2010年12月24日金曜日

最近の私

みなさま、もうすっかりご無沙汰しております。

本当に、物を書くのはすきなのですが、なかなか書く気になれずに早5ヶ月!もう師走も末の末ですね。早い早い。

私は今、カナダに来ております。7月に卒論を仕上げ、卒論を書いている最中の午前3時にケータイを醤油の中に落とすという悲劇を乗り越えながらも、そこからは、こんな旅路を歩んでいました。



7月後半から8月前半;オーストラリア(高校生の英語研修の引率) 。高校時代に留学した、忘れられない第二の故郷オーストラリア。本当はボリビアに留学したかったなんてことはナイショですが、とにかくその第二の故郷に戻れましたよ6年ぶりに!!友達が数名、わざわざ飛行機で数時間かけて、私の働いていたシドニーに来てくれたのはうれしかったなぁ。

8月; ヒッチハイクで東京から徳島へフランス人やイタリア人と出かけ、野宿をしながら阿波踊りに参加し、お遍路さんをやっている最中に具合が悪くなる。生まれて初めての手術を経験し、入院し、同室だった徳島のおばあちゃんたちの孫的な存在になる(笑)。退院後、諸事情により徳島から栃木の実家までハローキティのスリッパで帰るものの、一週間しないで中国へ船で出かける。

9月;上海と貴州省で過ごす。上海で、中国語を操るコロンビア人の友達に再会し、また、前にも登場した、パリ在住のコートジボワール人のイザベラにも再会する。彼女はバカンスで中国に来てたんだよね。その後は、ミャオ族の村で農作業をしながら、普通じゃない経験が続く。6月に東京の私の家にとまりに来たメキシコ人のカウチサーファーたちとも村にて再会(笑)&一緒に農作業の日々。そして、しまいには大学の卒業式を逃す。(別に、式典なんてどうでもいいけど。でも、まだ卒業証書を大学にとりに行ってないな、そういえば・・・)

9月末から10月前半;北朝鮮旅行 (長年の夢をかなえました) !!!!!!!!間違いなく今まで出一番思い出に残る旅の一つ。

10月中旬から11月初旬;カナダ (中学生の英語研修の引率)

11月初旬から12月中旬;ヨーロッパ。別に遊ぶために行ったわけじゃないよ。特に旅行したかったわけでもないので。

12月中旬から12月末;カナダ。(高校生の英語研修の引率)

ちなみに2010年、1月から3月中旬まではコートジボワールにいたね。んで少しパリに行って、すぐにアメリカに仕事でいてきました。4月から7月までは大学を卒業するために東京にいたけれど、東京にいる間にもとんでもない非日常的な日常生活を送っていました(フェラーリのスーパー金持ちスイス人の案内したりね)。


あまりにも摩訶不思議な体験だらけ(特に北朝鮮旅行)だったので、ちゃんとそれも文章にして皆様に読んでいただけたら、と思います。でも、書く気になればいいんだけど(笑)。アフリカの話もまだまだたくさんたくさんたーーーーーーくさんあるのに書いてないしね。

次の人生のステップをどうするかで今ちょいと悩み中ですが、ちゃっちゃか決めたいです。とにかく色々プランは考えてるので。。。とにかくアフリカから離れすぎない道を選んで生きたいですね。

やっぱり私は、なんだかんだでアフリカにかなりかなり魅せられてるんだなと思う今日この頃。

アフリカのことを考えただけで、パッションがグツグツしてきちゃうの。うふふ。

と言うわけで。皆様もよいお年を!!


私の来年の目標は・・・なんて、ブログに書くと、ちゃんと気合が入りそうなので、あえて書きます(笑)

1.言語 (アラビア語とスワヒリ語を何とかしたい&ポルトガル語をペラペラに近い状態にしたい)

2.運転免許(はい、まだ持ってないんです。コートジボワールで教習所通ったのにね)

3.次のチャンスをつかめるように、世界のどこに落ち着くかは分からないけどとにかく一か所にとどまって、実社会でもっと学びたい(でも、ある程度のヒッピー精神は忘れずにね)

4.大学院にいつでもいけるように、DALFとGREの勉強ちゃんとする

5.ブログがんばる。書きたいストーリーをとにかく全部書く

6.素敵な人に出会い続ける(思えば、私は何に長けているわけでも特にはないけれど、人と出会うことに関しては天才ですと自分でも思います。周りの人みんなに感謝!!!)


がんばりまーーーーーす!!!!

2010年7月4日日曜日

マケレレ大学vsナツノの大バトル 第一ラウンド~科目登録編~③

日本では、オンラインで五分もあれば終了する科目登録。どうしてこれが、三か月の長期戦になってしまうのか―悲しすぎるわTIA。時間を返しやがれ、この野郎!!と罵倒したい気持ちになっても、ここではそんな言葉は何の意味も持たないのだ。「時間がもったいない」「効率よく」この言葉の本当の意味を理解しているウガンダ人は、全国民の二パーセントにも満たないと言い切っても過言ではないだろう。

科目登録の第一話第二話はこちらでチェケラ♪今回はその続き。

「とんでもないところに来ちゃった・・・」と、若干後悔をしながらももう後の祭り。アフリカ留学がしたくて、受験も乗り切ったのではないか、自分!!と、自分自身に気合を入れて、私とマケレレの闘いは続いていった。ここまで来てしまったからには、なにがなんでもきちんと登録を済ませ、単位をぶんどってやらないと日本には帰れない。

科目登録をするためだけが目的という、悲しいのかギャグなのかなんなのかがよく分からない状態の「マケレレvsナツノのバトル」の前半戦は、現地の事情に疎かった私には思わぬ苦戦に満ちたものであった。これが原因ですっかりアンチウガンダ主義者になってしまった私であるが、それでも「こんなバカな奴らに敗北なんて、大和撫子として受け入れられないわ!!」をスローガンになんとか生きていた。留学生の面倒を見なければならないはずのマーサは、「科目登録のためにやること&会う人&行くべきオフィスリスト」なるものを突き付けただけでその後は見放すし(まぁ、このリストをくれただけでも、ウガンダ人的には百点満点以上の◎だけどね)、どんなにこちらがSOSを求めても、泣きそうな顔で懇願しても、「あなたのことはいつでも助けるわ」の空しい一言を繰り返すだけで何もせず。

ってか、ウガンダで権力者なしで物事を進めるのが無理なことぐらい、あなたもわかってるんでしょうが。だったらリアルに助けてよ。私にはあなたの権力と地位が必要なの!!!!!登録させて!!!!!そもそも、なんでノルウェー人軍団には科目登録の担当者がついてるのに私にはなにもないのよ(怒)

なーんてことは言いませんでしたが。口に出したら即アウトだから言えないよね。マーサまで敵に回したら、もうマケレレでの生活は完全にアウトだから。

彼女は相変わらず、自分の部屋で呑気に、油でギトギトの東アフリカ版チャパティーをお供に、紅茶をダラダラと飲むだけの毎日であった。ちなみに、東アフリカのチャパティーと本場インドのチャパティーは、もはや別の食べ物です。あれを未だに「チャパティー」と呼んでいる時点で、東アフリカ人はインド人に土下座するべきだと私は個人的には思います。

ところが、ウガンダ到着から約二カ月がたった十月中旬のある日、それまで私を奮い立たせてきたモチベーションのようなものが突然プツッと切れてしまった。この頃までにはすでに、「留学生の君でも、授業料を納めないと科目登録できないよーん」などという無責任&適当発言をし、人のことを困らせたがっていた役人とのバトルは収拾がつきつつあった。しかし、科目登録の完了を待たずに、その五週間も前からすでに毎週毎回真面目に授業に出席していたいくつかの授業について、イチャモンが再びつけられたのである。

まったく。今思い出してもウザいの一言だわ。

既述したが、最初にもらった大学の規則書には、次の内容が明記されている。

「学生は、二つの学部(Faculty)に限ってのみ、授業を自由にとることができる。しかし、自分の所属学部以外の学部からは二授業を限度とし、また、自分の所属学部の必修科目はとらなければいけない。(中略)しかし、交換留学生にはこの『必修科目』のルールは当てはまらない。」

