2008年10月10日金曜日

そもそものおはなし

学生のうちにアフリカに行くことは、私の将来設計の中に昔からしっかり組み入れられていた。国際協力や異文化交流に対する興味の強かった私にとっては、ごく自然なことであった。「ただの旅行やボランティアではなく、留学できたら最高だろうなぁ。」ふと、こんな考えが頭を横切ることもあった。

同じ土地に行ったとしても、どのような立場の人がどのような目的で行くかによって、そこで見えてくる社会構造や文化、人々の様子や問題点は全く異なってくる。当時、一年間のオーストラリア高校留学を終えたばかりだった私は、授業を通して、オーストラリア人が自分の国に対してどのような視点を抱いているのかをよく学んだ。そこでこう考えた。

今、国連もNGOも莫大な資金をアフリカのために当てているのに、変化がないどころかアフリカの状況は悪化していると言われ続けているのはなぜなのだろう?理由は様々あるだろうが、アフリカのために何かをしているらしい国連や大手NGOが、欧米からの視点でアフリカを捉えているからかもしれない。でも、それはなぜ?きっと、そこで働く職員の多くが欧米で高等教育を受けたからだ。現地の人を中心にとかなんとか言って、実際にプロジェクトの中で力を持っているであろう彼らが、ロンドンやパリで学んだ知識を使って全てを動かしているから失敗続きなのだ。こんなの、二十一世紀になっても続いている植民地政策のようなものだ。では、私自身はどうすればよいのだろう。そうだ、現地の教育機関にしばらく所属して、もしも可能ならそこで学位もとって、そして現地の人の視点により近いところから、アフリカの抱える問題について考えられる人になろう。外部の人間である私自身は何もできないだろうけど、変化を求める人々を励まして、サポートすることならできるはずだ。

通学電車の中で、お風呂の中で、私はぼんやりと考え続けた。考えれば考えるほどいいアイディアに思えたが、この考えもすぐに自分自身によって打ち消されてしまうのであった。

「アフリカ留学?そんなのできるわけがない。第一、聞いたことすらないじゃないか。」

だから、物好きな早稲田大学がアフリカのいくつかの大学と提携を結んでいるということを知ったときは驚いた。そして、これが決め手となってあっという間に受験を決意した。

次に決めなければならなかったのは、どの大学に留学するのかということだった。選択肢は四つ。エジプトにあるカイロ大学、南アフリカにあるケープタウン大学、タンザニアにあるダルエスサラーム大学、そしてウガンダにあるマケレレ大学であった。エジプトは、私が志望していたサハラ以南のアフリカには属していなかったために選択肢からすぐに外れた。お金持ちの白人がうじゃうじゃしているケープタウンは、もはやアフリカではないと勝手に考え、同様に選択肢から消えた。残るはタンザニアとウガンダ。うーん、どうしよう。最終的に決め手となったのは、ダルエスサラ―ムとカンパラの治安と気候の違いだ。カンパラの方がよっぽど安全だし、気温も年中穏やかですごしやすそうだったのだ。また、マケレレ大学が、日本人旅行者に超人気な某ガイドブックに「かつては東アフリカの東大だった」と紹介されていたのも気になって仕方がなかった。「かつて」とは、どういう意味だ!?東大を基準に何でも考えないと気が済まない日本人らしい描写の仕方だが、それ以上に気になったのは、この文章が過去形になっていたことだった。インターネットで調べても、似たような情報しか得られなかった。情報が少なすぎたのだ。これは、自分で行って経験してくるしかない。

独裁、虐殺、内戦、たて続くクーデーター。独立以来の苦難に満ちたウガンダ現代史も興味深かった。社会主義政策をとり、貧しいながらも比較的社会が安定していたタンザニアとは反対に、ウガンダはとりあえず「一通り」何でも経験した。それなのに今、この国は成長期を迎えているらしいではないか。ぼろぼろになった国が希望を取り戻すための秘密が知りたい。もはやウガンダ留学は第一希望であった。

大学一年の冬に、留学先がマケレレ大学になったという知らせを受けた。これでようやく早稲田に入った甲斐があったと心から思った。「色々大変なこともあるだろうけど頑張るぞー」と、いつものように決心したのを覚えている。

しかし、今回の「色々大変」はそんじょそこらの「色々大変」とはワケが違った。日本に無事に帰国した今だから笑い話にできることも、ウガンダにいる当時は泣き、怒り、失望し、の繰り返しであった。常に何があってもおかしくないため、一瞬一瞬が必死で、そして毎日が予想外の出来事のオンパレードであった。バナナ(ウガンダの主食)なんてもう見たくないとも思ったし、fワードを何回使ったかも分からないし、(こんなことを書いたら非難が殺到するだろうが)「ウガンダ人はお猿さんだから仕方がないのだ」と考えて、心の平安を保っていた時期もあった。そうしないと、もうバカらしくてやっていけなかったのだ。ウガンダ在住の日本人や他のムズング(白人や外国人という意味)の友達はいたが、たまにしか会えなかったし、インターネットもろくに使えなかったため、ストレスを自分の中にどう溜めないかが私の課題であった。

これから私が書くことは、あくまで私の実体験と、それに基づいた考察である。また、私は、どの政府や団体のどんな利害からも無縁な立場にあるため、全てを正直に書くつもりである。ウガンダが大好きな人が読んだら怒ってしまうかもしれないし、アフリカに詳しい方が読んだらただのワガママ娘が未熟なことをたらたら述べているだけに過ぎないと思われてしまうかもしれない。そうなのだ。たかが14ヶ月の留学と旅行で、ある特定の社会の何が分かるというのだろう。

しかし、何の地位も何のステータスもない、むしろ「学生・女・弱冠ハタチ」という非常に弱い立場にいた私だったからこそから見えてきたウガンダ、そしてアフリカというものもあるだろう。日本人であることは、それ自体が非常に大きなステータスで、日本のパスポートの強さには改めて感謝をする日々であったが、それでも「学生・女・弱冠ハタチ」の三つのお陰で何度踏まれに踏まれたか。

それでも、ウガンダに留学したことは後悔していない。留学は全然楽しくなかったし、勉強だってしなかった。それでもいいのだ。ウガンダは最高の先生だったし、アフリカは最高の教室だったから。

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