2009年12月29日火曜日

Africa as one


アフリカのことを勝手なイメージを通して見ている人の中には、「アフリカ人は種族やクランに分かれて、いつまでも争いを続けている野蛮な人々」という勝手な発言をする人がたまにいる。でも、私は思う。(ここでは、皆さんに分かりやすいように、raceがあたかも存在するかのような前提として説明をするが)「黒人」ほど、raceへの帰属意識や同じraceの人に対する兄弟愛を強く持った人は、この地球上に存在しないのではないだろうか。

例えば、ケニア人とギニア人の間には、ネパール人と日本人と同じくらいの違いが存在する。普通、ネパール人と日本人が出会ったとき、互いを「アジア人」「兄弟」として認識することなんてあまりないよね。でも、これがケニア人とギニア人なら「俺たちは同じ黒人でアフリカ人。だから俺たちは兄弟だ!!」ってな感じに、95%の確立でなるよ。

だからこそ、「パンアジアニズム」は実現しなかったのに「パンアフリカニズム」は生まれたんだろうね。

もちろん、広いアフリカだ。宗教が違うだとか、話す言語が違うだとか、違う政党を支持しているだとか、そんな理由で「あいつは俺とは兄弟じゃない、別モノだ」と言っては、特定の人やグループを排除する人も多く存在するし、貧しい人や社会的に排除されている人に、大金を横領している政治家を「同じアフリカ人なのだから、兄弟愛を持ちなさい」と言っても無理な話だ。また、戦争をしている地域では、「同じアフリカ人」もへったくりもない。

ただ、時々アフリカの外では、単なる権力闘争が、民族同士や宗教間の争いであるかのような言い方をされてしまうが、それは誤りだ。お金持ちとはいわなくても、家族みんなが十分に食べられるだけのゆとりがあり、泥棒はたまにいても、平和な場所で暮らしており、かつ心がオープンで、ある程度の教養のある人々というのは、都会に住んでいようと田舎に住んでいようと、Africa as one(一つのアフリカ)のフィロソフィーを持っている。心が広く、ノリがいい人が多いのも、Africa as oneの考えが受け入れられやすい理由の一つだ。

そして、このAfrica as one(一つのアフリカ)の考え方は、アフリカ内外にいる知識人にもそれなりに支持されている。

私がここで意味する「知識人」というのは、ただの高学歴者や著名な学者のことじゃないよ。学問の世界のみに籠っているような人や、学問の権威にすがって生きているような人は、私に言わせてみると、ただの臆病な愚か者だからね。本当の知識人は、インテリジェンスの力を駆使して実際の世界を良くしようとするし、既存の権力に対して常に闘っている。だから、そこら辺で警備員をしているお兄ちゃんやmaquis(コートジボワール式飲み屋)を経営しているおばちゃんの中にも、私にとっては「知識人」な人が案外チラホラとしている。

そんな知識人には、パンアフリカニズムの崇拝者・・・とまではいわなくても、Africa as oneの考えを持った人が多いのはどうしてだろうか?

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第一に、知識人は、歴史や今日の現状を、広い視野から見つめることができる。広いアフリカ大陸の歴史は実に多様で、Africa as oneの考えではアフリカの歴史を語ることはできない。それでも、今日のアフリカのあり方を決定付ける要因となった植民地主義・ネオコロニアリズム・泥棒独裁者による長期政権は大陸のほぼ全ての地域に共通している歴史&現在だし、これら植民地主義やネオコロニアリズムによって壊されてしまった精神的文化やメンタリティーのせいで、« *Les Africains sont complement perdus »の状態に陥ってしまっているのも、大陸全土に共通して見られる傾向だ。

*Les Africains sont complement perdus=アフリカ人は完全に道に迷ってしまっている

こうして見ると、多様性の中にも多くの共通点があるのがアフリカの歴史と今日のアフリカだ。だからこそ歴史を知っている人は、「自分の民族」や「自分の国家」というちゃちい概念にとらわれず、広い視野で客観的に、大陸全体を見回すことができるんだね。「長州藩だの薩摩藩だのにとらわれずに、『日本』という概念を持ち、広い世界の中での『日本』のあり方について考えようじゃないか」という坂本竜馬の考え方に少し似ている。

第二に、知識人というのは、アフリカの外でアフリカがどのように語られているのか―世界が(とりわけ西洋が)アフリカに対して使うディスクールがどのようなものであるのか―を知っている。今でこそ、アフリカ人知識人のお陰で少しずつ変わってきているとはいえ、アフリカは、アフリカ自身が語るのではなく、常に外部の人間から「語られる存在」、つまりobjet(対象)としてしか見なされてこなかった。今日でもこの傾向はかなり根強く残っているよね。(参考までに、この「白人至上主義と黒人コンプレックス」についても読んでみてくだされ。)

アフリカの外でアフリカがどのように語られているかをよく知っている人は、私によく、「アフリカに来るのは怖くなかったのかい?」と冗談で聞いてくる。私がブログの中でよく使っているTIA(This is Africa)という表現も、彼らがよく言う「まぁ、this is Africaだからしょうがないよね。」という自虐ブラックジョークからお借りしている。みなさん、みなさんが抱いている「アフリカのイメージ」は、ここにいる頭のいい人々には全部お見通で、彼らはそんなイメージを抱いている外国人を皮肉の対象として見ているんですよ!!


ちょうど、日本=ゲイシャとニンジャとしか考えていない外国人を、私たちがちょっとバカにした目で見るのと同じだね。

世界の人々が「アフリカ」に対して抱いているイメージ、メディアが映し出す「アフリカ」、欧米文学や欧米映画に登場する「アフリカ」、政治的にも経済的にも、強い国家の対象にしか過ぎない「アフリカ」、援助機関がこぞって見せようとしている「かわいそうなアフリカ」。

例えば、今この文章を読んでいるあなたが知っている「アフリカ」とは、誰によって描かれた「アフリカ像(アフリカ象じゃないよ 笑)」だろうか。ホテル・ルワンダ?BBCやCNN ?国際機関やNGO?それとも、「ナツノのアフリカ留学(笑)」?この中で、Jeune Afriqueから直接情報を得ている人はいるだろうか?アフリカ人学者の本を読み、アフリカ人文豪の作品を味わったことのある人はいるだろうか?チープなナイジェリア映画でも真面目なドキュメンタリーでもなんでもいいけど、アフリカ人監督によって作られた映画を見たことがある人はいるだろうか?「アフリカが語るアフリカ」に触れたことのある人はいるだろうか?

以前の私なら、「アフリカ=世界から無視された存在」という概念を持っていたから、「ハリウッド映画や援助機関が、アフリカの外にいる人々の関心を高めるために、アフリカにまつわる題材を取り上げるのはいいことだ!!」と叫んでいただろうが、今はそうは思わない。むしろ、これらが私たちに与えるイメージが「アフリカ」になってしまっていることに怒りすら感じるし、大きなお世話だと思っている。やはり、アフリカが自らの力で立ち上がり、外部の人の関心の低さと、自身に向けられた曲がったイメージと闘う必要がある。いつまでも外の人に言わせ放題言わせていては、いつまで経ってもこのままだ。

さらに悪いことには、外から押し付けられた『アフリカ』のイメージが、多くのアフリカの人にとっての『自己像』になってしまっていることである。

これはマケレレ大学で強く実感した。私の教授のほとんどは、「アフリカからの視点で物事を見つめよう!!」などという議論すら沸いていなかったころの欧米で修士号を取った人々だった。そんなところで教育を受けた彼らが、西洋の視点からでしかアフリカについて語ることができなくなってしまったのは、仕方がないといえば仕方がないことなのかもしれない。残念なことに、マケレレ大学では私にとっての「知識人」に出逢うことはできなかった。どの教授も、社会的地位と金と権力にすがるタイプ(ああ、かなりTIA !!!)で、「既存の権威への挑戦?クリティカルシンキング?ボクニハソレガワカリマセ~ン」状態だったのだから。

私は、アフリカについて学びたかったものの、パリやロンドン、ワシントンにある世界的に有名なアフリカ学の学校には絶対に留学したくなかった。そして、「アフリカの視点でアフリカについて学ぶため」にウガンダ留学を決意した。だが、そんな期待は見事に裏切られた。知識人の教授がいないから、マケレレの教育は、ウガンダ人大学生(=将来のエリート)を相手に、外から押し付けられたアフリカのイメージがあたかも本当のアフリカの姿であるかのような授業を行うのだ。

私はよく、このどうしょもないマケレレの授業の数々を、「1960年代のイギリス人が中学生相手に行っているアフリカ講座」と批判していた。

話を戻そう。

アフリカの外で言いたい放題に言われているアフリカの姿が、あたかも本当のアフリカであるかのように扱われ、この「外から語られるアフリカ」が、実際のアフリカの人々をも支配してしまっているこの状況。すごく矛盾しているし、理不尽だよね。ただ、この「外からのディスクール」の力と権威はあまりにも強すぎて、これを覆すのにはおそらく、何百年という月日がかかるだろう。

アフリカ人の知識人はこの状況と闘うため、同じような迷惑を被っている仲間と団結する必要がある。そうでもしないと、この「外からのディスクール」っていうヤツは強力すぎて、なかなか太刀打ちできる相手ではないからね。

私のザンビア人の兄貴が言っていた。「『外から押し付けられているイメージ』を前にすると、ザンビア人もニジェール人も関係ない。俺たちアフリカ人はみんな兄弟で、みんなで共に、この権威と闘わないといけないっていう気持ちになるんだよなぁ。」そんな彼は、別に高学歴でもないし、見た目はタダのギャングなんだけど、私にとっては立派な知識人だ。物知りで、オープンで、正直で、ユーモアたっぷりで、頭が切れて、強くて、とにかくcool。もちろん、大きなハートとAfrica as oneの精神を併せ持っている。ブラックジョークのセンスが抜群なのも、ぬるいTuskerビールを片手にいつまでもおしゃべりができちゃうのも、彼のことが大好きな大きな理由だ。

余談になるが、彼はケニア人の相棒(この相棒もなかなかイケてる!!)と会社を経営していて、今ではナイロビ・ラゴス・ヨハネスバルグという、“アフリカ三大危険都市”を往復する生活をしている。彼の弟もなかなかイケてるよ。シングルファーザーをしながら、今ではケープタウンでバリバリ仕事をしている彼だが、「新しいアフリカの男」の姿を模索しながら、日々生きているんだって。家庭を顧みずに酒と女におぼれまくり、威張り散らすだけ威張り散らしているダメ男がわんさかしているこの大陸では、この弟さんも、私にとっては立派な知識人の一人である。あっぱれ!!

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Africa as oneの概念で面白いなと思うのは、システムとしてのアフリカ連合(AU)があまり上手くいっていないのにもかかわらず、人々の心はAfrica as oneでつながっているという点だ。やっぱり、政治になるとダメダメなのがTIAだけど、政治よりも深い部分でつながっている限り、Africa as oneは大丈夫なんじゃないかな?(と楽観的に私が考えるようになったのは、私自身がアフリカナイズしたからであろうか・・・。)

これは、ヨーロッパとは対照的だ。EUにも問題は山積みだけど、政治的な制度としては、相当上手くいっている。だが、ヨーロッパ人にアフリカ人のような「EU兄弟愛」が根付いているかと言われたら、私はそうは思わない。みんなEU圏内を自由に行き来しているし、仲良しこよしだけど、やはり「私はヨーロッパ人」とは誰も言わず、「私はオランダ人」「僕はドイツ人」という自己認識をしている人が圧倒的だ。もちろん、ヨーロッパの国家の概念というのは、アフリカのそれよりも遥かに古いわけだから、そんなの当たり前といえば当たり前だけど。

2年前にマケレレの学生に、「パンアフリカニズムが世界を支配する!!」と熱弁をふるわれて、「勘違いウガンダ人め、世界を知りなさい」だなんてちょっとバカにした感想を抱いた私だが、基本的な考え方はあの頃とは変わっていない。貧富の差がますます拡大していくこの大陸では、どこにいっても「お金持ちメンタリティー」と「貧乏人メンタリティー」が混在しており、いずれはこの二つが、大陸を二分してしまうのではないかという考えさえ、私は今でも抱いている。

あ、でも、あの頃よりはアフリカのエトセトラが分かるようになったから、今はあのときの彼らのことをそこまではバカにはしてないよ。「世界を支配する!!」あたりがやっぱり短絡的なウガンダ的発想だとは感じるけど。

お金持ちは、「貧乏なあの人たちと私は別世界の人間」という視点から貧しい人々を見ているし、お金持ちと国内の貧困問題の話をしても「確かにかわいそうだけど・・・私には関係ない」という感想しか抱いていない。日本もそうだよね。日本国内の貧困問題を、自分の問題として受け止めている中産階級というのは皆無に等しい。アフリカも日本も、みんな結局は自分のことで精一杯だし、自分がもっといい生活を送れるように、必死になって頑張っている。

一方で貧しい人は、汚職の構造からも分かるように、お金も、権利も、人生の選択肢も取り上げられ、ますます這い上がるのが難しい環境に生きている。本当に生活が苦しい人にとっては、Africa as oneの精神も兄弟愛も何もない。第一、最低限の水準の生活すら送れない人に、「大きな視点で物事を見ろ」だなんて言ったところでどうなる?「明日のご飯を何とかしないといけないから、それどころではない」という返事が返ってくるに決まっている。彼らの生活苦の背景にはアフリカを搾取する先進国が隠れており、また、アフリカの政治をコントロールする大国が潜んでいることも、外国人である私たちやアフリカのお金持ちは知っているが、教育も情報もない貧困層にとってはそんなの「???」である。自分たちの生活が苦しいのは、目の前にいるアフリカ人金持ちやアフリカ人権力者が全部悪いんだ―このように、見える範囲内に不満の矛先を向けるのは仕方がないことだ。

何度も言うように、この大陸がこのままの状態で突き進んでいくと、Africa as oneからはどんどん遠のき、大陸は二極化してしまう。

これほどまでに貧富の差が目につく社会だと、アフリカ中が、それこそ南アやナイジェリアのように、とにかく治安の悪い場所になってしまってもおかしくないのではと思うが、そこがアフリカの人々のすごいところである。忍耐強い平和主義者は、ひたすら耐えながら、今日も微笑を絶やさない。

個人的には、大陸が二分化しようと何が起きようと、私には関係のない話だが、アフリカ人知識人の応援はしたいなぁ。やはりアフリカには、「語られる対象」ではなくて「自身が語る存在」になってもらいたいし、そうなったときに、世界の力の分配がどのように変化するのかがちょっぴり楽しみでもあるからね。

でも、そこにたどり着くためには・・・・ちーん、まだまだ宿題は山積みです。頑張れアフリカ、とりあえず、アフリカ人知識人や私に、これ以上「まったくもうTIAなんだから」と言わせないように頑張ってくださいな。

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