私は社会科学部(Faculty of Social Sciences)に属していたのだが、このルールにのっとって考えると、もう一つ別の学部(Faculty)から、二つも授業を選べることになるよね。色々調べてみると、人文科学部(Faculty of Arts)には様々な学科(Department)があり、中にはダンスや語学も学べるところがあるというではないか。

よって私は、アフリカ伝統舞踊とスワヒリ語の授業を、人文科学部傘下の言語学科と表現芸術学科から取ることにした。マーサに何度も聞いたところ、「これは大学のルールに反していないわ」の太鼓判を押されたからだ。あの時のマーサは、珍しく、確信したような表情をしていたため、これは信用してもいいのかな・・・と思わせてくれた。

ところがどっこい。

科目登録もクライマックスを迎えた十月中旬に事件は起きた。

「あとはダンスと言語の科目を登録すれば完全に科目登録は終了→ついに夢にまで見た学生証が発行される→図書館がようやく使えるようになる」というとき、いつものように私は、人文科学部のお偉いさん数名のサインをもらうために必死になってキャンパス中を走り回っていた。一人のお偉いさんのサインをゲットするために、最低三日は見ておいたほうがいい(つかまえるのが大変&説明してもサインにまでこぎつけるのに一苦労だからだよ)。しかしこの頃にもなると、それにもすっかり慣れてしまっていたから、人間の適応能力というのは恐ろしいものである。

マケレレのキャンパスには、田中真紀子さんの真似をして、私が密かに「伏魔殿」と呼んでいた大学の事務機関が集まった建物がある。忘れもしない、その建物の四階に、広々とした豪華なオフィスをもったasshole(ケツの穴)野郎にサインを求めに行った私であった。ところがコイツ、二回もアポイントをすっぽかした揚句、三度目の正直で私にこんな残酷な言葉を放ちやがった。

「君のダンスの実技の授業だけどね、これは、実技だけだと単位にならないんだよ。ハッハッハ」

ハッハッハじゃねーよ、セボ!!!もう私、二カ月近くもこのダンスの実技の授業に出席し続けているんですけど。木曜日の午後は、三時間も汗だくになりながらアフリカンダンスを踊ってるんですけど。あまりにも授業が幼稚園のお遊戯会のような感じであったため、さすがのマケレレでもこんなので本当に単位になるものかと不安になって、何度も先生クラスメートに「これだけで本当に単位と成績が来るの?」と質問しまくったんですけど。みんながみんな、先生までもが「うーん、大丈夫じゃないかな」と言ってくれてたんですけど(←このあいまい表現の時点で、私の方が気付くべきでした)。

どうして今まで誰も教えてくれなかったの~~~マジでFだよFFFFF。

この瞬間を境に、今までの気合はどこへやら。私は、完全に科目登録に対する闘志を失ってしまった。

伏魔殿と表現芸術学科の建物は隣同士であったため、私はこのセボに、「頼みから一緒についてきて、事実関係を一緒に確認してください。私にはもうこんなことはできません、もう限界です。」と何度も懇願したが、「私はね、忙しいんだよ」と言いながら、彼はケーキを食べ続けていた。そんな彼の後ろには、Time is money(時は金なり)の標語カレンダーのようなものが掲げられていたから恨めしい。

時が金なら、マケレレはとんでもない泥棒野郎だ。損害賠償訴訟でも起こしてやりたいくらいだわ。

しまいに私は、自己統制力を完全に失ってしまい、気が付いたら力任せでこのデデデンと大きな図体をしたセボを引きづり出そうとしていた。「お願いします。百歩も歩かないで、芸術科の建物に入れるんですよ。お願いですから一緒に来て。あなたが一緒に来ないと、私ひとりでは権力が弱すぎて何もできないんです。」

結局このときは、怖い出で立ちの秘書のニャボにつまみ出されてしまった。悔しい、悔しすぎる。でももう本当に無理・・・単位をくれーーーーーー。

普通だったら、単位が少しくらい来なくても痛くもかゆくもないのだが、私には、どうしても単位を取らなければならない事情があった。私の日本の大学には、3年半で卒業できるというおいしすぎる制度があり、入学時からこれを狙っていた私は、いい成績をキープするために、そこそこ頑張っていたのだ。ここで単位を取らないと、早期卒業計画が狂ってしまう―そんな状態であったから、もう必死だった。今にして思うと、TIAな環境にいるくせに将来設計云々と言っていた自分がバカだったんだけどね。

また、語学の授業登録にも苦労していた。ここでもまた、私の登録を受け付けられないというフザけたことを言われていたのであった。それも、担当の先生に!!!

そんなこと言われても、私が最初からちゃんと授業に出ていたことを一番よく見ていたのは、ほかでもない、この先生のはずなんですけど。何が起きているんだマケレレ。人間不信に陥りそうになった。というか、当時の私は部分的に陥っていたと思う。

この先生からこの話を告げられた時、激情にかられた私は、彼のオフィスの机をバーンとたたき、「あなたたちはバカ?脳みそある?心がある?こんなんだから、アフリカはいつまでたってもダメダメなのよ!!!」とののしりの言葉を吐いてしまった。これは、完全に私に非があると今でも反省している。

年上の人、とくに、医者と先生を尊敬する社会において、このような態度に出たのは明らかに間違いであったし、感情をストレートに出して怒ることをなによりも忌み嫌うウガンダでは、これは文化的にアウトだった。そして何よりも、「アフリカはいつまでもダメダメ」の部分は本当に良くなかった。なんだいこの究極の上から目線。自分は今まで、このように考える人にだけはなりたくないとずっと思っていたはずなのに。自分の未熟さに恥ずかしさすら覚える。今後は、どんなにストレスが極限にまで達していようと、絶対に傷つくような発言や自己中心的な発言は絶対にしないと決めている。

このときは、先生もブチ切れた。当り前である。二人の警備員が呼ばれ、私は両腕をつかまれて、強制連行された。

先生と最悪の関係になってしまったときに助けてくれたのが、言語学科の学科長であった。彼は日本を非常に尊敬している人で、あんなに失礼な騒動を起こした私に、叱りもせずに「日本人は我々の親友だから」と、優しく接してくれた。この時点で涙ボロボロである。

彼はまず、このマケレレのカオスについて謝罪した後、マケレレで物事をうまく進ませるにはどうしたらいいのかについて、約一時間ほどのレクチャーをしてくれた。内容は、「我慢」「忍耐」「役人をヨイショする」などといったものであったが、このような権威のある人にハッキリと「暗黙の了解ルール」について言及され、逆にすっきりとした気分になった。同時に、ウガンダに来て初めて、ずっと抱えていたフラストレーションについて話し合える人に巡り合えたことが嬉しくて仕方なかった。また、こうしたイライラについて誰かと話をすることで、初めて、イライラの原因を解明する心の余裕が生まれた。先生と仲直りをする際にも、彼が間に入ってくれたおかげでスムーズなコミュニケーションをとることができた。

マケレレ砂漠のオアシス的存在のこの先生は、人間として素晴らしい方だ。この事件の後も、私は彼から多くを学んだ。

2010年7月3日土曜日

友達の個展のお知らせ (&どうでもいい話)

二年前に、私の家に一週間ほど泊まりに来たカウチサーファーであるスイス人写真アーティストのセドリックが、今、凱旋来日を果たし、青山で個展を開いています!!!

http://www.spiral.co.jp/e_schedule/index.html

私は昨日行ってきたけど、すごくよかったよ。なので、みなさんも是非、チェケラしてみてくださいな。

セドリック・・・当時のルーミーであるまゆみちゃん(現在、マレーシアにて日本語教師やってるよ)と一緒に、密かに「王子」と呼んでいたセドリック・・・。王子オーラは今でも健在です。あの絶妙な腰の低さがなんとも言えません。今日も、スーツでビシッときめているかのように見せておきながら、ばっちり靴は、ヨレヨレのスニーカーでした。それでも彼は王子オーラ120%です。

実は、去年の七月二日に女の子が生まれたんだって!!だから、彼の東京での初めての個展の記念すべき初日は、セドリックの赤ちゃんの一歳の誕生日でもあるんだね。おめでとう!!!一日早ければ、私の誕生日とかぶったのになぁ。。。残念。

今日は、彼の個展のオープニングリセプションパーティにも呼ばれたんだけど、食い意地の張った私とダヘ(腐れ縁の韓国人。ただいま凱旋来日中。)が、スパイラルのおしゃれなカフェのご飯にダッシュしたことは言うまでもありません。パーティで出遭ったとあるおじさんは、私の丸焦げの肌の色を見て「いつから○○大学(私の大学)は青空教室になったの?」と言いました(苦笑)。最近はかなりのインドア派なのにもかかわらず、黒さのレベルがますます上がっている私です。

リセプションパーティーといえば、忘れられない思い出が二つ。

高校生の頃に、なぜか英検主催のリセプションパーティー@ホテルオークラに招待された田舎者のナツノさんは、オークラのオの字も知らないままノコノコと上京し、とんでもないショックを受けました。たしか、着物でバッチリときめてきた招待客もいた中で、私はジーパンで出かけて行ったような・・・KYにもほどがあるよね。そして、そこで偶然立ち話をした英国紳士が、私が在籍している大学・学部の現学部長なのです。そのときまで、この大学は絶対に手の届かない存在だと思っていたため、彼に出会っていなければ、今の私はなかったといっても過言ではありません。英検ありがとう。なのでみなさんも、英検を受けるときは合格を狙うだけでなく、リセプションパーティーに招待されるように頑張ってください!!

もう一つは、大学入学してから一週間もしない四月頭のとある日のこと。もうあれから四年が経つなんて信じられませんが。なんかね、サウジアラビアの第61だか64だかの王子様(ひげの濃いおじちゃまでしたが。って、こんなこと書くと怒られちゃうね)が私の大学にやってきたの。んで、面白そうだったから講演会の申し込みをしたのです。ぶっちゃけ、講演の内容は全然覚えてないです。というか、通訳の選択ミスなのか何なのか知らないけど、アラビア語→日本語の同時通訳がパッパラパーで、アラビア語→英語の通訳も穴だらけだったから、講演からは何も得ませんでした。ただ印象に残っていたのは、よくテレビで見る「ザ・湾岸」的な服装のおっさんたち(赤い布を頭につけて白い服を着ている、あのスタイルです)が前二列を占領していたということ。栃木から来たばかりの十八歳には衝撃の光景でした。今じゃなんとも思わないけどね。

でも、どんでん返し(?)は最後の最後にやってきました。

「これから、王子主催のビュッフェパーティに、会場にいる皆さん全員をご招待します」

え、え、え~~~?さすがオイルマネー。やるなぁサウジ、太っ腹だわ・・・。

というわけで誘導されてみると、図書館の会議室が一流ホテルのパーティー会場に華麗に変身していましたよ。最初から知らせてくれていたら、タッパー持ってきたのに!!

これが、大学の図書館の会議室ですよ。石油すげー。




実は今度、今通っているアラビア語学校のイマーム(?)が、サウジからはるばる来日されるのです。この学校は、やはりサウジ系の学校。都内の一等地に立派な建物・・・なのに、授業料は実質タダという、まさに石油万歳!!な学校なのです。イマームの来日。これは大変なことになること間違いなし。リセプションの日の朝は、私は早くから料理の手伝いに行きますよん。結構楽しみ。

さてさて。昨晩の青山でのリセプションで大忙しだったセドリックもようやく落ち着いたところで、私たちは飲みに行くことにした。ところがどっこい、表参道の付近をうろちょろしていたら、なんと、セドリックのスイス人の友達に偶然遭遇したの!!!彼女はバカンスで日本に旅行に来ていたらしいんだけど、こんな偶然ってあるんだねぇ。しかも、五年ぶりの再会だそうで。なんで日本に、東京に、しかも同じ瞬間に表参道のところを歩いているの???といった感じだけど、カウチサーファーってこんな偶然がなぜかすごく多いんです。

前にも少し書いたと思うのですが、ベルギーからカウチサーファーが泊まりに来たときのこと。池袋の人ごみを避けるために、普段は歩かないような細い路地を歩いていた私たちでしたが、突然そのベルギー人の彼が雄たけびを上げだしました。何事かと思いきや、次の瞬間私が目にしたのは、道端にいたインド人のおっさんと彼が抱き合っているという???な光景でした。しばらく自体が飲み込めないでいたけど・・・。なんでも、ベルギー人カウチサーファーが五年前にインドを旅していたときに、たまたまこのインド人のおっさんと出逢って仲良くなって、二、三日一緒にいたんだって。でもそのあとに連絡が途絶えちゃったのね。ところが五年後、二人は東京の池袋のランダムな路地で再会した・・・・こんな展開です。すごすぎる。



最近だと、こんなことがありました。

*山手線でドアの近くに立っていたら、そのドアからフレンチのカウチサーファー友達が乗ってきた。

*人でごった返している渋谷駅でルームメイトのフランス人形ちゃんと待ち合わせをしていたんだけど、到着してみたら、カウチサーファー友達のオタクなスペイン人が彼女をナンパしてた。

*二年前に私の家でご飯会をしたんだけど、その時に来たメキシコ人の子とスウェーデン人の子が、先月ロンドンで偶然再会したらしい。

*同じく二年前には、ナイジェリアとドイツのカウチサーファーカップルがうちに来たんだけど、彼らは日本の次にオーストラリアに行ったの。それとは別で、今年の五月にはポルトガル&中国のカウチサーファー夫婦が泊まりに来たの。このポルトガル&中国の夫婦がオーストラリアに行った時の写真を私に見せてくれたんだけど、そこにはなんと、二年前のドイツ&ナイジェリアのカップルが写っていて・・・。なんでも、偶然どこかのホステルで一緒になって、そのまま意気投合したから一緒に車を借りて旅したんだって。すごい確率!!

*私が南アで出会ったアメリカ人のカウチサーファーと、同じくケニアで出会ったエチオピア人のカウチサーファーが、先日グアテマラで出会ったらしい。これもまたすごい確率!!

カウチサーファーと日常を共に過ごしていると、毎日が非日常的になります。でも、その非日常がいつの間にか日常になってしまっているから素敵です。

いつものことだけど、セドリックの個展の宣伝をしようと思ったのに、ずいぶん関係のないところまで話が飛びまして。申し訳ありません。

というわけで、結論は・・・みなさん、個展に行ってね!!ということでした。

2010年7月1日木曜日

マケレレ大学vsナツノの大バトル 第一ラウンド~科目登録編~②

ようやく時間割表をゲットした新米日本人留学生のナツノさんを次に待ち構えていたのは、フカフカの椅子に座り、できない秘書を何人も使い、無駄に仕事を複雑化し、自分の地位をただ単に見せつけたいだけの、どうしようもない時間泥棒たちであった。これね、本当に、彼らを殴らなかった私は偉かったと思うよ(笑)。

時間割をもとにして、どの科目を登録するのかをついに決めることができた。授業以外の時間も有効活用したかったため、留学生活全体のイメージを湧かせることができて少しホッとした。受講する授業を決めたからには、すぐに登録しなくてちゃ!!

留学生担当のマーサには、科目登録に必要な書類一式をもらった。どこの部屋で働いている○○さんに会って、△△の手続きをして、それから●●さんに会って、▲▲をして・・・という膨大な情報のリストも一緒に。この時私は察した。ウガンダ人の名前を覚えるのは、不可能に近いのだということを・・・。ンゴニャベさんだのモゴドンバさんだの、日本人の名前すら覚えられないような私には、ウガンダ人の名前は難しすぎる。

さてさて、マケレレ大学の規則集なる本に明記されていた、「交換留学生は、二つのDepartmentにまたがる授業を自由に取ることができる」という情報をすっかり信用し、意気揚揚であった私だが、ここでもう一つ、TIAのワナで知らなかったことがあった。

それは、書かれたルールはあくまでも飾りであり、実際には力がほとんどないということであった。言い方を変えれば、実際に現場で働いている権力者の性格と気分、それから、その権力者と自分との相性によって、全てが変わってしまうのがTIA流なのである。この暗黙の掟を理解するために、頭の固かった私は半年以上も費やすことになる。毎回毎回イライラし、ヒステリーを起こし、「こんなクソみたいなところ、出てってやる!!」と反抗期の中学生のような状態になり、何度か本当に泣いてしまい、打ちのめされて(大袈裟じゃないよ。本当に打ちのめされたんだよ。)、ようやくこの鉄則を学んだ。

そもそも論として、大学の役人たちが大学の組織構造を正しく理解していないのである。というか、大学の規則に対する理解でさえ個人の裁量に任せるところの大きな「ザ・無法地帯」マケレレ大学では、正しい情報もへったくれもない。だから、たとえそれが公式には「間違っている」情報やルールだとしても、それが大多数の役人に同じような解釈と理解が得られていれば、つまり、少なくとも「暗黙の掟」なるものがまとまってくれていてば、まだ助かるのだが・・・。

困ったことに、それぞれの役人が、自分に都合のいいようにルールを解釈してしまっているせいで、全体が大混乱に陥っているのである。もう誰の手にも負えない状態というのは、まさにあの状態のことを言うのだろう。ただでさえこんがらがっているところに、ウガンダの社会に関する知識もバックグラウンドもないような外国人が入っていくのは、結構しんどい。正しい情報なるものが存在しない上に、十人にアドバイスを求めれば、十通りの答えが返ってくるからだ。しかもしかも、アドバイスを手に入れるためにもTIAな時間感覚だから、とんでもない時間が必要となってくる。効率性などという言葉は彼らの辞書には存在しないため、とにかく忍耐あるのみだ。

いざ科目登録を始めようと思ったときに、会う役人会う役人が、それぞれ違った「Faculty」と「Department」の理解をしていることに私は気づいた。Facultyの傘下にDepartmentがあると言い張る人もいれば、その逆であると思い込んでいる人もいる。そこにさらにInstituteなるものまで存在するから、余計に話はややこしくなる。マケレレ大学規則集には、Departmentの下にFacultyとInstituteがあるって書いてあるんだけどね。

アドミッション・オフィス、アカデミック・オフィス、登録課、学生課・・・これらの「オフィス」と称する場所には、たいてい意地悪で太ったおじさんかおばさんが1人と、彼らの秘書が二、三人いる。学部・学科レベルでもそう。学部長、学科長、学部コーディネーター、学科コーディネーター。それぞれが、キャンパス中に分散されたオフィスでそれぞれ気ままに仕事をしている。理論上は内線電話やインターネットで彼らはつながっているのだが、そんなの機能しているワケがない。実際に、私がマケレレにいる間には、誰かが電話代のためにあった予算を着服してしまったために料金が払えなくて、二ヶ月間、内戦を含む電話とインターネットがキャンパスから消えてしまったから・・・TIAだ、やっぱり。

 科目登録の際に私が一番苦労したのは、授業料に関することと、留学生の科目登録に関することであった。

本来なら、私が日本で在学している大学とマケレレ大学との間には契約書が交わされており、交換留学生はマケレレでの授業料を払わなくてもいいことになっている。しかし、私がこの交換留学プログラムの第一号(別称:「お試し」または「餌食」)であったがために、降りかかってきた災難は尋常ではなかった。契約を交わした張本人であるマーサは、きっぱりと「あなたは授業料を払う必要はないわ」と初めから言ってくれていたが、この交換プログラムについて知っているのが彼女だけという状態であったために、会う役人会う役人には「授業料を払ったという証明書がない限り、君は授業の登録をすることはできないよ」と言われ続けた。「でも、私の場合は払わなくてもいいんですよ」と言っても、馬の耳に念仏(ウガンダ人の耳に正論?笑)で、まともに立ち会ってもらえない。間違っているのが彼らであることを示す必要があるのだが、プライドの高いTIAな役人相手にそれはなかなか簡単なことではない。まぁ、彼らにとっては自分たちが常に正しいわけだから、仕方がないことと言ってしまえばそこまでなのだが。

授業登録に関してもそうである。そもそも、正規のマケレレの学生と留学生の間には、授業登録に関して違ったルールが適用されるということ自体、役人の間では全く知られていなかった。だから、どんなにマーサに「大丈夫よ」と太鼓判を押されても、手続きはかなり難航した。みんながみんな、「そんなルールは存在しない」と言うわけだからね。しまいには、本当のことを言っているのがマーサなのか奴らなのかが本当に分からなくなる。ここで重要なこととは「本当のこと」ではないことも学んだ。重要なのは、「誰が話しているルールが、実際に機能しているルールなのか」というところであるからだ。

この無知でアホな役人どもを相手に、これまたおバカだった当初の私は、真面目に取り合ってしまった。彼らのプライドを傷つけないようにヨイショの一つや二つでもしてあげればよかったのに、そんな悔しい真似は死んでもしたくなかった。だから、真正面から正論を振りかざし、その度に失敗した。悔しかったよ。「日本や欧米のように、社会がルールに従って成り立っているのって、実は本当は奇跡に近いくらいすごいことなんだな」と、マケレレに到着して数週間で気が付いた。

マケレレでさらに厄介なことには、オフィスで仕事をする人の大多数が、柔軟性と責任感に欠けていることである。私は科目登録中、数え切れないほどの『オフィスたらい回しの旅』に出かけ、様々な人に出会ったが、使える人はほんの一握りだった。そんなこと言うと生意気と思われるかもしれないけど、事実なのだから仕方がない。

臨機応変という言葉は、ウガンダには存在しない。理由は簡単だ。頭を使って考えながら働いている人がほぼ皆無で、マニュアルに書かれていないケースが勃発すると、みんなお手上げ状態になってしまうから。また、本当は解決策を知っているのに、単純に面倒くさいから誰も何もやろうとしない。ルールを都合のいいように利用している面々も、もしも自分の勝手な判断のせいで何かあったときにはいつでも責任転嫁ができるように、たいていは他人任せにしてしまう。要は、みんな結局、組織という大きな存在を前にすると、普段はやりたい放題やっている、自分の勝手なるルールに自信が持てなくなるんだよね。よって、何かあるとすぐに「その件なら、まずは○○さんに許可をとってからにして」「それは、私の管轄下じゃないから」「○○さんのサインはもらったのかい?」とふっかけてきて、オフィスのたらいまわしが始まる。

責任追及を免れたいあたりが日本のことなかれ主義と似ているけど、日本人はまだ、相手に思いやりを持って接することができるからいい。マケレレの人を前にすると、本当に、お腹の底で激辛キムチ鍋をグツグツやっている気分になる。そして、いくら授業のためとはいえ、こんな馬鹿相手にいったい自分は何をしているのだろうかという虚無感に襲われる。今じゃ笑える話だけど、当時はすごく辛かった。助けてくれる人もいなかったし、このイライラを理解してくれる人もいなかったから、一人でどんどん底なし沼であがいている感覚(経験ないけど)になった。

オフィスのたらい回しなら日本にもあるけど、ウガンダのそれと比べたら、日本のそれを「たらい回し」と呼ぶのが申し訳なくなる。

まず、オフィスが見つからない。キャンパス内の移動も、タクシーやボダボダを利用する学生がいるくらい大きな大学構内。そこにオフィスが分散している。やっと教わった通りのお目当ての建物にたどり着いたと思ったら、「ここじゃないよ」とだけ言われて追い返される。誰も、どこに何があるのかを把握していないのだ。

しかも、お目当ての役人がいつでもオフィスにいるなどと思ってはいけない。そうやらアフリカでは(っていうか、日本でも同じか・・・)、彼らのような偉い人は無駄に多くの「会議」をするのがお好きらしく、なにかにつけてオフィスを留守にする。お茶や昼食のために、2時間消えてしまうことも珍しくない。日本なら、きちんと代わりの人が対応してくれるのだが、代わりの人が業務内容を理解していないのだから、本人がいない場合は出直すしかない。また、金曜日の午後はほとんど当てにならない。お昼を食べてからオフィスで少し仕事をしているフリをしたら、みんなさっさと仕事を切り上げて、みんなとっとと帰ってしまうからだ。アポイントメントという文化はそもそも存在しないので、トライするだけ無駄だ。すっぽかされても文句すら言えない。ここでは、アポイントを破る人ではなく、とろうとした人が馬鹿なのだから。

一番確実なのは、朝一で彼らに会いに行くことだ。しかし、出勤時刻も自分の気分次第で変えてしまう彼らである。一般のウガンダ社会では、八時か八時半には仕事を開始して、一時から二時までの間を昼休みとし、五時十分前になったらさっさと仕事をやめてダラダラとおしゃべりをし、そして帰宅するのが通常である。しかし、先述したように、個人単位のオフィスが広いキャンパスに分散しているマケレレ大学では、オフィサーが気分の赴くままにやりたい放題やっているため、それぞれのオフィスでは就業時間に関しては無法地帯となっている。惨事になったらもう帰宅してしまっているという役人もいる。

雨の日はたいてい十時近くにならないとやって来ないものだが、気まぐれな彼らがいつやってくるのかなど分かったものではないから、公式な出勤時間である八時半からずっと待ち構えていなければならない。普段はアフリカンタイムも計算に入れて約束の場所に行くことがとても大切だが、役人の場合、最初からアフリカンタイムを計算して遅く行ってはダメなのだ。例えば、いつも十時にならないとやってこないAさんのオフィスに十時ぴったりに到着したとしよう。すると、その人の秘書に「Aさんは会議に出発するために9時半にここを出たよ。ダメじゃない、ちゃんと時間通りに早く来ないと(←お前がそれを言える立場なのかと怒鳴りたくなるけどね)。明日の朝、もしかしたらAさんに会えるかもね。とにかく出直しなさい」と言われてしまうことがよくある。所詮そんな会議なんて、やるだけ無駄なのだろうけど・・・なーんて思ってても口に出したら即アウトなので、大人しく黙っているしかない。

Aさんが何時になったらオフィスに来るのかを秘書に聞いて、その時間に自分も戻ってくればいいじゃないか。ところが、秘書という仕事はただのパーソナルお茶出し係である場合が多いため、自分の上司の予定をなにも把握していないんだな。普通なら、秘書にことづけを頼めば万事は上手くいくはずであるし、それが秘書という職業のハズなんだけど。彼女たちはそんな面倒なことは断固拒否する。今思い出してもイライラするわ・・・あの愛想の悪くてレイジーで使えないビッチな秘書たち!!そして、不親切な態度でこう言うのがオチだ。「明日の朝戻ってきたら?そしたら多分会えるんじゃない?それか、別のオフィスに行ってよ。」

どんなに上の立場の人と直接会って話をつけても、その人の公式な署名入りの手紙がなければ、他のオフィスに行っても信用してもらえない。「君はそう言うけどねぇ、私は○○から直接それを聞いたわけではないから・・・手紙はあるのかい?」もうお分かりいただいてると思うが、この“手紙”を手に入れるのが一番面倒な過程なのである。そして、手紙の形式に少しでも間違いがあると、受け取ってすらもらえない。また、言われた通りの書類とサインを揃えて出陣しても、態度をコロコロと変えやがる奴らは言いたい放題だ。「○○が足りないよ。出直してきな。」あんたね、さっきあんたに言われた通りの書類を持ってきたでしょうが!!!

本当はそんな書類は必要ないのだが、ただ単に意地悪で言っているだけなのだ。または、面倒くさいことにはタッチしたくないため、頑張って引き受けないような手をあれこれ考えているとかね。

「お前は背中にバッテリーを何本隠し持ってるんだ?」と、よく日本にいた頃に冗談で友達に聞かれていたほどの私であったし、実際にバイタリティーはかなり高いほうだとは自負している。しかし、ウガンダでの最初の10週間は、日に日に心がやせ細っていくのが実感できた。体が細くなったわけではないのが残念だ。

マケレレ大学vsナツノの大バトル 第一ラウンド~科目登録編~①

科目登録がようやく終わったのが、留学開始から十二週目のことだ。期末試験の二週間前に科目登録が完了・・・って、オイオイ、なんだいそりゃ。しかし、時間と忍耐と膨大なエネルギーの末にようやく手に入れた学生証を手にしたときは、涙が出そうになった。

マケレレの管理のずさんさと組織構造の非効率性は、誰もが認識している。だけど、ここまでヒドイとはねぇ。初めてのアフリカ滞在十四ヶ月の間、何が一番つらかったかと聞かれたら、二回のマラリアでも意味のない勉強でも終わりのないバカな役人とのバトルでもなく、迷わず「マケレレのカオス」と答えるだろう。マケレレ大学の組織構造は、もうhopelessとしか言いようがないと留学中は思っていたものだ。今となっては、これがTIA組織構造だから仕方がないと諦められるんだけどね。いやいや、自分で言うのもなんだけど、私も成長したものだ。

そもそもの災難は、留学開始の約半年前の時点で既に始まっていた。留学手続きのために、大学の留学センターの担当者であるIさんから、至急日本の大学に願書を送るようにとのメールが春休み中に来たのだ。

そのとき私はちょうどフランスにいた。当時はカウチサーフィングなど知らなかったので、ネットを使うためにわざわざ高いお金を払ってインターネットカフェに来なければならなかった。しかも、1ユーロが約170円のご時世である。それでも、泣く泣く大金を払ってネットカフェに引きこもり、マケレレ大学に提出するための願書作成に勤しむことにした。夢だったアフリカ留学のためだから、この痛い出費は避けられない。

願書には、希望学部と希望科目を表記する欄が4つあったのだが、いきなりそんなものを選べといわれても困る。とりあえずマケレレ大学のウェブサイトを見てみたが、このホームページは内容がぐちゃぐちゃで整理などまったくといっていいほどされていなかった。授業情報にたどり着くために、どうしてウェブ上なのに、早速たらいまわしにされているんだか。しかも、最新更新歴が二年前だしねぇ、マケレレのサイト。二年前の講義情報から自分が取りたい授業を選びなさいとか、話にならない。今にして思うと、これはその後に次々と起こる嵐の前兆にすぎなかった・・・。

シラバスなんてものは存在しないため、とりあえず講義のタイトルだけで授業を選んで願書を完成させた。そして、まだ日本人の時間感覚の中で生きていた当時の私は、締め切りに間に合うようにしっかりと日本に郵送した。

後日、Iさんからまたメールがあった。「品川さん、先方の手違いで、この願書は間違いだったそうです。申し訳ありませんが、もう一度送っていただけないでしょうか。」

Iさんは謝ることないのにね。それにしてもマケレレさん、郵送費とネット代と大切な時間を返してください。日本の大学生はウガンダの学生よりもお金持ちかもしれないけど、それでも私はこのためにメチャメチャ頑張ってバイトしたんだからねーだ!!!

日本へ帰り、大学の新学期も始まり、留学を目前に控えて相変わらずドタバタする日々が続いていた。私の学部では全員留学が原則であるため、数ヵ月後の出発を控えた新学期にもなると、留学の話題でもちきりになる。ところがどっこい、周りの友達が次々に留学先からの書類を手にしていく中で、私にだけはいつまでたっても連絡が来ない。連絡が来ないどころか、交換留学の締結を結んでいるはずの私の日本の大学とマケレレとの間で、何のコミュニケーションもない状態であるというのだ。まぁね、焦っても仕方がないし。何よりも、留学先の大学と音信不通の状態になってしまうことの重大さに気付いていなかった私は、平和に慌ただしく毎日を過ごしていた。

二年前の情報によると、どうやらマケレレの授業開始は八月中旬であるらしかった。ところが、七月に入っても何の連絡もないではないか。タダでさえ心労が絶えないIさんは更にナーバスになり、会うたびに「マケレレにはメールを何度もしてるんですけれど・・・返事が・・・。電話もしているんですけどね。どうして出てくれないんだろう・・・」と、とりわけ変化のないTIAな状況を泣きそうな顔で報告してくれた。Iさんのせいじゃないのに、なんだかかわいそう。

しつこいくらいに書くが、当時の私はまだまだ日本の時間感覚の中で生きていた。つまり、「大学の授業開始日の数日前には、遅くとも現地に到着していなければならない」という「常識」が、私を支配し続けていたのである。(ちなみにその一ヶ月後には、この「常識」がTIAな世界では通用しないということに気付かされるのだが。)だが、肝心の授業開始日も分からなければ、入寮日などの情報もゼロである。どうしよう・・・早く飛行機をとらないと、大変なことになる。

日本からアフリカに行く場合、ヨーロッパ経由か中東経由が一般的なのだが、値段は中東周りの方が断然安い。というか、ヨーロッパ周りは、学生に手の届く値段ではないので最初から選択肢にはなかった。中東経由の航空会社のうち、カタール航空はウガンダには飛んでいないため、そうなると私が利用しなければならない航空会社は自動的にエミレーツになる。しかし、当時は日本からドバイまでは一日一便しか飛んでおらず、しかも八月のピーク時ともなると、席はすぐに埋まってしまう。ウガンダから入寮開始日などの情報が来たら予約をしようと考えていた私は、結局それを待たずに航空券を買うことに決めた。七月中旬のことだ。キャンセル待ちでようやく席を確保できたが、出発はその日から数えて二週間後になってしまった。学期末の試験や課題に追われ、東京のアパートの引き上げやら何やかんやで、渡航の準備をゆっくりとする時間もないまま、とうとう旅立ちの日はやってきてしまった。

ちなみに私は、アフリカに到着したその日のうちに、人生初の救急車を経験してしまうという伝説(?)を作ってしまっている。(詳しくはこちらを参照。)これは、調子に乗って飲んでしまった私にも非はあるが、マケレレがきちんと事前に情報をくれてさえいれば、もっと計画的に予防接種だってできたのに・・・と思ってしまう。

留学許可書をようやく手にしたのが出発の前日であったのだから、ドタバタもいいところである。まぁいい。とりあえず間に合った。Iさんも嬉しそう。これでようやく留学できる!!

ウガンダにはいつ到着すればいいのかが分からなかったため、マケレレから何かしらの連絡があるまでは、エチオピアで遊んでいることにした。結局エチオピアには二週間いたが、その間に入院したり、飛行機に置いていかれたりとTIAの洗礼を早くも浴びさせられたのであった。ようやくウガンダに到着したあとも、最初の数日間はこの有様だった。

これからいよいよ留学生活が始まる―そう思った瞬間、マケレレ側から、再びTIAな通告があった。「あなたが選んだ授業は今学期は開講されていないから、もう一度選んで登録しなおして。」くっそー。ネットカフェ代のユーロを返しやがれ。

「もう一度登録し直す。」これが、マケレレと私の戦闘開始の合図になるとは。

科目を登録するには、まずは大学の組織図を理解する必要がある。マケレレ大学のルールが書かれた本によると、交換留学生は、二つの違ったDepartmentから好きな授業を自由に選ぶことができると明記されている。マケレレには学部(Faculty)や付属研究機関(Institutes)が二十二も存在しており、それぞれが複数の学科(Department)から成り立っている。ここまでは日本とさほど変わらないし、私がしなければならないことは、二つのDepartmentから面白そうな授業を組み合わせることのみであるから、そこまで複雑ではないはずだった。

日本の大学では、時間割は新学期が始まる前に完成する。学生たちは長期休暇の間に授業登録を済ませ、学期の第一日目から、(授業に出席する人は)きちんと授業に出席する。ところがウガンダでは、時間割がいつまでたっても完成しない。時間割がなければ科目登録もできない。実際にこのときも、時間割を待っているだけで授業開始から三週間も経ってしまった。とはいっても、暦の上で授業開始の日から二週間の間というのは、実際には授業などない。先生も来なければ、学生もまだキャンパスに戻ってきていないからだ。学生の多くは、実家からキャンパスに戻ってくるのに必要なお金がなかなか集まらないがために、戻ってこられないという場合がほとんどだ。だから、物事が少しずつ正常な状態になり始めてから時間割が完成するまでに、一週間かかると考えるのが正解だ。

大学の機能が長期休暇中は完全に止まり、学期が始まっても、機能しているのは半分くらいという有様なのだから、仕方がないと言えば仕方がない。三週間の間、私は毎日のようにお目当ての二つのDepartmentにまたがる各Facultyの事務所に行っては、借金の取り立てならぬ時間割の取り立てに躍起になった。事務所といっても、アカデミックコーディネーターと呼ばれている、実際にはコーディネートも何もしていない人々の個人オフィスに毎日顔を出しているだけだったんだけどね。

あまりにも私がしつこいものだから、途中から「ああ、またこの子か」と言わんばかりの顔をされるようになってしまった。どうして彼女は、時間割ができていないくらいでこんなにヒステリーを起こしているのだろう。できていないものはできていないのに。あと一カ月も経てばどうせ完成するのに、何が一体問題だと言うのだろう。

私はというと、埒の明かない状態に対して毎日のようにがっかりし、とんでもない場所に来てしまったことを実感させられた。だがもう遅い。ウガンダに来てしまった以上、最後まで何が何でも残らなければならないのだから。

この時、肩書ばかりで実際には何もしていない留学課のマーサには、「科目登録が終わっていなくても、授業に行かなきゃダメよ」と言われ続けていた。何言ってるんだこのおばさん。授業に登録していないのに、どうやって出席しろという話なんだ。まだまだ固い私の頭の中では、「科目登録→授業開始」という絶対的な順番があり、登録を済ませていないのに、実際に単位を取るかどうかも分からないような授業にとりあえず出続けるというのは非常にナンセンスに思えた。

ウガンダの非効率さにイライラし始めたのはこの頃だ。あれから三年弱が経ち、大抵のことは「TIAだししょうがないよね~」と笑い飛ばせるようになった今の私でも、マケレレの組織の非効率さにはうんざりしてしまうだろう。ところが、当時の私の周りには、ウガンダでのサバイバル術を相談できる人もいなければ、私のイライラを理解してくれるような人や値観を共有できる人もいなかったために、あれよあれよの間にイライラが溜まってしまった。「郷に入れば郷に従え」の本当の意味を理解していなかったために、日本から持ってきた尺度をそのまま使っていたんだね。そりゃ、イライラも溜まるはずである。

これからアフリカ留学を考えている人へ私がアドバイスできることがあるとしたら、今までのすべてを忘れなさいということしか言えない。リアルな話、あの大陸ではジタバタもがいても溺れてしまうだけだ。疲れてしまうし、現地社会に対して極端に批判的になるし、物事は進まないし、いいことなど本当に何もない。それよりも、ここは思い切って今までの「常識」すべてを捨てて赤ちゃんのような状態になり、throw yourself in the environment(環境に身を投じる)しかないのだ。時間はかかっても、最終的に裏切られるようなどんでん返しが待ち構えていても、これらすべてがTIAな経験であり、留学で学ぶべき事柄なのだ。

私とマケレレのバトル・第一ラウンド~科目登録~は、まだまだ続く・・・・。

2010年6月26日土曜日

「サービスを送る」ビジネス②

このオンラインショップと同じ要領で、例えば教育費の納入も簡単に行うことができる。

ウガンダにいるときにこれは目の当たりにしたことなのだが、授業料を確実に払える生徒が少ないため、かなり多くの私立学校は頭を抱えている。とりあえず授業は受けさせるけれども、授業料が確実に支払われるのかどうかが分からない。もちろん子どもたちは勉強がしたいし、公立学校の質はあまりよくないため、親としては私立に行かせたい。特にウガンダでは、私は子どもを公立学校に行かせているという親に出会ったことがない。どんなに貧しい人も、授業料の未納・滞納など紆余曲折を経ながらも、どうにかして子どもを私立に行かせようとしている。公立学校なんて、質が悪すぎて行かせるだけ無駄だと諦められているからだ。

