2007年9月14日金曜日

エチオピアの思い出3:食べ物についての考え方

 この国では、とにかく食べ物は大切に扱われる。食べ歩きなどもってのほかだ。「エチオピアは、過去に悲劇的な飢饉を経験したからだ」とサルワは言う。確かに!!この事実を知らされる前に、スナックを食べながら一人で歩いていたことがあった。すると、たちまち人々の視線を集めることとなった。指を指す子どもたち、冷たい視線を投げながら、ヒソヒソと話をしている女性たち――。食べ物に感謝をしなさい。こんなこと、学校でも家庭でも何度も言われてきたハズなのに、いつしか時間に追われる生活を送るようになっていた私は、何かをしながら簡単に食事を済ませてしまうことに慣れてしまい、このような当たり前のことすら忘れてしまっていた。

 また、食べ物は人と人を繋ぐ上で、非常に重要な役割を占めている。例えば食堂では、料理の運ばれた客が、近くに座っている、まだ届いていない見ず知らずの他人に対して料理を分け合おうとする光景が日常的に見受けられた。つい、顔を緩ませてしまうような瞬間である。また、誰かの家に食事に招待されるとする。すると、必ず何か食べるものをお土産に携えるのだ。その人の経済状況に合わせて何かを持ち寄り、それを皆で分け合う。家族同士であっても、親戚同士であっても友達同士であっても、それは同じなのだ。後に書くつもりではいるが、ハラールという街に旅行に行ったときのことである。サルワが、何やら果物とお菓子をどっさり買っているのを目にした。特に気にも留めなかったが、家に帰った日に、それらがすべて、家族へのお土産であったことに、強い衝撃を受けた。さらに、近所の人やら親戚の人のための分まであるではないか。それを皆でニコニコしながら分け合っている姿を見て、急に恥ずかしくなった。対する私は、彼女の家族はおろか、自分の家族にさえ、ほとんど何も買わなかった。この一年のアフリカ滞在中、どこかに旅に出たり、何かをするときのために節約しようという考えのもとであった。

 自分では元々、たくさんモノを買うタチの人間ではないと思っている。それよりも、目には見えない「経験」に投資する方が価値あるものだと信じているからだ。しかし、それは結局、自分のためだけにお金を使っているに過ぎない。結局、たとえ家族であっても、自分以外の他人のことはほんの少しも気にかけていないのだ。サルワが当たり前のようにしていたことは、彼女自身に直接的な利益をもたらすことはなくとも、周囲の人との繋がりを改めて実感・感謝することで、物質的豊かさとは別の豊かさを引き起こすのではないだろうか。エチオピアでは、どんなに貧しい人でも、明日に絶望し、生き残りを心配する必要はほとんどないという。周囲のコミュニティーの人が分け合い、助け合うからだ。現在の日本では、同じことが果たして起こり得るだろうか。

 食べ物の話題から少しそれてしまったが、今回、この国で食べ物という側面から多くのことに気付かされた。サルワは、「アッラーの教えに従ってるだけよ。ナツノにはナツノなりの価値観や考えがあってそうしているんだから、そんなに気にすることないわ。」と笑ってみせるが、イスラームの教えであるかとどうかいうことを超えて、こうした分け合いの概念は 全ての人間にとっても本質であるべきである。この高校生の足元にも及ばない私だが、少しでも彼女に近づきたいものだ。

2007年9月7日金曜日

エチオピアの思い出2:アディス・アババでホームスティ

 「新しい花」を意味するアディス・アババという街を好きになるまでにそう時間はかからなかった。まず第一に、インドのような、あの頭痛を起こす車やリキショーのクラクション音がない。次に、気温が高くもなく低くもなく心地よい。埃っぽさもないために、非常に快適だ。インドのようなごちゃごちゃ感はなかったが、この街特有のエネルギーが満ち溢れている。人々は私を見てくるが、お金を見るかのような目で凝視されるのとはまったく異なり、親近感に満ちた視線であった。自然とこちらも笑顔になる。インドとの決定的な違いは、女性も洋服を着ているということだ。ムスリムやソマリ人の女性は布で体を覆ってはいるが、インド人のように、サリーを誰もが着ているわけではない。しかしながら、周囲の風景とは不均衡なほどピカピカの近代ビルが点在していたり、多国籍企業の看板(特にコークとペプシ)だけが大きく立派で目立っている様子を見ると、やはりインドとの共通性を感じずにはいられない。アディス・アババはとにかく広い。広いというよりも、だだっ広いという表現のほうが正しいかもしれない。なだらかな山々に囲まれたこの街は、とくに何かがあるわけでもなく、観光地としては魅力に欠けているかもしれない。今回のエチオピア訪問の目的が友人訪問であったこともあって、そんなアディスの普通の生活を一週間ほど体験した。

 8月の明け方は、息が白くなるくらいにまで冷え込む。砂糖とシナモンをどっさり含んだチャイから溢れる熱い湯気は、朝食前には欠かせないものの一つだ。サルワの家は市内中心地から車で約30分下ったところにあり、地理的にも経済的にも拡大しつつある首都の、ちょうど端の方にある。5人の家族と住み込みのお手伝いさんの、合わせて6人に対して寝室は2つ。家庭にはシャワーもガスコンロも車もないが、テレビでは世界中のチャンネルを見ることができる。エチオピアでは今、インド映画が一番ホットのようだ。そして、家族のお気に入りの番組は・・・『悲しき恋歌』(!!)。なぜ?と思いつつも、アラビア語版韓流ドラマに毎晩涙していたお母さんの姿は忘れられない。

 サルワは現在16歳。現在のエリトリアで生まれたが、生後まもなく、ジャーナリストとして働くお父さんの仕事の都合でアディス・アババに移り住んだ。エリトリアの独立をめぐって戦争が勃発したときには直接的には巻き込まれなかったが、国境が封鎖され、家族が離れ離れになってしまった。現在のエリトリアで暮らす母方の親戚には会ったことがないという。「未だに心は引き裂かれているわ」と話すのは、お母さん。エチオピアで新しい家族ができても、越えられない線のせいで、自分の母親の死すらも風の便りで知ることになってしまったという。それでも、ふるさとのことを話す彼女の表情は明るかった。生まれ育った村、何よりも美しいという紅海。この家族が、そろってそこのビーチで記念写真を撮る姿が目に浮かぶ。こんな日がいつ来るのだろうか。

 食事はもっぱら、インジェラが主食だ。インジェラとは、テフから作られるクレープのようなものだ。どの家庭に行っても、必ず一家に一台は「炊飯器」ならぬ「インジェラ器」が存在する。食卓の中心に置かれた大きなお皿にこれを拡げ、上に肉料理やシチューをかけて、手で混ぜながら食べるのだ。日本の鍋に似た雰囲気で、これがまた楽しい。一つの大きなお皿を家族全員で分けるため、子どもたちはここから、分け合いの精神を学ぶのだという。初めてインジェラを見たときの正直な印象は・・・小学校の清掃用の雑巾をなぜか思い出した(笑。エチオピアの皆様ごめんなさい!!)。食べ物には、見た目からなんとなく味が想像できるものとそうでないものに分けられるが、このインジェラは間違いなく、後者に分類されるだろう。酸味のややきいたクレープのような生地は、今まで口にしたどの味よりもユニークで、ハマリ出したら一日三回では足りないくらいだ。

 食事の後は、ブンナ(コーヒー)に限る。コーヒーのふるさとであるエチオピアでは、茶道(tea ceremony)ならぬcoffee ceremonyなるものが存在する。サルワの家では、近くに住むおばあちゃんがブンナを入れる。炭火を起こし、豆を煎るところから始めるために、ブンナをいただくまでには非常に時間がかかる。しかし、その途中で流れてくる、コーヒー豆の強い香りや、パチッという破裂音は、待ちわびる喜びを増幅させる。パリのカフェで飲んだコーヒーも、エチオピアの家庭で飲むブンナには到底かなわない。3杯のブンナを飲むのが決まりだが、最後の一杯が最も重要なのだとか。



* インジェラ豆知識*
エチオピアでは、生の牛肉をチリソースにつけ、インジェラで包んで食べる。生肉の食感とソースの辛味、解毒作用もあるというインジェラの酸味のコンビネーションは、寿司をほうふつとさせる。多くの外国人はお腹を壊すようだが、稀に安全な肉を提供する食堂もあるため、挑戦する価値は十分にある。

2007年9月6日木曜日

エチオピアの思い出1:救急車と入院騒動

アディス・アババの様子


 何を隠そう、かなりの意気込みを持って到着した「夢の大陸」であるアフリカで、私は生まれて初めての「救急車で病院に搬送される」という経験をした。しかも初日に・・・である。

 自分では何も覚えていないのだが、深夜にどうやらうめいていたらしい。救急車は(道路がきちんと舗装されていないせいで)滞在していた友人の家の前まで来ることができず、ようやく乗った後でさえ揺れ続けた。体が何度も宙に浮いたのだけは記憶している。病院に到着すると、すぐさま点滴が打たれた。ベッドと小さな机以外何もない2等病室は殺風景だが、白でまとめられて清潔感にあふれていた。アディス・アババは、「大きな村」と一部の人から形容されているが、それでもエチオピアの立派な首都。24時間体制の病院があったのは幸いだ。

 日本を出る直前の数週間は、今までの人生で一番忙しい時期だった。やるべきこととやらなくてはならないことをすべてこなそうと思ったら、予定帳は真っ黒に。そんなこんなで、「やることリスト」の最優先事項だった黄熱病の予防接種がなんと出発の前日になってしまった。。。その日の朝、瀬戸内海を自転車で横断するという旅行から夜行バスで帰ってきた私は、都内各地で用事を済ませた後に、検疫センターとやらに出かけていった。そして、「黄熱は副作用が強いですから今夜は安静にしておいてくださいね。」という医者のアドバイスを無視して、大学の友達とのお別れパーティーに繰り出した。

