼寝でもしてそうなムスリムのおじいちゃんが乗込んできたり、ハウサ語だかウォロフ語だか知らないけど、とにかく色んな言語でのにぎやかなおしゃべりが聞こえてきたり。郊外の町にも何回か行ったことあるけど、駅から出れば、そこはトレイッシュビル(アビジャンの地区の一つ)だった・・・とまでは言えなくとも、決してパリではなかったよ。道端でハデハデな布を頭に巻いたおばちゃんがトマト売ってたりね。


一緒に働いていたアレクシア(ガボン人)とサーフィ(コンゴ=ブラザヴィル人)と一緒に、
セネガル料理を食べたよ。こんなのも、移民の多いパリだからできることだね。


パリにいるアフリカ系の人たちと話をしていると、最終的には自分の国に戻って暮らしたいと考えている人が多いことに気付く。パリは天気が悪いし、社会から阻害されている感じがして窮屈だ、とある人は言っていたし、またある人は、パリという街がいかに人の心を冷たくしてしまうのかについて語ってくれた。そして、多くの人が口を揃えて言うのはこれ。「パリには、自由がない。」

アフリカには、確かにお金はないかもしれない。でも、そこには家族がいて、近所のきずながあって、みんなで夕方になれば道端に集まりだしておしゃべりをしたり、冗談を言い合ったりする時間が必ずあった。知らない人に挨拶をするのも当たり前だしね。今まで自分が当たり前だと思っていたその生活こそが、本当はお金よりも大切なものなんだ―青い鳥のストーリーじゃないけれど、幸せをつかみに外に出たはずなのに、実は今までの自分の日常が何よりも幸せであったことに気付くっていう人、結構いるんだなとパリで思った。


パリ郊外に住むマダガスカル人の友達の家に遊びに行ったときの写真。
ご飯はもちろんマダガスカル料理で家の中もマダガスカル語。


アビジャン近郊の村で11歳までを過ごした友達のシャカは、母親の再婚相手がフランス在住のコートジボワール人だった。シャカのお母さんのケースについてはよく知らないけど、ヨーロッパやアメリカにいる、会ったこともないようなアフリカ人ディアスポラのもとに嫁いでいく政略結婚(?)は未だにあるみたい。ちょっと前まで「△△の村にいる顔も知らない□□さんのところに嫁ぎに行く」っていうのは当たり前だった(今でも地方に行けば根強い)けど、グローバル化を迎えた世界に生きる今日の人々は、はるか遠くの海外にまで、こうしてお嫁に行くんだね。そのためのエージェントもあるよ。同じ女性として、彼女たちの権利や嫁ぎ先での法律上の扱いなど、ものすごく心配になってしまうけど。

シャカは、お母さんがすでににフランスに行っていたのだが、ある日突然呼び寄せられて、それ以来に、三年前までパリの郊外で暮らしていたんだって。当初はもう、それはそれはホームシックだったと言っていたし、結構苦労もしたみたいだ。ノートルダム近くのレストランでシェフをしていたときには、お給料がもらえなかったんだって!!そういえば、ドログバもホームシックで大変だったみたいだね。十五年経って、ようやくコートジボワールに戻って来ることができ、今は本当に幸せだと言っている。これからアフリカ全土を旅するらしいよ。彼は本当にいいヤツで、話すたびにたくさんのことを学んでいる。いいなー、アフリカの旅に一緒に行きたい!!

実際にメトロやRER(パリ郊外の電車)に乗ってると、アンハッピーそうなディアスポラがたくさん乗っていて、多民族都市パリの、裏の顔を伺うことができる。まぁ、パリの電車に乗っている人って、基本的にみんなアンハッピーな顔してるんだけどね。どの人も暗い顔していて驚いてしまう。私の会社のエージェントに来るディアスポラのお客さんも、愛想が悪い上に失礼極まりない人の多いこと多いこと。フランス生まれのフランス人よりも難しい人が多くて(でも、あまり理屈っぽいわけではないよ)、エージェントで働くみんなはいつも怒ってた。でもこれは、フランス社会という特殊な空間が彼らをこんなにしてしまったのではないかと私は思う。根はみんな、明るくて陽気な人たちなんだろうけど。

日本人なんかがパリに行くと、中には「メトロに黒人がたくさん乗ってて怖かった!!」という人がいるが、ちょっとそれはあまりにもヒドイ発言ではないかと思ってしまう。まぁ、ニュースとか見てると、こんな感想を抱いてしまうのも仕方がないことなのかもしれないけど。ただ、それは完全に、アフリカ系の人に対する先入観と偏見に満ちた失礼極まりない発言だし、普段は無邪気な笑顔で笑いかけてくる彼らをこんな風にしてしまったフランス社会というものにこそ、もっと目を向けるべきじゃないのかな、と思ってしまう。

私は、決してパリのメトロのファンではないけれど、そこにいるアフリカ系のディアスポラの皆さんとは、それなりに面白い経験は何度かさせてもらったので嫌いではないよ。ひょんなことがキッカケでイボリアンのyo yo waz up ?系のガタの良いお兄ちゃんたち(そして、結局は彼らもタダのTIAな漫才師であることが後に発覚)と友達になったしね。一般論では、彼らのような人は、メトロで最も警戒しなくてはいけない人のうちに入るところなのだが。でも、根はすごくいい人だったよ、本当に。

パリのメトロ(注:これは、かなりきれいな車両だよ)



一度、終電後の夜中の二時に、一人で郊外行きのバスに乗らなくてはいけないことがあったんだけど、時間が時間だし、ものすごく大きな警察犬が乗込んできて吠えまくるわ、乗客同士が猜疑心に満ちた視線を他の乗客に投げつけるわ、おまけにバスの路線はよく知らないわで、もうそれはそれは、アドベンチャーたっぷりの人生を歩んでいると自負する私にとっても大冒険でしたよ。そのときに・・・。やっぱりやっちゃいました、乗り過ごし!!私が気付いた頃には、バスはもう、真っ暗のパリ郊外に向けてびゅんびゅん走っておりました。「ひぇーーー、と、止めてーーー、とりあえずここで私を降ろしてぇーーー!!」とパニックになりながらも、心のどこかでは「こんなところで降ろさないでーーーー」と思う自分もいて、冷え汗ダラダラ。とりあえず、パリの郊外に突入する一歩手前で降ろしてもらい、次のバスが来るまでの間、「どうか何も危ないことが起きませんように!!」と願いながら、パリ市内行きのバスを待つことに。

最初はかなりビビってたけど、待っている間に、ものすごく親切なマリ人のおじさんと仲良くなったのが今ではとてもいい思い出となっている。本当なら、知らない人と話をしちゃいけないはずなんだけどね、この街では。このおじさんは、バス停に着いてからはしばらくは黙ったままだった。私も当然、彼を警戒していた。ただ、五分くらい経ったときに突然「こんばんは。突然だけど、こんな時間にこんなところで何をしているの?」と、かなりアクセントの強い口調で聞いてきて、私たちは少しずつ会話をするようになった。マリのこと、そこでの生活のこと、家族のこと。話をしているうちに、彼が熱心なムスリムであることも分かってきた。経験上、真面目なアフリカのムスリムには正直者が多いという持論が私にはあった。そのため、彼に対して心を開くのはあっという間だったよ。心を開くと、このおじさんはさらに興味深い話をいくつもしてくれた。もう時計は午前三時をまわっていたが、パリの端っこのバス停ではこんな出逢いもあるんだなぁと感動したものだ。

ちなみにこのおじさんは、「この辺は物騒だからね。実は、わしもここの地区は怖いんだよ。でも、自分の娘を家まで送っていくのは父親として当然だしね。」と言い、バスを降りて私の住む家の前まで一緒に来てくれた。人を全員疑ってかかるのは簡単で基本的な防犯対策だけど、信用すべき人を見分ける力も同じくらい大切なんだね。世の中捨てたのもんじゃない。ちなみに彼は、その後も毎週のように電話をしてきてくれた。何度か一緒にお茶もしたよ。夏の終わりごろにはマリに一時帰国していたんだけど、なんと、マリからも何度か電話が来た。ものすごく典型的な、アフリカの田舎のおじちゃんって感じ。


