2009年11月9日月曜日

インターンに至った経緯

さて、そろそろ私の仕事についてちゃんと文章にして残していこうかなと思うので、少しずつ書いていくことにする。

簡単に言えば、私の会社は、ヨーロッパで暮らすアフリカ移民とアフリカの現地社会をつなげることをお仕事としている、いわゆる社会企業というヤツだ。今までさんざんチャリティーだのNGOだのに関わってきた私は、今日、こういった国際援助と呼ばれる一切の活動に懐疑的な考えを持つようになった。まぁ、こんな考え方に至ったのには色んな紆余曲折を経ているので後に機会があれば書くことにしますが・・・。とにかく、アフリカが必要としているのは世界中からのお情けでもなく、資金援助でもない。自分たちの力で自分たちの社会を作り上げていくための地盤と、これを実現させるために、国際社会から本当の意味で対等なパートナーとして認識されること。この二つがないと、いつまで経っても状況は変わらないどころか、余計に悪化してしまう。

今回は、民間企業の立場からアフリカをcaptureしているワケだが、もうね、そりゃぁ色々ありますよ(苦笑)。まずは仕事について書く前に、そもそもどうしてあのサッカーのエムボマの部下として、パリとコートジボワールで働くことになったのか。これを説明する必要があるだろう。

「どうやってそんなチャンスをつかんだの?」「どうして大学卒業4ヶ月前に休学なんかしたの?」「ナツノはなんだかすごい特別な人なのではないか」これは様々な人に聞かれる質問だが、その経緯は漫画みたいな話の積み重ねだ。私が特別などとんでもない!!しいていうなら、ノルウェーイタリアでそれぞれ頑張っている日本人の友達に大きな影響を受けながら、3万円をケチったせいで失敗した免許取得と、早稲田大学バンザイ同盟の新歓荒らしと、小田急でのバイトのおかげで今回のインターンへの道が開けた、とでも言えようか。今から書くストーリーは、かなりインターンの話から逸脱してしまう部分もあるが、単なる自己満足のために書いているだけなのでご了承願いたい。

2007年8月から翌年9月までの14ヶ月のアフリカ留学・放浪は、私の価値観を根本から変えてしまった。確かに、日本に戻ってきたときは心底ホッとしたよ。ごみ一つ落ちてない日本にはきちんと薬のある病院があるし、カラシニコフを目にすることもない。保障という言葉が意味を伴って使われている社会なんて感動モノだった。みんな真面目に働くし、とにかくみんな誠実だし、パーフェクトとは言い難いかもしれないけど、社会の中では権力が分散されている。

大学が始まってからも相変わらず非日常的な生活を送っていた私だが、秋が深まるのと同時に、カンカンと照りつけるアフリカの太陽が恋しくなってしまった。東京の道では誰も「チャイナー!!」と叫んでこない。野菜を買うときも運賃を払うときも、ムズング(白人)価格でボってくる人などどこにもいない。東京の生活は毎日楽しかったけど、感情を揺さぶられるような出来事に遭遇することはほとんどなくなってしまった。

日本に帰ってから1ヵ月後の11月、私はとある都内の教習所に通うことになった。「免許なんていらないぜ!!自転車で十分だ!!」と、今まで免許取得を突っぱねてきたツケがここにきてやってきた形だ。というのは、大学卒業後にどうしても手に入れたい仕事があったのだが、翌年の5月までに免許が取れないとこの仕事に応募すらできないことを知ったのである。そのため、仕方なしにこのタイミングで教習所に通うことになった。

私が選んだのは非公認の自動車学校。理由は単純で、他よりも3万円ほど安かったから。このケチった3万円が、その後の私の人生を大きく左右するなど夢にも思わなかったけどね。とにかく、結論から言うと私は免許取得に失敗した。どうやったら免許取得に失敗できるのかと思ったそこのアナタ。これにはワケがあるんです。

