2009年9月22日火曜日

寮で働く人々とウガンダのあいさつ文化


ルームメイトと。衝突も何度もしたし、冷戦状態にもなったけど、
今思うとすごく憎めない子たちだったなぁ。今もたまに連絡取ってるよ。



ヴィッキー。勉強に対してはかなり真面目な子。



えーっと、今さらながら、ウガンダ時代の思い出についても書いていこうと思います。なので、これからはコートジボワールの生活についてとウガンダの生活について、両方のエピソードを書いていきますが、混乱しないようによろしくお願いしまーす♪

私がアフリカホールに入寮してから三日後にジョアンが、五日後にはヴィッキーが、それぞれC8にやってきた。ジョアンは、工学部に所属している背が高くて痩せているボーイッシュな女の子で、カンパラ市内出身。対するヴィッキーは、マスコミ学を勉強している、声が甲高くてきゃぴきゃぴしている子だ。

彼女の出身は、白ナイル川の源流といわれているジンジャという町だ。一応国では二番目に大きな町ではあるが、そこは小さな国ウガンダ。カンパラのような喧騒もなく、小ぢんまりとしている。コロニアル調の建物があったりして、なかなかいい雰囲気だ。ジンジャは世界有数のラフティングの名所で、これを目当てにウガンダを訪れる人も少なくない。

二人とも比較的裕福な家庭の出身で、新年度に新しく部屋に入る際には、テレビやオーティオ機器、湯沸かし器などを持ってきてくれた。殺風景だった部屋も、彼女たちがやってきた後には、生活臭の漂う住み心地のいい部屋へと変わっていった。

とはいっても、洗濯機や掃除機、冷蔵庫などは夢のまた夢。洗濯は全て手荒い、或いは、少しのお金を払って、プロの洗濯おばさんに任せるしかなかった。バケツ一杯分頼んだとしても、交渉次第ではあるが1000シリング(60円くらい)でやってくれる。何人もいるアフリカホールの洗濯おばさんの中で、エルザおばさんという、顔をくしゃくしゃにして笑う素敵な人が私のお気に入りの人だった。

彼女の洗濯は神業だ。大げさではなく、本当に。彼女が落とせない汚れはなかったし、洗濯をする手の動きそのものが芸術だった。洗い終わったら、寮の中庭の芝生の上に洗濯物を広げ、ウガンダの優しい太陽の下で乾かすのだ。

寮で 洗濯を干しているときはこんな感じ。



朝、たまに顔を合わせると、お腹の底から大きな声で挨拶をしてくれたのも彼女だった。あまりにも声が大きかったので、エルザおばさんの姿が見えなくても、彼女がそこにいるとすぐに分かった。英語が話せないエルザおばさんは、ウガンダの東部の出身らしく、私たちの会話はもっぱらスワヒリ語だった。彼女はいつまでも私のことをビビ・ムズング(白人のねーちゃん)と呼び続けた。「ビビ・ムズング、今日は洗濯物はないのかい?」「ビビ・ムズング、今週はまだ洗濯物が出ていないじゃないか」こんな調子だ。

ウガンダでは、お店でも食堂でもお釣りが不足している。当然、洗濯おばさんたちもお釣りなど持っていると思ってはいけない。細かいお金がないときは次回一緒に払えばいいのだが、エルザさんをはじめ、彼女たちの驚くべきところは、誰がいくら払ったのか、誰がいくら分払っていないのかを、書いていないのにきちんと把握していることだ。彼女たちはアフリカホールだけでなく、寮の外からも洗濯を頼まれていた。ウガンダ人はすぐにものを忘れ、忘れてもヘラヘラしているからいつも私はイライラしていたが、自分の稼ぐ分となると話は別だ。そして、彼女たちの商売能力(?)には頭が上がらない。

アフリカホールには、他にも料理や掃除をするおじさんやおばさん、売店のお兄ちゃん、アスカリ(警備員)のおじさん、エアタイム(携帯のプリペイドカード)を売っているお姉ちゃんなど、様々な人々が働いていた。「働いていた」とはいっても、どっしりとのんびりとそれぞれの仕事を適度にこなし、お腹がすいたら食べ、木陰で昼寝をし、残りの時間はおしゃべりに花を咲かせる、といった具合だが。今思うと、カンパラは本当にのんびりしていた。現在暮らしているアビジャンも似たようなものだが、こちらはもっとせかせかしている。


寮で靴を直すおじさん。でも、一日の大半はこーんな感じにダラダラ過ごします。


入寮した日にそのうちの何人かに挨拶を済ませたが、たちまち私はアフリカホールの超有名人になった。私の苗字である品川はガンダ語の人名であるナガワにそっくりであるため、先述したエルザおばさん以外は、みんな私のことをナガワと呼んだ。

ウガンダでは、コミュニケーションにおいて挨拶ほど重要なものはない。日本で初めて受けたスワヒリ語の授業の際に、挨拶表現だけで授業時間が丸々終わってしまって驚いた記憶があるが、それほど挨拶のレパートリーは豊富なのだ。

ウガンダでは、「こんにちは」はただの「こんにちは」では済まされない。例を挙げてみよう。例えば、私は毎朝、寮の食堂のおじちゃん・おばちゃんたち一人ひとりとこんな“あいさつ”をする。

「ナガワ、おはよう。」
「おはようございまーす。」
「元気?調子はどう?」
「まあまあかな。」
「夜はどうだった?(=よく眠れた?)」
「うん、おかげさまで。」
「昨日はどんな日だった?何をしたの?」
「授業に行って、買い物に行って・・・」
「先生は元気だったかい?」
「ええ、まあ。」
「家族はどうだい?日本で元気にしてるかい?」
「多分ね。最近電話してないからわからないけど。」
「弟はちゃんと勉強してるかい?」
「してるんだかしてないんだか。」
「ルームメートはどうだい?」
「相変わらず、一緒にギャーギャーやってるよ。」
「今日はどんな予定だい?」
「えーっと今日は・・・」

以下、ダラダラと続くため省略。

一人に挨拶するのに5分はかかる。時間や心に余裕のある時は私も長々と挨拶をしたのだが、授業に遅れそうな時などは大変だ。適当にあしらうと、みんな悲しそうな顔をして「どうして挨拶してくれないんだい?」「私たちの文化では、あいさつは重要なんだよ」と、のーんびりと訴えかけてくるのだ。あんな顔をされてしまうと、こちらだって申し訳ない気持ちでいっぱいになる。そして結局、授業に間に合うことよりも挨拶を優先させてしまうのだ。

寮のおじちゃん・おばちゃんと。残念ながら、エルザさんはこの日は
村へ帰ってしまい、ここにはおりませんでした・・・。


挨拶に関して忘れられないエピソードがある。ウガンダに到着して間もない頃、いつものように掃除のおばちゃんと挨拶をしていた。彼女は私に、「牛はどう?」と聞いてきたのだ。一瞬にして私の頭は???でいっぱいになった。牛?一体何のことだ?昨日の昼ごはんの牛肉スープのことを言っているのかな?

しかし、彼女は「日本人=金持ち=牛をたくさん持っている」という発想のもと、私の実家にいるであろう牛について聞いてきたのだった。残念ながら私の実家には牛はいない。その旨を伝えると、非常に驚いた顔をしていた。

どの人も本当に無邪気によく笑うのだ。そして、同じことをネタにして、何度も何度も笑う。1年間の留学生活の終わりの頃になっても、未だに私の名前についてみんな笑い続けていた。「ナガワ、あんたはムズングなのに、ガンダ語の名前があるんだね。あーっはっはっはっは!!!」

私がガンダ語で簡単なことを言ったときなど大騒ぎだ。「アイヤイヤイヤイヤー(ウガンダ人の口癖)!!!みんな聞いたかい?ナガワがガンダ語を話しているよ。ナガワ、あんたは賢い子だねぇ。」ウガンダで生活でもしていれば、簡単なガンダ語くらい話せて当然なのだが。

他のウガンダ人同士のあいさつを聞いていると、もう本当に笑うしかない。子どもの学校のこと、昨夜のご飯のこと、家畜のこと、天気のこと・・・。ありとあらゆることについて質問をしたがるのだ。そして、それらが決して単なる決まり文句なのではなく、彼らが本当に興味関心を抱いてそのような質問を投げかけているということは、典型的なウガンダ人と一度あいさつをすれば明らかになるだろう。聞いてどうこうというのではなく、ただ単に知りたいのだ。知ることで、みんなの生活が平穏に送られていることを確認し、安心したいのである。

毎日とりたてて大きな変化のないように見える彼らの生活ではあるが、人々がどれだけそれを感謝しているか、そしてそんな日常生活の中でも確実に起きている小さな変化にどれだけ注意を払っているかということが、このあいさつ文化からうかがい知ることができる。

もしもあなたがウガンダに来て、街中で、手と手を握りしめた状態で見つめあいながら会話をしているおじさんたちを見ても、決して驚かないで欲しい。(念のために言っておくが、ウガンダはもとより、アフリカ社会では同性愛はタブーであり、存在しないことになっている。)これも彼らのあいさつなのだ。前にこっそりと人間観察をしていたときに、4分20秒も握手をしたままあいさつをし続けていた人を見た。

とろけそうなほど暑い日の日差しの中で、体の大きな知り合いに会ってしまったときなど、もう完全にアウトだ。ただでさえ暑いのに、そこに握手も加わって、もう暑苦しくて暑苦しくて仕方がない。私はいつも、どのタイミングで手を離そうかで迷ってしまう。余計な心配ではあるが、手のひらにじわりとにじみ出てくる汗も気になってくる。

それでも人々にしてみれば、そんなのお構いなしである。彼らの笑顔は本物で、友好的な態度も表面的なものでは決してない。時間はかかるし合理的でもないけれど、とても大事に扱われている感じがしてなかなか悪いものではない。

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