その後も何度か一緒にお茶をした、マリ人のおじさん。


パリのメトロに乗っているアフリカ系ディアスポラの中には当然、アフリカに一度も行ったことのないアフリカ系フランス人もいれば、社会的に大成功しているアフリカ人エリートもいる。お金とは関係なしに、ただ単に自分の価値観を広げるためにフランスに来ている人もいれば、勉強をしに来ている若者もいる。だから、全ての人を一まとめにするのは不可能だけどね。結局は、本人がいかにオープンかどうかでかなり違ってくるんじゃないかな。まぁ、これは全ての海外生活者にいえることだとは思うけど。

例えば、パリ時代に仲がよかった象牙ガールのイザベラちゃん。パリ郊外に住む彼女は、フランスに来てから八年になるが、ゼロから全て自分の力で生活の基盤を作り上げた。最初はそれなりに苦労したみたいだし、今だって生活ぶりは質素ではあるけれど、肌の色など関係なしに、たくさんの友達に囲まれて楽しく生活している。「フランスには確かに社会的な差別はあるけれど、だからといってフランス人がみんな人種差別をしているわけじゃないし、一緒にいて楽しいと思えるフランス人と出会って、自分の幅を広げるためには、まずは自分から壁を作らない努力をしないと。」だって。出稼ぎウンチャラじゃなくて、母国を離れて生活する全ての人の鑑のような言葉だね。それでも永遠にフランスに残れるワケではないけれど、パリにいる間にはパリででしかできないことを思いっきり楽しみたいんだって。社会全体が彼女のようになれば、きっといろんな問題が解決するね。



イザベラ。完全に酔っております。

イザベラちゃんの家で、象牙日本食混ぜ混ぜパーティをした。
彼女の家には、もう一人コートジボワール人の子が住んでいる。
こうしてみると、別に質素には見えないね(笑)


イザベルの家族とは、今じゃすっかり仲良し!!ヨップゴン地区の団地に住んでいる、ごくごく普通の家庭。
彼女のママは、イザベラにアビジャンに戻ってきてほしいと言っている。
戻ってきて、いい仕事を見つけて、家計を助けてほしいって。
今は、どちらかというとイザはイザで、家族は家族でそれぞれ独立してやってるみたい。


アビジャンにいると、「ええ!?あなたもフランスに行ってたんですか!?」という驚き(?)がたまにあるよ。例えば、近所で揚げ魚を売っているおばあちゃん。彼女は80年代に、六年間にもわたってフランスに住んでいたんだって。ずっと住み込みで、家事手伝いとベビーシッターをやっていたのだとか。「雇い主はいい人だったしお金は確かに貯まったけど、私はここで魚を揚げているほうが幸せだわ。」って言ってた。この彼女がsans papierだったのかどうかは不明だし、私には知る由もないけれど、とにかく彼女が一生懸命ためたお金のお陰で、家族みんなが暮らせる家を建て、子どもたちはマキ(コートジボワールの飲み屋)を開いたり美容室を開いたりして頑張っているらしい。

彼女の娘で、マキをやっているおばちゃんが言っていた。「ここで成功してる人は、みんな外にお金を探しに行った人たちなんだよ。ここにいる限り、銀行や政府はみんな金持ちの味方で、私たちみたいなのは生活はしていけても、何か新しいことを始めるだなんて全くできやしないんだから。」

うーん、もう、なかなかこの悪循環を断ち切るのは難しくて、体の奥の方がかゆくなってくる。移民の問題って、本当に、植民地主義のゆがみが今になって浮き出てきたようなものだよね。まぁ、日本には全く関係のない問題だけど・・・みなさんはどう思いますか?

1 件のコメント:

まりこ さんのコメント...

とても面白く読ませていただきました!私は今ドイツに留学していて、パリが大好きで何度か行っていますが、色んな考えの人が居て、自分もどう捉えていいのか分からないことが多くありますが、とても素敵な文章を読ませていただきました^^有難うございます!