2008年10月12日日曜日

2007年8月17日金曜日

エチオピアで飛行機においていかれたり、ナイロビ空港でけんかをしたりしながら、ようやくたどり着いたウガンダ。ナイロビからの一時間弱のフライトでは、暗闇で何も見えないのに、窓の外をずーっと見ていた。隣に座ったウガンダ人のニャボ(ガンダ語で、女性を呼ぶときにニャボという)がマケレレ大学出身であったため、会話も弾み、あっという間にエンテベ空港に到着した。

空港(飛行場といったほうがいいのかな)では、機体の前で踊りながら何かを撮影している人たちがいた。音楽のPVか何かであろう。タラップを降りたとたんに感じる、ねっとりとした空気。薄暗い電灯。のんびりだらりと“働いている”、身体の大きな警備員。当時のエンテベ空港は、11月に行われるCHOGM(英連邦首脳会議)にむけた工事の真っ最中であったため、ターミナルビルは仮設の小屋のようなものであった。薄暗い部屋に人がごった返し、大きな荷物があふれている。一度建物の中に足を踏み入れた私は、このカオスとも呼べるような光景を目にしただけで疲れがどっと出てきたので、一度外に戻って深呼吸をし、それから中に入らなくてはならなかった。

思えば、この空港での小さな経験が、この先に私を待ち受けていたウガンダでの生活のイントロダクションであった。まず、誰も何も知らないのである。列がいくつかあったのだが、他のウガンダ人乗客に聞いてもムズング(白人という意味)に聞いても、みんなよくわかっていない。仕方がないので、制服を着ている職員に質問をしてみても、連れて行かれたのはビザの窓口であった。あのー。もうビザは取得済だと何度も説明したじゃないですか・・・。

そこでこの職員、困ったような顔をして“foreigners(外国人)”と書いてある、とある列を指で指し、そこへ行って入国審査をするように私に言った。そしてそれを言い終わらないうちにそそくさと消えてしまったのである。言われたとおり、行ってみたものの、列がなかなか進まない。よく見てみると、パスポートにスタンプを押してもらうのに、一人一人にものすごい時間がかかっているではないか。とりあえず本でも読みながら待っていると、列も真ん中あたりに来たあたりで制服を着た別の職員に声をかけられた。

「どの国のパスポートを持っているんだ?」
「日本です。」
「この列は、東アフリカ居住者専用の列だ。別の列に並びなさい。」
「でも、そこに、foreignersって書いてあるじゃないですか・・・」
「どんな風に書いてあろうと、ここは東アフリカ居住者の列だ。他の所に行きなさい。」
「でも、私はこれからウガンダ居住者になるのですが・・・。」
「でも君の場合はこの列ではいけないんだ。別の所に行きなさい。」
「・・・。別の列って、どの列ですか?」
「(指で指しながら)あの辺だ。あの辺に他の白人達がいるだろう。あの辺に行け。」

こんな感じで列から追い出され、トボトボと他のムズングたちのいる辺りに歩いていったが、そこにいたムズングは皆、どこに行って何をしたらいいのかが分からずにいる空港難民であった。

振り出しに戻ってしまったものの、とりあえず困っているのが自分ひとりではないことに勇気をもらった。

ウガンダに何度も来ているというイギリス人男性は、「こういう場所では、自分で何かをしようとしてはいけないんだ。どうせ自分から動いても動かなくても、どうにもならないのだから、じっと待って、エネルギーを温存したほうが懸命だ。」と私に言った。一年以上経った今、彼の言葉の本当の意味が分かった気がする私がここにいる。

カオスの中で困っていたムズング空港難民は非常に目立つのであろう。5分もしないうちに、またまた同じ制服を着た、また別の職員がやって来た。そして、彼が私達を連れて行ったのは・・・私がさっきまで並んでいたのと同じ列であった。その旨を彼に伝えると、「そんなことはない。そこにforeignersって書いてあるだろう?ここは外国籍の人のための列だ。」とのこと。

よくわからないけど、まあいっか。

次の難関は、荷物であった。荷物を乗せるカートはそこらじゅうに錯乱し、重い荷物を運ぶ人で熱気に溢れていたその場所に、私の目立つオレンジ色のスーツケースが、どんなに探しても見つからないのである。調べてもらったら案の定、スーツケースがナイロビ空港で発見されたとのこと。(でも、調べてくれる人に出会うまで、そして荷物がナイロビにまだあるという情報を得るまでにものすごく時間がかかったんだよ!!)この電話から30分後に、ナイロビからエンテベに飛ぶ最終便があると聞いたので、私のスーツケースはその日のうちにウガンダに来る事になった。やれやれ。さすがケニア航空だ。

マケレレ大学からは、迎えの人が外にもう来ていたので、空港再入場のパスをもらった私は彼に会いに行った。それから2時間、オレンジスーツケースが到着するまでの間、私達は空港の椅子にボーっと座りながらおしゃべりをした。モーゼスという名のこの男性は、マケレレ・インターナショナルオフィスで働くマーサというおばさんの、専属の運転手だそうだ。そして、このマーサこそが、マケレレと早稲田の留学協定の責任者であった。今まで、専属の運転手などを雇っている人には会ったたことがなかったので、私は心底驚いた。そして同時に、「一大学のインターナショナルオフィスの職員が社会的にものすごく高い地位にいるんだなぁ、ここは本当にアフリカで、私は本当にここに来てしまったんだなぁ」などと勝手な推測をした。

そんなこんなでスーツケースと感動の再会を果たし、モーゼスの車に乗った頃には、日付が変わっていた。マーサは月曜日になるまで仕事はしないそうなので、週末の間、寮にも入れず居場所のない私は、マケレレのゲストハウスにいることになった。このゲストハウス、財政難の大学をどうにかしようと建てられたものらしいが、宿泊費がとにかく高い。当初は、ここにタダでとまれるという話がマーサからあったが、最終的にはお金を請求された。無駄な出費だったと思っている。宿泊費が私持ちであることを言ってくれれば、もっと安い所にさっさと移っていたのに。

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