マケレレ大学でもそうだった。授業料を払える保証はどこにもないけれど、とりあえず授業は受けているというクラスメイトがどれだけいたことか!!お金がきちんと集まるのを待っていたら、いつまで経っても授業は受けられない。「授業料はまだ払ってないよ。でも、たぶん来週にはおじさんがお金を送ってくれることになっているから・・・大丈夫だと思う」だの「両親が、今一生懸命お金を探してくれている」だの、そんな人がかなり多かった。マケレレでは、期末試験の一週間前までに正式に科目登録を済ませれば、とりあえず成績はつけてもらえる。しかし、その科目登録をするためには、授業料の納入を済ませていないといけない。お金がないと、当然成績や単位は来ないわけだから、当然、学期の半ばも過ぎる頃には、呑気なウガンダ人も焦り始める。あんなクソ大学のインチキ学位だけど、苦学生にとっては汗と涙の結晶なのだ。

アフリカにいる親戚や家族の子どものために教育費を払っている海外在住のディアスポラはかなり多い。しかし、ここに来て、また同じ疑問が浮かび上がってくる。ディアスポラが「教育費」の名目で送っているお金は、本当に教育のために使われているのか?

そこでオンラインショップと同様、私たちの会社とパートナーになっている学校に対しては、ディアスポラがオンラインで直接学費を納入できるシステムが存在する。子どもたちにとっては、お金のことを心配せずに安心して学校に行くことができる。学校にとっては、決まった期間内に確実に授業料の徴収が可能になる。そして、アフリカの外にいるディアスポラにとっては、自分たちのお金が教育に姿を変えているという保証になり、安心して送金することができる。

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また、似たような要領で医療サービスなんかも提供することができる。医療の場合はちょっと特別だ。

今アフリカでは、ITを使った遠隔医療が非常に注目されている。専門医のいない農村部でも、テクノロジーさえあれば、都市部や先進国にいる医師たちの診察が直接受けられるというわけだ。もちろん、遠隔医療を実現させるためには、停電のない安定した電気の供給や、それなりに接続のいいインターネットが不可欠なのだ。また、例えばスカイプでヨーロッパにいる専門医の診断が直接受けられたとしても、村に医療器具や設備などがないのでは意味がないため、そうした設備整備が早急な課題となってくる。

私が働いていた会社では、アフリカ各地の病院・診断所やヨーロッパにいる医師と提携してネットワークを構築し、アフリカにいるアフリカ人ディアスポラの家族が病気になった際にも、ヨーロッパにいる家族が治療に参加できるようなシステムを作っている。こうすることで、離れて暮らす家族が治療に立ち会えるようになるだけではなく、互いの健康状態についての理解も深まり、また、より透明でより分かりやすい医療行為をスポンサーであるアフリカ人ディアスポラに見せることができる。

ま多くのアフリカ諸国では、健康に対する知識と意識が未だに低いままである。病院とは病気になってから初めて行く場所であり、病気を予防しようだとか、普段から健康でいようだとかいう気持ちもなかなか生まれない。カロリーのことを「ビタミン」と呼び、油っこい食べ物こそが一番体にいいと思っている人たちだからねぇ。ケニアのラム島で居候させてもらった家のおばさんは、私のためにフライドポテトを買ってきて「たんとビタミンを取りなさい。体にいいのよ。」としきりに勧めてくれた。

しかし、この医療サービスを送るマイクロファイナンスを利用すれば、健康診断や人間ドッグのようなサービスをも、アフリカで暮らす人々に提供することができる。ヨーロッパに移住した人たちは、当然、病気の予防の大切さに気付いている。そこで、彼らがアフリカにいる家族に健康診断をプレゼントしてしまえば、どんなに面倒臭くても、その家族は健康診断を受けることになる。家族からの贈り物なのだから、心理的に健康診断を受けようとする気持ちが生まれるのは当然と言えば当然だ。

病気の予防がどれだけ重要なものかという説明をする際にも、同じことが言える。見ず知らずの人や外国人に言われるのよりも、自分の家族に言われた方が、説得力があるし聞く方も素直に聞いてくれる。何よりも、家族の言葉は心に響く。

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今、アフリカはかなり面白くて、かつてないほどにダイナミックな時代を迎えている。脆弱な平和ではあるけれど、今まで内戦の舞台となってきた地域の多くが復興に向けて立ち上がろうとしている。それに伴い、アフリカ各国間の経済的な結びつきは強まる一方だ。経済的な結びつきが強まれば、当然モノやお金、人の移動も今まで以上に活発になる。(そんな時代だからこそHIV/エイズは本当に気をつけないといけないよね。)ビジネスマンはアフリカ中を飛び回り、勉強や仕事のために外国暮らしをする人や、アフリカ大陸内の出稼ぎ移民、また、アフリカ内の国際結婚カップルも、今後ますます増えるであろう。そうなると、今は先進国からアフリカへの一方的な流れが主流となっているディアスポラ関連サービスだが、これからはアフリカ大陸内でのやりとりの重要性が上がり、動きもますます活発になるはずだ。そういう意味では、非常にエキサイティングなことをしている会社で働いていたなぁと未だに思う。

「アフリカにはモノやお金がないから」と初めからステレオタイプで決め付けるのではなく、「モノやお金の流れが滞っていて、上手くまわり切れていないのはどうしてなのか」というところに着目する必要があるかもね。楽観的すぎるかもしれないけれど、私は、アフリカは自分たちの力でやっていく実力があると心の底から思っている。実際、IMFの統計によると、(サハラ以南のアフリカに関しては)外国からの援助資金より、アフリカの外にいるアフリカ人ディアスポラから公式ルートを通して流れてくるお金のほうが大きな額であることが分かる。

私の好きな言葉の中に、the way you see the problem is the problem(問題の見方自体が問題なのである)というものがある。アフリカを見ていると、まさにそうだなと実感せずにはいられない。国際社会(&時々アフリカ自身)の、アフリカという場所そのものへの眼差し自体がどれだけ大きな問題になっていることか。(このように言っている私自身の問題意識そのものが問題だったりもするわけだから、マトリョーシカ人形みたいなものなんだけどね。)「アフリカ=忘れ去られた大陸」でも、「アフリカ=援助の対象(objet)」でも「アフリカ=さまざまな知識を教えてあげなくてはならない相手」でもないのだ。要は、ここにだって社会があって人がいて日常生活というものが存在しているのだ。だから、何でも外から持ってきてしまうのではなく、どっぷりとじっくりと現地の生活に触れながら、社会の中の元気な部分とそうでない部分の間の流れを食い止めている原因について思いを馳せた方がよほど(本人のためにもアフリカのためにも)役に立つのではないだろうか。実際に日本のような国でも、いいビジネスや政策というのは、いつもこうした着眼点から始まっておるわけだしね。結局は、アフリカも日本も、根本では問題解決への道は同じなワケです。はい。

「サービスを送る」ビジネス①

ここ数年もてはやされているマイクロファイナンスが、マイクロクレジット(小額貸付)だけではないことは前に少し書いた。銀行などの既存の金融機関が、大多数の人のニーズに応えられないこと、、ディアスポラ(移民、出稼ぎ移民)からの送金が、いかにこの大陸において大きな存在であるのかということ、また、送金の思わぬ落とし穴についても、既に書いたとおりだ。

ディアスポラを通した社会貢献型のビジネスが注目されるようになってから久しいが、そんな中でも私の会社はユニークだ。ヨーロッパやアメリカにいるアフリカ系のディアスポラが、送金の代わりに、医療や教育などのサービスをアフリカに残る家族に提供できるようにしているからだ。送金で送られたお金を、もっと有効的に使ってもらいたい―そんなディアスポラのかねてからの願いを、カタチにしたのがこの会社である。(送金の落とし穴についてはこちらをどうぞ。)