年が明けて2月と3月。私はヨーロッパにいた。ノルウェーで2年に一度開催されているISFiTという世界最大の学生フェスティバルに招待されたからだ。こんなイベントをポーンと開いてくれるなんて、やっぱりノルウェー人は金持ちだ。世界ナンバー4の石油産出国家であり、福祉国家であり、外国人だろうと誰だろうと、全員に無料で教育を提供してくれるだけのことはあるなぁ。

ちなみにこのISFiTだが、ここまで至った経緯はもはや運命としか考えられない。とにかく、色んなことがあって今回の参加に至った。ISFiTも今回のヨーロッパの旅もハプニング続きであったが、免許が取れないせいで将来に対する不安で頭がいっぱいだった私にとっては、自分の身の振り方を考える非常にいい機会となった。自分なりの生き方を追い求めてヨーロッパで頑張っている二人の大切な友達に再会できたのが一番の収穫だね。ISFiTがキッカケでヨーロッパに行くことになたけれど、それ以上に多くのことを学んだ旅だった。

そんなヨーロッパの最後の滞在先はパリ。そこで数日過ごした後に東京に戻ることになっていた。

パリに来て2日目の朝。ふと眺めていた手帳の中から、とある電話番号が目に飛び込んできた。そういえばこれ、アウアからのメールに書かれていた電話番号だったっけ。パリに来たらこの番号にかけるように言われてたなー。

彼女には、「パリに来るのであれば私の『同僚』とお茶でもしなよ!!」と前から言われていた。

特に他にすることもなかったので、私はその番号に電話をして彼女の「同僚」に連絡をとってみることにした。すると、数時間後にはもうオフィスまで来るように言われた。しかもこのオフィス、凱旋門から徒歩3分なんですけど。なんじゃいこの立地。こんなの聞いてないし。

中に入ってさらにビックリ。なんと、彼女の『同僚』と聞いていたその人は社長さんだった。同僚じゃないのかよ。しかも、この社長と20分くらいアフリカの話をした後に「じゃあ明後日履歴書を持って戻ってきてくれるかな」と言われてさらにビックリ。え?ただ一緒にお茶するだけじゃなかったの?

パリでは、履歴書の書き方に異常なほど詳しいフランス人の友達(履歴書の神!!)の家にたまたま泊まっていたため、彼女に手伝ってもらって書類はなんとか揃えた。ドキドキしながら2日後にオフィスに戻ってみると、社長の他にもう一人、巨大な大男がいるではないか。しかもこの人、「コーヒーとお茶はどっちがいいですか?」と日本語で聞いてきたし!!何者なんだろう。

社長(カメルーン人)いわく、この大男は「国際的に活躍したサッカー選手」で「日本国内では本当に有名」だそうだ。しかし私は、「出た出たTIA(this is Africa)。どうせ針小棒大で大げさに言ってるだけなんでしょ。」と、特にまともに取り合わなかった。だいたい、日本語が変に話せる時点でかなり怪しい。サッカー選手とか何とか言って、どうせ六本木でウロウロしてただけなんでしょ。

社長と同様カメルーン人であるこの「ンボムァ」さんは大阪や神戸に以前住んでいて、うどんが大好物だと教えてくれた。日本が本当に好きで、アフリカと日本をつなぎたいとも言ってくれた。一生懸命話を聞いてくれたし、質問もたくさんしてくれたので、怪しいけどなかなか好感の持てる人だなぁ・・・などと私はぼんやり考えていた。

一通り話をした後、「Bienvenue à notre éauipe(我々のチームにようこそ)。とりあえず6月からパリに来てくれ」と言われ、狐につままれたような気分でオフィスを後にしたのをはっきりと覚えている。ん?6月からパリに来いですと??このヨーロッパ滞在の最終日に、とんでもないどんでん返しがやって来た。

この面接の直前、休学の素晴らしさをさんざんインプットされていたけど・・・まさか本当に自分が休学することになるだなんてね。それにしても、人生って本当にインシャラー(アッラーのお望み次第)だ。この一連の運のめぐり合わせには、インシャッラーとしか言えない。

それにしても、あの大男は誰だったんだろう・・・。

0 件のコメント: