2009年9月14日月曜日

ヤムスクロで私も考えた その1





La Basiliqueの前にて。


パイナップルを同時輸送。アフリカじゃ本当に日常的な光景。

な~んて、どっかの本のネーミングをパクってみましたが。

日本で暮らしているイボリアンの友達であるアマドゥが、3年ぶりにコートジボワールに帰省した。大手日本企業で技術士として働く彼は、少ない有給休暇を利用して、11日間だけ戻ってきたのだ。日本のサラリーマンは大変だね。東京、大阪、ドバイ、アクラ(ガーナ)を経由して、ようやくアビジャンにたどり着くという長い長い旅路。世界はだいぶ狭くなったけど、やはり日本とアフリカはまだまだ遠い(でも、この距離を縮めるのが彼や私だけでなくたくさんの人の夢だから、みんなで頑張ろうぜーーー!!)。

金曜日に仕事を早く片付けて、彼の家族とご飯を食べに出かけた。Maman(お母さん)は故郷でお留守番しているらしいが、Papa(お父さん)が息子の凱旋帰国のためにアビジャンまで駆けつけていた。アビジャンで勉強をしている妹さんと弟さんも加わり、にぎやかにマキ(コートジボワールの居酒屋)へ行った。どこの国へ行っても、私は現地の家族と時間を過ごしたり、一緒に暮らすのが一番好きだ。アマドゥとは日本語とフランス語で会話をしたが、日本語を自由に操る息子を見て、ご家族はどんなに誇りに思ったことだろう。

翌日、コートジボワールの首都であるヤムスクロへの日帰り旅行に誘われたため、アウアと一緒に行ってみることにした。

え??アビジャンが首都じゃないの??

と思ったそこのあなた。アビジャンだろうとヤムスクロだろうとそんなマニアックなことまで知らないぜというそこのあなた。

コートジボワールの経済と文化の首都は、当然アビジャンである。各国の大使館も官庁も、国会だってアビジャンにある(国会に関しては、来年ヤムスクロに移動されるらしいが)。ヤムスクロは突然首都になるまで、ただの小さな村であった。その村が、どうして一夜にして首都になってしまったのか。

答えは簡単だ。初代大統領にして、 33年間大統領であり続けたウフェボワニの生誕地がヤムスクロであったためだ。ちなみにクロとは、村という意味らしい。つまりヤムスクロはヤムス村ね。

それにしても、この行動力・・・。どれぐらい本気だったのかは知らないけど、以前、那須に国会を移す計画があったよね。私が総理大臣になったら、霞ヶ関をまるまる栃木に移して、国花も桜ではなくイチゴの花にしようかしら。

アフリカの各国に存在した(そして、今でも多くの国では健在中。みなさん頑張りますね~)権力者であるBig Manは、なんだってできちゃうのだ。そういえばウガンダでも、一部の人の間では「大統領がどうやら首都をムバララに移そうとしているようだ」という噂が絶えなかった。Big Manといえば、アフリカ史上最悪のリーダーの一人とされている中央アフリカ共和国のボカサに至っては、国名を「中央アフリカ帝国」と変更し、自らを皇帝として、ナポレオンの戴冠式のような壮大なセレモニーを開いたことで、世界の失笑を招いたらしいからね。いやいやアフリカのBig Manはすごいすごい。

だいたいどこのアフリカの国でもそうなのだが、大きな街と大きな街をつなぐ道路はそれなりにきちんとしている。もちろん例外もあるけどね。これが選挙前になると、今まで放置され放題だったような道路も、人の生活圏内(つまり多くの人の目につく範囲内)だけは一夜にしてきちんと整備される。シンデレラだってびっくりだね。

アビジャンとヤムスクロの間の道路は、私の独断と偏見に基づいたアフリカ道路のスタンダード的には中の上くらいであった。分かりにくい表現でごめんなさいね。車は一応びゅんびゅん走れるけど、ところどころ大きな穴がぼっこりと口をあけている場所が時たまあり、表面が割れかけている場所がかなりあり、道路の両端に至っては、工事が中途半端な状態で終わってしまった形跡が残っている。この両端の中途半端なところから、道路がすぐにダメになってしまうのね。

森の中を、パイナップル・プランテーションの脇を、そして、村や小さな町をいくつも通り抜け、3時間弱でヤムスクロに到着した。コートジボワールの南部は緑が豊かだ。北部は少し乾燥したサバナ地帯になっているらしいが、これは砂漠化の影響でサヘルが南下しているのも関係しているんだって。この日は南部でのみのドライブとなったが、そこにはおなじみのアフリカの風景が広がっていた。木の下で昼寝をするおじさん。赤ちゃんをおんぶしながら薪を頭にのせ、途方もない距離をスタスタ歩く女性。ぶっとばす車を横目に色とりどりの野菜を山のように道の脇に並べ、誰かが買いに来るまでおしゃべりに興じているお姉さんたち。彼女たちには一生懸命野菜を売るつもりなんてこれっぽっちもないのだろうが、「誰かが来たら棚からぼた餅♪」程度のあのダラダラ感が私は好きだ。

アフリカのサービス・エリアとも呼べそうな売り子さんエリアは、ここでも健在だ。ウガンダでもブルンディでもどこでもそうなのだが、アフリカの幹線道路を走っていると、飲み物や食べ物、そしてその土地の名産を頭いっぱいに抱えた(腕いっぱいではなく頭いっぱいに抱えているのがアフリカだね)女性と子どもがウヨウヨ(という表現が一番ふさわしい)している場面に何度も遭遇する。そして彼ら彼女らは、スピードを落としたバスや車めがけて一目散に突進してくる。窓を開けたりしたら大変だ。何でもお構いなしに腕という腕、売り物という売り物が四方八方から伸びてきて、身動きが取れなくなってしまう。「これ買いなよ、おいしいよ!!」「バナナどう??200フランでいいよ。」といった感じでね。




ウガンダの売り子さんエリアの様子。



コートジボワールの売り子さんエリアの様子。こちらも負けてはいません。



売られているのが果物や野菜ならいいのだが、たまに串刺しの肉なんかがあったりするともうやばい。車の外から、串刺しの肉が大量に狭い車内に侵入してくる様子を想像していただきたい・・・。もう、こっちが串刺しにされてしまった錯覚に陥る。


車内に侵入する肉と、串刺しの図。ウガンダにて。



途中で一度だけ、運悪く警察のチェックポイントにひっかかってしまったのだが、別に違法行為は何もしていないのになにかしらイチャモンをつけられて、私たちの車の運転手さんは500フラン(約100円)を渡すハメになってしまった。汚職は悔しいけど、賄賂が500フランで済んだのだから安いものだと思わないとね。ここはアフリカなんだし。

ヤムスクロに到着した。人が集まるところに自然にできた街とは対照的で、ゼロから造り出される街とはなんとも奇妙なものである。普通、田舎から都会へ入るときには、全体的な雰囲気がだんだんと活気付き、街らしくなっていくのが感じられるものだ。しかしヤムスクロの場合、いかにも「ハイ、ここからが街ですよ」と宣言しているように、ブッシュの中を突然だだっ広い道路が出現した。あまりにも広いその道路には車がほとんど通っていない。建物も、近代ビルがあちこちに散らばっていて、うまく表現できないが、写真でしか見たことのない社会主義的な街を髣髴とさせた。中身が空っぽなのに見てくれだけは圧倒的な社会主義の国の街並み。何となくお分かりいただけるだろうか。ヤムスクロは、そこまで特に圧倒的でもない。それに、市場やマキがあちこちにあるために、活気はあるといえばある。しかし、何もないところから造り始めた街は、私の目には少し奇妙に映った。


                         ハイ、ここからヤムスクロが始まりま~す


ヤムスクロには、イボリアンにとっての観光名所であるLa Basilique(平和の聖母聖堂)がある。これは、後述される初代大統領私邸の目の前にある、巨大なカトリックのバジリカ聖堂だ。アビジャンの旅行代理店でも、熱心なイボリアンのクリスチャンを相手に「La Basiliqueお参りツアー」なるものをこぞって企画している。やはり、このデデデーンとした建築物は、どこか不自然でさみしい。それとも、今はまだLa Basiliqueができてから20年くらいしか経っていないから少し不自然なだけで、これが800年後には、今のフィレンツェのように、歴史的建造物の仲間入りを果たすのかな。

私たちが到着したとき、すでに時計は、公式な閉門時間である午後6時をまわっていた。でもやっぱりTIA。門のところにいた警備員は、一度は私たちが中に入るのを断っておきながらも、建物の中に入らないことを条件に敷地内へ入れてくれた。当然、彼らは何かが欲しくてそうしたのだが。私たちが車から降りて敷地内へと入っていくと、そのうちの一人が後を追いかけてきた。「やっぱり特別に中に入ってもいいぞ!!でも、カメラを寺院内で使うためには500フラン(約100円)払わないとだめだ。」出た出た。別に払ってもいいけど、その際、きちんと領収書が来るとは思えないね。どうせ彼のコーラ代に消えてしまうに決まってる。こうしてどんどんお金が闇へと消えていく。おおアフリカ。おおTIA。

中は、思ったとおり。そこまで感動的でもなければいい雰囲気でもなかった。豪華で大きければいいと思っている典型的なパターンだ。とりあえず一周して外に出たら、案の定、さっきの警備員が「入場料」と「謝礼」についての交渉をふっかけてきた。

アフリカでは、市場で値段交渉をするのと同じ要領で、賄賂を払う際にも値段交渉をしなくてはいけない。これは、前回のアフリカ滞在時に、傷つきながら少しずつ学んでいったことの一つだ。私はまだコートジボワールの物価感覚を完全には把握し切れていないので、この交渉には加担せずに遠くからぼんやりと眺めていた。最終的には一人当たり500フランで落ちついた。私たちは5人だから、全員で2500フラン(約500円)。普通、警察や軍隊、役所などではもっと多めに支払わなければいけないのだろうが、ただの警備員だから少なめで済んだ。

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