例えば、私の会社では、ディアスピラやアフリカに住む人々を対象にしたオンラインショップを運営している。アフリカの内外で暮らすディアスポラがお金を払い、それをアフリカ各国にいる家族がすぐに受け取れるシステムだ。こうすることで、例えばフランスにいるAさんはアフリカにいるBさんの必要なものを直接買ってあげることができる。送金してしまうとお金の使用用途が不透明になってしまうから、Aさんにとってはこの方がありがたい。また、「○○を買いたいのにお金がない!!」「今月は給料が支払われなかった!!」「月末でお金が残っていない!!(お金は計画的に使いましょうという話だが、計画しようにも計画通りにはまずいかないのがTIA)」など、なにかとすったもんだすることの多いアフリカだ。そのため、Aさんがヨーロッパで直接支払いを行うことで、Bさんのためにより簡単でスムーズな買い物ができる。

オンラインショップでAさんが買う商品は、Bさんの暮らす国の地元の店舗や企業の商品・製品であるため、地元の経済のためにもプラスになる。つまり、それこそ本当に、Aさんはフランスにいながら、アフリカで買い物ができるサービスになっている。私の会社がそれぞれの地元店舗・企業と交渉を行うため、オンライン上では実際の店舗価格よりもやや低い値段で買い物をすることができる。これは、ディアスポラだけではなく、インターネットにアクセスできるアフリカの人にとっても嬉しい特典だね。みんな忙しいからなかなか買い物をする暇がないけれど、オンラインショップならいつでも買い物をし、家まで届けてもらうことが可能なだけでなく、実際のお店よりも安いわけだから。

地元の店舗・企業にしてみたら、地元の顧客層の増加はもちろん、海外にまで市場が広がるいいチャンスだ。アビジャンのようにだだっ広く、交通渋滞が激しく、そして市民が割とレイジーな街では、自分の生活圏内を越えた買い物をする人はそう多くはいない。(まぁ、どこで買い物してもお店や品質には特には差がないっていうのもあるんだけどね。)また、何かと情報が錯綜しているTIAなこの街において、注目のお店やレストラン、イベントなどの情報を集めた街情報誌があるハズもない(あるのは口コミと新聞広告ぐらい)。そのため、お店の立地を生活圏内としないアビジャン市民に新しい顧客になってもらうことは、それだけで地元の店舗や企業にとって大きな利益になる。ましてやそれが海外にまで広がるとなれば、決して悪い話ではないハズだ。

特に電化製品は、アフリカでは本当に高い。だから今は、フランスから誰かが来るたびに、あるいは誰かがフランスに行くたびに、持ち運びをしている人が非常に多い。このままだとアフリカの地元の商売も上がったりだし、空港の税関での汚職が終わることもない。そういう意味でも、このオンラインショップは決して悪いアイディアではないと思う。

アフリカの人がオンラインショップで買い物をする際には、現金払いでも、銀行口座のカードでもOK。特に今は、Africardというプリペイド式カードがVISAから出ていて、じわりじわりと浸透しているから、アフリカのビジネスも大きく変化してきている。Africardもマイクロファイナンスの一環と言えば一環だ。最初にお金を積み立てて、それをクレジットカードの代わりに使うことができるのだ。これなら、銀行口座をもてない人でも大丈夫だね。

このオンラインショップから、私はコートジボワールのビジネスや消費の傾向について、色々学んでいる。文化の違いっていうのはこんなところにも現れるのか!!と、いつも新しい発見があるよ。

例えば、クリスマスやラマダン明けのための玩具。福袋のように、「5000フランのパック」「20000フランのパック」といった形で売り出しているのだが、それぞれのパックの中には、3歳児用の玩具も、8歳くらいの女の子向けの玩具も、10歳くらいの男の子向けの玩具も、全部ごちゃ混ぜになっている。私は最初、この案には反対した。こんなに統一感のないものばかりがごちゃごちゃと入ったパックは、誰がターゲットで売り出すつもりなの?―これが明確でなかったからだ。値段をそろえれば、何でもかんでもパックにして売り出せばいいというものではないしね。

ところが、象牙人の私の同僚は、全員口をそろえてこう教えてくれた。ここの人はそもそも、みんな大家族だ。そのため玩具とは、一つが一人に与えられるのではなく、いとこやはとこ同士を含む大家族みんなで共用するものと考えられている。だから、一回の贈り物でなるべく多くの子どもたちを喜ばせられる方が、消費者のニーズに合っているのだ、と。

大家族なんだし、こんなの当たり前といえば当たり前の話だけど、これを聞いたときには目からウロコだったなぁ。

結局これは実現されなかったけれど、イスラム教の犠牲祭の前には、ヤギをオンラインショップで売ろう!!などという話も飛び出した。今はクリスマスに向けて、鶏やら大量の食べ物のパックを売り出している。パーティや親戚同士の集まりが大好きなアフリカの人にとって、これはどんなモノよりも最高のプレゼントだ。ディアスポラもそれを理解しているから、結構売れるんじゃないかな。

もちろん、コートジボワール(というか、一般的に途上国)ならではの難しさもかなりあるよ。

まず、信用の問題。例えば、十二月に売れた商品分のお金は、翌月である一月の決められた日に、私たちの会社から地元の店舗・企業に納入される。この後払い制度がなかなかやっかいで、信用を得るのが非常に難しい。ここでは、何でもその場で支払うのが当たり前だからね。そうでないと、逃げたり、しらばっくれて支払いを拒否する個人や業者が後を絶たない。基本的に、信用というものが社会の中に存在しない。だから携帯の通話料も、後払いではなくプリペイドなのだ。たとえ私たちの会社の本部がパリにあろうと、アフリカ各国で事業を展開していようと、アフリカサッカー界のスターが経営に関わっていようと、信用のない不安定な社会で信用を得るというのは、難しいことだ。本当に根気が必要だね。

コートジボワールでは、細かい書類を準備して会社の信用性を証明しようとするのよりも、メディアにさえ露出していれば、「お宅は信用できる会社ですね~」という感じになってしまうらしい。これ、ものすごくTIAで面白いなと思った。難しいこと言われてもよく分からないから、とにかく目立てばいいんです!!みたいなね。思えば、マケレレの学内選挙のときも、「演説や政策で勝負!!」というよりは、「お金とコーラをばら撒いて、あとはひたすら音楽をガンガンかけて踊りまくる選挙活動をすれば、勝てる」といった具合だったなぁ。

私たちの会社の本部がシャンゼリゼ通りにあるのも、そんなTIAの心理をよく理解してのことだ。パリにいた頃、私はどうして本部がこんなところにあるのかが理解できなかった。シャンゼリゼ一帯のあの辺は、かなり高いはずだ。それなのに・・・なぜ?私たちの会社はまだまだ小さいのだから、同じパリでももう少し安いところに本部を構えればいいのに。何もかもがよく分からないような環境にポーンと放り込まれていた(というか、自分でポーンと身投げしたと表現したほうが正しいね)私は、「身の丈にあっていないことを好むところがマジTIAだな、この会社は大丈夫なの?」とすら考えては一人でイライラしていた。

社長の思惑がようやく理解できたのは、コートジボワールに来てからだった。ここでは、私たちの会社のことを知らない人に対して説明をする際、必ず本部の住所を言っている。すごいよ。「パリ8区シャンゼリゼ」と言っただけで、水戸黄門の印籠のように、今まで面倒くさそうな態度を見せていた人々がハハァーとなるからね(笑)。パワポの会社プレゼンには、資本金やら従業員数などの必要不可欠な会社概要は登場しないくせに、二枚目には早速シャンゼリゼの文字が登場する。初めての相手に電話をするときの手短な自己紹介でさえも、「○○社の△△と申します。私たちの会社は#%*@で本部はパリのシャンゼリゼにあります。」というように、ここで本部の住所を言うのか!?というツッコミをせずにはいられない感じなのである。

「本部がシャンゼリゼにあるからなんなの」くらいの態度を、是非是非アビジャンの人々には見せてもらいたいんだけど・・・なんてたって見せつけ主義&見せつけられたらペコペコする主義が蔓延しているから、なかなかそうもいかない。