 明け方くらいから体調が急に悪化した。「出発当日にやればいいや」と甘く考えていた荷造りも、当の本人が寝込んで手に負えない状態になり、親や友達に散々迷惑をかけた。当然、空港での両親との別れも感動的な要素のかけらもなかった。関西国際空港で初めて乗ったエミレーツ航空は、ウワサに聞いていた通り、それはそれは素晴らしくて「空飛ぶ極楽とはまさにこのことだ!!」と一瞬思ったが、それも束の間。すぐにダウンして極楽は地獄へと形を変えた。酸素マスクを取り付けられたことしか覚えていないのが残念だ。エミレーツの方々の手厚い看護のおかげで、経由地のドバイでは体調は7割くらいにまで復活した。あとは、無事に最初の目的地であるアディス・アババに到着するのみだ。

 アディスの空港では、6月にユニセフのサミットで友達になったサルワが、歓迎の花を持って待っていてくれていた。乗り合いタクシーのヒビ割れたフロントガラス。ラジオから流れる不思議な音楽。道行く人の肌の色はやはり黒く、なぜかみんな生き生きと楽しそうにしている。本当にアフリカに着たんだ!!このころには嘘のように体調は完璧になり、アディスの街に釘付けになっていた。

 翌日の朝、病院の窓から見えたアディス・アババは全く違う場所のように思えた。前日まで暮らしていた島国と、この一年を過ごす大陸。そして、今この病院にいる自分を客観的に想像してみたりもしたが、自分があまりにも小さすぎて消えてしまうのではないかと不安になった。サルワのお母さんが心配してずっと傍にいてくれていたが、会話をする余裕などなかった。院内はおしゃべりの声や金属同士がぶつかる音で騒がしく、病院特有のにおいが印象的だ。次から次へと出入りする医者と看護師。一人出て行ったと思えば別の人が入ってくるために、何度も同じ説明をしなければならない。X線や超音波の機械は一つしかないのだろうか。全身をすっぽり布で覆って顔だけを出したソマリ人の女性やら、疲れきった表情の男性などで検査室はごった返していた。食事は、味付けを忘れたような野菜スープとエチオピアの主食であるインジェラ(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%A9)。無論、食べられる状態ではなかったが。

 何はともあれ、せっかくのエチオピアでの2週間を入院生活などで無駄にはしたくなかったため、無理矢理言って2日後に退院した。サルワいわく、「自分から退院を申し出ないと、いつまでも入院するハメになって病院側の思うツボだよ!!」とのことらしい。事務所のスローなペースにのまれて支払いに2時間もかかった。病院から一歩踏み出したときに浴びた日差しは、やはり強かった。

2007年9月5日水曜日

ブログオープン!!はじめに


 こんにちは!!8月1日に日本を発ってから、早いもので一月以上になります。この間、色々とドタバタしていたせいで遅れましたが、やっとブログをオープンすることができました!!イェイ!!これから、できるだけ頻繁に、私のちょっとユニークな留学生活についてレポートしていくつもりです。ネットのアクセスなどで多少の滞りはあるかもしれませんが・・・。


 当然ながら、私は専門家でもなければ外交官でもありません。よって、知識不足などの欠点はあるかと思いますが、20歳の大学生だからこそ見える「ウガンダ」や、そこから考えたことなどをみなさんと共有していけたら幸いです。


 「なんでアフリカに、しかもわざわざ勉強しに行くの?」よく聞かれる質問です。うーん、なんでだろ。そもそも、なんでアフリカなんだろ。ウガンダにしたのは、早稲田がたまたま提携していたからに他ならないんだけど・・・。なぜか、アフリカが気になるんですよねー(笑)。小さいころに見ていた動物関係のドキュメンタリーに始まり、カラフルな民族衣装に心を躍らせ、アフリカという大地に暮らす人々が直面している数多くの問題に対して疑問と怒りを抱き・・・そして今に至る、とでもいいましょうか。


 とにかく、この一年の最終目標は、「新たな視点で物事を見られる人になる」こと。たとえば、同じものを見たときでも、見る角度が違うだけで全然違うものに見えたりしますよね?あんな感じで、これからの人生に起こるであろう様々な出来事に「ちょっと違った視点」というスパイスが加わるだけで、味わいは相当深みのあるものになるのではないか、なんて考えたりしているわけです。


 ウガンダに着いてからまだ2週間強ですが、既に毎日が文字通り驚きの連続です。そして、私が求めていた「新たな視点」は、今まで持っていた価値観と相反しながらも、品川夏乃という人間の中に、少しずつではありますが確実に入ってきています。


 一年後、東京での生活に戻れるのかしら・・・・。


 ちなみに、「新たな視点」以上に私の中に侵入してきているのが紫外線!!うわーお、こんなにとてつもないスピードで人間の皮膚は変色可能なのかと、ただただおののくばかりです。ウガンダ人にはさすがにかなわないけど、エチオピア人の友人の腕の色と私のそれは、もはやほとんど変わりません。。。